Chapter03 魔狼 08

 オーディンが、動いた。

 陸上選手もかくやと身体を沈め、一気に解き放つ。クラウチングスタートに似た体勢から繰り出される突貫は、さながらロケットだ。

 リバウンダーに勝るとも劣らぬ速度を乗せた撃力の塊が、神槍グングニルを携えてオウガを狙う。

「オオッ!!」

 斬。

 真っ向からの薙ぎ払い。フェイントも何もない、愚直なまでの大振りだ。

「セット! ジャンプ! ならびにパイル!」

『Roger Rebounder PileBunker Etherealize』

 対するオウガはリバウンダーとパイルバンカーを精製、しかしどちらも発動させず、己の脚力のみで跳躍する。

 致命的な威力を秘めた槍の穂先が、オウガの爪先の数センチ下を引き裂いた。付随する霊力の嵐が空気を撹拌し、すぐそばにあるオウガの装甲を――持って行かない。

 ちぃ、と舌打つギノア。

 にぃ、とほくそ笑む辰巳たつみ

 今までの戦いの最中、相手を観察していたのはギノアだけではない。むしろそれが本職である辰巳は、グングニルの衝撃波が霊力で拡大された斬撃である事を見抜いていたのだ。

「ならばっ!」

 いち早く槍を持ち替え、テコの原理で穂先を跳ね上げるオーディン。姿勢制御用のスラスターはオウガの身体各所にあれど、跳躍の軌道を劇的に変えられる出力を備えたものはない。

