Chapter02 凪守 02

 ファントム・ユニットの司令室は、オフィス用区画の端っこにあった。

「ここだ」

「ここだ、って……」

 思わず、風葉かざはは今しがた通り過ぎた扉を振り返る。結構離れているが、それでも通路奥にある大きな両開きの自動ドアは、ここからでも良く見えた。名前は知らないが、とにかく他の部隊の部屋だ。

 次いで翻り、風葉は正面の扉を見る。

 寮や自宅でよく見る、ごく普通のドアだった。いかにもとってつけたドアノブと蝶番が悪目立ちしている。

「……物置じゃないの?」

「元はそうだったよ。ファントム・ユニットが出来た時に改装されたのさ」

「何でまた?」

「そりゃあ、俺達ファントム・ユニットが問題児の集まりだからさ」

「……なんか、大丈夫なの? 色々と」

 不安になる風葉。その矢先、扉がガチャリと開いた。

「♪~」

 鼻歌を歌いながら出て来たのは、やたら筋肉質の大男だった。

 身長は辰巳たつみよりも大きい。一九○センチは確実にあるだろう。

 やや赤みがかった、燃えるような金髪とアゴ髭。猫のように瞳孔の細い、同じ色の大きな瞳。

 鼻はやたら角張った鷲鼻であり、口は現在進行形の鼻歌に合わせて何かの歌詞を口ずさんでいた。

 肌は浅黒く、破裂しそうな服の下には、力と筋肉が充ち満ちている。

 そんな大男の姿に、風葉は釘付けられた。

 何せエプロンを着込み、掃除機を持っているのだから。

「いや、なんで?」

 固まる風葉の傍ら、辰巳はごく普通に大男へ声をかける。

雷蔵らいぞうさん」

「ん、おお、辰巳! 着いたのか! と言う事は、後ろのお嬢さんが件のフェンリルだな?」

 辰巳の存在に気付いた大男――もとい雷蔵は、その巨体にふさわしい胴間声で風葉を迎えた。

「いやぁ重畳! 今丁度掃除が終わったところでな!」

「掃除、してたんですか」

 おっかなびっくりな風葉に、うむ、と雷蔵は頷く。

「客人が来るなら、いつも以上に清潔にしとくのが当然じゃろう? さて、儂は茶の準備をして来るからの。辰巳共々ゆるりと待たれよ」

「あ、はい」

 思わず即答してしまった風葉を背に、雷蔵はのしのしと廊下を歩いて行く。良く見れば、掃除機は高性能で有名なサイクロン式だった。

 その背中が曲がり角に消えてから、ようやく風葉は辰巳に聞いた。

「……ねぇ、五辻くん、あのひとは?」

西脇雷蔵にしわき らいぞう。俺の同僚で、コールサインはファントム2。一番家事炊事が得意な人さ」

「なんか、すごく、見かけによらないひとだね」

「是非言ってあげてくれ。凄く喜ぶ」

 言いつつ、辰巳はファントム・ユニット司令室の扉を開く。

「さ、こっちだ」

「あ、うん。えーと、おじゃまします?」

 おずおずと扉を潜る風葉。

 そうしてやって来たファントム・ユニット司令室は、何だか教室に似ていた。

 二年二組より一回り手狭だろうか。正面の壁には黒板のように大きなモニタがはめ込まれており、教卓を思わせる位置に大きな机がどんと置いてある。白い素材で出来た、丸っこい角の机だ。

