Chapter03 魔狼 13

 轟、轟、轟。

 もう幾度目かになる激突が、Rフィールドを激震させる。

「う、お、おぉぉぉっ!」

 霊力を竜巻のごとく渦巻かせ、絶え間なく降りしきる剣閃、剣閃、剣閃。

 鋼の巨体が、二つの闘志が、キロメートル単位の空間を縦横無尽に乱舞する。

「は、あ、あぁぁぁっ!」

 レツオウガは霊力装甲を、オーディンはマントを。改めて霊力噴射機構を全開にする二機の神影鎧装が、天地を問わず交錯する。

 斬撃。刺突。薙ぎ払い。袈裟斬り。激突の度に振るわれ、幾度も鎬を削り合う二刀と長槍。

 その様は、まさに荒れ狂う二つの彗星だ。

 そんな二つの星のうち、片方が尾を引きながら着地した。

 無論、レツオウガである。

霧宮きりみやさん、頼む」

「りょーかい!」

 レツオウガが己の影を撫で、術式を展開。瞬く間に影はフェンリルへと変じ、すぐさまぞぶりとRフィールドを喰らう。

 そうしてまた一つ、赤色に破れた障子戸のような穴が空き、レツオウガは霊力を回復させる。

「よし」

 知らず、辰巳たつみは小さく笑う。

 さもあらん、これならタービュランス・アーマーの悪燃費など問題にならない。むしろ使う度に忌々しい赤色を削ぎ落とせるとあれば、無駄遣いすらしたくなる。

 実際、既にRフィールドは度重なるフェンリルの咀嚼によって穴だらけだ。

「貴様ァ――!」

 当然、ギノアは激昂している。契約条件の一つとしてサトウから預けられた術式を、こうも完膚なきまでに破壊されているのだ。

「いい加減に、しろォォッ!!」

 激情を刃に乗せて、オーディンが突貫。瞬く間に間合いを詰め、グングニルを射出。

 極限まで引き絞られた一撃は、さながら弾丸だ。

 風を纏い、殺意を乗せて、一直線にコクピットを狙う必殺の一撃。

 だが、悲しいかな。満身創痍とはいえ、勢いに任せた攻めを許すほど、辰巳の技量は浅くない――!

「す、ぅっ」

 短い呼気とともに、ゆらりと立ち上がるレツオウガ。

 同時に左腕が振り上げられ、ブレードがグングニルの切っ先に触れる。

 たったそれだけで、グングニルの穂先はレツオウガの左肩上へ、大きく空振った。

 刀身上を滑らせ、グングニルの軌道をねじ曲げたのだ。

「な――」

 驚愕しつつも、すぐさま間合いを離そうとするギノア。しかしオーディンのバックステップより、レツオウガの踏み込みがコンマ数秒先んじる。

 そしてレツオウガには、まだ右手の刃がある。

、ッ!」

 閃くは逆袈裟の一撃。

 膂力を余すこと無く乗せた斬撃が、オーディンの正中線上を走った。

 そのまま背を向け、残心するレツオウガ。

 バックステップと同時にマントをはためかせ、大きく飛び退るオーディン。

 翻るレツオウガの刃がきしりと鳴き、霊力光を纏うオーディンが柔らかに着地。

「――」

 沈黙。レツオウガは二刀を提げたまま、オーディンは膝をついたまま、それぞれ動かない。

 息苦しくなる数秒。その沈黙を、ギノアが先に破った。

「――フ、フ」

 ゆらりと、地面を踏み締めて立ち上がるオーディン。

「少々驚かされましたが、大したものではなかったようですねぇ?」

 調子を確かめるようにグングニルを振り回した後、改めて構えを取るオーディン。腰だめに刃を携えるその姿に、風葉かざはは目を丸める。

「よ、避けられたの!?」

「まさか」

 レツオウガを振り向かせながら、辰巳はため息のようにつぶやく。

「ちょいと鋭すぎたのさ」

 そう、辰巳が言った直後。斬り裂かれた事をようやく自覚したオーディンの正面装甲が、間欠泉のような霊力を吹き出した。

「あ、?」

 グングニルを構えたまま、オーディンは己の胸を見下ろす。

 酷い傷だ。左足付け根辺りから右肩口へ、一直線に亀裂が走っている。

 そしてその亀裂は、コクピットにも届いている――!

