神影鎧装レツオウガ
横島孝太郎
#1 レツオウガ起動
Chapter01 邂逅 01
怪物――確か、リザードマンと言っていただろうか。RPGとかによく出て来る、名前通りのトカゲ人間達を、辰巳は一撃で全滅させたのだ。
「うわ、わ、ぁ」
風葉は動けない。
通いなれた
自分を守るように背中を見せる辰巳の格好が、一瞬で別物に変わってしまったからだ。
つい数秒前、辰巳は風葉と同じ高校の制服を着ていた。藍色を基調とした、いつものブレザーだったはずだ。
だが、今は無い。
目も眩む閃光とともに、辰巳の姿は黒いスーツへ変わってしまったのだ。
引き締まった身体を浮き彫りにするその服は、パッと見はライダースーツのようにも見える。腕と足の上を一直線に走っている青いラインも、夜光反射材のように光を放っている。
だが頭、胸、膝といった身体の要所を保護するプロテクターは、バイクを運転するにはいささか以上に武骨な作りをしていた。まるで鎧だ。
そしてその鎧以上に、辰巳の左腕は異様な姿に置き換わっている。
付け根は肩口から、先端は指先に至るまで。
銀色の装甲が、辰巳の左腕を包み込んでいるのだ。
制服の時から巻かれていた腕時計だけは変わらず手首にあるが、銀色の装甲に埋まってほとんど一体化してしまっている。
まるで、機械だ。
だが、ひょっとすると本当にそうなのかもしれない。手首や肘の関節からは何かしらの機械部品が見え隠れしているし、何より辰巳本人が言っていたではないか。
自分は、改造人間なのだと。
「……」
あんまり話をしたことはなかったけれど、それでも同じ学校の寮に寝泊りし、同じ二年二組で授業を受けていたクラスメイトの、想像だにしなかった姿と言葉。
それらをまざまざと見せ付けられた風葉は、知らず辰巳の名を呼んでいた。
「い、五辻、くん……?」
自分でも驚くほどか細い呼び声。それが聞こえたかどうかは分からないが、直後に辰巳は振り向いた。
その双眸に、風葉は思わず後ずさる。
「心配ない。すぐに終わらせる」
黒色のヘッドギアを被った辰巳の声は、プラスチックのように無機質で、固い。
「何なの……」
後ずさる風葉の耳の中を、辰巳の声がすり抜けていく。さながら、あの虹色の壁のように。
「どうして、そんな……?」
窓ガラスに映り出した、途方に暮れる風葉の横顔。
その困惑を、全ての元凶となった銀色が彩っていた。
そう、銀色の髪と耳が。
◆ ◆ ◆
そもそもの発端はつい今朝方のことだ。
午前七時八分。日乃栄高校付属の学生寮、一階にある洗面所。
いつもの寝間着姿のまま、いつものように眠い目を擦りながらやって来た風葉は、鏡の中に全ての元凶見つけたのだ。
銀色に変色した自分の髪と、ピンと立つ三角形の犬耳を。
「……うぇっ!?」
顔を洗う前に眠気が吹き飛んだのは、一体いつ以来だったか。何にせよ、風葉は慌てて前髪を一筋つまむ。
指の中で揺れる前髪は、鏡に映るそれとまったく同じ色に染まっていた。
夢では、ない。
「ん、な」
なんじゃこりゃー、と言う叫びが喉元まで出かかった瞬間、銀色の犬耳がぴこぴこと動いた。
「……あ、ちょっとかわいい」
試しに少し力を込めてみると、三角形の犬耳が寝癖の中でわさわさした。
「……って、そうじゃないでしょ私」
頬を軽く引っぱたく風葉。
辛うじて叫ばずには済んだが、心境そのものはまったくもって落ち着かない。
とりあえず風葉は鏡に顔を近付け、念入りに自分をみつめる。
少し丸っこいのは自覚がある輪郭の中に、大きな瞳と小さな鼻。高二なのに一回り幼く見られることがある顔立ちは、右の目元にあるホクロも含めてまったく変わっていない。人間の耳もきちんと二つ揃っている。
確認するまでもない、いつもの顔。だからこそ、銀髪と犬耳の異様が際立っていた。
肩口まであるセミロングは、昨日布団に入るまではきちんと黒色だった。紛れもなく平均的日本人のそれだったはずだ。
