Chapter02 凪守 04
男女の寮は管理棟を挟み、南北に二棟ずつ建っている。縦列に並ぶ三階建て鉄筋コンクリートの中には、狭苦しい部屋がぎっしりと並んでいるのだ。
なお男女どちらの棟にも玄関は無い。一応一階に二つの出入口があるが、それぞれ非常口と渡り廊下入り口だ。
玄関は非常口の反対側、渡り廊下を渡った管理棟にある。浴場、食堂、事務室といった施設を一纏めにしてあるこの管理棟は、両隣にある四つの寮と渡り廊下で繋がっているのだ。
そして玄関と下駄箱は事務室の真正面にあり、当直の先生は窓越しに男女両生徒の出入りをチェックできるわけだ。
さて。そんな翠明寮の玄関を潜った矢先、
「やっほう」
事務室が見える窓の脇で、風葉は小さく片手を上げる。淡い水色のワンピースに、柔らかい黒髪が良く映えている。グレイプニル・レプリカで髪を束ねているのだ。
しかし、なぜここに居るのだろう。窓越しの事務室には誰も居ないようであるが。
「やぁ。宿直の先生を待ってるのか?」
「はずれ。私が待ってたのは、
「……俺?」
「うん」
「なんでまた? 耳が増えたか? それとも髭が生えたとか?」
「違うってば。まぁ、髭が生えたらそれはそれで一大事だけどさ」
言いつつ、風葉はもう片方の手に提げていた荷物を持ち上げる。
「よければ、一緒に宿題やらない?」
筆箱、ノート、古文の教科書。目下辰巳の頭を悩ませている宿題、その一式であった。
苦手な教科を教えて貰えるなら、断る理由はまったく無い。
「……まぁ、良いけども。なんでまた?」
「だって、五辻くんにはお世話になりっぱなしじゃない? 何かちょっとでもお返ししないと、何かこう、もやもやしてさ」
「そうか? こっちとしては仕事の一環にたまたま知り合いが巻き込まれた、ってだけなんだが」
「だとしても、私の気がすまないんだよ」
「義理堅いねぇ、霧宮さんは」
意外と、という一言を飲み込みつつ、辰巳は取りあえず男子寮へと向かう。
「食堂で待ってるからねー」
背中から聞こえる風葉の声に手を振り返しながら、辰巳はその場を後にした。
◆ ◆ ◆
翠明寮の食堂は結構広い。普通の教室の二倍以上はあるだろうか。
入り口は男女どちらの寮からも入れるよう東西にあり、室内には大きなテーブルが一ダース、整然と並んでいる。
北側は奥にある調理室の配膳カウンターとなっており、ここから今日の献立を受け取っていくわけだなのだが、今は誰も居ない。まあ当然だ。今はまだ午後三時半である。
晩ご飯は六時からであり、寮生どころか厨房すらまだ無人だ。
一応申し訳程度に小さなテレビはあるが、地デジに対応していない砂嵐を眺めに来る物好きなど居るはずも無い。
そんな、食事の時間以外はほぼ無人となっている食堂の一角。
向かい合わせに座りながら、テーブルの上の筆記用具を片付けている男女が一組。
言わずもがな、辰巳と風葉である。
つい五分前、ようやく古文の宿題が終わったのだ。
「な、何とかなったか」
絞り出す事すら億劫だったため息を、辰巳はようやく吐き出した。
「毎度の事だが、何でこう昔の人間ってのは言い回しが面倒なんだ……」
「平安時代の流行だったからじゃない?」
ぐったり気味な辰巳とは対照的に、風葉の顔は実に涼しげだ。
「でも意外だなぁ。昨日は五辻くん、ふるい怪物のことすぐに見抜いてたじゃない? その流れで古文もスラスラっといけるクチだと思ってたんだけど」
「
「ん、高校入学と一緒なんだ? そういや五辻くんってどこ出身?」
それは何気ない、ごく当たり前の世間話。
だがその瞬間、辰巳の表情は消えた。
「さぁてな」
目を逸らす辰巳。
言葉にこそしない、けれども明確な拒絶に、風葉は食い下がる。
「県内? それとも県外? 東京とか、兵庫とか、鹿児島とか?」
「てんでばらばらな位置だな。というか、なぜそんな事を聞く」
露骨に鬱陶しそうな辰巳の目を、風葉はまっすぐに見つめ返す。
「気になるからだよ、五辻くんが」
「……どういう理由だよ」
「ん、っと。最初は、そう。五辻くんのコトを、教室のみんながあんまり……ううん、全然意識してなかったコトだね」
軽く、風葉は自分の頭を撫でた。今は見えない犬耳を、それとなく確認するように。
「最初は、凪守の仕事をする都合でそうしてるんだと思ってた。どんな話をしてたとしても、
つい先日、身を持って知った凪守の情報隠蔽術。
それがあるために、辰巳は他人との関係を極力絶っているのだと、そう思っていた。
