Chapter06 冥王 11

 地獄の火ヘルファイア洞窟大ホール。

 いわおが姿を消してからしばらく経つのだが、それでもメイはまだここに居座っていた。

 この一件の中核でありながら、地上や宇宙の喧噪からかけ離れたこの洞窟は、観戦するには持って来いの場所だからだ。

 未だ静かに輝き続ける術式群。ウェストミンスター区の風景を伝え続ける立体映像モニタ。

 しかして今現在、冥の興味を最も引いているのは、眼前で檄を飛ばしている一人の男であった。

 ゆったりと愛用の椅子に座ったまま、冥は正面の七三分け――即ち、サトウをじっと見る。

「――作戦を最終段階へ移行します。グレン君、五番ゲートをフレームローダー格納庫へ繋いでください」

「足りたんですよ。足りさせたと言った方が正しいようですが」

「とにかく、早く繋いで下さい。何かあった場合の責任はワタクシが持ちます」

 冥の視線を受けながらも、サトウはてきぱきと仕事をこなす。

 携帯端末で誰かと通信する傍ら、別の立体映像モニタを展開してどこかと連絡を取るサトウ。

 冥に聞かれぬための措置だろう。その連絡も程なくして終わる。

「信用無いなぁ。そんなことしなくても誰にも言わないってのに」

「そう言われましても、こちらも仕事ですので」

 通信機とモニタを同時に切りながら、サトウは冥へ向き直る。

 連絡、報告、提案、承認。全てはつつがなく終わってしまったらしい。

 鮮やかなサトウの手並みに、冥は頬杖をついたまま微笑む。

「それで、キミ達は具体的に何をしたんだい?」

「そうですねぇ」

 逡巡するように眼鏡のブリッジを押し上げた後、サトウは傍らの立体映像モニタへ視線を向ける。相変わらず薄墨に沈む、四角いウェストミンスター区の風景。

 その中央へ、唐突に赤い柱が現われた。人造Rフィールドだ。

「おや、おや。これはこれはこれは……」

 椅子から身体を乗り出しながら、食い入るように画面を見つめる冥。

 それが何を意味するのか、冥はすぐさま理解する。

「キミ達の思惑通りに事が運んだ、と考えて良いのかな?」

「そのようですね」

 頷くサトウ。微笑は深まるが、その唇は乾いている。彼にとっても、この選択は博打も良いところだからだ。

 とは言え、現状取れうる選択肢の中では最良の筈。後は冥への対処をどうするかだが――。

「さぁてと」

 そんな思考をサトウが巡らせていた矢先、おもむろに冥は立ち上がった。

「流石にこれ以上は、こんな穴蔵じゃ見えそうにないか」

 椅子を消去し、ぱんぱんと埃を払う冥。その口端には、今も三日月のような笑顔が零れている。

 上機嫌だ。それもこれも、あの巌の妨害をかいくぐって人造Rフィールドを展開するという、とても面白い見世物を見れたためである。

 ――以前風葉かざはを助けた時のように、冥の判断基準は基本的に興味を引くかどうかだ。ニュートンの遺産がどうなろうと、彼は特に気にしない。

 今もそうだ。冥はもっと見晴らしの良い場所へ行くべく、ひらひらとサトウへ手を振る。

「というワケだから、僕もおいとまさせてもらうよ。邪魔したね」

「はえ、あっ……は、はい?」

 あっさりと帰り支度を始めた冥に、サトウは盛大な肩透かしを食らう。殺される覚悟くらいはしていたのだが、それがまったく無意味となれば、目も点になるというものだ。

 そんなサトウを余所に冥はリストコントローラからを操作し、立体映像モニタを起動。

 ずらりと浮かぶ文字列は、冥の使う紫の転移術式、その座標候補である。

「さて、と」

 一番見晴らしが良いのはどこだろうか。

 ウェストミンスター区、は少し違う。確かに重要な場所ではあるが、終点たるニュートンの遺産からは遠すぎる。

 巌のいる月も何だか違うし、利英りえいの傍はそもそも論外だ。

「ふむん。どこが良いかなぁ、ホント」

 上へ、下へ、目まぐるしく回転する立体映像モニタ。冥としてはそうした逡巡もまた楽しみの一つだったのだが、結果的にそれがトラブルを呼び込んだ。

「……ちょーっくら待ってくれよ。なぁ、ファントム3だっけか?」