だというのに、今朝の風葉は銀髪で、犬耳だった。
「染めた憶えなんてないんだけどなぁ。それにこの耳は一体……」
途方に暮れながらも、風葉は犬耳の方にもそれとなく手を伸ばす。
そして、つまめなかった。
右手の指先は、犬耳の中を幽霊のようにすり抜けていた。
「――」
一筋、風葉の頬を汗が伝い落ちる。
オカルト関連についてはサッパリな風葉ではあったが、それでも今の光景から導き出せる回答は、一つしかなかった。
「ゆ、幽――」
霊、と風葉が言いかけた直前、洗面所の扉が音を立てて開いた。
「うひゃあ!?」
「おわっ!? 何事……って、なんだ風葉じゃん。おはよ」
「お、おはようございます泉さん!?」
扉を開けた張本人こと、隣部屋の
「なに、ホントにどしたの? てか、なんで敬語なのさ。学年同じっしょ?」
「いや、その、何ていうか」
ちらちらと横目で鏡を見る風葉。その様子に首を傾げつつ、泉は風葉に歩み寄る。
「ふぅむ?」
じっと顔を近付け、器用にも片眉を吊り上げる泉。いきなり近付いた友人の顔に、風葉は違った意味でドキリとする。
寝起き直後なので乱れ気味だが、それでもこざっぱりとしたショートカット。
そんな髪型にキリッとした顔立ちと、平均より高めな背丈が合わさっているため、角度によっては美男子っぽく見える時もあるのだ。例えば今のように。
とはいえ、鹿島田泉は紛れもなく女性である。視線を下ろせば、泉が寝間着代わりにしている小豆色のジャージが、身体のラインを浮き彫りにしていた。
特に、ファスナーが上がりきらない胸周りを。
当人いわく、中学時代の運動着なので一回り小さいらしい。
だが、だからこそ強調されるそれを直視した風葉は、全ての異変を忘れて自分の胸を押さえた。
ぺったりしていた。そして、がっかりした。
そんな風葉をじっと見つめていた泉は、不意に風葉の髪を一筋つまむ。
「お、枝毛発見」
「……えだげ?」
「ちゃんとしないとダメだぞ風葉。何ならいいシャンプー教えよっか?」
確かに泉の指は枝毛をつまんでいた。銀色に輝いている枝毛を。
「それは、うれしいんだけど。あの、えーっと、それだけ?」
「ん? もっと探して欲しいのか?」
「そうじゃなくて、その」
意を決し、風葉は聞いてみた。
「私の髪、変じゃないかな?」
「変も何も、どこか変わったの?」
心底不思議そうな返答に、風葉の思考はフリーズする。
「変、わって、ない?」
「うん。綺麗な黒髪じゃないの。うらやましいよホント」
くしゃりと。『黒髪』と言い切った風葉の頭軽くを撫でた後、泉は改めて鏡へと向き直る。
「何だか知らないけど、とりあえず顔洗ったら? よだれの跡もついてるしさ」
「えっ!?」
慌てて風葉は鏡を振り返る。が、いくら眺めても口元にそんな跡はついていない。
ようやくそれが冗談だということに気付いたのは、泉が洗顔を終えた頃だった。
「……もう、ちょっと泉!?」
「はっはっは! 一足遅かったな明智くん!」
手を振りながら洗面所を出て行く泉。
その後ろ姿を見送ってしまった風葉は、気を取り直しながら蛇口と首を捻った。
次いで改めて鏡を、自分自身を見つめる。
「泉には、黒く見えてた、ってことなの?」
鏡に映った銀色に戸惑いながらも、風葉はとりあえずヘアバンドを取り出し、いつも通りのポニーテールに結わえた。
◆ ◆ ◆
同じ頃、廊下を歩く泉も似たような怪訝顔をしていた。
「なーんか変だったなぁ、風葉」
つぶやき、泉は何となく自分の手を見つめる。サラサラした髪の感触は、まだ少し指先に残っていた。
うらやましい触り心地だったのでついからかってしまったが、当の風葉はその髪を妙に気にしていた。
だが、変わったところは何もなかった。いつも通りの『黒髪』だったはずだ。
「うーん。何なんだろ?」
それは独り言。特に意味は無い、誰に言うでもない、ぼそりと漏れた疑問の欠片。
だが。
「知りたいですかぁ?」
それに。誰かが答えた。