「あ、あ、あ」

 すぐさまオーディンとの同調をカットし、ギノアは椅子から立ち上がる。

 身体、そのものに傷はない。だが足元にある術式陣は、そこから構成されたコクピットは、大きく斬り裂かれていた。大きく割れたクレバスの向こうを見やれば、Rフィールドの赤色と憎きレツオウガの姿が見えた。

 だが、それも大した問題ではない。いくら複雑なものとはいえ、結局は術式なのだ。霊力さえあれば修復のしようはある。

「あ、あ……!」

 だからギノアを嘆かせたのは、ただ一点。

 サトウから預けられ、神影鎧装オーディン・シャドーを構成する事が出来た原動力――霊力増幅器に、亀裂が走っていた事だ。

 クレバスは手前一センチで止まっており、斬撃自体は受けなかったのだろう。だが霊力増幅器には、下から上へ、一直線に亀裂が走っている。

 通過する刃の生み出した真空が、霊力増幅器の外枠を持って行ったのだ。

「よ、くも」

 怒りとともにオーディンへ再接続し、ギノアはレツオウガを睨む。

「よくも、私の霊力増幅器を! 私の夢の原動力を! よくも――!」

 機能不全を起こしたのか、霊力増幅器から送られる霊力量は激減している。

 だがそれでもギノアは、今までをはるかに上回る速度と激しさでレツオウガへ飛びかかる。

 己の夢を叩き折った仇敵を、命に変えても抹殺するために。

「は、あ、あぁぁぁぁっ!!」

 旋風を纏い、荒れ狂う一撃、二撃、三撃四撃五撃六撃。

 台風さながらに叩きつけてくる、オーディンの刃と殺意。辰巳はそれを全力で回避し、斬り払い、霊力装甲で防御する。

「霊力、増幅器、だと?」

 秒単位で激しさを増すグングニルの嵐の中。亀裂の向こうから鬼気迫る顔を見せるギノアと、その足元にある箱を、辰巳は見止めた。

 あの箱が、霊力増幅器だというのか。

「待てよギノア・フリードマン! オマエ本気で言ってるのか!? 霊力を増幅する装置なんてのは、絶対に造れないはずだぞ!」

「な、に」

 刃と刃が鍔迫り合った状態で、ギノアは動きを止めた。

 そう、辰巳の言う事に間違いはない。死霊術師リッチとして――いや、霊力を扱う者ならば、駆け出しの素人だろうと熟知している基礎知識の一つだ。

 霊力とは、言うなれば水である。人の心を原泉とし、命ある限りこんこんと湧き出る無形の力。

 その形状を変える事は出来ても――例えば凍らせたり蒸発させたりしたとしても、変わるのは体積だけだ。質量は変わらない。

 霊地ダムで一般人の霊力を確保しているのは、それが理由だ。

 一のモノがニに増える事など、有り得ないのだ。

 だが、ならば。

 神影鎧装を構築するのみならず、今まで大量の霊力をギノアへ供給してきた霊力増幅器とは、一体なんなのか。

「――」

 呆然とギノアが見下ろした矢先、霊力増幅器が割れ砕ける。今までの激しい機動によって、ヒビが広がったのだ。

 かくして箱の中から現れたそれを、ギノアは呆然と見据える。

「これ、は」

 レツオウガと鍔迫っている現状すら忘れ、ギノアはそれの、真っ暗な眼窩から目が離せない。

 まぁ、無理もない。

 何せ霊力増幅器の中から出てきたそれは、古びた、一個の髑髏だったのだから。

「な、んだ」

 跪き、ギノアは恐る恐る髑髏に手を伸ばす。