「けど、凪守にお邪魔した時だね。正直言って周りの人達が五辻くんを見る目、何かおかしかった。えぇと、ファン、ふぁん……ふぁんただっけ?」
「ファントム・ユニットな」
「そうそれ。それ以外の人達は、何て言うかこう、五辻くんを、怖がってたみたいな」
「……」
辰巳は風葉を見ない。ただ無表情に整頓したノート類を見ながら、うっそりとつぶやく。
「何が言いたい」
平坦な、声。
だがその呟きは、戦闘中のかけ声よりも明確に、敵意を帯びていた。
これは最後通牒だ。これ以上は辰巳にとって触れたくない、聞きたくない領域なのだろう。
だから、ごめん、と。頭を下げて引き下がるのが、きっと正しいマナーだ。それは風葉も理解している。
だが。
「何て言うか、さ。五辻くんは、地球みたいなんだよ」
「……は?」
だからこそ風葉は、事実の真芯を貫いた。
「凄く広い、凄く暗い場所で、たったひとりで浮いてる感じ」
学校に居ても、凪守に居ても、孤独すぎるんじゃないのか、と。
つらいんじゃないのか、と。
「……」
瞬きもせず、辰巳は風葉を見据える。
風葉もまっすぐに、半ば睨むような上目遣いで、辰巳を見据える。
そのまま、過ぎる事十秒。
「、は」
辰巳は苦笑した。
「そんな評価をされたのは初めてだな、実に詩的だ」
「なんか、昨日見た宇宙の景色がパッと思いついたんだよね。気に、入った、かな?」
「そうさな。まぁ、悪くは無い」
抜かれた毒気を、溜息と一緒に吐き出す。
きっと風葉に悪気は無い。彼女はただ、自分の命を救ってくれた相手の事情が気になっているだけなのだろう。
だから、本当に悪くは無い。何せ悪意が無いのだ。それがトラウマを浮き彫りにする一言だったとしても、不愉快を通り越していっそ痛快だ。
「……悪くはないから、少し独り言をしようと思う」
気付けば、辰巳は語り出していた。
無味乾燥な、自分の過去の断片を。
「二年前の話だ。ある組織が途方も無くデカイ、かつ悪ーい事を企んでた。プロジェクトISF――Immortal Silhouette Flame。日本語訳すると
「しんえい、がいそう?」
首を捻る風葉。先日、同じ言葉を
「端的に言えば、それは神様の力を持つ大鎧装を造る計画だった。霊力で神様の模造品――神様の影を造り出しちまおうとかいう話だったらしい」
辰巳は背もたれに寄りかかり、天井を見上げる。かつて若草色だったろう天井は染みだらけで、どこもかしこもくたびれていた。
「それが完成すれば、恐らく一機だけでも世界のパワーバランスは変わってたろう。霊力で組んだ紛い物とはいえ、神様の力を振るえるんだからな」
ふ、と辰巳はそこで一つ息をつく。
自嘲、と言うにはどうにも空虚な感じだ。
「無論、凪守にそれを見逃す理由は無かった。選抜された急襲チームが現地に入って、突入の段取りを確認して、いざ――って時に、全ては終わった」
「完成、しちゃったの?」
「機体はな。だがシステムは不完全だった。だからその組織の秘密基地は、凪守の急襲チームが突入しようとした直前に、大爆発を起こした……暴走した神影鎧装が、基地を炎の海に変えちまったのさ」
天井の染みを数えるのを止め、辰巳は視線を戻す。
そうして浮かんでいた昆虫のような無表情に、風葉は危うく声をあげかけた。
「この時点で凪守の急襲作戦は、救出作戦に切り替わった。無差別破壊の前じゃあ、敵も味方も無かったからな」
色の無い辰巳の目は、真正面の風葉を見ていない。きっと、どこも見ては無い。
テーブルの上で手を組み、ただ淡々と言葉を吐き出していく。
「だが居たのはどうしようもなく死んでるヤツと、辛うじて死んでないヤツと、神影鎧装の余剰霊力にあてられてイカレたヤツだけだった。その合間にも神影鎧装は破壊活動を続け、あまつさえ神様が垂れ流す霊力のせいで、辺り一帯の霊脈が歪み出していた」
「ど……どう、なったのそれ」
「色々あって、急襲チームが神影鎧装のコアユニットを破壊してな。それでようやく止まった」
「そう、なんだ」
よかった、と言いかけた口を風葉は慌ててつぐむ。
実感こそ湧かないが、人死が出ているのだ。それも、恐らくはかなりの数の。まかり間違っても、口走る訳にはいかなかった。
「そうしてブッ壊れたコアを調べてみると、中から人間が一匹出て来た。恐らく日本人。名前は不明、年齢も不明。一応言葉は通じたが、当人は名前も家族も、何一つとして覚えちゃいなかった」
「そんな……」