 更にそれと同型の机が三つ、正面の机と向かい合うように並べられており、なんだか複式学級の教室のようにも見えた。

 そんな四つの机には、意外にも誰も座っていない。室内に視線を巡らせても、目に止まるのはすぐ左手で天井を突いている大きな間仕切りくらいだ。

 あれ、と風葉が首を傾げるのもつかの間、間仕切りの向こうから唐突に男の声が響く。

「こっちだよーん」

 響いてきたのは先日辰巳が通信していた相手、ファントム1の声。それに従い、風葉は間仕切りの向こうに回り込む。

 そこにはガラス製のテーブルと、それを囲むように置かれた革張りのソファ四脚があった。どうやら簡易な接客スペースになっているようだ。

 ガラステーブルは長方形で、天板の短い側に一人がけ、長い側に三人がけが向かい合っている。

 そして男が二人、座ったまま風葉達を見上げた。

「やー、遠路はるばるごくろうさん。まぁまずは座ってくれ」

 その片方、一人がけのソファに座っている男が片手を上げた。聞き覚えのある声だった。

「え、と。初めまして。ファントム1さん、ですか?」

「そーだよー。ま、そう呼ばれるのはちょいとくすぐったいけどねー」

 屈託なく頷くその男――ファントム1を、風葉はおずおずと観察する。

 年はおそらく三十代前半。服装は今まで見た凪守なぎもりの職員と同じ、紺青色の六つボタンスーツ。大体の目算だが、身長は多分辰巳よりも少し小さい。体躯もやや細い。

 黒い頭髪は長い、というより伸ばし放題にしている感じだ。輪ゴムで適当にひっつめられた後ろ髪が、背もたれにだらりと垂れ下がっている。

 前髪もやはり同様に長く、右目は完全に隠れている。左目はどうにか見えているが、その眼差しはどうにも眠そうだ。

 アゴの無精髭も相まって、何というか、緩んだネジのような男だった。

「さて。いつまでも横文字で呼ばれるのも何なんで、自己紹介させてもらうよ。僕は五辻巌いつつじ いわお。一応、このファントム・ユニットを総括している男だ」

「あ、これはご丁寧に……って、五辻?」

 思わず、風葉は辰巳の姿を探す。いつの間にか右手側の長ソファに腰掛けていた辰巳は、先んじて頷く。

「ああ。俺の――保護者、だな」

 家族、とは言わない曖昧な返答。風葉も二人の顔を見比べるが、確かに似ているとは言えない。

 何か、事情があるのだろう。

「あ、の」

「それはともかく辰巳、いつまで僕を待たせる気だい?」

 風葉の言葉を遮り、今度は左手側のソファに座る男が声を上げた。

 男、といってもとにかく若い。少年と言っても良いくらいに若い。少なくとも風葉より三つは下だろうか。

 一応凪守の制服を着てはいるが、サイズがあってないらしく袖の辺りがぶかぶかしている。

 シミどころかホクロ一つ見当たらない肌は、白磁、と言うより病的に真っ白い。だがそれがかえって紫色の猫っ毛と、大きな金色の瞳を浮き彫りにしている。

 鼻梁は当然のように細く高く、小さな唇は血のような赤色。

 そんな、控えめに言っても美少年と呼んで差し支えない彼は今、尊大に腕と足を組みながら辰巳に流し目を向けていた。

 漂っている奇妙な色気にドギマギする風葉だったが、それを向けられた当の辰巳は大した感慨もなく、軽いため息すらつきながらビニール袋を持ち上げる。

「これだろ、メイ

 言いつつ、辰巳はテーブルの上にビニール袋の中身――すなわち、桜餅のパックを置いた。

「と、言う事は、キミがファントム3?」

 目を丸くする風葉。

 確かに通信越しに聞こえた声は若そうだったが、それにしてもここまでだとは思わなかったのだ。

メイ・ローウェルだ」

 と、端的に名乗った冥は満足そうに桜餅を眺めつつ、しかし手を出そうとはしない。

「食べないのか?」

 ビニール袋を折り畳む辰巳に、冥はフンと鼻を鳴らす。

「解ってないな。和菓子は緑茶という相方があってこそ本当の輝きを見せるのだ」

「ああそう。雷蔵さん待ちな」

 さした感慨もなく、小さくなったビニール袋をポケットにしまう辰巳。丁度その時、司令室のドアが開いて雷蔵が入ってきた。

「おう、待たせたのう」

 左手にポット、右手に急須やら湯飲みと言ったお茶セット一式が乗るお盆を持った雷蔵は、テキパキとお茶の準備をしてから辰巳の隣に腰を下ろす。ちなみにお茶菓子は辰巳の買ってきた桜餅である。

