Chapter03 魔狼 09

 時間は少々巻き戻る。

『……たった今、オウガを自爆させる事が決定したよ』

 明日の天気は雨だそうだ。

 それくらいに軽い語調で、いわおはぼんやりとつぶやいた。

「え」

 二度、三度。まばたきする風葉かざは

「そっかーならしゃーないなー。自壊術式の準備せんと」

 今まで以上に表情のない顔で、利英りえいはキーボードを叩き始めた。周囲に浮かんでいた立体映像モニタ群に、何かよくわからない文字列が踊り出す。

「あの、ちょっと」

 周りの男どもを見回す風葉だが、誰も取り合おうとしない。

「なら、僕も準備しなきゃな。労働環境は劣悪の一言だったが、なかなかどうして退屈しなかったぞ」

『それは光栄。それで、Rフィールドの突破方法は――』

 淡々とメイはタブレットを置き、巌も受話器越しに淡々と誰かと話し込んでいる。

 その様は、酷く退屈な事務手続きにも似ていて。

「ちょ、ちょっと待って下さい!」

 気付けば、風葉は叫んでいた。

「オウガを自爆させるってどういう事ですか!? オウガって五辻いつつじくんが乗ってるでっかいロボットの事ですよね!?」

 ああ、と頷く三人の男。

 即座に、ごく当たり前に。

 彼等は辰巳たつみを切り捨てると、言ってのけた。

 くらりと、風葉は目眩を覚えた。

「ど、どうしてですか!? そんな事をしたら五辻くん、は――!」

「死ぬな、確実に。何せ辰巳自身が爆破信管みたいなもんだからな。後はこっちで火種を送ってやるだけさ」

 肩をすくめ、おどけるように冥は言う。平素なら、その仕草とウインクにどぎまぎしてしまった事だろう。

 だが今。怒りの火がついた風葉の目に、そんなものは映らない。

「だから、どうして五辻くんが死ななきゃならないんですか!? どうしてあなた達は、五辻くんをっ、見殺しにできるんですか!?」

『そういう取り決めだからさ。この部隊が出来た時の、ね』

 淡々と、巌が画面越しに言う。

「取り決めって……そんなの!」

『おかしい、と言いたいかい。ヒトの命がかかってるんだろう、と言いたいのかい』

 先んじる巌の声は、奇妙なくらいに穏やかで。

 図らずも、風葉は気勢を削がれてしまった。

『そうさな、キミの言おうとしてる事、思っている事、全てまったくもって正しいだろうさ。だが……』

 鳴り響くコールベル。手元にある通信機が、けたたましく巌を呼ぶ。

『……正しい想いが、常に正しく行使されるとは限らないんだよ』

 言って、巌は通信機を取った。そのまま通話相手との話に没頭する。

 もう話す事はない。横顔が、そう言っていた。

「――」

 蒼白一歩手前の顔で、風葉は室内を見回す。

 利英は黙々と自壊術式とやらの準備を進めていて、冥は傍らで立体映像モニタを眺めながらチェックをしている。

 誰も、風葉を見ようとしない。

 本当はやりたくない。仲間を助けたい。

 誰もがそう思っているのに、誰も手を止めようとしない。

「――、っ」

 頭に、来た。

 完全に、完璧に、頭に来た。

「Rフィールド、ですか」

 だから、風葉は決めた。

 正しい方法が無理ならば、正しくない方法で、自分の想いを行使する事を。

「あー? あんだって?」

 キーボードを叩きつつ、生返事するのは利英だ。

「Rフィールドをどうにか出来れば、良いんですよね」

「あーまぁ確かにそうだけど、現状じゃ突破口が無いからねー。エッケザックスから大至急術式を取り寄せて、冥との感応処理を……」

「その取り寄せる術式って、フェンリルですよね」

「あー? まぁそうなるけ、ど、」

 利英はそこで言葉を切った。切らざるを得なくなった。

 風葉が、ポニーテールを結わえている革紐――もとい、グレイプニル・レプリカを解いたために。

「いや、あの、ちょっと。なにやってんだキミ」

 珍しく目を丸める冥に、風葉は聞く耳を持たない。

 代わりに一つ息をつき、ゆっくりと目を閉じ、静かに思い出す。

 自分から『力が欲しい』と強く願いでもせん限りは変わらん――以前、雷蔵らいぞうは確かにそう言った。

 逆に言えば。強く願えば、フェンリルの力を得られると言う事ではなかろうか。

 Rフィールドを突破するための力を。

 辰巳の所へ、向かうための力を。

『……! お、おい冥! 利英! すぐ止めさせろ!』

 風葉の目的を察し、画面向こうで巌が机を叩く。

 だが、もう遅い。

(Rフィールドとか、術式がどうかとか、難しいことは私には分からない。けど――)

 正しい制御方法なんて知らない。故に、風葉は願った。ひたすらに、遮二無二願った。

(私に、本当に憑依してるんなら――!)

 握った拳が、小さく震える。眉間のシワが、じわりと深まる。

(お願い! 力を貸して!)