「えっ!?」
驚いて振り向く泉。だが廊下を見渡しても、窓の外を眺めてみても、誰もいない。
いない、はずだ。
「……はは、は。空耳、だよね?」
そっち系の話が苦手な泉は、半ば自分へ言い聞かせるように独りごちる。
だが。
その肩を、誰かが叩いた。
◆ ◆ ◆
冷水で念入りに顔を洗った風葉だが、やはり頭の銀色と混乱は消えてくれない。
それでも今までの学校生活で培われた習慣は、反射的にいつもの行動を風葉に取らせてくれた。
食堂で朝食をを平らげ、自室で制服に着替え、鞄を持って教室へとおもむく。少し時間はかかったが、おおむねいつも通りの朝だ。銀髪と犬耳以外は。
「うぅーん」
そんなこんなで午前八時二十五分、日乃栄高校二年二組。
賑わい始めた教室を眺めながら、風葉は自分の席に腰かけていた。
紺色のブレザーに、灰色のプリーツスカート。いつもの制服姿をした風葉は、何をするでもなくぼんやりと携帯をもてあそぶ。
寮内やら食堂やらで友人と話すタイミングは何度もあった。その際にそれとなく、風葉は頭の銀色と犬耳をアピールしてみたりもした。
結果、全て空振り。泉と同じく、銀髪と犬耳の存在に気付いてくれる者は、誰一人として居なかった。
「オバケみたいなもんなのかなぁ」
風葉の気ままな操作に従い、くるくると流れるアドレス張。もう何回転したかもわからない表から顔を上げ、風葉は室内へと視線を映す。
もうすぐ朝のホームルームが始まる二年二組は、やはりいつもの喧騒しかない。
楽しそうに駄弁っている茶髪の女子生徒に、眠そうな頬杖をついている刈り上げの男子生徒。
それから風葉を凝視している長身の男子生徒に、忙しくメールを打っている眼鏡の女子生徒。
やはり特に変わったことは――。
「いや待った」
がば、と風葉は視線を戻す。
目があった。まばたきも忘れたまま、一直線に風葉を凝視してくる男子生徒と。
今しがた教室へ入って来たらしい男子生徒の目は、間違いなく風葉を、正確にはその銀髪を見つめている。
紺色のブレザーに灰色のスラックスという、ごく普通な指定の制服。ぼさぼさ気味な髪の毛。そして左袖口からやたらごつい腕時計が覗いている男子生徒の名前は、五辻辰巳。
およそ半月前、この二年二組へ転校して来たクラスメイトだ。
「……えぇと」
そんな辰巳と目を合わせながら、風葉は頭上の犬耳をおずおずと指差す。
辰巳は無言のまま、ゆっくりと首肯した。
「……!」
確定した。五辻辰巳は、間違いなく、風葉の銀髪と犬耳が見えている。
ようやくこの異常に気付いてくれた相手へ、風葉は一直線に駆け寄った。変な目で見ているクラスメイトもいるだろうが、生憎と今の風葉に形振り構っていられる余裕はない。
「おはよう五辻くん!」
「おはようございます。えぇーと」
不安、驚き、期待。色々な感情を顔一杯に浮かべた風葉とは対照的に、辰巳は真顔のまま口を開いた。
「どちらさんでしたっけ?」
思わずズッコケそうになる風葉。真顔を崩さない辺り、どうやら本気で言っているらしい。
「……風葉だよ、霧宮風葉。こんな髪になってるけど、同じクラスの」
「あー。そうだっけか」
「そうだっけ、ってそんな初対面みたいに」
呆れる風葉とは対照的に、辰巳は真顔のままぽりぽりと頬をかく。
「いやぁ、物覚えの悪さには自信があってね。特に人の名前と顔」
「捨てようよそんな自信」
「はっは、ごめんよ」
軽く笑いながら、辰巳は鞄を棚の上に置く。
「で、だ。俺の目に間違いがなければ、霧宮さんの頭が大変なことになってるんだが」
「あ、うん、そうなの。それで……」
はた、と風葉は思い至る。焦ってばかりいたため、そこから先をまるっきり考えていなかったのだ。
「……それで、どうしよう?」
「そうだな、とりあえず廊下に出ようか。わりかし視線が痛い」
「ふぇ?」
思わず振り返ってみれば、男女問わず大半のクラスメイトが風葉達を見ていた。突然の急接近を目の前で見せられれば、まぁこうもなるだろう。
