Chapter03 魔狼 12

 陣羽織を着込んだ鎧武者。

 それが、レツオウガの出で立ちであった。

 当然ながら、素体であるオウガの形は一切変わっていない。しかして機体各所――すなわち肩、手首、胸、背中、膝、くるぶしといったEマテリアル上へ追加された霊力装甲により、その姿は群青と灰銀の二色に塗り分けられていた。

 鋼の身体を覆う、光の鎧。それだけでも相当に目を引くが、それ以上にギノアを釘付けたのが、新たに展開されたコクピット周りの霊力装甲である。

 色は塗り変わった身体に会わせたのか、群青と灰銀のツートンカラー。V字の前立てはオウガの時よりも一回り大きく、鋭くなっている。

 そして何よりも目立っているのが、胸元から上半身全体へ展開している、陣羽織型の霊力装甲である。

 胸と背中のEマテリアルを軸として構築されたこの陣羽織は、レツオウガのコクピット周りを、高密度の霊力で強力に保護しているのだ。

 堅牢、その一言に尽きる姿である。

 だが。

「丸腰では、ねぇっ!」

 叫び、吶喊するオーディン・シャドー。

 その指摘に嘘はない。オウガの時に武器を生成していたEマテリアルは、現在全て霊力装甲の構築と保持に使われているのだ。

 当然飛び道具による牽制は一切出来ず、オーディンは安々とレツオウガを間合いに捉える。

「そこ、ですっ!」

 助走、跳躍、刺突。単純な脚力のみならず、マントからの霊力噴射も上乗せし、高速の一撃を繰り出すオーディン。

 極限の速度と威力を伴い、一瞬だが音の壁すら突破するグングニル。

 ビルにすら安々と穴を開けられるだろう一閃は、狙い違わず霊力装甲ごと辰巳たつみを刺し貫いていただろう。

 今までの、オウガのままならば。

 だが現在。辰巳が操作しているのは、部分的にだが本来の性能を取り戻した神影鎧装、レツオウガである。

「ッ!」

 反応速度は、今までの比ではない。

 グングニルの切っ先がコクピットを捉える、まさにコンマ数秒前。レツオウガは電撃的な速度の裏拳を放ち、グングニルの穂先を打ち払った。

「おぉ」

 息を飲む風葉かざは。ギノア同様、フェンリルによる知覚補強により、その一部始終を捉えることが出来たのだ。

「――、まぁだまだっ!」

 驚愕を押し殺し、更なる連続突きを放つギノア。マントから噴出する霊力で浮遊しながら、凄まじい速度の刺突を放つ。放つ。放ち続ける。

 だがレツオウガはその全てを裏拳で、あるいは手刀で、素早く的確に打ち払う。まるでいずみを人質にしていた時の二の舞だ。激しい連撃を浴びせられながら、実質ギノアが押されている。