 時の重みによって黄ばんだそれは、今にも崩れてしまいそうなくらいにボロボロだ。

 経年劣化、というだけではない。顔の右半分を覆っている、仮面のような機械――強制霊力抽出装置が、髑髏への負担を無視して霊力を吸い上げていたためだ。

 右眼窩にはめられたランプを点滅させながら、今も掃除機のように霊力を吸引するそれを、ギノアは外そうとする。

「なん、だ、これは。なんなんだ、これは」

 二度、三度。髑髏を傷つけぬよう注意深く引っ張るギノアだが、仮面はネジ止めでもされているのかビクともしない。

「なぜ、こんなものが、私の本体に繋がっているんだ――!?」

 混乱を叫ぶギノアに、辰巳と風葉もまた目を丸めた。

「ほ、本体!? どういう事なの!?」

「そりゃあ、きっと、言葉通りだろうからさ」

 驚く風葉を背に、辰巳は一人納得する。

 ――強大な霊力と引き換えに、己の肉体を捨てた存在。それが死霊術師だ。

 彼等は己を保つため、特殊な施術を施した道具に自身の魂を封じる。そこから分身を生み出し、己の目的を遂行する。

 ギノアにとってはそれが今割れた箱であり、自身の髑髏であった訳だ。

 そして、今。ギノアはようやくその事実を思い出した。

 この箱は死霊術師となった当時から、ギノアの本体である髑髏を守り、また霊力循環の手助けをするよう術式を刻んだ代物だ。

 息子を守るために、妻を忘れぬために、想いの全てを刻み込んだ代物だったはずだ。

 それを、何故、今この瞬間まで忘れていたのか。理解できなかったのか。

 理由は明白だ。

 見覚えのない、仮面型の霊力抽出機構。それを仕込んだ何者かが、ギノアの記憶に細工をしたのだ――!

「サトウ……よくも……サトウーッ! よくも私を騙したなァァァァッ!」

 チカチカと、ギノアを嘲笑うかのように点滅するランプ。激高し、グングニルごと霊力を振り回すオーディン。

 瞬く間に烈風が辺りを撹拌し始め、レツオウガは慌てて間合いを離す。

「な、なに? なんでいきなりあんな怒りだしたの?」

「さぁな。画鋲でも踏んだんじゃないのか」

 適当な口調とは裏腹に、辰巳は努めて冷徹に解析する。

 霊力増幅器、とギノアが言っていた髑髏入りの箱。破損したこの瞬間まで分からなかったが、どうやらあれには凄まじい量の霊力が封入されていたようだ。察するに、日乃栄霊地の満杯分くらいはあったろう。

「だが、一体どうやってそれだけの量を……」

 つぶやく辰巳の脳裏で、カチカチと、情報のピースが音を立てて組み上がる。

 第一次Rフィールド殲滅作戦以後、数十年間行方不明だったギノア・フリードマン。

 彼は、当時から目を付けられていたのだ。

 恐らくは、大量の霊力を足がつかない形で捻出するために。

 ギノアは行方不明という形で世間から隔離され、眠らされていた。そして数十年ものあいだ、ひたすら霊力を充填させられていたのだ。

 用途は、今まで戦った通り神影鎧装オーディン・シャドーの起動及び運用。

 立案者は背後にいるであろう、凪守なぎもりに敵意を抱く黒幕の差金。今叫んだサトウとやらが関係者だろうか。

「……気の長い事を」

 毒づく辰巳。だが実際のところ、数十年単位で実行される計画というものは、そう珍しくもない。高位の魔術師とは、ギノアのように生命のあり方が常人とは逸脱している場合が多いのだ。