 心の中へ、風葉は力の限り叫ぶ。

 瞬間、風が吹いた。

 生ぬるい、砂と鉄の味がする、奇妙な風が。

「え、っ」

 反射的に、風葉は目を開ける。

 ――視界いっぱいに広がるのは、ただひたすらに、荒涼とした荒野。

 空には月も太陽も無く、赤とも黒とも言い難い色彩が、どこまでも続いている。

 風は吹き続けている。きっと世界の果てから吹いているそれは、風葉の肺腑に嫌というほどにおいを滲ませる。

 鉄と、砂と、死のにおい。

 終焉の、におい。

 そんなにおいを運ぶ風の向こう側に、それはいた。

 狼だ。

 地平線の近く、灰銀色の体毛をなびかせる巨躯の背中に、風葉はそう直感した。

「フェン、リル」

 知らず、名を呼ぶ風葉。

 直後、巨躯の銀狼――フェンリルは、風葉の目の前に出現した。

 息を呑む風葉。自分が引き寄せられたのか、それとも向こうが瞬間移動したのか。

 そんな疑問などどうでも良くなるくらいに、フェンリルは巨大であった。

 いつか見たオウガローダーとやらよりも、優に二回りは大きいだろうか。人間どころか自動車すら一飲みに出来そうなあぎとを備えた顔が、風葉に影を落とす。

 金色の瞳が、三日月のように歪む。象牙のよりも巨大な牙が、惜しげも無く剥き出しになる。

 笑って、いるのだ。

 己を望む分不相応な小娘を、内側から食い尽くすために。

 ――個体によって差はあれど、意志も知識もない一般人が憑依したまがつに接触すれば、大抵の場合そのまま禍に引き込まれて精神に変調をきたす。

 最悪、死に至る。

 実際、平素の風葉であればそうなっていただろう。巌が全力で止めようとした理由もそれだ。

 だが。ここに誤算が一つあった。

「わ、ら、う、なぁーっ!」

 風葉は今、たいへん頭に来ているのだ。

「アンタがフェンリルなんでしょ!? 今! 凄く大変なの! こんなとこにいないで手伝ってよ!!」

 目の前の巨大な銀狼に微塵も臆する事なく、風葉はビシッと指を突き付ける。

「てかなんなのココ!? どうせ私の心の中とかそういうのなんでしょ!? 取り憑いたのは事故だったかもしんないけど、だからって勝手にこんなヘンなトコ造んないでよ!!」

 今まで散々振り回されっぱなしなフラストレーションをついでに上乗せし、風葉は全力で文句を叫ぶ。

 完全に目論見が外れたフェンリルは、宿主のなすがまましょんぼりとうなだれた。心なしか、その体躯も一回り小さくなったように見える。

「大体殺風景すぎてセンスが――」

「うんうん。風葉の言い分はよーく分かったから、その辺にしといてあげな」

 背後からかけられた一言に、まだまだ続いたであろう文句を風葉は中断。

 がば、と勢い良く振り返る。

「や」

 にこやかに笑う冥が、そこに立っていた。

「あ、れ。冥、くん? あの、いつからそこに?」

「笑うな、って叫んだ辺りからかな。お察しの通り、ここは風葉の心の中でさ。君がいきなりフェンリルに接触しようとしたから、こうして急いで感応してみた訳なんだが……いやいや、驚かせてもらったよ」

 堪え切れず、冥は口元を抑えてころころ笑う。指の隙間から相変わらず艶めいた色気を見せる唇を、しかし風葉は直視出来ない。頬を抑え、フェンリルと同様にうなだれている。

 言わんや、我に返った反動である。

「ま、心配なかったようだね。禍を従えるのに一番必要なのは心の強さだ。今みたいな啖呵を切れる風葉なら、問題なくこのフェンリルを従えられるさ」

「え、ホントに!?」

「ああ、僕が保証するよ」

 満面の笑みを浮かべながら、冥は右手を差し出す。

 少し逡巡したが、風葉はその手をまっすぐに握り返す。

 白く、ひんやりと冷たい掌。その感触を握りしめながら、風葉は振り返る。

 心の中に巣食った巨躯の銀狼、フェンリル。じっと、真剣に見つめてくる金色の目を風葉は見つめ返す。

「力を、貸して貰うわよ」

 辰巳を、助けるために。

 お互い半ば睨むような、鋭い視線のぶつかり合い。この膠着をしばらく見ていたい冥だったが、生憎と状況は秒単位の遅れすら許さない。

「さて、戻ろうか」

 惜しみつつも冥は指を鳴らし、足元に直径三メートルほどの魔法陣を展開。紫色に輝く精緻な紋様が、立ち上る光で二人を包む。

 紫色に埋没する視界。エレベーターに揺られるような、奇妙な浮遊感。フェンリルが作り出した心象風景から、利英の研究室へ戻るのだ。

 薄れていく風とにおい。遠ざかる鉄錆びた荒野。

 それを肌で感じながら、風葉は確かに聞いた。

 応、と。

 仕方なさそうに応える、フェンリルの遠吠えを。

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