 かくして満席となった応接スペースで、巌はお茶を一啜りする。

「なーんか面接みたいだねー」

「それにしちゃ人数多すぎだろ」

 まぁねー、と辰巳の指摘を受け流し、巌はソファ脇においてあったブリーフケースへ手を伸ばす。

「さて、そいじゃ始めますかねー。まずは日乃栄高校の霊地へ現れた敵性魔術師、仮称スペクターへの対策だ」

 言いつつ、巌はブリーフケースから書類を取り出して全員に配る。

 右肩をホチキスで留められたA4のコピー用紙は、巌が言った通りスペクターに関する情報が簡潔にまとめられていた。

「ま、会議ってもそんな堅いもんじゃないからさー。取りあえず、霧宮くんはお茶でも飲みながら気楽に聞き流しててよー」

「あ、はい」

 頷く風葉。議題と書類の内容は大変真面目なのだが、それを配った当人がもしゃもしゃと桜餅をかじっているので、いまいち緊張感に欠けていた。

「さて。まずは一ページ目、先日の会敵時に幻燈結界げんとうけっかいが発動してからの一部始終をまとめてあるワケだが、辰巳、間違いないか?」

「……ああ、おおむねこの通りだ」

 書類を目で追いつつ頷く辰巳。風葉も手元にある書類を見てみると、そこには確かに昨日の戦いの流れが、大まかにだが書き記されていた。

 ファントム4が未確認の高霊力保持者を保護。緊急用の幻燈結界が展開。

 仮称スペクターと会敵。交戦。撃破。

 キクロプス出現。オウガローダー出動。キクロプス、並びに眷属の竜牙兵ドラゴントゥースウォリアーを調伏。

 素人の風葉が見ても間違いない、確かな戦闘記録だ。

 その記録を見ながら、雷蔵は首を捻る。

「ふむ。にしても此奴は訳が分からん行動をしとるのう。一体何がしたいのだ?」

「うん。僕も一晩考えてはみたんだけど、今ひとつまとまらないんだよねー。あ、おかわり貰える?」

 空になった湯飲みを雷蔵に渡しつつ、巌は淡々と推論を並べる。

「どんな行動であれ、根底には必ず理由がある。腹が減ったからメシを食う、眠いから寝る、ヒマだから遊ぶ、とかねー。でもスペクターの行動や言動からは、どうにもそれが見え辛いんだなコレが」

「そのようじゃのう、と。ほれ二杯目」

「おう、あんがとさん」

 注ぎ終わったおかわりを巌に渡しつつ、雷蔵は口を挟む。

「しかしだ。ならば、スペクターにこんな行動を起こさせた元凶、黒幕が居るのでは無いか?」

「うん、そう考えれば取りあえず辻褄は合うよねー。誰かがスペクターに、凪守へケンカを売らせる理由を提供したワケだ。ま、よーするに鉄砲玉だなー」

「おおっぴらに騒ぎを起こすワケにはいかないから、か。だが、だとしたらなぜ元凶はそんな回りくどい真似をする? てか、そもそもホントに元凶なんているのか?」

 憮然と言いつつ、辰巳もお茶を一口啜り、すぐさま口を離した。実は結構猫舌気味らしい。

「うんうん、その疑問ももっともだ。と言うわけで次のページを見てくれ」

 ペラリとページを捲る一同。次項にはあの時スペクターが発動した鎧装展開術式、フェンリルの写真と推測データが載っていた。

 小さいが、それでも細部が良く分かるその写真に、風葉は首を傾げる。

「これ、いつ撮ったの?」

「ああ、俺の鎧装のバイザーは、霊力センサー意外にも色々機能があるんだ。カメラ機能ももちろんあるさ」

 さらりと言ってのける辰巳の隣で、巌はフェンリルの写真をぺちんと弾く。

「コレ、こいつが使ってる鎧装展開術式。良く考えるとおかしいんだよねー。霊力で武具を造る、って言う発想自体は随分昔からある。けど、コイツはいくら何でも常軌を逸してる」