 そうした連中に、ギノア・フリードマンは利用されているのだろう。

 恐らくは、今この瞬間でさえも。

「あ、が、ああああああァァァァ!」

 力の限りに、怒りの限りにギノアは叫ぶ。

 マントの裾から、甲冑の隙間から、噴出する霊力が嵐のごとく渦を巻く。

 術式を介さずとも空気を撹拌するそれは、もはや存在自体が一個の暴力だ。

 その暴力が天を衝く一振りの長槍――グングニルへと収束。

 ゆらりと、切っ先がレツオウガを捉える。

「受けてもらいますよ、レツオウガ……私が、私の、全ての怒りを――ッ!」

 轟。

 台風の如き、凄まじく膨大な霊力を纏うオーディン。

 全てのものを吹き飛ばす、烈火のごとき怒りの具現。

 気を抜けばよろめいてしまいそうな烈風に、風葉はうろたえる。

「ちょ、ちょっと!? なんでこっちに怒りが向くの!?」

「さぁな。気紛れと抽選くじなんてのは、どこに当たるか分からんもんだろ」

 などと言いつつ、薄々察しはついていた。

 死霊術師ギノアの本体である髑髏。あれには何かの機械、恐らく制御装置が取り付けられていた。

 用途はギノアの霊力と、何より人格を操るためだろう。

 そう考えれば、ギノアの今までの行動に色々と合点がいく。

 縁もゆかりもない日本の日乃栄高校に、いきなり現れた事。あらゆるリスクを無視し、迷いなく凪守に戦いを挑んだ事。

 彼は、ギノア・フリードマンは、本当に鉄砲玉だったのだ。

「となると、校庭で拾ったあの欠片は――」

 あれも、十中八九ギノアの骨だろう。恐らく制御装置をつける時、削り落とした部分の。

五辻いつつじくん? どしたの?」

「――ん、ああ。ちょいと探偵ごっこをな」

 思考を中断し、辰巳は改めて前を、オーディンを見る。

 ギノアの怒りが、まっすぐにこちらを見ていた。

 純粋にこちらを憎んでいるのか、それすら制御装置のもたらした感情なのか。

 どうあれ、辰巳は瞑目する。

「……なんて、カラッポなんだ」

 気付いてしまったのだ。

 用途を強制された、敷かれたレールの上を歩く生き方。

 自分の知らない何者か達に、ひたすら利用されるだけの生き方。

 ――それは五辻辰巳の在り方と、何が違うのか。

 風葉が嫌いだと言った在り方と、一体何が違うというのか。

「同じ、だよな」

「何が?」

「ん、ああ、いやさ」

 茶を濁しつつ、辰巳はもう一度バックミラーを表示。

 霧宮風葉。数奇な紆余曲折を経て、同じ場所へ立つことになってしまった一般人。

 彼女が居なければ、彼女の言葉が無ければ、辰巳はこの事実に気付けなかっただろう。

「……あんがとよ」

「えっ」

「や、何でもない」

 ごまかしがてら、バックミラーを消去する辰巳。

 しかし悲しいかな。風葉の耳は現在四つあり、うち二つは狼のそれだったりするため、しっかり聞こえていたりするのだ。

 さりとて、それを追求している状況ではなくなった。

「おおおお――!」

 溢れるギノアの激昂。それを余すこと無く体現し、いよいよ突貫を敢行するオーディン。

 爆発的な量の霊力をたなびかせるその姿は、もはや一個の爆発だ。

「ち、ぃっ!」

 すぐさまサイドステップで回避する辰巳。だがオーディンは電柱を足場として跳ね返り、返す刀でレツオウガを強襲。

「は、あ、あァッ!」

 僅かに反応が遅れ、肩部霊力装甲が削られる。たったそれだけで、凄まじい衝撃がレツオウガのコクピットを揺らした。

「きゃああ!?」

「くっ!? 威力が上がってるのか!?」

 うろたえるパイロット達。その合間にも、オーディンは建物を、電線を、街路樹を。ありとあらゆる物体を足場として、縦横無尽に跳ね続ける。

 その軌道上へ、常にレツオウガを照準しながら。

「こ、のっ!」

 辰巳としてはたまったものではない。致命傷は辛うじて回避しているものの、秒単位で迫り来る斬撃をこうも受け続けては、霊力装甲以前にフレームが持たない。

 ならば。

っ!」

 左手から跳び込んでくるオーディン。その突貫に会わせ、カウンターの斬撃が胴を薙ぐ。

 グングニルの切っ先をかいくぐり、完璧なタイミングで放たれた一撃は、しかしあっさりと弾かれた。しかも、機体ごと。

「うおっ!?」

 霊力装甲から小刻みに霊力を噴射し、危うくきりもみかけたレツオウガを安定させる辰巳。霊力武装であるため刀身に異常は無いが、反動を受けた左手首が少々ダメージを訴える。