言葉が出ない風葉。その空白を、娯楽に飢えた若人達が見逃すはずもなかった。
「おい五辻! どういうことだ!」「風葉っちってば一体何のハナシ? ひょっとしてあんなハナシ?」「もしかするとこんなハナシかもよ?」「ソイツは許されねぇなぁ!」「ホントのトコどうなの?」「おでんたべたい」「誰か新聞部呼んでこい!」
等々。各々好き勝手に騒ぎ立てるクラスメイト達に、風葉はぶんぶんと首を振る。
「ち、違うってば! そういうのじゃないからね!」
「そうとも、ちょっとした秘め事ってだけな話だ」
さらりと言ってのける辰巳に、風葉を含めたクラスの全員が硬直した。
今にも粉微塵になりそうな空気のなか、油の切れた歯車のようにぎこちない動きで、風葉は辰巳に向き直る。
「い、いつつじ、くん?」
「まぁ、それはそれとしてちょいと失礼」
先ほど言った通り廊下へ出ながら、風葉を手招きする辰巳。ぎくしゃくとその後に続いて廊下に出た風葉は、後ろ手に二年二組のドアを閉める。
直後、歓声が爆発した。
「うーん。みんな元気だなぁ」
「その元気に火を点けたのは誰よ!?」
「いやぁ、ついね。火災報知機のボタンとか押したくなる時あるじゃん?」
「押したくなるだけにしてよ! 良識の範疇で思いとどまろうよ!?」
辰巳にジト目を向けながら、両耳に手を当てて塞ぐ風葉。もちろんその頬は真っ赤だ。
「はっは、ゴメンよ」
笑いつつ、辰巳は風葉の手と耳を観察する。
今、風葉が押さえている耳は人間の方だけだ。犬耳の方も騒音を避けるようペタリと垂れ下がってはいるが、先端は元の耳を塞ぐ風葉の指先を突き抜けている。
どうやら、憑依の度合いはまだまだ低いようだ。
「まぁ、そんなのはどうでもいいとしてだ。銀髪と犬耳に関して心配することはないよ」
「ちょっ、どうでもいいって事は……って、えっ?」
目が点になる風葉に、辰巳は更なる断言を重ねる。
「色々と準備が要るから今すぐってワケにはいかないが、それくらいなら簡単に戻るはずさ」
「そう、なんだ。それは、よかった、けど」
安心半分、びっくり半分な表情を浮かべながら、風葉はまじまじと辰巳を見つめる。
「なんで、そんなに詳しいの?」
「さて、その辺を聞かれると返答に困るんだなー。ヤマが外れたテストみたいにさ」
「そこはちゃんと勉強しようよ」
「はっは、ゴメンよ」
からから、と屈託なく辰巳は笑う。散々悩んでいた風葉とは対照的に、なんでもないような口振りだ。
「まぁ冗談は置いといて、実際もうすぐ朝のホームルームが始まるから――」
その後で、という続きを、辰巳は言うことが出来なかった。
あまつさえ、犬耳と銀髪についての追求は、全て後回しになってしまった。
それ以上の怪異が、堂々と出現したからだ。
みし、と震える空気。
たったそれだけで、世界は影色に沈んだ。
「……なに、これ」
つぶやく風葉。
一直線の廊下。朝日が差し込む窓。向かいに見える北校舎。並んでいる教室の扉。歩いて来る担任の先生方、等々。
風葉の目に映っている全てのモノから、精彩が失われていた。
比喩ではない。本当に、あらゆる色が、薄墨色のベールの向こうにあるのだ。
まるでフィルターでもかけられているかのような日乃栄高校は、しかしまったく変わらない日常を過ごしている。現に今も、先生方が各々の教室へ入っていくところだ。
きっとこれからいつもと同じ朝のホームルームが始まるのだろう。視界を埋め尽くす薄墨色の存在に、少しも気付くこと無く。
「なんなの、これ」
もう一度つぶやいて、風葉は自分の声の大きさにぞっとした。
今四つあるはずの風葉の耳には、今まで当たり前にあったざわめきが、少しも届かないのだ。
喧騒は、確かにそこにあったはずなのに。
まるで、全てが幻だったかのようだ。
だが、どちらが? こっちか? それとも向こうか? そもそもなぜこうなった? それに辰巳はどうしている――?