 壁に刻まれていた、青色の転移術式。その向こうに居た人物の、視界に入ってしまったのだ。

「うん?」

 きょとんとした表情で、冥は声の聞こえた方へ振り向く。

 サトウの背後、壁一面へ未だ灯り続けている転移術式。

 規則正しく明滅する霊力光の向こうから、染み出るように現われた男が一人。

 正確には少年と言うべきだろうか。何せ、辰巳たつみと同じくらいの背格好だ。

 赤銅色のジャケットに、黒いジーンズ。動きやすさを重視した服装の下には、良く鍛えられた身体のラインが浮いている。

 だがそれ以上に目を引くのは、やはりその仮面だろう。口元だけを露出させた奇妙なヘッドギア姿に、冥は片眉を上げる。

「確かに僕はそう呼ばれてもいるが……誰だい、キミは」

「グレン・レイドウ。それが俺の名だ」

 ぴしゃりと。

 叩きつけるように、グレンは己の名を名乗る。

「な、ぐ、グレンくん!? どうしてここに!?」

 狼狽えるサトウ。と言う事は、この状況は向こうにも想定外という事か。

「ふぅん」

 つぶやく冥。転移先リストを閉じ、グレンへ向き直る。

「少し、興味が湧いたよ。目的はなんだい? 赤面症の治療だったら良い……いや、わるい医者を紹介するけどね」

 丁度その頃利英が盛大なくしゃみをぶちまけていたが、それはまったく関係が無い。

「何か用かって? ハ、決まってんだろ。後詰めさ。サトウさんが無事に帰れるようにな」

「ウソだ、絶対ウソだ」

 サトウはグレンの気性を良く知っている。今までの激戦に当てられて辛抱溜まらなくなった事など、すぐさま看破した。

「と言うか、いけませんよそんな勝手な事をしては! 今作戦におけるグレン君の役目はほとんど終わったんですから、後は私を無事に転送させてくれれば良いんですよ! それなのにどうして――」

 身振り手振りを交えながら、分かりやすく解説してくれるサトウ氏。

 ははぁ、と状況を察する冥。その双眸を射貫くように、グレンがゆらりと右手を掲げる。

「いいじゃないスか。もともと俺が戦う予定だったんだし、それに――」

 凶暴な笑いが、仮面の縁から零れる。まるで歓喜に震える獣のようだ。

「――もう、止まるつもりは無いぜ?」

 その意志を代弁するかのように、右の袖口から零れる鈍色。良く見知ったその輝きに、冥は眉をひそめた。

「辰巳と、同じ装備?」

 そう。獣の爪のように掲げられた五指の手首には、辰巳のものとまったく同型の腕時計が輝いていたのだ。

 そんな右腕をグレンは翻し、顔の横へ持ってくる。そして規則正しく動いている時計の盤面を、爪弾くように逆の手でスライド。

 カシン。

 金属音を立てて、中から現われたのは――。

「赤い、Eマテリアル、だと?」

 いよいよもって冥は困惑する。右手にある事と赤色である事以外、あれは辰巳の左手にあるものとまったく同じだったのだ。

 だから次に放たれたセリフも、特に驚きはしなかった。

「鎧装ッ! 展開ィ!」

 かけ声と共に突き出される右腕。ほとんど裏拳を放つような勢いで横へ突き出された腕時計――もとい赤いEマテリアルから、赤色の霊力光が放たれる。

 グレンの腕上を走る一筋の線は、しかし瞬く間に精密回路の如く枝分かれし、グレンの身体を包んでいく。

「これは……!」

 その精密回路が全身を埋め尽くした直後、鮮烈な赤光が地獄の火洞窟に閃いた。

 幸い、冥もサトウも目を瞑った上から手で覆っていたので、視界が眩む事は無かった。

 閃光自体も一秒に満たない時間で過ぎ去り、辺りには再び暗闇が戻る。

 冥は目を開ける。正面には、変わらず立ち尽くしている二人の敵。

 一人はサトウ。変わらぬ黒いスーツ姿で、これまた黒い髪を七三に撫でつけている。

 もう一人はグレン。こちらの姿は、先程とは大きく変わっていた。

 良く鍛えられた身体を浮き彫りにする、ライダースーツ然とした赤銅色のシルエット。肘、膝、方、胸部といった要所を守るは、閃光のように鮮やかな赤色のプロテクター。更には仮面にも赤いラインが増えている。霊力の影響だろうか。