 対するオーディンに、変わったところはない。掠り傷一つない。激昂によって引き出された霊力が、そのまま全身へ転換されているのだろう。

 言うなれば、オーバードライブモードか。

 限界を超えて稼働しているのだから、恐らくそう長くは持つまい。髑髏が崩壊を始めている可能性もある。

 だが現状の能力差では、オーディンよりもこちらが先に根を上げかねない。

 この状況を、打破するには。

 何より自分の鏡像を、否定するためには。

「――やるしかない、かっ!」

「なにをゴチャゴチャとォッ!」

 爆発的な威力と速度を伴う、オーディンの振り下ろし。

 流星のように落下する軌跡を、レツオウガは大きく飛び退って回避。強化された脚力は瞬く間に数百メートルの間合いを離し、オーディンが一瞬こちらを見失う。

「チョコマカと!」

 しかして、それもつかの間だ。十秒もしないうちに、神槍はまた霊力装甲を削り始めるだろう。

 だが、それで十分だ。

「これから、今まで以上に大量の霊力を使う。補給頼む」

 同乗者に、仕事を頼む時間が取れれば。

「ん、頼まれたよ」

 風葉の了承もそこそこに、再び突撃の構えを取るオーディン。その動きを注視しながら、レツオウガは二刀を構える。

「でも、どうせならあそこに行ってもらえるかな」

「? どこだって?」

 バックミラーを表示し、風葉が指差す先を確認する辰巳。

「……なるほど、了解だ」

 頷く辰巳。同時に、二機の神影鎧装は動いた。

 マントから、あるいは背部霊力装甲から。霊力光を爆発させ、レツオウガとオーディンが真っ向から激突する。

ィ――ッ!」

「はああァ――!」

 重なる咆哮。交錯する刃と刃。

 閃。

 互いに必殺を期した剣戟が、視界の全てを真っ白に染める。決意と殺意に彩られた、あまりに鮮烈な刹那の閃光。

 呼吸すら忘れさせるその純白は、しかしすぐさま消え去る。

 後に残るは神影鎧装のみであり、二機とも得物を振り抜いた体勢で、背中合わせに飛び退る。

 レツオウガは腹部、オーディンは肩部。損傷こそしたが、どちらも致命傷には程遠いかすり傷だ。

「こォ、の……?」

 すぐさま電柱を蹴って反転し、再度の強襲をしかけようとしたギノアは、そこで奇妙な光景を見た。

 レツオウガが離れていくのだ。こちらに背を向けたまま、一直線に。

 今まで以上に霊力を噴射して、向かっているのは上空。先程レックウが開けた、あの大穴の辺りだ。

 応援要請でもするのか、それともパイロットだけで逃げるのか。

「やァらせるかァァ!」

 どうあれ、見逃す理由などありはしない。煮えたぎるマグマのごとき怒りを原動力に、オーディンがレツオウガを追う。

 だが、レツオウガとて逃げていたわけではない。今しがた、風葉に指示された場所を目指していただけだ。

「着いたぞ。霧宮さん、頼む」

「オッケー!」

 レックウのハンドルを握り締め、風葉は意識を集中。瞬く間に術式が組み上がり、術式を投射。心の中に住む魔狼が、一際高く吠えた。

「……悪いな、急がせちまってよ。切り札を使うにも一手間あってな」

 ここでようやく、レツオウガはオーディンへ向き直った。

「っ!?」

 十メートル。ものの数秒で詰められる間合いで、オーディンの吶喊は止まった。

 怒りが削がれた訳では無い。今も変わらぬ激昂が、髑髏を内側から蝕んでいる。