「そ、そうだ! 五辻くん!?」
脳裏を過ぎる不安が、風葉を弾かれたように振り向かせる。
「千客万来だな、今日は。てか次の客はどこだよ?」
だが風葉の予想に反し、辰巳はまったく精彩を失っていなかった。薄墨に溶けない髪をかきながら、辰巳はすたすたと窓際に歩み寄っている。
だったら、と思った風葉も制服を見下ろす。やはり、風葉の身体もフィルターがかかっていない。
少しだけホッとする風葉。だが、状況はまったく変わっていない。
「ちょ、ちょっと五辻くん!? 聞きたいことが――」
そうして一歩踏み出しかけた矢先、風葉の前に白髪頭の先生が現れた。奇しくも二年二組の担任である
年々増して来る腹の丸みを隠しもしない温井先生は、プリントの束を脇に抱えながらすたすたと歩く。まるで、風葉が見えていないかのように。
「わ、わ、ちょっと待って先生!?」
避け切れず、思わず先生の肩に手を伸ばす風葉。
そうして肩を叩こうとした手は、しかし何の感触も残さずにすり抜けた。頭の犬耳と同じように。
「え、えぇっ!?」
足を止め、自分の手と先生を交互に見つめる風葉。だが、変わった様子はどちらにもない。
途方に暮れる風葉だったが、状況はそんな彼女に構うこと無く加速しはじめる。
「やれやれ、ここかよ。参ったな」
耳に飛び込む辰巳のぼやき。その刺激で我に返った風葉は、現状で唯一意思疎通ができる相手のそばへと急いで駆け寄る。
「ねぇ五辻くん! これって――!?」
かくして視界に飛び込んで来た窓の外、北校舎に挟まれた物置を見下ろす中庭に、風葉は今度こそ言葉を失った。
光の柱が、一直線に立ち上っていたのだ。
噴出元は中庭にある物置、打ち出しコンクリートの素っ気ない屋根の真ん中。
白から赤、赤から緑と、目まぐるしく変わり続ける光柱。一秒ごとにじわじわと直径を広げていくその様は、さながら虹色の万華鏡だ。
一メートル。三メートル。五メートル。物置そのものを飲み込みながらもなお拡大する光の柱は、やがて根本にいた誰かの姿を照らし出す。
物置の影から現れた誰かは、やはり辰巳達と同様に薄墨のフィルターがかかっていない。
距離が遠い上、光柱の逆光が強いせいでよく分からないが、線の細さから女性らしいことは見て取れた。それも若い。
ひょっとすると二人と同じ学生なのかもしれないが、なぜか彼女は制服ではなくジャージを着ていた。
小豆色で、胸元のファスナーが上がり切らないジャージを。
「……え、えっ!?」
思わず窓枠に張り付き、中庭を注視する風葉。
その視線を感じたのか、彼女もまた南校舎を見上げる。
目が、合った。
今朝方、洗面所で別れた時のままの格好をしている友人と。
「いず、み」
呆然とつぶやく風葉。
それが聞こえたのか、聞こえなかったのか。光柱の前に立つ泉は、風葉を見つめながらにたりと笑う。
いつもからは到底考えられない、粘着くような愉悦がそこにあった。
「う、そ。あれは――」
反射的に後ずさる風葉。
そんな風葉と入れ替わるように、辰巳は中庭の泉を見下ろす。
「友達かい?」
「そう、なん、だけど」
確かに、泉のはずなのに。
泉では、ない。絶対に違う。
根拠はない、けれども間違いなく断定できる違和感に、頭を抱える風葉。
その混乱を、当の泉が悪意とともに助長させる。
「さぁて、小手調べといってみましょうか?」
相変わらずタールのような笑みを浮かべながら、泉は不意に指を鳴らした。
ぱきり。
不自然なくらいに響き渡るその音は、彼女の背後で立ち上る光柱に波紋を生む。
波紋は波となり、するすると光柱を登って行き、風葉達がいる窓の正面で停止する。
「こ、今度はなに?」
身構える風葉の眼前で、波は風船のように膨れ上がり、窓に触れる。
そして、そのまますり抜けた。
音を立てず、何も壊さず、さながら幽霊のように。
「な、何で!? 窓開いてないのに!?」
「そりゃ
言いつつ、風葉をかばうように前へ出る辰巳。その横顔は、近付くだけで肌を切りそうな鋭さをたたえている。
まるで、別人だ。
「う、ん」
聞きたいことはまだまだ山盛りだが、思わず後ろに下がる風葉。
そうする合間にも伸び続けていた光の塊は、既に天井を突くまでに膨れ上がっていた。辛うじて廊下の向こう側が透けて見えるが、通れそうな隙間はどこにもない。もはや壁だ。
そんな虹色の壁の向こうから、異形が姿を現した。