いずみ……ええと、私の友達ごと変わったからですか?」

 分からない事は未だに多いが、それでも他人事ではない内容に、風葉は怖ず怖ずと疑問を挟む。

「ふふ、確かにそこも特徴的な部分ではあるねー。けど、本質的な問題はそこじゃない。人体の造りを大きく逸脱しているトコさ。ところでおかわりヨロシク」

「飲むペース早いですね」

 反射的に突っ込んでしまう風葉。だが巌は気にしない。

「いやーお客さんが居ると緊張しちゃってねー」

「いつもこれくらいだろ」

「そーだっけ? まぁ健康には良いんだからいいじゃん」

「ほれ、駆けつけ三杯」

「お、あんがとさん」

 雷蔵から三度目の湯飲みを受け取り、マイペースに説明を再開する巌。

「さて。見た目はどうあれ、鎧装ってのは基本的に武具だ。武具ってのは、つまるところ人間が扱える形をした道具だ。で、その前提を踏まえた上で、もっかい資料を見てみよーか」

 そう言って巌が皆の視線を動かした矢先、辰巳がおもむろに口を開いた。

「……断じて武具なんてもんじゃなかったな、アレは。明らかに身体そのものが変質していた」

 フェンリルと実際に拳を交えた辰巳は、コメカミを小突きながら昨日の戦いを思い出す。

「どんな魔術師だろうと普通の人間である限り、人間のカタチを大きく変えるような鎧装――手足を増やしたり、尻尾を生やしたりするような鎧装を使う事は出来ない。それが出来るのは、何らかの方法で、普通を止めちまったヤツだけだ」

 一瞬、辰巳の瞳から色が消える。

 プラスチックのように硬質な眼差しは、戦場に立っていた時と同じ形をしている。

 だが、どうしてそんな顔をするのか。

 確かめる暇も無く、続く巌の説明が疑問を押し流していく。

「そう、この鎧装を使った術者は普通じゃ無い。だからこそ、炙り出た下手人の名前に信憑性が持てるんだよねー」

「名前……えっ!? ど、どこ!?」

 反射的に視線を落とし、書類の文章を流し読む風葉。目当ての名前はすぐさま見つかった。

 ギノア・フリードマン。

 横文字の名前が示す通り、出身は日本では無くアメリカ。

 祖国で魔術の基礎を学んだ後、アイスランドに渡って北欧神話系の秘蹟を習熟した、らしい。

「日乃栄高校地下の霊地に残ってた魔術の痕跡、辰巳から貰った戦闘記録、特に肉声。そういった情報を凪守のデータベースに照合してみたら、案外サックリ出て来たんだよねー」

「って、ここまで分かってるなら早く捕まえてくださいよ!」

 思わず声を荒げてしまう風葉だったが、巌は緩んだ態度を崩さぬまま首を振る。

「そーできればこっちとしても楽だったんだけどねー。もう少し読んでみてくんない?」

「……?」

 憮然としながらも書類に視線を戻し、風葉は資料の残りを読み進める。

 素人なので功績や戦績の意味はさっぱり分からないが、それでも最後の項目に書かれていた表記は、風葉の目を止めた。

 1962年11月3日、第一次Rフィールド殲滅作戦において、戦死。

「戦……えぇっ!?」

 顔を上げる風葉。巌は頷く。

「そういうコト。死体そのものは当時に確認済らしいよー。だから悪霊スペクターって名乗ったのは、案外マジなのかもねー」

「当時に何らかの魔術を使って、自分の魂をどこかに移していた、って事か?」

 辰巳の疑問。巌は頷く。

「多分ねー。で、逆説になるけどこれでフェンリルを鎧装みたく使えてた説明がつくよ。肉体を捨てて、魂だけの存在になってたワケだ。だから人のカタチを無視した鎧装を着込めたんだねー。でもこれじゃ、悪霊スペクターってよりも死霊術師リッチだねー」

 はっは、と緩やかに笑う巌。雷蔵は桜餅をかじる手を止める。

「ふぅむ。理屈は通ったが、それでも第三者の影は見えんな。そも、半世紀近く前の死に損ないを引っ張って来た理由は何だ?」

「さーて、その辺は何ともねー。それを掴ませないための鉄砲玉なんだろーし」

 飲み終えた湯飲みを手の中でもてあそびつつ、巌はそれとなく付け足す。

「……あるいは、僕ら自体に用があるのかもね」

 ぴく、と動きを止める辰巳。

 それをあえて無視するかのように、雷蔵は腕を組む。

「だが、スティレットは――」

「うん、二年前に壊滅してるハズだよねー。ま、これ以上考えても答えは出ない。調査の継続は当然として、当面はどっか余所の組織が神影鎧装しんえいがいそう計画を嗅ぎ付けてやっかんでるコトにしとこう」

