Chapter01 邂逅 02
どうして
その訳を
第三者が先んじたからだ。
「ほほぉ、お見事お見事。さすがは
ぱんぱん、と聞こえて来る乾いた拍手。耳障りな音源は、当然ながら窓の外。
辰巳は弾かれたように、風葉はぎくしゃくと、それぞれ横手の窓を見る。
現れた第三者、鹿島田
破壊された分枝など意に介さず、未だ虹色の明滅を繰り返している光柱の表面。
薄ら笑いを浮かべる泉は、そこから辰巳達のいる窓を見上げていたのだ。
光柱の表面へ、重力に逆らって、地面と平行に立ちながら。
「ん、な」
もはや異能の力を隠そうともしない友人に、名前を呼ぶ事すら忘れてよろよろと後ずさる風葉。
そんな風葉を庇って一緒に後退しながら、辰巳は左腕の腕時計を泉へ向けて掲げる。
「機密対魔機関凪守、特殊対策即応班『ファントム・ユニット』所属、ファントム4」
辰巳――もとい、ファントム4の名乗りに応じるかのごとく、ギラリと光る左手首の青石。
その輝きを突きつけられた泉は、それでもなお笑いを崩さない。
「これはご丁寧にどうも。ワタクシは……そうですねぇ、スペクターとでもお呼び下さい」
丁寧かつ優雅な一礼を返す泉――もとい、スペクター。
「スペクター……取り憑く悪霊、か。フン」
つぶやく辰巳。スペクターと名乗る何者かが、名前通りに泉の意識を乗っ取っているのは間違いない。
ならば、その足元で流動し続けている虹色の光柱は一体何なのか。
おおむね察しはついているが、それでも辰巳は確認する。
「あえて聞こう。この
「えぇ。お察しの通り」
頷いて、スペクターはまたもや指をぱきりと鳴らす。
リザードマンの時と同じように盛り上がる虹色は、今度は先端に立っているスペクターごと、ゆっくり窓ガラスを透過していく。
悪夢、と言うには少々シュール過ぎる光景に、風葉は軽い目眩を覚えた。
「さっきの怪物もそうだけど……窓ガラスって、通り抜けられるものだったっけ」
「まさか。
端的な辰巳の説明に、あ、と風葉は思い至る。
つい先程、自分も
「ちなみに幻燈結界に引き込まれなかった連中は、その瞬間に記憶を改変される。今頃二年二組は今までの騒ぎを全部忘れて、普通に授業が始まってるだろうよ」
「あ、そうなんだ。ちょっと安心」
ホッと胸を撫で下ろそうとした風葉は、しかしその手を慌てて止める。
「け、けど何のために? そもそも霊力って何なの?」
「それは霊力が、なんでも出来るパワーソースだからですよ」
疑問に答えたのは、意外にもスペクターの声。丁度窓ガラスの上へ立つ格好になっていた彼女は、そのままひょいと跳び下りた。
ぺたし、と幻燈結界に染まった廊下を踏みしめるサンダル。もう重力に逆らうつもりはないらしいスペクターは、再び侵食した虹色の壁を背後に、改めて二人と対峙する。
「霊力とは、人の持つ想念の力であります。魔力とも言いますな。しかるべき手順さえ踏めば、なんでも出来るのです。比喩でなく、言葉通りにねぇ」
身振り手振りを交えつつ、端的な説明をするスペクター。
十メートルほど離れた位置でそれを見る辰巳は、疑念に眼を細めた。
何の目的でそんな話をするのかは分からないが、内容自体に嘘はない。
例えば、一定値以上の霊力保持者とそれ以外を擬似的な異空間に隔離する幻燈結界。
例えば、事前に設定していた戦闘服を瞬時に転送する
例えば、元あった肉のそれ以上によく動く鋼の左腕、等々。
例を上げればキリが無いが、大雑把に言えば霊力の本質はたった一言で事足りる。
すなわち。霊力とは、幻想で現実を塗り潰せる絵の具なのだ。
だが。
「そのためには必要なものが二つある。一つは、やりたい事にきっちり対応した術式だ」
カンバスへ絵の具を塗るためには、当然ながら筆が必要になる。その筆こそ、辰巳が今言った術式だ。
祝詞、呪文、魔法陣。一般には神秘や秘蹟と呼ばれている、霊力を操る
先に上げた鎧装展開システムや、辰巳の左腕といった機械義肢も、元をたどればこうした術式の延長に当たる。
霊力を電気とするなら、術式はそれを原動力とする機械だとも言える。当然、使用目的によって動くのに足る電力量――もとい、霊力量も変わって来る。
そしてスペクターは、何らかの術式を動かすために、大量の霊力を無断で引き出している。
更に表面の虹色の流動具合から、こうしている今も何らかの術式が組み上げられている公算が高い。
「一体、何をする気だ」
視線は前に固定したまま、辰巳は窓の外を指す。
噴出と拡大は流石に止まっているが、それでも直径十メートル近い柱が天を衝いている光景は、横目だけでも十分に見て取れた。