びぢゃり、と水音に似た異音が響く。三本ヅメの生えている緑色の右足が、廊下へと踏み出したのだ。
次に出たのは、ひょろりと前方に突き出た細長い緑色の顔。口は大きく裂けており、赤い眼が無機質に二人を捉えている。
どう見ても人間ではない。トカゲ、としか言いようのない異形の頭を晒す怪物どもは、虹色の向こう側から当たり前のように歩いて来る。
一匹。二匹。三匹。四匹。横に並びながらじりじりと近付いて来るトカゲ人間達は、全員が鎧と剣で武装している。
そして、明らかにこちらを狙っている。
「は、は」
たまらず、風葉は乾いた笑いをこぼした。
無理もあるまい。モノクロに塗り込められた日常の中を、極彩色の非常識が、敵意というオマケ付きで歩いて来るとあれば。
思わず頭を押さえ、下を向いてしまう風葉。
その萎縮を、先頭のトカゲ人間は見逃さない。
「GRAAAAAAAッ!」
「ひぁあう!?」
世に存在するどんな人語とも違う咆哮に、身を竦ませてしまう風葉。そうして足が止まった隙を突き、トカゲ人間は突貫する。
振り上げられる長剣。虹色を反射して怪しく輝くその刃は、明らかに風葉を狙っている。
「ち、ぃ」
そんな風葉を庇う辰巳は、刃を迎え撃つように左手を振り上げた。
直後、大上段から振り下ろされる長剣。
辰巳の左掌を目がけるトカゲ人間の刃は、斬、という肉を裂く音を、立てなかった。
代わりに響き渡ったのは、がぎり、という鉄と鉄の咬み合う音だ。
「GA!?」
明らかにおかしな音と手応えに、すぐさまバックステップで間合いを取るトカゲ人間。仲間達も同様に足を止めた。
そして今度は辰巳へ注意を向けながら、トカゲ人間は仲間と共に自分の剣を検分する。
ほんの少しだが、刀身の先が欠けていた。辰巳の左手とぶつかった箇所だ。
対する辰巳も、顔をしかめながら左掌を見下ろす。
「い、五辻くん!? 大丈夫なの!?」
おずおずと近づいた風葉は、肩越しに辰巳の手を覗きこみ、絶句した。
辰巳の左掌は、確かに切れていた。人差し指の根本から斜めに走る傷が、掌を一直線に横断している。
だが、それだけだ。骨は断たれていない。血もまったく流れていない。
ただ銀色の鋼が、傷口から顔を見せていただけだ。
「いつつじ、くん。それ、って」
「ん、ああ。リザードマンだな。RPGとかでよく出てくるだろ?」
「いや、あのトカゲ人間達の名前じゃなくて。そりゃそっちも気になるけどさ」
思わずツッコミを返した後、風葉は改めて辰巳の左手を見る。
「その。五辻くんの、手が……」
「ああ、そういや言ってなかったっけ。俺、実は改造人間なんだ。主に左腕が」
「嘘!?」
「うんうん。嘘だと良かったんだけどなホント」
しれりととんでもないことを言いつつ、辰巳は左腕を突き出す。
「ま、とりあえず着替えるから下がっといて」
言いつつ、辰巳は左袖を軽くまくる。
トカゲ人間――もとい、リザードマン達へ宣戦布告するかのごとく、まっすぐに突き出される手刀。手首には、鍔のようにごつい腕時計が輝いている。
色は銀。傷口から見えた色も同じだったような――と訝しむ風葉を背に、辰巳は肘を基点に左腕を翻し、握った拳を天井へと向ける。
丁度リザードマン達の方へ文字盤を向ける腕時計。辰巳はその文字盤に手をかけ、下方へスライドさせる。
カシン、と響く鉄の音。
中から現れたのは、青い光をたたえる小さな石。
直径三センチほどだろうか。宝石のように透き通ったその青が、煌々とした光を灯す。
淡い、けれども確かな存在感を発するその青色に、先頭のリザードマンはいきなり吼えた。
「GAッ!? GARAAAAAA!!」
見開かれた赤い瞳に何故か驚愕をたたえながら、リザードマン達は辰巳へ向けて走り出した。
「い、五辻くん!?」
「心配ないさ」
ぼそりと。
振り向きもせず、吐き捨てるようにつぶやく辰巳。
「これが俺の、存在意義だからな」
ため息よりも小さい、どこか悲しげな独白。
それは一体どういう意味なのかを、しかし考えている暇はなかった。
予想だにしない響きが、風葉の疑問を消し飛ばしたからだ。
それは――
「セット、プロテクター」
『Roger Get Set Ready』
――辰巳の腕時計が立てた電子音声であった。
「なんか喋った!?」
あるシステムの起動を知らせる、唐突かつ流暢な発音の英語に、思わずツッコむ風葉。
それを背中で聞き流しながら、辰巳は叫ぶ。
「ファントム4!