 造形自体は凪守なぎもりともBBBビースリーとも違う、角張ったデザインラインではある。だがその装備の在り方は、あまりにもファントム4と酷似している。

 そして何よりも似ているのが、その右腕だ。

 肩口から先が、ファントム4とまったく同じ形の鋼に包まれているのだ。違うのはせいぜい逆の右腕である事と、手首の石が赤色である事くらいだろう。

「世の中には似た顔のニンゲンが三人居るらしいが……キミのそれは他人の空似、で片付けるには無理がありそうだようね。どういう意味だい?」

 驚きと、何より興味を満面に浮かべながら、冥はグレンを見据える。

「さてなぁ」

 対するグレンもわざとらしく笑いながら、ごりごきと間接を鳴らす。

 もはやどうにもならない事に観念したのか、サトウは溜息をつきながら後ろに下がる。

「知りたいんなら、俺の鬱憤晴らしに突きあって貰うぜ、ファントム3!」

 裂帛の気合い、闘争への歓喜。

 二つの意志に裏打ちされたグレンの叫びが、地獄の火洞窟の暗闇を揺るがせた。


◆ ◆ ◆


 地球光を浴び、妖しく輝く紫の刃。それを迎え撃つかの如く、レツオウガもまた半身に構える。

 ぎしり。握り込んだ鉄拳の軋みが、コンソールを通じて辰巳に伝わる。霊力と闘志が、レツオウガの隅々にまで充ち満ちる。

 拳が、燃える。

「す、ぅ」

 されど、思考は冷徹に。幾度と無い実践を経て叩き込まれた教えが、辰巳の思考を平静に保つ。

 そして静かに、辰巳は呼吸を整えながら、眼前の大鎧装を観察する。

「ダンス、か。生憎と踊りの練習をした事は無いんだがな」

『あら、そんな事を気にする必要はありませんよ? 心の赴くままに動けば良いんです』

 霊力の光が、実体無き炎が、単眼モノアイの横顔に妖しく映える。

 紫を纏う大鎧装の名は、ライグランス。レツオウガのような陣羽織こそ無いが、身に纏った霊力装甲――すなわち脚絆、胴丸、肩鎧、そして一本角前立ての兜は、明らかに鎧武者のそれだ。