 しかも、あの時とは違って泉は居ない。辰巳に手加減をする理由は、まるでないのだ。

「す、ぅ」

 レツオウガの両目越しに、辰巳はオーディンの呼吸を読む。刺突の嵐をかき分けながら、半歩、また半歩と間合いを詰める。

 詰めながら、踏み込むべき最良のタイミングを模索する。

 程なく、それは見えた。

「――!」

 振り上げられるグングニル。上段、大振りを放つ予備動作。

 間合い自体はやや遠いが、懐はガラ空きだ。

 無論、オウガだったなら諦めたろう。鉄拳が届く前にグングニルが落ちて来る距離だ。

 だが今のレツオウガは、常にリバウンダー並の跳躍を繰り出せるポテンシャルがある。

 その隙、貰った――そう辰巳に判断させる事自体が、既にギノアの目論見であった。

ッ!」

 踏み込んで来るレツオウガ。読み通りである。

 にぃ、と口の端を吊り上げながら、ギノアは大上段に構えたグングニルの穂先から霊力を噴出。

 同時にマントからの霊力噴出をカットし、その分も全て穂先に回す。

 かくて完成したのは、迅速なレツオウガの踏み込みを更に上回る、電光石火の一撃であった。

 風葉が落ちてくる直前、辰巳がパイルを叩き込もうとした起死回生の一撃を、学習したのだ。

「貰いましたよォォッ!」

 コクピットごと正中線を両断せんとする斬撃。コンマ数秒の差ではあるが、それでも速度は確実に向こうが上。

 刹那の狭間にそんな刃の軌跡を垣間見た辰巳は、へぇ、と感心する。

「流石は戦神、か」

 対するレツオウガは回避行動を取らない。踏み込みを崩す事すらしない。

 ただ、強く。

 左の拳を握り、突き出す。同時に、レツオウガの全身を包む霊力装甲がにわかに輝いた。

 直後、二つの大質量が真正面から激突する。つんざく爆音にRフィールドが揺れ、煙のごとく乱舞する霊力の残光が、二機の神影鎧装を覆い尽くす。

「ぬ、ぁ、あ!?」

 その煙を突き破り、一機の鎧装が上空へと飛び出す。

 純白の甲冑に身を包むその姿は、紛れもなくギノアのオーディン・シャドーであった。

「――っ、ぐ、ぅ!?」

 危うくグングニルを取り落としかけつつも、オーディンは姿勢制御を断行。放物線が下降しかけた辺りで辛くも制動をかけ、グラウンドの端の方に着地。

 グングニルを杖代わりにようやく立つその胸部装甲は、歪で巨大なヒビが放射状に走っていた。一撃を貰ったのだ。

「す、ぅ」

 その一撃――左正拳突きを放ったレツオウガは、辰巳の操作に従ってなめらかに残心。

 同時に、背部の霊力装甲からたなびいていた光の粒子が止まる。先ほど二機を覆った霊力の光は、グングニルだけでなくレツオウガの背中からも出ていたのだ。

 だが、なぜそんな場所から残光が発生するのか。その理由を辰巳はつぶやく。

「タービュランス・アーマー、か。ったく、何て趣味的なモノを……」

 正式名称、酒月式試製二型烈風装甲術式。その名の通り鬼才酒月利英さかづきりえい、渾身の一作である。

 Eマテリアルを軸としたこの霊力装甲は、高密度の霊力を収束しているため、高い防御力を誇っている。

 が、その真価があるのはそこではない。

 端的に言えばこのタービュランス・アーマーは、その構成している霊力を、表面から任意に噴射する事が出来るのだ。言わばリバウンダーやラピッドブースターの応用である。

 これにより、レツオウガはいちいち術式を展開せずとも、任意のタイミングで急加速や急制動をかけられるのだ。渾身のグングニルよりも鉄拳が先んじたのは、それが理由だ。

 要するに、レツオウガは全身がブースターの塊なのだ。

 この術式を全力駆動させれば、さながら烈風タービュランスのように強引かつ縦横無尽な機動が可能となるだろう。烈風装甲の名前はそれが所以である。

「なるほど。なるほど、ね」

 胸の応急処置を終え、ゆっくりと立ち上がるオーディン。その動作に不自然なものは見当たらない。

「ち」

 舌打つ辰巳。微妙に軽かった手応え通り、やはり致命傷ではなかった。

 打突の瞬間、オーディンはグングニルの霊力放射方向を変え、衝撃を軽減していたのだ。

「要するに、私のグングニルと同じワケですねぇ」

 言いつつ、オーディンはグングニルを水平に構え直す。鏡のように無垢な刃が、Rフィールドの赤色にぬらりと光る。

「ですがそれを動かす霊力、いつまで持ちますかねぇ?」

 その予測が聞こえているのか、いないのか。

 日乃栄高校の屋上から、レツオウガは一直線に跳躍した。反撃開始である。

「疾ィッ!」