「良いんですか、それで」

 あまりなテキトーぶりに思わず心配する風葉だが、巌は変わらずはっはと笑う。

「今までも何とかなって来たし、これからもどうにかなるさ……さて」

 唐突に笑いを打ち消し、巌は脇のブリーフケースにもう一度手を伸ばす。

「キリが良いとこだし、次の話に移ろうか。霧宮くんに憑依した方のフェンリルについてだ」

「!」

 反射的に姿勢を正す風葉。その仕草に微笑みつつ、巌は小さな箱を取り出した。

 それを、風葉へ手渡す。

「まずはそれを開けてくれ」

「あ、はい……なんだろ」

 少しわくわくしながら、風葉は箱を開ける。

 中には、二十センチくらいの革紐が一本入っていた。焦げ茶色で、幅は三ミリくらいで、中々柔らかい。

 それを風葉はつまみ上げ、たっぷり一分ほどしげしげと眺める。

「……あの、なんなんですか、これ」

「グレイプニルのレプリカだねー。北欧神話の中でフェンリルを押さえつけてた魔法の紐の模造品さ。取りあえず、それで髪を結んでみたら良いんじゃ無いかな。霊力を押さえられるハズなんだよねー」

「!」

 巌の説明を聞くや否や、風葉は手早くポニーテールをヘアバンドからグレイプニル・レプリカを結わえ直した。

「ほれ鏡」

 間髪入れずに手鏡を向ける雷蔵。

 鏡に映る風葉の髪は、ようやくいつもの黒髪に戻っていた。犬耳も綺麗サッパリ消えている。

 念のため前髪を一筋つまむが、やはりどう見ても黒にしか見えない。

 たった二日。それでも二日。遂に戻った自分の髪に、風葉は快哉を叫ぶ。

「や……やった! ありがとうございます!」

「はっは。どういたしましてー、と、素直に返せたら綺麗に終わったんだけどねー」

「え。何か、問題が?」

「うん、主にこっちの事情がねー。霧宮くんに取り憑いてるまがつ――フェンリルは、消えた訳じゃないんだなー。グレイプニルが霊力を押さえて見えなくしてるだけなのさー。だから、外すと元に戻っちゃうんだよねー」

「ええっ」

「いやさ、消滅させるだけならすぐ出来るんだ。そも、禍祓いは僕ら陰陽師の本業だからねー。けど、それがフェンリルとなると事情が変わって来るんだなー」

「……話すのか? Rフィールドの事」

 怪訝顔で口を挟む辰巳に、巌は頬杖を突く。

「そりゃある程度は知識が無いと、何が危ないのかわかんないだろー? ましてや世界中で垂涎の的なんだぜー、霧宮くんは」

「ええっ!?」

「霧宮さんに憑依したフェンリルが、だろ。変な言い方するなよ」

 憮然とする辰巳。巌ははっはと笑う。

「いやぁすまないね。紛らわしい言い方をするのは僕の趣味なんだ」

「止めましょうよそんな趣味……?」

 はた、と思い止まる風葉。確か昨日、似たようなやりとりを辰巳としたような憶えがある。

 ホントにどういう関係なのかな――と、同じ名字をした二人を思わず見比べる風葉。

 そんな疑問を露とも知らず、巌は続ける。

「さーて、まずは質問だ。霧宮くんは霊地に関してどこまで知ってる?」

「え? えぇと、人の無意識が集まって出来る場所、くらいしか」

「うん、そこまで分かってりゃ十分だねー。Rフィールドってのは、その霊地の馬鹿でっかいヤツなのさー」

 どこか遠くを見つめながら、巌は続ける。

「1962年10月14日、冷戦下の状況で世界中がピリピリしてた中、キューバ危機って言うとんでもない事態が起きたワケだけど、知ってるかい?」

「あ、う。名前は知ってますけど、中身まではちょっと……」

 バツが悪そうにお茶をすする風葉を、雷蔵がフォローする。

「アメリカのすぐ南にある小さな島国、キューバにソ連の核ミサイルが配備され、あわや第三次世界大戦が起きる直前まで行った事件じゃのう。紆余曲折の後、二週間後の28日にミサイルは撤去され、大戦は回避されたのじゃ。世間一般ではな」