 だがそれ以上に目を引くのが、やはり霊力装甲の在り方、そのものだろう。

 炎のような、あの揺らめき。十中八九、何かギミックが仕込んである筈だ。こちらも似たような装備を使っている以上、その辺は痛いほど知っている。

 性能を見極める必要があるだろう。牽制を仕掛け、挙動を読み、能力を知る。定石の一つだ。

 もっともそれは、そう出来るだけの時間があればの話だが。

「……」

 変わらず大鎧装を見据えながらも、辰巳は視界の端にちらと赤色を捉える。

 刻一刻と伸びる人造Rフィールドの柱は、遺産に接触するまであと数分もないだろう。

 悠長な定石を打っている暇は、残念ながら無い。

 では、どうするか。策が無い訳ではないが――。

「あの、五辻いつつじく、じゃなかったええと、ファントム4……言いにくいなぁもう」

 ――背後の風葉が声をかけて来たのは、そんな矢先だった。

「どうした、ファントム5」

 辰巳は振り向かない。例え一瞬でも視線を逸らせば、眼前の大鎧装は即座に踏み込んで来るだろう。そう断言できる技量を、辰巳は既に読み取っている。

「私に、考えがあるんだよ」

 しかしてそんな事など知る由も無い風葉は、振り向けない辰巳の背中へてきぱきと考えを伝える。奇しくもその内容は、まさに今辰巳が考えていた策とほぼ同じだった。

「――なんだけど。どう、かな?」

「なるほど、良い手だ」

 やはり振り返る事無く、頷く辰巳。概ね同意見だからだ。

「だが、壁の向こうに居る敵がファントム5の手に負える保証は無いぞ? むしろ返り討ちにされる可能性もある」

「んんー、多分、その辺は大丈夫だよ」

 じっと、風葉は手元の立体映像モニタを見つめる。画面に浮かぶは拡大された赤色の柱、もとい人造Rフィールドの映像だ。

「あの中に居るのは、でっかいトラック一台だけみたいだから。サークル・ランチャーを使った足止めくらいなら、多分大丈夫」

 辰巳にはただの赤色にしか見えない、Rフィールドの柱。その向こう側が、何となくだが風葉には見えているのだ。

「フェンリルの力、か」

「ん」

 辰巳の眼はライグランスから動かない。見られる側のライグランスも、ゆらめく炎以外は身じろぎ一つしない。レツオウガの足止めが目的である以上、この状況はある意味望むべくなのだろう。

 そして赤い柱の伸張は、止まるどころか減速の気配すらない。悠長に手段を選んでいる暇なぞあるまい。

 ならば。

「その手で行こう。ブーストの後、クナイをアシストに使う。良いね」

「ん!」

 頷き、風葉はヘッドギアを遮蔽。スモークグレーのフェイスシールドに、風葉の表情は隠れてしまう。

「だが、取りあえずは足止めだけにしてくれよ? レックウだけではいくら何でも分が悪い」

「ん、それも分かってる」

 頷く風葉。その表情は、もうシールドに隠れてしまって見えない。

 ――この時。風葉が浮かべていた表情を、辰巳は確認しておくべきだったのかもしれない。

 だが今となっては詮無き事であり、状況は動きだしてしまった。

「では、行くぞ」

 きしり。固く握られていたレツオウガの拳が、ゆっくりと緩む。ゆるゆると泳ぐ五本の指が、きしきしと言う軋みを辰巳に伝える。

『おや、その気になって頂けましたか?』

 何かを仕掛ける兆しである事は、目に見えて明らか。それを警戒し、サラは僅かに剣先を下げる。

 そして、それが合図となった。

「そんなところだ。生憎とBGMは無いが、なっ!」

 裂帛の気合いと共に、辰巳は背中の酒月式試製二型烈風装甲術式タービュランス・アーマーを起動。爆発的な推力を得たレツオウガが、流星のように宇宙を駆ける。

 早い。だが直線過ぎる動きだ。サラには十分見えている。

 故にサラはその加速に合わせて太刀を水平に構え――薙ぐと同時に、バイザーの下で目を剥いた。

 さもあらん。レツオウガが、霊力装甲を解除したとあれば。

 淡雪の如く、虚空へ消え行く霊力光。慣性のままにそれをかき分け、突貫して来るレツオウガ――もとい、オウガ。

『なる、ほど』

 だが、サラは既に理解している。その大鎧装の巨体すら、ブラフに過ぎない事を。

『素敵なステップですが――!』

 霊力装甲がどうあれ、接敵する大鎧装オウガを、ライグランスは無視できない。コンマ数秒、逡巡が生じる。隙が生まれる。

 その絶妙な隙を突き、立ち上る霊力光をも隠れ蓑に、夜空を駆け行く星が一つ。

 オウガの背後から現われたその星――もとい二輪の正体は、やはりオウガから分離した霊力装甲の動力源、レックウであった。

 ――Rフィールドの突破にはフェンリルが必要だ。逆に言えば、フェンリルだけ居ればいいのだ。オウガと辰巳は戦力を補強するオマケでしかない。

 仮に今Rフィールドの向こうに居るのが、ギノアのような万全の手練れだったなら、辰巳は風葉を行かせなかっただろう。

 だが今は、前回とは色々と状況が違う。

 人造Rフィールドの源となる霊力は、確かに必要量を満たしてはいる。だが、それはあくまで必要最低限でしかない。ルートマスターからの追加補充は望めぬ上、揮発による減衰は今も続いているのだ。怪盗魔術師が急いだ理由もそこにある。

 加えてフレームローダーを動かしている霊力、すなわち怪盗魔術師が身を削って生み出している霊力いのちも、いつまで保つかは未知数だ。確かに邪魔が入らなければ、どうにか遺産へ辿り着く事は出来るだろう。だが生憎と、ここには邪魔へ入る事が出来る二輪とライダーが居り、十分な戦意を備えていた。