更にこの光柱だけではない。風葉に何らかの
ろくでも無い事をしようとしているのは、もはや考えるまでもない。
「単に霊地を使いたいだけなら、凪守の管理部門に申請すればいいだけの話だ。だがそれをせず、力づくで抽出を強行している。何のためだ」
「無論、夢のためです」
「……は?」
突飛なスペクターの即答に、流石の辰巳も鼻白んだ。
「ワタクシには、亡くした夢がありました。ワタクシの命ごときより遥かに重いそれは、もう二度と取り戻せないのだと思っておったのですよ。つい最近まではねぇ」
熱く語るスペクター。泉なら絶対に浮かべないだろう、歪んだ笑みをたたえた双眸が、なぜか風葉を捉えた。
より正確に言えば、風葉の銀髪と犬耳を。
「え、えっ?」
反射的にみじろぎする風葉だったが、スペクターの語りはますます熱を帯びていく。
「夢! それは生きるための重要なエネルギー! 人生そのものと言ってもいい! ワタクシは文字通りに死んでいた! だが! 今! 取り戻す準備が整った! アナタの! フェンリルのおかげですよ!」
大の字に両手を広げ、呵々大笑するスペクター。その異様なまでの高揚ぶりを、しかし辰巳は見ていない。
「何!?」
驚き、振り向く辰巳。だが当の風葉には予備知識がまったく無いため、自分に焦点が当たっているらしい、という事以外分からない。
せいぜい分かったのは、辰巳の瞳から無機質な冷たさが消えた事くらいだ。
「あ、ちょっと安心」
「何を言ってるんだ
「そう、フェンリル! すなわちコレですよぉ!」
ぱぁん、と一際大きな柏手が響く。スペクターが広げていた両腕を打ち鳴らしたのだ。
驚き、視線を戻す辰巳と風葉。
そこには、合掌したまま歪んだ笑みを浮かべているスペクターと、奇妙な形状の魔法陣が待っていた。
「なに、あれ」
風葉の視線を釘付ける魔法陣は、スペクターの背後。今もなお虹を流動させている、壁の上に刻まれていた。
泉の身長を二回りほど超えている円陣は、どこか精密回路にも似ている幾何学模様の中に、輝く黒色を脈動させている。
露骨なまでに霊力の流れを浮き彫りにする、何かの術式。
それが一体何なのか、辰巳は良く知っていた。
「鎧装展開術式……!?」
色や細部の造りこそ違うが、間違いない。
スペクターは、憑依している泉ごと、本格的な戦闘態勢に入るつもりなのだ。
「――ッ!」
そんな事を許すわけにはいかない。発動する前に、何としても潰す。
即座に突撃すべく、姿勢をかがめる辰巳。だがその一歩が踏み出されるよりも、スペクターの術式が先んじる。
「鎧装ぉぉぅっ! 展開ッ!」
黒が、一帯を蹂躙した。
掛け声を合図に黒い魔法陣から噴出した霊力の余波が、三百六十度余すこと無く突き抜けたのだ。
スペクターの叫びと共に放たれたそれは、日乃栄高校の廊下のみならず、辰巳や風葉の視界までも真っ黒に塗り潰す。
「きゃあ!?」
「むっ!?」
即座に足を止め、防御姿勢に切り替える辰巳。
泉の位置は把握できているとは言え、闇雲に突っ込めばそれこそ相手の思う壺だ。
故に全神経を尖らせ、辰巳は視界が晴れるのをじっと待つ。
光であれ影であれ、鎧装展開術式の目眩ましは、鎧装を呼び出す際の余剰霊力を放射しているに過ぎない。すぐ消える。
「くらーいー!?」
それを知らない若干一名が背後でうろたえていたが、辰巳は微動だにしない。
かくして数秒後、真夜中のような黒色は急速に消え始める。
読み通りだった辰巳はまっすぐに、翻弄されるままの風葉は恐る恐ると、夜の開けた廊下を見やる。
虹の壁は、消失していた。
泉の姿も、消失していた。
代わりに居たのはただ一匹の、異形の怪物だった。
「……え、えっ?」
風葉は目を擦る。次いで、つい十数秒前まで友人が居た場所に立っている異形を、まじまじと観察する。
身長は、優に二メートルはあるだろうか。白い毛むくじゃらの体表と、丸太のように太い手足。
指先は手足ともども鋭い爪が伸び、腰の少し下辺りから長い尻尾が生えている。
だが何より風葉を釘付けたのは、その顔だ。
頭上に生える三角形の耳、円錐のように細長い相貌、炎のような赤色を覗かせる切れ長の口。
それは明らかに、狼の顔であった。
「な、なんで」
訳も分からず狼狽する風葉を見据えながら、訳知り顔でニタつく狼人間。
その耳まで裂けた大口が、掛け値なしの喜びに歪んだ。
「そう! これこそがフェェェェンリル! ワタクシの夢へと続く第一歩であり! アナタから頂いた素敵で素敵な力なのですよ!」