瞬間、光が走った。
辰巳の左手首に隠れていた青石が、強烈な輝きを閃かせたのだ。
「きゃっ!?」
「GRAッ!?」
外の光柱とはまったく異なる、ひたすら強い青色の奔流が、一面に叩きつける。
反射的に目を閉じ、あるいは顔を背けるリザードマン達。
唯一辰巳の影がかぶったおかげで閃光が和らいだ風葉は、細めた視界にその光景を見た。
左手首の青石から伸びる光の線が、機械の回路のように分岐しながら、辰巳の服の上を走っていくのを。
そして、風葉に見えたのはそこまでだ。
爆発的に勢いを増す光の噴出に耐えかね、さすがに目を閉じる風葉。
目蓋の裏でさえ強烈な残光を刻む青色は、しかし数秒で唐突に途切れた。
念のため手でひさしを作りつつ、おずおずと目を開ける風葉。
「GRAA……!!」
丁度同じタイミングで唸りを上げるリザードマン達。低くくぐもるその声は、明らかに何かを警戒している。
けど、何を――と、思う暇もなく風葉はそれを見た。
真正面。それまで日乃栄高校の指定制服だった辰巳の服装が、まったく別のものに置き換わっているのを。
身体の筋肉を浮き彫りにするボディスーツ。身体各所を守るプロテクターとヘッドギア。腕と足の上を一直線に走る青いライン。武骨な装甲に覆われたため、一回り巨大になって見える鋼の左腕。
特に銀色の左腕は、装甲の隙間から何かの機械部品を覗かせており、先ほどの改造人間宣言を裏打ちしている。
そうした異様な服装を、さも当然のごとく着こなしている辰巳に、風葉は目を丸めた。
「なんか変わってる!?」
更にツッコんだ。だが対する辰巳は振り返りもせず、ただ淡々と言い放つ。
「ファントム4、着装完了」
組んでいた両腕を解き、半歩踏み出しながら辰巳は構えた。
黒と銀。二色の拳を、辰巳は正面のリザードマン達へ向ける。
「さぁて、来て見ろ
今までのトボけた雰囲気を一変させる、硬く鋭い宣告。それを敵性と判断したリザードマン達は、一斉に辰巳へと襲いかかった。
「GRAAAAAA!!」
まずは先頭のリザードマンによる、力任せの大上段。構えも何もないシンプルな一撃を、辰巳は踏み込みつつ左の鉄拳で迎撃。
「疾ッ!」
肉を打つ鈍い音。同時に、振り下ろされていた筈の片手剣が宙を舞う。カウンターで突き出した辰巳の鉄拳が、リザードマンの手首を打ち据えたのだ。
「GRA!?」
したたかな打撃に片手剣を弾き飛ばされ、たたらを踏むリザードマン。その眼前へ落下して来た片手剣ごと、辰巳は右掌底を叩き込む。
「もひとつ!」
「GAAA!?」
図ったように柄尻を捉えていた掌底は、即席の槍となってリザードマンの喉笛を突き抜いた。
後ろに吹き飛ぶリザードマン。だがその身体が廊下へ落ちるよりも先に、左右から別の二匹が辰巳へと襲いかかった。
「GRAAAAッ!」
やられた仲間を迂回しつつ、同時に斬撃を繰り出す二匹のリザードマン。
振り下ろし、水平斬り。十字に交差する白刃を、辰巳はバックステップで回避。
対するリザードマン達は返す刀で更なる連撃を狙うが、辰巳はそれに先んじてしゃがみ込み、床に手を突く。
頭上で刃が空を切る音を聞きながら、身体ごと回転して足払いを放つ辰巳。左のリザードマンが大きく飛び退いてそれを回避し、右のリザードマンには間合いが遠くて当たらない。だがそれで十分だ。
左が離れた隙を突き、辰巳は立ち上がりながら右のリザードマンに拳を叩き込んだ。
「破ッ!」
「GRA!?」
顎を力点に脳を揺らされ、がくりと膝をつく右のリザードマン。そんな同胞を救うべく、左のトカゲ頭が辰巳目がけて再び踏み込む。