 辰巳がレックウを分離させたのは、その戦意を信じたからだ。

 最もサラとて、むざむざそれを見逃すつもりも無い。

『――少し、歩幅が大股ですよ!』

 スラスターを噴射し、レックウへ向けて太刀筋をねじ曲げようとするライグランス。だがその斬撃を、オウガが阻んだ。

「待てよ、俺と踊ってくれるんだろ?」

 びくりと硬直し、サラはオウガへ視線を戻す。単眼に映る大鎧装は、胸部のEマテリアルに手を伸ばしていた。

「セット、クナイ二本!」

『Roger Kunai Etherealize』

 辰巳の指令に応じ、胸部Eマテリアルから生成される二振りのクナイ。オウガはそれをすぐさま掴み撮り、同時に投擲。

 左のクナイは真正面、即ちライグランスを目がけて。

 右のクナイは斜め上、即ち誰も居ない空間を目がけた、ように見えたのは僅か数瞬の話だ。

「そ、こ、だぁぁぁっ!」

 ソニック・シャウト寸前の咆哮を撒き散らしながら、レックウのサークル・セイバーがクナイを抉る。塚本から切っ先までを真っ二つに両断しながら、ライグランスを跳び越える角度を得たレックウが、虚空に更なる軌跡を描いた。

 右のクナイは、元々踏み台目的で投擲したものだったのだ。

 そして左は、無論ライグランスへの牽制である。

「な、に」

 しかして目を剥いたのは、意外にも辰巳が先であった。

 さもあらん。直線に投擲したクナイの軌道が、ライグランスの掲げた刃の手前で、ぐにゃりと曲げられたとあれば。

 慣性を無視し、ライグランスの肩横を過ぎ行くクナイ。虚空へ消え行くその理由を、辰巳はすぐに看破した。

 先程から紫色に燃えている霊力装甲。原因はあれだ。

 あの紫炎の正体は、恐らく燃焼ではなく放射だ。大量の霊力を放射する事で、擬似的な斥力場を生み出しているのだろう。

 その証拠に、タービュランス・アーマーから得たはずの加速が、若干だが落ちている。斥力場の影響圏に入ってしまったのだろう。ほんの少しではあるが、こと接近戦においてこの遅延は無視できない。