 爆発的な速度で上昇するレツオウガ。その最中、両腕が肩部Eマテリアルがあった場所へ伸びる。何かの術式の予備動作か。

 無論、発動を見逃すギノアではない。片腕を突き出して照準し、弾丸となるルーンを即座に放つ。

「ハガラズッ!」

 放たれる雹嵐。ガトリングガンもかくやと言わんばかりの弾幕が、空中のレツオウガ目がけて殺到する。

 それを冷静に見やりながら、辰巳はタービュランス・アーマーを操作。背部、羽織、胸部の順に霊力が噴射され、稲妻のような軌跡がハガラズの射線を攪乱する。

「何とッ!?」

 驚愕するギノア。残光を纏い着地するレツオウガ。そして、抜き放たれる二振りの刃。

 それら三つの事象が、コンマ数秒の内に重なった。

 刃を抜いたのは、無論レツオウガである。タービュランス・アーマーの機能は基本的に防御と加速のみだが、両肩部のものだけはブレードへの可変機能が組み込まれているのだ。

 無論、これを使えば肩部のアーマーは無くなってしまう。羽織型の霊力装甲が肩へ伸びているのは、その欠損を補うのが理由の一つだ。

 かくして、アーマーから一瞬で組み変わった長大な二刀を、辰巳は振り抜く。

 右、左。まったく同じ弧を描く斬撃が、寸分の狂いもなくオーディンの肩口を狙う。

 早い。エイワズ、と一言を捻り出す隙間すらない。

「――ッ!」

 ならば、とオーディンはグングニルを掲げて斬撃を防御。重く鋭いレツオウガの一撃が、神槍の柄をにわかに軋ませる。

 だが、それだけだ。レプリカとは言え、主神の武器を破壊するのは容易ではないのだ。

「残、念っ!」

 衝撃に痺れる手首をなだめすかし、ギノアはグングニルを薙ぎ払う。

 ぶん、と豪快に振るわれるスイングの軌跡を、辰巳は頭上に仰ぎ見る。手をつき、地に這うような格好で斬撃を回避したのだ。

「そうでもないなっ!」

 半ば跳躍する勢いで立ち上がりざま、右ブレードで逆袈裟斬りを見舞うレツオウガ。

 掬い上げるような軌道を描く一閃を、オーディンはバックステップで回避。薄皮一枚の距離を切先が撫でる。

「まだッ!」

 だがそれは牽制。踏み込みからの左刺突がオーディンを追撃。バックステップ中ならば避けられまい、との判断だ。

「甘、いっ!」

 だがその刺突を、グングニルの穂先が打ち払う。マントから霊力を噴射し、強引に間合いを合わせたのだ。

「逃がさん――!」

 レツオウガも背部霊力装甲から霊力を噴射し、オーディンへ突貫。そのまま両者は高速機動戦闘へと移行する。

 彗星のような軌跡を刻むオーディン。稲妻のような軌跡を刻むレツオウガ。

 追いながら、追われながら、赤い空に交錯する二刃と長槍。

 振り下ろし。斬撃。刺突。フェイント。薙ぎ払い。唐竹割り。

 時に離散し、時に激突しながら、二機の神影鎧装は刃の軋みと、霊力の残光と、裂帛の気合を辺りに撒き散らす。

 そんな互角の打ち合いを、一体幾度交わしただろうか。

「く、ぅ――!」

 不意に、レツオウガの加速が止まった。とうの昔に出ていた日乃栄の敷地の外、民家の屋根に着地したレツオウガは、何故か動かない。

 その正面、大分離れた位置で対峙するオーディンは、油断なくグングニルを構える。そして、一歩詰める。

 通常の跳躍では届かない、けれどもタービュランス・アーマーならば届くであろう、微妙な位置。

 オーディンはそこで敢えて構えを緩めたが、レツオウガは踏み込む素振りを見せない。二刀の切先が苛立たしげに揺れるのみだ。

「ふ、ふ」

 故に、ギノアは確信する。

「ふは、ははははは! どうやら加速に回せる霊力が無くなったようですねぇ!」

 余裕を隠さぬギノアの指摘に、辰巳は無言で柄を握る。

 実際、その指摘は正解だ。そもそもレツオウガは、あまり長い時間の戦闘を想定していないのだ。

 確かに擬似コアユニットであるレックウを接続すれば、レツオウガは本来の能力――神の力の一端を発揮できる、はずだった。

 その力を用いれば、どんな相手だろうと一撃で屠る事が出来る、はずでもあった。

 だが、今。乗っているのは正規パイロットの冥ではなく、代理の風葉だ。

 故に想定されていた最大の能力は使えず、代わりに補助兼テスト用の筈だった利英の術式で戦いを強いられている、と言うのが現状だ。

 確かにタービュランス・アーマーは優秀な術式だろう。展開するだけで堅牢な防御と迅速な機動という、破格の性能を両立する事が出来る。

 しかして代償に求められるのは、相当な速度の霊力損耗だ。生成するだけで結構な量を消費する高密度霊力のアーマーを、加速するたびに燃焼し、再生成しているのだからさもあらん。

