#3 プロジェクト・ヴォイド
Chapter07 考査 01
敵組織のエージェント、サトウが見つかった。
場所はイギリス南西部、モリオンの海岸付近。
指紋、顔つき、血液型。諸々のデータを照合した結果、間違いなく本人であると断定もされた。後は確認等の作業が行われた後、
だが。
それでも、
もっとも、その二つですら本当の目的を隠す建前なのだが。
「ああーもう、狭いったらないなー」
かくて本命を果たすため、巌はウェストミンスター区の地下、某所に造られた地下通路を進む。二百年ほど前、
「大鎧装のコクピットの方が、よっぽど広いんじゃないかー?」
難儀しながら巌は進む。何せ道幅は人がすれ違えないくらいに狭く、天井も気を抜けば容赦なく頭を殴ってくるほど低い。要所に接地された霊力灯がなければ、一歩を踏み出す事にすら難儀しただろう。
ざらりとした岩壁に手をつきながら、巌は書類にちらと目を落とす。
「
凪守の調査によって明らかになった、サトウの本名がそれである。
主に輸入品を扱っていた株式会社、ウエストワンの元社員。妻子あり、ただし十年前に事故で死別。須田本人も時を同じくして行方不明となっていた、云々。要所に点在する重要情報を再確認しながら、巌は薄暗い廊下をひたすら進む。
「まーだ続くのかな、っと」
終点が現われたのは、そうぼやいた矢先であった。
闇の奥から唐突に現われたのは、随分と古びた一枚の鉄扉。見た目通りにずっしりしたそれを、巌は押し開ける。
扉の向こうには、一人の老紳士が待っていた。
「おっと。来たね、ミスター五辻」
そう言って巌を迎えた紳士は、咥えたパイプからぷかりと煙を浮かべる。
ごつごつした天井に消えていく煙の輪を見ながら、巌は頬をかく。
「ありゃぁ。少しお待たせしてしまいましたか、キューザック卿」
「構わないよ。たまにはこんな場所で吸う煙草も乙なものさ」
相変わらず白色の髪とスーツが特徴的な紳士――スタンレー・キューザックは、そう言って破顔した。
「それよりびっくりしただろう? こんな辺鄙な所で」
「えぇ、少しは。けどまぁー、仕方ないでしょう。状況が特殊ですからねー」
書類を畳みつつ、巌は部屋の中央に進む。今まで進んできた通路に比べれば随分とマシだが、それでも大分狭苦しい部屋だ。高さは三メートル、面積は六畳もないだろう空間には、かつて魔術的なものがあった痕跡が見て取れる。
壁のくぼみ、床の凹凸、天井の模様。全て魔術的な意味を持つものばかりだ。かつてはそれらを霊力経路として稼働する物品があったろうが、当然すでに跡形もない。キューザックが使ったであろう、転移術式装置が辛うじてあるくらいだ。
因みに巌が通路を来たのは、凪守上層部からBBBの転移術式使用を差し止められていたからである。
「……いやぁ、いい運動になりましたよー」
軽く肩をすくめた後、巌は視線を落とす。
部屋の中央、おごそかに横たわっている石の寝台。びっしりと魔術紋様が彫られた硬い寝床に、シーツ一枚で横たわっている男が一人。サトウだ。
青ざめた、を既に通り過ぎた土気色の顔。
まばたきはする気配すらなく、瞳孔は開ききっている。
呼吸は、無い。
サトウは、死んでいるのだ。
発見されたのはつい先日。発見したのは、たまたま散歩中だった一般人。何気なく歩いていた土手の草むらへ、ひっそりと倒れていたのだ。その後通報され、照合され、隠蔽され、今に至るという訳である。
当然、本来なら調査用の病院の一室に安置されているべき遺体だ。しかしてそれを、一時的とはいえこんな辺鄙な場所へ移送出来たのは、ひとえにキューザックの手管と人脈の賜物である。