「歪んだ霊脈の被害も相当な規模に上ったが、そんなヤツに責任を負わせる訳にもいかない。で、仕方が無いから、凪守はソイツに仮の名前をつける事にした。まず名字は五辻。これは凪守が、色々とワケありの人間を引き受ける時に使われる名字でもある」
「え、っ」
耳を疑う風葉だが、辰巳の表情に嘘や冗談を言っている様子は無い。
戸惑う風葉。しかし次に放たれた言葉は、その戸惑いすらも軽く消し飛ばした。
「そして、名前は――辰巳。急襲チームの潜伏地点が、たまたま襲撃予定だった基地の南東、
「――」
風葉は、声が出せない。
五辻、辰巳。
あまりにも聞き慣れた単語と同じ名前の男は、変わらぬ無表情で、ひたすらに淡々と、独り言を並べる。
「で、まぁ、それから色々あった。具体的には神影鎧装の処遇をどうするか、だな。強力なんだから寝かせておくには惜しい、けれども暴走した場合の責任はどうするのか、って感じだ。それでまた一悶着あってよ。結局、既存の系統とは別に外様の部隊を新設して、そこで運用するって事で落ち着いた。で、その部隊の名前が――」
いったん、辰巳は言葉を切る。
そして、溜息のように吐き出す。
「ファントム・ユニット。知ってるだろ」
「……」
こくりと。
こわばった表情で、どうにか頷きを返す風葉。
それくらいしか、今の風葉には出来なかった。
「俺が地球みたいだ、って言ったな。たった一人で浮いてるって言ったな。その通りだ。俺には身寄りが無い。過去も無い。同僚も皆一歩引いてる。あるのは戦うための知識と技術。それから――」
懺悔するように、辰巳は己の左手を見下ろす。
見た目は、何の変哲もない腕。
だが霊力で編まれた薄皮一枚の下には、本性の鋼が潜んでいる腕。
「――人を殺した、感触だけだ」
「で、でも、それは事故で」
「霧宮さんはさ。人を、潰した事があるかい」
風葉の弁明を遮り、辰巳は手を握りしめた。
「俺はある。大鎧装を、オウガを操ってる時、俺は感覚が一体化してるんだ。不思議だろ、あの馬鹿でかいロボットアームの指先で、俺は物の温度とかを感じられるんだ」
指に入る力。窮屈な感触を返す掌。その全てが造り物の拳を、大鎧装の接続部である部品を、辰巳はじっと見据える。
「だから、今でも覚えてる。あの暖かさ。あの、柔らかさを」
不意に、風葉は気付いた。
辰巳は今、握り締めているのだ。
二年前、誰かを虫のように殺してしまった記憶を。
「け、けど、それは暴走事故だったんでしょ? 五辻くんは悪くないんでしょ!?」
半ば叫ぶ風葉だが、辰巳は左拳から目を離そうとしない。
「そうだな。だが事実は消えない。五辻辰巳は記憶喪失の厄介者で、敵組織の秘密兵器で、自覚無しに霊脈を滅茶苦茶にした殺人犯人だ」
「だ、だからって――」
言葉を詰まらせる風葉。同時に、辰巳はもう一度顔を上げる。
独り言では無い、重要な事実を風葉へ伝えるために。
「ついでに言えば。この暴走事故が起きなければ、
「えっ?」
「言っただろ、霊脈が乱れたってさ。今現在その影響を最も強く受けてるのがここ、日乃栄高校の霊地だ。二年前の事件以後、貯蔵量が不安定に上下する霊地がかなり増えた。そして日乃栄の霊地は、ここ二ヶ月の間に貯蔵霊力が爆発的に上がり始めていた。俺が派遣されたのはそれを守るためだし、スペクターがここに来たのは、十中八九それを狙っての事だ」
「そ、んな」
言葉を失う風葉。
その眼差しには、辰巳の良く知っている色がありありと浮かんでいた。
悲しみ。戸惑い。そして、怒り。
どれも良く知っている。最近こそ薄まってきたが、事件直後はそこかしこから浴びせられた視線だ。
それでいい、と辰巳は思った。
フェンリルという希少な力が憑依しているとは言え、風葉はごく普通の一般人だ。
変な興味を持たれて付きまとわれるよりは、引かれて距離を取ってくれる方が都合が良い。
「ま、そういう事だ。俺には、霧宮さんの言う地球みたいな生き方しか出来ないのさ」
辰巳は席を立つ。
「、あ」
反射的に風葉は口を開く。
だが、何と言えば良いのか、ついぞ思いつかなかった。
「じゃあな。宿題に誘ってくれた事自体は感謝してる」
振り向かぬまま、最後にポツリと本心を残して、辰巳は食堂を後にした。
明日からはもう、まともに風葉と向き合えないだろう――そんな予感を、辰巳は奥歯で噛み潰した。
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