口中に並ぶ牙のせいで多少くぐもっているものの、紛れも無いスペクターの声で叫ぶ狼人間――もとい、フェンリルは、三日月のような笑みを風葉に向ける。
さりとてその意味や真意が分かるはずもなく、風葉はただひたすらに萎縮する。
「ど、どういう事なの?」
「……霧宮さん。ひょっとして、泉さんとやらに頭を触られたりしなかったか?」
振り向かない辰巳の問いかけに、風葉はすぐさま頷く。
「あ、うん。朝、洗面所で、ちょっと」
「やっぱりか」
一人納得する辰巳。
そもそも、なぜスペクターは泉に憑依したのか。
十中八九、術式以外にもう一つ必要なものを調達するためだ。
すなわち、生きた人間そのものである。
通常、人は微々たる霊力しか持っていない。これは生成出来ないから、というわけではない。
霊力とは思念、意志、心の力だ。なので誰でも持ってはいるのだが、操る術を知らなければ、無形のまま放出され続けるしかないのだ。
そうして流れ出た霊力は、寄り集まりながら地形に沿って川のような流れを作り、やがて湖のような溜まり場を作る。
そうして出来上がるのが、辰巳が何度か口走った霊地という訳だ。日乃栄高校の敷地もこれに当たる。
場所にもよるが、霊地は基本的に膨大な量の霊力を保持しており、辰巳はその警護を仕事の一つとしていたのだ。
なので辰巳は霊地の扱いについても熟知しており、こうして全てを察せたのだが、そんな肩書きのない風葉には当然分からない。
「何? 何なの? そんなに枝毛がまずかったの?」
「まさか。ついでに言うと、犬耳の方も関係ないぞ」
まずかったのは、泉が風葉の髪を触ったこと、それ自体だ。
無形の霊力と言えば聞こえは良いが、要するに霊地とは人の雑念の吹き溜まりだ。言わば原油のようなものであり、精製するには霊力を操れる技術を持った人間が、フィルタとなって雑念を処理せねばならない。
スペクターが泉の意識を乗っ取ったのはそのためだ。霊体のままでそんな事をすれば、無形の霊力の中へ自分自身が溶け消えてしまうからだ。
無論、一般人の霊力量で目を付けられるはずはない。恐らく普段の泉なら、スペクターの声を聞く事すら出来なかっただろう。
だが、一時的に霊力が高まっていたとすれば話は別だ。
そう、例えば。元の色を塗り替えるくらい、強い霊力を保持した髪の毛を触っていたりしたら。
目を付けられるには、十分な理由だったろう。
「にしても、枝毛を見つけられるくらいじっくり触られてたのかい」
「え? う、うん。シャンプー変えたのそんなにマズかったかな……」
人差し指を合わせてもにょもにょする風葉を余所に、辰巳ははフェンリル見据える。速やかに思考を整理する。
名前は聞いた。自称スペクター、今はフェンリル。何故風葉と同じたぐいの霊力を用いたのか、今はまだ考えない。
目的も聞いた。夢。もっとも、それがどこまで本気なのかは分からないが。
行動を止める気はない。もはや問い正す必要すらない。そうでなければそもそもこんな事態になるまい。
ならば、残っているのはあと一つだ。
「自称フェンリル。投降するつもりはあるか」
それは最後通牒。冷気を伴う辰巳の確認に、フェンリルは満面の笑みを返した。
「ありません! まったくもって! 最初の準備もつつがなく終わりましたしね!」
笑いながら、またもや風葉を見据えるフェンリル。その視線が示す意味を、辰巳はあえて考えない。思考を回転させる事は、後でも出来る。
「交渉、というほどのものでもなかったな。何にせよ、決裂だ」
言いつつ辰巳はヘッドギアを操作し、顔全体を覆うフェイスシールドを展開。更に右足を一歩引き、鋼の義手を盾のように掲げる。
紛れも無い戦闘体勢だ。
その背中に、風葉はハッと目を見開く。
姿形は変わっても、意識は乗っ取られていたとしても、あれは、鹿島田泉なのだ。
だというのに、戦う構えをとったと言う事は――。
「
「心配するな」
風葉の言葉を遮る辰巳は、やはり振り向かない。今の辰巳の目は、機械なのだろうか、それとも人間なのだろうか。
唯一その色を知っている黒いシールドは、辰巳の右目がある辺りに赤い光を灯した。
「必ず助ける。必ずだ」
「おやぁ、そんな事言っちゃっていいんですかぁ? こうなるとワタクシも歯止めがきかないんですよぉ?」
「二言はない。容赦もしない」
フェンリルすらもピシャリと黙らせ、辰巳は静かに拳を握る。赤い光が、睨み据えるようにぎろりと光る。
「さぁ、おとなしく助けられろ」
かくして、戦端は開かれた。
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