そのキューザックが、おもむろにパイプを口から離す。
「で、確かにこの男なのだね?」
「ええ、
BBBがサトウの死体を検分した結果、分かった事が二つある。
一つ目は、特殊な霊力経路の痕跡があった事。術式自体は既に破壊されていたので推測になってしまうが、それは恐らく操作するための術式だ。須田明光という男の身体を、操縦するための。
二つ目は、巌の手にある須田の顔写真が、十年前の物であると言う事。更に須田が行方不明になったのも、やはり十年前だと言う事。
そして今ここにある死体の顔は、写真のものとほとんど変わっていない。
「資料で知ってはいましたが、須田氏は本当にお体を借用されてたんですねー」
おもむろにシーツをめくる巌。意外と体毛が濃いめな上半身には、火傷のように爛れた傷跡が、編み目のように走っている。術式の痕跡だ。
かつてあったその網目の術式を用いて、内部に潜んでいた何者かの分霊が、須田の身体を動かしていたのだ。
きっと、十年前から。
顔が変わらない理由もそれだろう。霊力によって生かされていたとは言え、死体が老化する事なぞありえないからだ。
「無いんですよね? そのー、手がかりとか」
シーツを戻し、巌は顔を上げる。
「残念ながらね。こちらの調査で唯一判明したのは、須田の居たウエストワン社が倒産してた事くらいさ」
「計画倒産、なんですかねー」
須田の身体を使っていた何者かの分霊、つまり本来の『サトウ』は、今もどこかで仕事をしているのだろう。新たな身体へ乗り換えて、のうのうと。
「結局は振り出しに戻る、という訳ですかー。堪んないなー」
割と本気で溜息をつく巌とは対照的に、キューザックは笑みを崩さない。
「まぁ、そう落ち込まない事だ。お互い、今までのゴタゴタで得た情報は多かろう? それを出し合えば、何かが見えてくるかもしれないよ」
ぷかり。また一つ、煙の輪が天井へ消えていく。
「幸い、ここは内緒話をするのに持って来いの場所だからね」
にやり。口の端に浮かぶ笑みが、三日月のようにつり上がる。
実際その通りではあろう。何せここを待ち合わせ場所にしたのは、つい一時間前なのだ。盗聴用の装置や術式なぞ、仕掛ける暇はあるまい――
霊力が走る。空間が塗り変わるのが気配で分かる。もっとも巌達の居る部屋は除外登録済みなので、薄墨に隠れる事は無い。元々薄暗いので、似たようなものではあるが。
「……ふむ。こうなると、外がどうなっているのか気になるね」
言って壁際に寄ったキューザックは、壁の術式陣に手を翳す。すると紋様に光が宿り、中央から光線が投射。かくして浮かび上がったのは、十七インチほどの立体映像モニタだ。
部屋の中央、丁度遺体の真上に浮かぶモニタには、今まさに
『タイガァァァァァァッ! 分断パァァァンチ!』
並み居る敵の群れへリフレクター・ブレイクで果敢に突撃する虎頭、ファントム2こと
ボロ布一歩手前のローブを羽織った禍の群れは、雷蔵の拳によってなすすべ無く分断されていく。
『セットッ! サークル・ランチャー!』
間髪入れず、寸断されたその隙間へ青い轍を刻んでいくバイクのライダー、ファントム5こと
敷設された青色のラインから十数個の円錐が射出され、くるくると回転した後、切っ先を下へ向ける。
『行けっ!』
霊力光をたなびかせ、禍へ殺到する円錐形の弾丸。四方八方へ着弾する炸裂は、雷蔵の切り開いた隙間を更にこじ開ける。
右、左。二つの塊へ強引に分断された禍の群れは、それでも本能なのか、すぐさま合流すべく集まろうとする。
だが、その集合は果たされない。
『ヴォルテェェック! バスタァァァァァァァァッ!』
ファントム4こと