「この事件は当然、世界中から注目を集めた。そのせいでキューバの周辺には、世界中から膨大な霊力がいきなり集まっちゃったのさー。不安とか、恐怖とか、そういう良くない類いの想念がねー。で、そうした霊力はさほど時間を置かずに実体化したのさ」

 言いつつ、巌は滑らかな手つきでテーブル上の書類をめくる。すっかり忘れていたそれを風葉もめくると、そこには異様な写真が写っていた。

 一言で言い表すなら、それはドームだった。

 薄墨に染まった海の只中に、赤色の半球が浮いていたのだ。

 だが建物では無い。何か、巨大な光の塊――強いて言えば昨日、日乃栄高校の中庭で見た光柱に似ているが、いかんせん規模が違う。

 手前に写っている模型サイズの駆逐艦が本物ならば、優にキロメートル単位の大きさのはずだ。

「これが、その……?」

「そ、キューバ危機で出来ちゃった霊地さ。直径約10キロに及ぶこの霊地は、当時の世界中の不安、恐怖、怒りが収束されてた。まぁー当時の人からすりゃ生きた心地なんてしなかったろうしねー。何せ第三次世界大戦の瀬戸際だった訳だからさー。だから――」

 頬杖を突くのを止め、巌はまっすぐに風葉を見据える。

「――そこから生まれちゃったのさ。擬似的にとはいえ、北欧神話に記された世界の終焉ラグナロクがね。で、その頭文字を取ってRフィールドってワケ」

「ラグ、ナロク」

 聞き覚えだけはうっすらとあるその単語を、オウム返しに風葉は呟く。

「正確にはその一説、炎の巨人が出現しただけだったんだけど、それでもまぁ被害は甚大だったらしいよ。幻燈結界だけはどうにか間に合ったものの、三度に渡る殲滅作戦は全て失敗。それでも四度目で何とか安定化させる事だけは出来たのさ」

「安定化、だけ、と言う事は――」

「そ、Rフィールドそのものは未だに存在してるんだよねー。ある程度薄まったとはいえ、今も世界中から不安とかの霊力を集めてる真っ最中なのさー」

「だ、大丈夫なんですか?」

「ま、その辺は心配しなくても良いんじゃないかなー。理由はどうあれ、今のRフィールドはただのでっかい霊地だからねー。で、ここからが本題なワケだけど、その前におかわり」

「まったくよう飲むのう」

 少し呆れつつも、雷蔵は空になった湯飲みを受け取る。

「さて、そんなRフィールドを殲滅させよう、って作戦自体は今も続いてるんだよねー。で、そのために必要なのがフェンリルなワケさー」

「犬耳が、ですか?」

「そ。正確には『ラグナロクに幕を引く役目を持ってる』事そのものだね。この属性を術式で補強拡張変換その他諸々色々と加工して突っ込んで、Rフィールドを部分的に、少しずつ切り取って行こうって寸法さ」

 出がらしになった茶葉を入れ替え、手早く急須にお湯を注ぐ雷蔵を横目に、巌は続ける。

「そうすれば、Rフィールドもただの霊力として還元していける――つまりフェンリルは世界的な危険物を、無害かつ莫大なパワーソースへ変換できる、とんでもなくオイシイ代物なのさ。注目度ウナギ登りなのも当然だねー」

「これに、そんな事が……」

 思わず頭上に手を伸ばす風葉だったが、今そこに犬耳は銀髪共々存在していない。仮に見えていたとしても、今の風葉には触れなかっただろうが。

「もっとも、今の霧宮くんには無理だよ。色々と手順があるからね」

「ほれ四杯目」

「あんがとさん……さて、後はフェンリルでRフィールドを使い切ってしまえば危機は去るワケだけど、簡単にはいかなかった。何せ安定化って言っても、その手段は『世界規模で北欧神話系の術式を抑制する結界を張る』っていう荒療治だったからねー」