『でしたら、お望み通りにッ!』

 それを見透かしたかの如く、襲い来るライグランスの第二撃。

 ならば、と鉄拳で迎え撃たんとする辰巳。だがこの拳も重りを付けたように鈍い。斥力場の影響はライグランスに近付くほど強まるようだ。

 このままではオウガの打ち払いより、ライグランスの唐竹割りが先んじる。コンマ数秒足りない。

「ならば――!」

 左足のスラスターを噴射し、オウガは半身を逸らす。

 本来ならば悪手であろう。回避にはあまりにもタイミングが遅い。

 だがライグランスの唐竹割りは、半身となったオウガの胸部装甲を、僅かに削るだけで通り過ぎた。

『む』

 唇を尖らせるサラ。今の回避が間に合った理由は明白だ。紫炎から発せられる斥力を、外敵を押しのける力を逆利用して、オウガは飛び退る速度を上げたのだ。

『ですけど、ねぇッ!』

 叫ぶサラ。ライグランスが振り抜きかけていた刃を斬り返す。

 虚空に浮かぶV字の軌跡。その閃きに、今度こそオウガの拳は間に合った。

「疾ッ!」

 激突する鉄拳と刃。途方も無い技量と撃力を乗せられた鈍色と紫が、光無き虚空に火花を散らす。

 そこから生じる反動を利用し、サラはライグランスを飛び退らせようと考えた。その勢いのまま、宙返りからの振り抜きでレックウを強襲するために。

 だがそんな考えは、すぐに霧散する。

 正確には、霧散させられたのだ。刃の向こうに光る、オウガの双眸に。

 一瞬でも背を見せれば、あの双眸は鉄拳でこちらの真芯を打ち抜くだろう。先程とは逆の立場という訳だ。

『なる、ほど』

 故に、サラはレックウを見逃す。怪盗魔術師から文句は言われるだろう。ギャリガンからしかられるかも知れない。

 だがそんな失点はライグランスの稼働データ蒐集である程度緩和出来るだろうし、何よりサラはオウガというダンスパートナーと、まだまだ別れたくなかった。

『ダンス、凄く上手じゃないですか。期待以上ですよ。では――テンポ上げますよ! ついてきて下さいね!』

 新たな呼吸と共に、新たな斬撃をライグランスは振るう。

 上から、下から、右から、左から。あらゆる方向から敵機を両断すべく、虚空に乱舞する紫の斬撃光。

 相対するオウガは、先程とは打って変わって防戦一方だ。斥力場によって間合いが読み辛い事もあるが、それ以上にサラの技量が凄まじいのだ。

『どうされました? もっと見せて下さいよ! さっきのようなパソドブレを!』

「パソ、ド……何?」

 顔をしかめながらも、全方位斬撃を丁寧に打ち払っていく辰巳。そうして十数回打ち合った後、左下段から襲い来る逆袈裟に、辰巳は蹴りを合わせる。

 打ち合う鋼、弾ける撃力。その反動を利用し、オウガはライグランスから飛び退る。間合いの仕切り直しだ。

「さっきも言ったが、踊りに関しちゃ素人なんでな。何を言われてもサッパリだ」

『そうですか、まぁ構いませんけどね』

 太刀を下段に構えながら、サラはくすくす笑う。彼女はこの状況を、心底楽しんでいるのだ。

 本来ならば、サラは姉妹ともども調整中の身である。それが専用機共々妹達に先んじて投入されたのだから、昂揚するのも無理はない。

『あれ……』

 ふと、サラは思い出す。以前、それと似た昂揚を味わった事がある。

 あれは、そう。以前、地獄の火洞窟でグレンとじゃれあった時だ。

 思い返してみれば、オウガのパイロットはどことなくグレンに似ている。

 大鎧装越しとは言え、これだけ打ち合えば相手の事は大体分かる。

 耳朶を叩く声、闘志を支える呼吸、拳から伝わる体重、そこから逆算される体躯。恐らくその背格好は、グレンと同じくらいの筈だ。

 そのグレンは、今頃どうしているだろうか。

『……多分、私と同じでしょうね』

 一人頷くサラ。グレンの性根が自分と同じである事も、以前の打ち合いで痛いほど知っている。

 が、そんな事情など分かる筈も無い辰巳は、小さく眉をひそめるのみだ。

「何が同じだって?」

『いえね? 実は私と同じで、とてもダンスが好きなお友達がいるのですよ。彼ならきっとこの状況に我慢できなくなって、どこかの誰かを誘っているんじゃないかなぁー、と思いまして』

「ほぉ、そいつはイイ趣味だな。俺は踊りがヘタだから御免被りたいところだが」

『またまたご冗談を。あ、でも今の彼が行けるのは地獄の火洞窟くらいですから、結局は悶々としてるだけでしょうね。私より点数が上だった罰です』

 ふふん、とサラは笑う。その何気ない一言に、しかし辰巳は眉をひそめた。

「地獄の火洞窟、だと?」

『……? ええ、そうですが』

 サラも眉をひそめる。今に至るまで半ば休眠状態だったサラに、地獄の火洞窟の現状を知る手段など無いからだ。

 だが、辰巳は知っている。あの場所には今、ファントム3が居るはずだ。そしてサラの言葉が確かなら、そのファントム3に戦いを挑んだ何者かが居ると言う。

 辰巳の表情に、渋い色が浮かぶ。

「……ソイツの実力は、どのくらいなんだ?」

『? 貴方と同じくらいだと思いますが――あ、もしかして』

 つり上がる口角を、サラは手で押さえる。

『居るんですか? 居るんですね?』

「ああ、身内の物好きなヒマジンがな。しかし、俺と同じくらいの実力か」

 一つ、辰巳は小さく息をつく。

「誰だか知らんが、気の毒なこった」

 そして、意外な一言をつぶやいた。

『……え?』

 きょとんとするサラ。その表情を単眼越しに見やりながら、辰巳はニヤリと笑う。

「おいおい、俺の戦技指導員が誰だと思ってんだよ」

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