サークル・ランチャーの炸裂に紛れて、最高の射撃位置を確保したからこそ実現した、効率的な殲滅である。
後は向かって左の群れを残すのみだが、ファントム3こと冥・ローウェルはこの場に居ない。
『あの程度、僕が居なくてもどうにかなるだろ』とのお達しにより、絶賛サボり中なのだ。
なので、辰巳は立体映像モニタ越しに巌達を見た――正確には、そのモニタの送信元である、大鎧装のカメラを仰ぎ見た。
『後は頼むぞ、マリア・キューザック!』
そして、名を呼んだ。以前イーストエンドで雷蔵と、今はファントム・ユニットの三人と協力している、スタンレー・キューザックの孫娘の名を。
『言われなくても!』
直後、画面外から掃射される霊力弾の嵐が、左の群れを薙ぎ払う。この場に唯一出動していたマリアの大鎧装、ディスカバリーⅢのマシンガンが唸りを上げたのだ。
対人兵器としては大げさにも程がある口径の嵐が、ヴォルテック・バスター並みの勢いで吹き荒れる。禍達にはなすすべも無く、また照準システムの優秀さも相俟って、禍の姿は十秒もせぬうちに消え失せた。
「おぉー。いい手並みしてますねえー」
ぱんぱん、と拍手する巌。だがその手が三つ目を打つ前に、状況は一転した。
ぞるり。
そんな音を立てながら、新たな禍が地面から染み出したのだ。
ぞるり。
姿は、やはり今までと同じボロ布のようなローブ。すり切れきった裾から覗く手足は、枯れ木のようにやせ細った骨と皮。眼窩は落ち窪み、頬は痩せこけ、生気は欠片も見当たらない。
ぞるり。ぞるり。ぞるり。
ローブは現われる。際限なく現われる。見渡す限りの一面を、瞬く間に埋め尽くす。
病んだ瞳。一帯に広がるそれが、ファントム・ユニットの面々を捉えた。
『やれやれ。これで第……何ラウンド目だったかのう?』
十字路の中央、首を回しつつ息をつく雷蔵。偶然その背中を預かっていた風葉は、レックウのコンソールを操作して戦闘記録を呼び出す。
『ええと、六回目みたいですね』
『ほぉう、もうそんなになるのか。流石は黒死病じゃのう』
二枚の大楯を構え直しながら、雷蔵は周囲を取り囲む禍を、黒死病の化身達を睨んだ。
――さかのぼる事十四世紀、とある感染症がヨーロッパ諸国の総人口の、実に約三割を死に至らしめた。
主にネズミ等の齧歯類を媒介に広まったその病気の名は、ペスト。またの名を黒死病と言う。
感染すると一週間以内に高熱を生じ、皮膚に黒紫色の斑点が発生した後、ほぼ確実に死に至ると言う恐るべき病気だ。
多大な犠牲と、長い年月。この二つを持ってようやく根絶に至った病が、現在のロンドンでは禍として新たな形を得ていたのだ。
原因は、先日接続先を失ったウェストミンスター寺院の霊力供給術式だ。ニュートンの遺産というそれまでの供給先を失った術式は、しかしそれでも稼働を止めなかった。
いつものように粛々と集まる霊力は、いつものように粛々と射出された。だが、いつものように粛々とそれを受ける遺産は、既に無い。
結果、射出された霊力は成層圏の手前で噴水のようにロンドン全域へ降り注いだ。そして霊力の流れを乱してしまい、、禍が非常に発生しやすい状況になってしまったのだ。以前、辰巳が町の十字路で
黒死病の化身はそうして現われた禍であり、BBBはそれを調伏すべく動いている真っ最中なのだ。なので辰巳達だけでなく、他の部隊もどこかで戦っている筈である。
そしてその戦いで拡張した幻燈結界が、たまたま巌達の居る場所へ届いたと言う訳だ。何せこの場所は、辰巳達の居る場所からは遠く離れているのだから。
だが、だとしても何故ファントム・ユニットも共闘しているのか。