 故に、神槍の刃はオウガを両断していただろう。本来ならば。

 だが今。オウガの足首には跳躍術式ユニット、リバウンダーがある。

 穂先がオウガを捉えるまさに数瞬前、リバウンダーが発動。オウガの機体は慣性をねじ伏せ、直角に急降下。

 狙うはオーディン。武器は右膝に現出した霊力の円錐、パイルバンカー。

「貰ったッ!」

 狙うは起死回生、照準はコクピットと思しき腹部中央。

 パイロットであるギノアの虚を完全に突き、防護壁エイワズの展開を許さない一撃。必殺を賭し、今まで培った研鑽から導き出された強襲が、オーディンの胴体を――貫かない。

 外れた。

 オーディンが即座にグングニルを手放し、僅かに一歩退いたのだ。

 半身になるオーディン。純白の装甲表面を掠める霊力の円錐。

「な、に!?」

 驚愕は、辰巳とギノアの双方から上がった。

 辰巳は、まさか避けられると思わなかったために。

 ギノアも、まさか避けられると思わなかったために。

 両者の驚愕はもっともだ。純粋な白兵戦の技量は辰巳の方が上であり、今の奇襲をギノアに防げる筈がなかった。

 ならば、今の反応速度は何なのか。

「まさか、これが神影鎧装の……?」

 呆然と独りごちるギノア。その隙を見逃す辰巳ではない。

「セット! クナイ!」

『Roger Kunai Etherealize』

 着地の体勢をそのままバネに、立ち上がりざま精製したクナイを突き出すオウガ。

「ハ――」

 ハガラズ。ギノアは反射的に防護壁を張ろうとして、止めた。

 見えたのだ。こちらの喉笛を狙う、刃の軌道が。

 分かったのだ。その刃を、どうすれば逸らせるのかも。

「――ッ!」

 オウガの手首。しっかとクナイを握るその基部へ、ギノアはハガラズを張ろうとした掌を叩きつける。

 逸れる軌道、外れる刃。藍色の霊力装甲ごしに、ギノアは辰巳の驚愕を見た。

「こ、のっ!?」

 袈裟斬り、振り上げ、振り下ろし。

 逆手に持ち替え、左右の手を行き来し、変幻自在に繰り出される刃の嵐。

 その全てを、オーディンの腕が捌いていた。

 明らかにギノアの技量ではない。神影鎧装の力が、戦神オーディンの技量が、パイロットのギノアと同調し始めたのだ。

「ハ――ハハ。ハハハ!アハハハハッハハハハハァ!」

 もはや虫を払うような気軽さでオウガの攻撃を捌きながら、ギノアは呵々大笑する。

 さもあらん。先日あれだけ煮え湯を飲まされた相手を、こうもたやすく圧倒出来たとあれば。

「これは、これは! 新しいデータを送らないといけませんねぇ!」

 笑いながら、ギノアは左膝を跳ね上げた。

 即座に三歩退き、これを回避しながらも訝しむ辰巳。

 立ち膝蹴り、にしては間合いが遠い。実際、ギノアは蹴りを放ったのではない。

 足の甲、跳ね上げたのは長槍の柄。オウガのものとは違い、五秒以上経過しても分解しなかった霊力武装の柄を、オーディンは掴み取る。

 神槍、グングニル。

 水平にそれを構え、ギノアは一つ深呼吸をする。

 それだけで、ギノアは理解した。

 どうすれば、眼前の敵を薙ぎ払えるのかを。

「オォッ!」

 踏み込み、刺突。的確な重心移動によってもたらされる一撃は、それでもオウガに届かない。サイドステップで間合いを広げ、標的を見失った穂先が鋭く空を切る。

 すぐさま引き戻され、再度繰り出される刺突。それもオウガはサイドステップで回避。着地しつつそこから反撃に――移れない。

「まぁだまだっ!」

 刺突、刺突、刺突、刺突。

 グングニルの雨が、止まぬのだ。

「ぬぅ、っ」

 歯噛みする辰巳。オーディンが繰り出す一撃の速度自体は、むしろパイルを狙った先程よりも低下している。突撃の勢いがないのだから当たり前なのだが。

 だというのに、オウガは反撃できずにいる。

 理由は二つ。

 一つは単純に間合いが遠い事。

 オウガの近接武器はクナイ、ブレード、パイルバンカー、そして鉄拳である。どれもグングニルより短い得物ばかりだ。

 もう一つは、グングニルの引き戻しが速い事。

 槍に関わらず、得物を振るうには構え直す必要がある。当たり前の事だ。

 ギノアはこの構え直しをする際、穂先から霊力を噴射する事で、引き戻しの速度を短縮しているのだ。

 故に今のグングニルは、台風ではなく純粋に一降りの長槍であると言えた。

 威力自体は減衰している。だが一撃でも貰えば危険な今のオウガにとって、斬撃を拡大されるよりもこうした小技の方がよほど厄介だ。

「ならば――セット! ガトリング!」

『Roger GatlingGun Etherealize』

 刺突の弾幕をかいくぐりながら、こちらも弾幕を張るべくガトリングガンを呼び出す辰巳。

 右手首のEマテリアルにワイヤーフレームが出現、一秒もかからずに編み上がる円筒形の砲身。

 構え、速射。この至近距離で照準を合わせる必要も無し、との判断である。

 だが。

「エイワズッ!」

 満を持して登場した防護壁に、全ての銃弾は阻まれた。むしろ跳弾が自身を掠める状況に、オウガはたまらず飛び退いて間合いを取った。

「――ハガラズッ!」

 そのオウガの着地間際を狙い、オーディンが雹嵐ハガラズのルーンを放った。絶妙なタイミングである。