 結局、タービュランス・アーマーはまだまだ試作品なのだ。

 だから、辰巳は短期決戦を狙った。機体の条件が互角なら、後はパイロットの技量次第だろう、と。

 実際、それは正解だ。オーディンを追い込む場面も幾度かあった。

 だが秒単位で減っていく霊力残量が、背中に抱える一般人の重みが、レツオウガの動きに焦りを生んだ。

 その焦りを見切ったギノアは、だから努めて防御に徹し――結果、この状況を造り上げたのだ。

「では、返礼させて頂きましょうかねぇ!」

 宣言とともに、オーディンが跳ぶ。一体どこにこれほどの霊力を保持しているのか、まるで衰える気配を見せない疾走で、瞬く間に間合いを詰める。

「ぬ、ぅ!」

 対するレツオウガは二刀を携え、ひたすら防御に徹するしかない。

 袈裟斬り、振り上げ、刺突、薙ぎ払い。あらゆる角度から襲い来る高速の連撃を、辰巳は全身全霊を持って切り払い、切り払い、切り払う。

 立ち位置は動かない。動いている余裕が無い。

 舞うように、嘲るように、衛星のごとく旋回しながら襲い来るオーディンの連撃が、辰巳をその場所に釘付けるのだ。

「ハハハァ! さっきまでの勢いはどうしたんですかァ!?」

「さぁて、どっかに落としちまったかもな!」

 夕立のように降りしきる刃音の中で、辰巳はひたすらに機を伺う。

 残存霊力量は既に三割を切っており、今も結構な速度で低下中だ。加速がかけられないわけではないが、使えるのはせいぜい二回。

 その回数で、ヤツの虚を突くためには――そう辰巳が戦略を組み立てていた矢先、唐突に風葉が口を開いた。

「……どうにか、できるかも」

「何が?」

 輝度を調整した立体映像モニタを一つ表示し、バックミラー代わりにして後ろを見る辰巳。

 即席の鏡に映りだした風葉は、口元に手を当てて奇妙に視線を泳がせている。

 同調するフェンリルが、風葉に何かを教えているのだ。

「神影鎧装、レツオウガ……これって、かみさまの力を再現出来るんだよね?」

「まぁ、そうらしいけどよ」

 眉をひそめる辰巳。コンマ数秒、ほんの少しだけ操作が鈍る。その隙を、ギノアが見逃すはずもない。

「貰いましたよッ!」

 鋭く虚を突くオーディンの一撃。切り払いは、回避行動は、間に合わない。

「ち、ぃ!」

 止むを得ず、辰巳は霊力噴射を敢行。

 胸部陣羽織から噴出する霊力光を煙幕代わりに、レツオウガは後方へ大きく跳躍。

 直後、薄皮一枚の距離をグングニルが掠めた。

「ほう? まだそんな余裕がありましたか」

「探せば見つかるもんなのさ、意外とな」

 長槍を構え直すオーディンと相対しながら、辰巳は歯噛みする。

 さもあらん。仕方がなかったとはいえ、なけなしの霊力を緊急回避に使ってしまったのだ。

 切り札は一発、それも使えるかどうか――。

「慣れないことはするもんじゃない、な」

「そうだね……でも、出来るかもしれない」

 脳内で戦法を組み直しつつ、辰巳はもう一度バックミラーを見る。

 立体映像モニタを見ながら術式の制御系をいじっている風葉が、そこに写っていた。

「ちょっと待った、何やってんだ霧宮きりみやさん」

「出来るかも……ううん、出来るんだよ。フェンリルの力の再現が」

 両人差し指でおずおずと、しかし迷いなくレックウのコンソールを操作する風葉。

 憑依したフェンリルが、己の力を顕現させようとしているのだ。

「おいおい……」

 今度は辰巳が絶句する番であった。

 確かにレックウにはレツオウガ本来の力、神影鎧装の能力を開放するための術式が搭載されている。

「……けどよ、ソイツは冥専用のヤツだったはずだぜ。借りる約束でもしたのか?」

「まさか。だいたいその術式が分かったのはついさっき、研究室でハンドルに触った時だもの。ただ……」

 手を止め、風葉はミラー越しに辰巳を見返す。

「フェンリルがさ、すごいやる気満々なんだよ。何かこう、外に出たいらしくてさ」

「なんじゃそりゃ」

 と言いつつも、辰巳は何となくその理由を察する。

 乗っ取れなかった宿主に代わり、自分の身体を術式で造り上げようという魂胆なのだろうか。

「それに――これなら、今のガス欠をどうにか出来るはずだよ」

「なに?」

 それは一体、どういう意味だ。

 辰巳がそうう言うよりも先に、風葉はレックウのコンソールに叫ぶ。

「セット! フェンリ――」

『Error』

 叫びを冷たく一蹴する電子音声。だが風葉は諦めない。

「いいから! 緊急事態なんだからちょっとくらい大目に見てよ!」

 ばんばん、とコンソールを叩きながら無茶を言う風葉。

 それが通じたのか、それともフェンリルが別口で術式経路をでっちあげたのか。

『G/etS/et/ R ea /dy』