 動きを止めたのは、ギノアと同調している神影鎧装オーディン、そのものである。

 断片的にとはいえ、神話の知識を有する分霊が、危険を感じ取ったのだ。

 だが、それは何だ。

 思考と同時にレーダーを走らせたギノアは、すぐさま下方に異様な霊力の昂ぶりを見つける。

「な」

 そして、凍りついた。

 眼下に映る、街全体。堂々とそこに落ちているレツオウガの巨大な影が、フェンリルの術式を満遍なく走らせていたのだ。

 天蓋の亀裂を即席の光源とし、レツオウガの影を拡大投射したのである。

 そしてフェンリルの術式は、影を基点として形成される。

「お願い! フェンリル――ファングッ!」

 イロハを知らぬため、術式とはどうにも言い難い風葉の叫び。

 それでも主の命に、魔狼は応えた。

 応、と。

 全てを揺るがす咆哮を上げながら、巨大な魔狼が立ち上がる。

 それは、やはり影だった。地面を無視し、空間を無視し、一直線にそびえ立つ狼のシルエット。

 毛並みは無い。代わりに灰銀色の術式紋様が、全身に刻み込まれている。

 厚みも無い。きっとコピー紙よりも薄いだろうが、影は二機の神影鎧装が噴出する霊力を物ともせず、幽霊のように佇んでいる。

 身長は、凄まじく巨大だ。レツオウガやオーディンが、比較にならないくらいに大きい。ただ立っているだけなのに、その顔が神影鎧装達と同じ高さにあるのだ。

 顔立ちは、ひたすらにのっぺりしている。影なのだから当然だが、いかんせん目も鼻も無いのだ。

 ただ、口が。

 赤く、巨大な、地獄の如きクレバスが、大きくゆっくりと裂け広がる。

「――っ!」

 即座に飛び退るギノア。神話の時代、オーディンを飲み込んだ事実からの警戒だ。

 だが違う。今狙っているのはオーディンではないのだ。

 クレバスは尚も広がる。顔を引き裂き、首を引き裂き、身体全体を二分するほどに拡大する。

 それはもはや、存在自体が一個のあぎとであった。

 ひとたび口を開けば、その上顎は天にも届く――そう北欧神話にて謳われた、フェンリルの具現である。

「な、」

 そうしてギノアは、一部始終を見た。

 まず、レツオウガがその場で回転する。一回、二回、三回。ぐるぐると、霊力の残光が空に踊る。

 それに連動し、フェンリルがRフィールドを奔る。一回、二回、三回。ぐるぐると、巨大な顎が赤い結界を蹂躙する。

 たったそれだけで、Rフィールドはほぼ消失してしまった。言わんや、フェンリルが喰らったのである。神話と同じように。

 見渡せば、視界に映るのは代わり映えのしない灰色の幻燈結界。目をこらせば食べ残された赤色がどうにかこびりついているが、もはや揮発を待つだけの残骸だ。

 遠方では凪守の正規部隊と思しき連中が騒いでいるのも見えたが、そんなものはどうでもいい。

 今重要なのはただ一点、食われたRフィールドの行き先のみである。

「ッ!」

 すぐさまギノアは上空を睨む。

 つい数瞬前まで亀裂があった場所、変わらず滞空しているレツオウガは、凄まじい霊力を漲らせていた。喰らった分のRフィールドを、その身に取り込んだのだ。

 轟々と、タービュランス・アーマーが燃えている。圧縮しきれない過剰な霊力が、コロナのように吹き上げているのだ。

 オーディンと同様の、オーバードライブモード。

 状況は、改めて互角。

「――」