 リバウンダーは間に合わない。かといって直撃を受ける訳にもいかない。

「だったらッ!」

 辰巳は右腕のガトリングガンをもぎ取り、ハガラズの弾幕へまっすぐに投げた。霊力と氷の塊が激突し、爆発が両者の視界を遮断する。

「小細工ですねぇ!」

 が、その程度でハガラズの照射が止むはずもない。降り注ぐ雹の嵐が、一秒も経たずに爆煙を吹き消していく。

 しかし、オウガが射線から逃れるにはその一秒未満で十分だった。

 サイドステップで避けたすぐ脇を、荒れ狂う雹の嵐が掠める。しかもその飛礫つぶてをよく見れば、一個一個が鏃のように尖っているではないか。

 明らかに威力が上がっている。現状であんなものを受ければ、装甲が砕けるどころか内部フレームすら持って行かれかねない。

「ったく、とんでもないな。ほうれん草でも食ったのか?」

 言いつつ、辰巳は更に大きく跳んで間合いを放す。

「ハ! この状況で減らず口を!」

 ハガラズの照射を止め、グングニルを構え直したオーディンがそれを追う。煙幕で狙いが逸れる事に焦れたか。

「もしくは動くキノコでもとったのか――」

 言いつつ、辰巳は改めて認めた。ギノアとオーディンの同調率が、加速度的に上がり続けている事を。

 もはや接近戦は互角、射撃に至っては向こうが上だ。模造品とはいえ、流石は戦神オーディンである。

 まさに難敵。だからこそ挑む甲斐がある。

 二年間。空っぽな手の中で、それでも研鑽するしかなかった全てをぶつける相手としては、これ以上なかろう。

「――セット、クナイ! ブレード! ブースト!」

『Roger Kunai Blade Rapidbooster Etherealize』

 これ以上戦闘が長引けば、ギノアの技量は間違いなくこちらを上回る。霊力の残量も少ない現状、恐らくはここが最後の好機。

 迎え撃つは真正面。神槍グングニルを構え、稲妻のように踏み込んでくるオーディンに、辰巳はラピッドブースターを発動させた。

 一閃。交錯する二機の大鎧装。

 きぃん、と。清涼ですらある鋼の残響が、Rフィールド内に鳴り響いた。

 太刀と長槍。各々の得物を振り抜いた体勢で、背中合わせに動きを止めるオウガとオーディン。

 鉛のように重い静寂が、一帯に降りしきる。

「ぐ、ぁ」

 しかしてその沈黙は、数秒も持たない。

 ずん、と。オウガの右膝が、日乃栄高校のグラウンドに沈んだのだ。

 更に、ばきりと。

 右手に携えたブレードが、胸部を守る霊力装甲が、音を立てて砕け散った。グングニルの刃によって、まとめて一薙ぎされたのだ。

 ひび割れたガラス細工のごとく、連鎖的に吹き飛ぶオウガの顔面。保護されていたコクピットが剥き出しになり、コンソール前の辰巳が姿を現す。

 衝撃によりプロテクターはボロボロ、フェイスシールドは爆ぜ割れ、顔の右半分が覗いている有様だ。見るも無残な姿である。

「とったッ!」

 対するオーディンは残心もそこそこに、振り向きざまグングニルを構える。

「これでぇぇっ、終わ、り――?」

 後はパイロットを突き殺せば、サトウから受けた依頼は達成出来る――そう意気込んだ踏み込みを、ギノアはすんでのところで留まった。

 オーディン側からフィードバックした戦闘技能が、何かの危険を嗅ぎ取ったのだ。

 思考が加速する。空気が飴のように歪む。同調現象の進行により、ギノアは遂に刹那の閃きで生死を分ける達人の領域へ達したのだ。

 だが、だとしてもそれは何だ。何が危険なのだ。眼前の敵は既に瀕死であり、始末するのは赤子の手を捻るよりも容易い。

 そもそもオウガに武器はなく――と、そこでギノアの脳裏に電流が走る。

 交錯前、オウガが携えていたもう一つの得物。

 クナイが、無い。

「ッ!」

 切磋にギノアは足を止め、グングニルを構え直す。敵の攻撃に備えるために。

 だがまさにそのタイミングで、落下してきたクナイがオーディンを斬り裂いた。

 ――ラピッドブースターの発動と同時に、上空へ投擲していたクナイが、今まさに落ちてきたのである。

 完全に虚を突き、グングニルの間隙をくぐり抜けたその刃は、しかし胸部装甲を僅かに掠めるに留まった。

 ぴしりと、オーディンの装甲に亀裂が走る。自由落下のみならず、ラピッドブースターの加速力も上乗せされていたためである。もしもあと半歩でも踏み込んでいれば、クナイはコクピットを貫いていただろう。実に十数年ぶりに、ギノアは戦慄を覚えた。

 だが、それだけだ。辰巳が放った最後の一手は、薄皮一枚を裂くだけで終わってしまった。

「ちぇ。こんなもん、か」

 地面に転がり、霧散していくクナイ。でっち上げたバイパス経由でしていた無線制御を、辰巳が解いたのだ。

「そのようですね」

 眼前のオウガが今度こそ動けぬ事を確認し、ギノアは改めてグングニルを構え直す。

「ですが、大したものだったと思いますよ。掛け値なしでね」

 魔術師ではなく、同調した戦神オーディンとしての直感が、ギノアにそんなセリフをつぶやかせた。

「ですが、これで、終わりですねぇ!」

 サトウの依頼を果たすため、己の夢を叶えるため。

 ギノアは、グングニルを振りかぶった。

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