「……?」

 いまいち説明が飲み込めず首を傾げる風葉に、辰巳が横から補足する。

「つまり、北欧神話そのものに妨害電波をぶつけたのさ。山火事を消すために、その山一帯から酸素を消し飛ばしたようなもんかな」

「けど、そんな事をすれば山の生き物もみんな死んじゃうよねー。それと同じでさ、今現在、北欧神話系統の術式はほとんど使えなくなっちゃってるんだよねー。他の術式を試そうって話もあるんだけど、それで安定が崩れたら元の木阿弥だから、こんな現状で落ち着いちゃってるワケだ」

 はぁ、と頷く事しか出来ない風葉。

「でも、私のコレは、そのフェンリルなんですよね?」

「そ、どういうワケかね。凪守としてもそれを見逃す理由は無くてさー。だからただ祓うんじゃなくて、抽出したいワケなのさ」

「……そう、ですか」

 むむ、と微妙な顔になる風葉。さもあらん、今日でおさらば出来ると思っていた犬耳銀髪と、まだ向き合わねばならなくなったのだから。

 そんな心境を察したのか、巌ははたはたと手を振る。

「あー、心配はいらないよ。グレイプニルの効力がある限り、憑依状態が現状を超える事はありえないからねー」

「そもそも、霧宮さんの憑依状態はかなり浅いよ。完全に憑依が進行すれば耳が触れるようになったり、目の色が変わったり、尻尾が生えたりする筈だし」

「うむ。仮に外しとったとしても、自分から『力が欲しい』と強く願いでもせん限りは変わらんはずじゃぞ」

「あ、そうなんだ」

 でも尻尾が生えたらもふもふだったのかなぁ、と思うと少し残念な気もする風葉だった。

「さて。そういうワケなんで不便をかけるけど、フェンリルの抽出準備が整うまではもう少しグレイプニルをつけてて欲しいんだなー」

「……そう、ですね。分かりました」

 納得半分、諦め半分と言った体で頷く風葉。

 その隣、今まで沈黙を保っていた冥が不意に口を開いた。

「うむ、流石はやまと屋だ。良い仕事をする」

 満足げにお茶をすする冥。手元の桜餅が無くなっている辺り、会議そっちのけでじっくりとやまと屋の仕事を堪能していたらしい。

「気にせんでくれ、コイツはいつもこうだから」

 風葉の視線を察知した辰巳は、そう言って一気にお茶を飲み干した。


◆ ◆ ◆


 その後小一時間ほど会議は続いたがそれ以上の発展は無く、進行役の巌が飲み過ぎで色々ともよおしたので、そこで休憩となった。

 それから天来号てんらいごうの食堂で昼食をとり、宇宙の眺めを堪能した後、風葉は翠明寮の自室へ戻った。ファントム・ユニットの会議自体はまだ続いている。だがこれ以上は風葉が居ても仕方ないので、先に返されたのだ。

「ただいま……」

 力なく204号室のドアを開けた後、まっすぐにベッドへとダイビングする風葉。

 もふ、といつもの柔らかさを返してくる白い毛布だが、それでも気疲れした頭の重さはとれない。

 さもあらん。成り行きで生えた犬耳に、世界中が注目しているらしい事を聞かされたのだから。

「に、しても」

 ごろりと毛布の上を転がりながら、風葉は少し考える。

「何か、忘れてるような……あ」

 そこで風葉は思い出す。

 この部屋を出る直前、辰巳の様子が妙な理由を、誰かに聞こうと思っていた事を。

「……まだいいよね、今は」

 頭がごちゃごちゃして何も考えたくない風葉は、全ての疑問を頭の片隅に追いやり、目を閉じた。

 疲れたままじゃ、まともに思考は回らない。

 辰巳や犬耳のコトを考えるのは、調子が戻った後だ――そう自分を納得させながら、風葉は眠りに落ちた。

 その何気ない善意が、巡り巡って自分の運命を大きく変える事も知らずに。

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