理由はごく単純。先日起きた怪盗魔術師との戦闘で、損耗した戦力の補助要請がBBBから来た、と言うのが半分。先日の活躍をやっかんだ上の連中が、それをファントム・ユニットに押し付けた、と言うのがもう半分だ。
もっとも、巌としては渡りに船の指令であった。キューザックに内密の話があったからだ。
後は禍掃討戦のゴタゴタに紛れて渡りを付け、サトウの遺体確認にかこつけて、こうして密会しているという訳である。
「そう言えば、ミスター五辻が管理を任された
不意に、キューザックが口をついた。その目は疾走するレックウのライダー、風葉を追っている。
「魔術師ギノア・フリードマンの侵入、ミス霧宮へのフェンリル憑依、キクロプスの出現……大変だったようだね、色々と」
「そーなんですよ。しかもその後神影鎧装なんてモノまで出て来ちゃいましてねー」
巌が頷く正面、成り行きでそのパイロットになってしまった辰巳が、ハンドガンで禍の脳天を次々に撃ち抜いていた。相手は実体化した病魔であるため、素手での接触は厳禁なのだ。
「その後の調査は進んでいるのかい?」
「それはもう、と言いたいとこなんですけどねー。色々ありすぎたせいで、調査部の連中も色々と引っ張りだこでしてー。ちゃんとした調査は中途半端になってるんですよねー」
キューザックが聞き、巌が答える。モニタ内では雷蔵が、相変わらずのリフレクター・ブレイクで禍の群れをかき回していた。
「となると、警護担当のファントム・ユニットが代わりに調査している訳か。本当に大変だね」
「ええまぁ、そうなんですよねー、普通なら。ですが、ご存じの通り僕達ファントム・ユニットも査問やら戦闘やらでこれまた引っ張りだこでしてー。恥ずかしながら、やっぱりほとんど手付かずなのですよー」
再度キューザックが聞き、巌が答える。モニタ内ではレックウが、壁を垂直に駆け上りながら青い轍を刻み込んでいた。
「……そうなると、少々おかしな感じだね。ファントム・ユニットが凪守内で疎まれているのは事実だとしても、ちぃと度が過ぎてる」
ぷかり。輪っかの形をした煙が、キューザックの口から飛んで行く。
「原因調査の妨害じみた事をするなんて、幾ら何でも異常だ」
ちらり。正面のモニタから、キューザックは視線を下ろす。見下ろした台座の上には、相変わらず物言わぬ須田明光の亡骸が横たわっている。
かつて、サトウと名乗る分霊に操作されていた亡骸が。
「まるで、調べられたら困ると言っているようなものじゃないか」
更に、キューザックはこうも予測している。
サトウと同様の分霊に操作された者が、つまり敵組織の内通者が、凪守上層部に食い込んでいるのではないか、と。
遺体を見下ろす視線が、言外にそれを物語っている。
「……」
巌は何も言わない。その目が見据えるモニタ内では、大鎧装クラスの巨躯を晒す禍が、建物の影からぬうと現われていた。ディスカバリーⅢが出動していたのは、こうした大物に対応するためだ。
『このぉーっ!』
叫びと共に、ディスカバリーⅢのマシンガンが火を噴いた。轟音と共に吐き出される弾丸が、元からボロ布だった禍のローブを細切れに分解していく。
「……そうですね」
ぽつりと巌が呟く。まっすぐに、キューザックへ向き直る。
そして、巌は笑った。キューザックも笑い返した。ニヤリと、どちらも片方の口角だけを吊り上げながら。
「僕も、そんな気がしていたんですよ」
かくして、巌は語り始めた。
これから先、ファントム・ユニットが取ろうとしている行動の概略を。
戦おうとしている、敵の名前を。
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