 若干ノイズ混じりながらも、システムがフェンリルを受け入れた。

「よっし!」

 フェンリルに導かれ、風葉はレックウのハンドルを操作。入力に従ったレツオウガがしゃがみ込み、己の影に手を翳す。

 さらりと、ガラスを撫でるような手つき。

 それを合図に、レツオウガの影へ、術式が走った。

「な」

 先に驚いたのは辰巳だったか、それともギノアだったか。

 どうあれ男どもの反応など意に介さず、灰銀色の格子模様がレツオウガの影の上を走り、刻み、満たす。

 風葉の決意、フェンリルの闘争心。確固たる二つの意志を現すかのごとく、術式は瞬く間に組み上がる。

「じゃあ改めて――セット! フェンリルファング!」

 高らかに、明朗に、誰も知らない術式の起動を告げる風葉。

『Roger He--Ga-e Emulator Etherealize』

 途方も無い無茶ぶりに、それでも電子音声はざりざりと咳き込みつつも応じ――かくて、影に刻まれた術式、フェンリルファングが起動する。

 それまで影の枠に収まっていた灰銀色が、瞬く間に拡大する。枷を解かれた獣の如く、赤い大地に異様が迸る。

 気付けば元の三倍近い大きさに拡大した影は、しかしレツオウガの形をしていない。

 地面を踏みしめる四本の足。ピンと立った三角形の耳。そして、大きく裂けた乱杭歯の並ぶ口。

 それは明らかに狼の、風葉が心の中で見た、フェンリルの姿そのものであった。

「な、ぁ!?」

 驚愕するギノア。その足元にフェンリルの顎が這い寄り、音もなく牙をむく。

 危険。死霊術師リッチとしての本能が、主神オーディンの直感が、声高に避けろと叫ぶ。

「ッ!」

 すぐさま飛び退るオーディン。一拍遅れて、ぞぶりと影を掠めるフェンリルの牙。

「ちぇ、神話あのときみたいにはいかないか」

 そう言ったのは風葉か、それとも憑依したフェンリルなのか。

 どうあれラグナロクを終わらせる獣の牙は、役目を終えてすぐさま消失する。

 後に残ったのは舞い散る余剰霊力の残光と――雲霞のように噛み千切られた、赤い結界の破れ穴であった。

「Rフィールドを、食った!?」

 目を見開く辰巳の驚愕を、押しのけるようにいきなり点灯する立体映像モニタ。

 機体の異常を知らせるその内容に、辰巳は更に目を丸くする。

「霊力が、増えてる!?」

「そりゃそうだよ、食べたんだから」

 ふふん、と胸を反らす風葉を背後に、辰巳は自機に何が起きたのか調査する。

 結果はすぐに出た。

「フェンリルが喰ったRフィールドを、レツオウガの霊力へ転換したってのか……?」

 神の力を再現できる能力を備えた鎧装、レツオウガ。風葉はその能力を応用して魔狼フェンリルの身体を造り、霊力の捕食吸収術式として編み上げたのだ。

 ああ、理屈の上では理解できる。機転と才能を備えた一流の魔術師が、土壇場でそうした神技をやってのけた前例も知っている。

「しかし……そんな無茶を、素人の霧宮さんがやってのけるとはな。恐れいったよ」

「? 私はフェンリルの考えをやってみただけだよ。それに外国のRフィールドも、こんな感じで片付けてるんじゃないの?」

「それは、まぁ」

 確かにその通りではある。あるのだが、研究者達が長年かけて造り上げたそれを、素人がたった数分で組み上げるというのは何の冗談なのか。

 フェンリルの分霊なのだから、そうした知識もフィードバックされるのは分からなくもないが――。

「ダメ、なのかな。こういうのは何て言うか、こう、著作権みたいな問題が?」

 しゅん、と風葉の犬耳が垂れる。

「いや、まさか」

 はにかむ口元を隠すように、辰巳はバックミラーを消す。

「最高のサポートだね」

 ゆらりと、二刀を構えるレツオウガ。

 その動きと辰巳の背中に、風葉の犬耳がピンと立ち直る。

「アナタ方はぁぁ……」

 そんな二人の真正面、怒りを顕にするギノアが、苛立たしげにグングニルを振り下ろす。

「Rフィールドを……よくも私の依頼を……私の、ユメを……!」

 地面を叩く石突き。放射状に広がる衝撃波。

 だがもはや意に介さず、レツオウガの双眸がオーディンを見据える。

「さて、仕切りなおしだ」

 機体性能は、霊力装甲を纏った時点から既に互角。

 霊力切れの心配は、フェンリルのサポートがある限り必要ない。

 ならば後は、純粋に技量の勝負だ。

「殺す――コロス――! 絶対にぃぃ!」

「二言はない。容赦もしない」

 冷徹な宣言が、ギノアの激昂を両断する。

 闘志が、真芯を射抜く。

「速やかに、終わらせて貰う」

 かくして魔狼の影を従えるレツオウガが、一直線に跳躍する。

 決着を、つけるために。

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