 もはや言葉はない。ただ静かに二刀を、長槍を、二機の神影鎧装は構えた。

 矢をつがえた弓のように、機体が、闘志が、限界まで引き絞られる。

 そして、放たれた。

 レツオウガは下へ、オーディンは上へ。決着をつけるために、己を貫くために、激突する二つの光。

 爆発、爆発、爆発。

 剣戟が閃くたびに、機体がぶつかるたびに、剣戟と霊力が灰色のカンバスに激戦の模様を描き出す。

「――っ」

 その片方、レツオウガを操りながら、辰巳は待っていた。機を、氷のように冷静な心で。

 同時に、組み上げていた。素人の風葉に出来たなら、自分にもやれるはずだ――と。

「あ、あ、あああああッ!」

 もう片方、オーディンを操りながら、ギノアは見ていた。過去を、その脳裏に。

 微笑む女。楽しそうな少年。順風満帆だった、あの頃。

「あの、頃、だとォ――!?」

 二刀に斬撃を受け止められながら、ギノアはコンマ数秒考える。

 それはいつだ。それにあの女は、あの少年は誰なんだ。

 いや、そもそも。

「私はなぜ、こんな事をしているんだぁぁ――!!?」

 もう幾度打ち合ったか分からぬグングニルを受け止めたまま、一瞬動きを止めるレツオウガ。パイロット達が動揺したのだ。

 だがギノアは自分自身、言葉の意味が分からない。ただ生じた隙を突き、追撃の回し蹴りを見舞うのみだ。

「ああア!」

 虚を突く一撃は、しかし霊力装甲噴射による緊急回避で空を切る。そのままレツオウガは降下し、道路の真ん中へ着地する。

「この――」

 体勢を立て直しながら見下ろすギノアは、その矢先にゴトリという音を聞く。

 音源は足元。見下ろせば、そこには何か仮面のような物が転がっている。他には何もない。

 ――よく分からない。

 更に仮面の側には、薄黄ばんだ何かの粉が散らばっている。形を維持する霊力すら、全て絞り出されてしまったのだ。オーディンとの同調が切れたのもそれが理由である。

 限界が、訪れたのだ。

 ――よく、分からない。

「が、あ、アァァアアアアッ!」

 分からない、分からない、分からない。

 分かっているのはたったの二つ。この身を燃やし尽くす激昂と、それが教える敵の存在だけだ。

「レ、ツ、オ、ウ、ガぁぁぁぁっ!」

 残った霊力を、最後の生命をまき散らしながら、一直線に強襲するオーディン。

 それは花火か、あるいは流れ星か。

「本当にカラッポだな。誰かの都合で、自分をなくすってのは」

 そのつぶやきが、辰巳なりの手向けであった。

 同時に、即席の術式も組み上がる。

 風葉とは違い、手持ちの術式をつなぎ合わせた即席のパッチワーク。

 だが、それで十分だ。

 眼前の敵を、自分の影を、打ち破るのならば。

「ちょいと、がんばってみるか――!」

 今までとは打って変わり、二刀をゆらりと下段に構えるレツオウガ。ともすれば棒立ちにも見える体勢で、レツオウガはオーディンを見上げる。

「――タービュランス・アーマーッ! リミッターアウト!」

 轟。

 辰巳の指令に従い、レツオウガが爆ぜた。

 脚部、腕部、胴体、頭。タービュランス・アーマーから霊力が、瀑布のように噴出したのだ。

 それはまさに烈風――というよりも、もはや台風だ。ヴォルテック・バスターの術式を応用して無理矢理に発動した風の断層は、幾重もの渦を巻きながらオーディンへと直撃。その巨体を空中に縫い止める。

「な、んだこれは!?」

 もがくギノアだが、オーディンは指先一つ動かない。それを頭上に仰ぎながら、レツオウガは改めて二刀を構える。

 水平に、レールのごとくまっすぐに携えながら、辰巳は叫ぶ。

「モードチェンジ! アッセンブル!」

『Roger Executioner's sword Ready』

 瞬間、バシリと。

 二刀の合間に紫電が閃いた。

 ――本来なら正規パイロットである筈の冥が操作し、神影鎧装の力を放射するための処刑剣術式。

 それを、辰巳は無理矢理に起動させたのだ。

 本来の霊力に代わり、投入されるは今しがたフェンリルが喰らったRフィールド、ほぼ全て。

 ともすればオーバーフローを起こしかねない量の霊力を無理矢理に流し込んで圧縮し、形成されるは長大な光の塊。

 灰銀色に輝く、身長の二倍はあるそれを、レツオウガは振りかぶった。

 接合アッセンブルされた二刀を土台として、天を衝く巨大で強大な刃。それを携え、レツオウガは跳ぶ。

「う、お、おぉぉぉっ!」

 咆哮。

 光の軌跡を描きながら一直線に跳ぶさまは、さながら稲妻であり。

 遥か頭上。オーディンを断罪すべく現れたレツオウガの、その圧倒的な輝きに、ギノアは息を呑んだ。

「ブレードッ! スマッシャァァァァッ!!」

 かくして辰巳は、レツオウガは、灰銀に輝く剣を振り下ろす。

 インペイル・バスターの強制接続能力を用いて、無理矢理に接合されていた莫大な霊力塊――ブレード・スマッシャーが、開放される。

 轟。

 手綱を解かれた灰銀の刃は巨大な奔流と化し、オーディンを真正面から飲み込んだ。

 光。圧倒的という言葉すら生温い銀色の光。

 フェンリルが変換したRフィールドを、そのまま熱エネルギーとして叩きつける、単純かつ防御不可能な必殺の一撃。

 あまねく全てを焼きつくすその輝きの先に、ギノアは見た。

 おつかれさまでした、と。

 柔らかな笑顔を浮かべながら、手を差し伸べる家族の姿を。

「……ああ、ああ。いま、いくよ」

 まっすぐに、ギノアは手を差し出す。

 同時に、神影鎧装オーディン・シャドーは爆発した。叩きつける爆風が、制御を失った霊力光が、レツオウガの装甲をまばゆく照らす。

 彼が最後にみたものは、ただの幻だったのか。それとも別の、なにかだったのか。

 今となっては窺い知れない。全ては灰銀色が飲み込んでしまった。

 ただ確かなのは、神影鎧装の死闘が終結した事、風葉フェンリルが随分と暴れまわった頃。

 そして何よりも、辰巳が生き残った事だ。

「やった、のか」

「みたい、だね」

 じっとり汗ばむ両手を開きながら、風葉は辰巳を見る。

「何て言うか、お疲れ様」

「ああ、お疲れ」

 頷き、辰巳はレツオウガを着地させる。

「後は……」

 いやいやながら、辰巳はバイザーを見る。半分割れながら、それでも律儀に機能を果たしていたバイザーは、あるアイコンをひっきりなしに点灯させていた。

 すなわち、通信の着信を。

 立体映像モニタを呼び出して確認すれば、発信者は巌のみならず、滅多に見ないような上の人の名前も並んでいた。

「うわぁ出たくねえ」

『動くな! オマエは完全に包囲されている!』

 更に間の悪いことに、立ち並ぶ民家の中からライフルを構えた大鎧装が三機、同時に姿を表した。幻燈結界で物体を透過しながら近付いてきたのだろう、見事な隠密接敵だ。

 濃緑色に染め抜かれた、戦車のように無骨な装甲。フルフェイスヘルメットのような、平坦で無表情なカメラアイ。そして右肩に刻まれた、凪守のエンブレム。

 間違いない。凪守の正規部隊が使っている大鎧装、零壱式れいいちしきだ。

 だがなぜ、味方である筈の連中が銃口を向けるのか――と、そこまで思考して辰巳は苦笑した。

「そりゃまあ、今まで暴れまくったからなぁ」

 こりこりとヘッドギアをかきながら、辰巳は振り返る。

「さて。どうすりゃ良いと思う、霧宮さん」

「……や、私に聞かれても」

 Rフィールドを苦も無く喰らう魔狼でも、この状況を打破するのは中々難儀なようであった。

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