「GRAAAAAA!!」
唸り声とともに振り回される片手剣が、縦、横、斜めに孤を描く。
対する辰巳は眉一つ動かすことなく刃の腹を払い、逸らし、打ち据えながら徐々に踏み込む。
そしてリザードマンの手首を捉え、密着状態に持ち込む。
「GRRA!?」
「遅いっ!」
振り払おうとするリザードマンの姿勢を難なく崩し、辰巳はその巨体を投げ飛ばす。
大外刈りである。
「奮ッ!」
「GAAA!?」
気絶していた同胞へ叩き付けられ、まとめて転がっていく二匹のリザードマン。残った最後の一匹は、背後にある虹の壁に、何故か手招きをしていた。
「GRA! GRAッ!」
人語ではないその呼び声に応え、更なるリザードマン達がびぢゃり、びぢゃりと日乃栄高校の廊下を踏む。
二匹、四匹、六匹。まだまだ出て来る。
「雁首揃えてゾロゾロと……転校手続きくらいして欲しいもんだな」
ぼやきつつ、辰巳は左手首の腕時計を口元に寄せる。
そして、告げた。
「セット。モード・ヴォルテック」
『Roger Vortek Buster Ready』
辰巳の指令に応じ、腕時計が更なるシステムを起動させる。
両手足に刻まれた青いラインがにわかに輝き、左拳へと収束。手首から先をすっぽりと覆う青い光が、竜巻のような渦を巻き始める。
同時に、リザードマン達もまた更なる突撃を敢行した。
「GRAAAAAAAッッッ!!」
廊下を埋め尽くすほどの横隊を組んだリザードマンの群れが、たった一人の辰巳目がけて一直線に迫って来る。
もはや緑色の津波と化した密集陣形に対し、辰巳もまた正面突撃で迎え撃った。
目指すは先頭を走っている、虹色の壁から仲間を呼び出した、あのリザードマンだ。
「GRAAAAッ!」
辰巳を捉え、振り上げられる剣。だがその刃が空を切るよりも先に、辰巳は間合いを詰めていた。
「遅いっ!」
叩き込まれる鉄拳。骨を鎧ごと折り砕かれたリザードマンは、しかし苦悶に喘ぐことすらなく消滅した。
「ヴォルテックッ! バスターッ!」
烈風が、突き抜けたからだ。
叩きこまれた辰巳の鉄拳。それを包み込んでいた青色のエネルギーが、巨大な竜巻となって前方の全てを揉み潰したのだ。
断末魔を上げることすら許さないその青は、尚も勢いを止めること無く廊下を直進し、光柱から伸びていた虹色の壁へと直撃。
鍔迫り合いは、しかし一瞬。混ざりあい、反発しあう光の渦は、やがて巨大な爆発となって辺りに砕け散った。
「うわ、わ、ぁ」
叫びかけた風葉の前に、粉雪のような光の粒がきらきらと舞い落ちる。光柱から伸びた虹色の壁、だったものだ。
地面に落ちるどころか、空中を流れるうちに消えてしまう儚いきらめきは、雪と言うより爆ぜ散る火の粉に似ていた。
だからだろうか。その爆発を真っ向から見つめている辰巳の背中が、どこかもの悲しく見えたのは。
「すぅ――」
どうあれ、辰巳は残心する。
そして、姿が変わってから初めて風葉の方へと振り向いた。
「い、五辻、くん……?」
ほぼ反射的に、風葉は辰巳の名を呼んだ。
感謝するためではない。心配していたからでもない。
眼前の人物が本当にあの五辻辰巳なのか、確かめるためだ。
異様な力。物々しい服装。それらを行使していたことも勿論ある。
だがそれ以上に、風葉の知っている辰巳とは、眼差しが違い過ぎていたからだ。
ガラスか、それともプラスチックか。
そんな錯覚を抱いてしまうくらい、その眼には表情というもののが無かった。
まるで、機械だ。
「心配ないさ。すぐに終わらせる」
淡々と言う辰巳。きっとその通りになるのだろう。
だが、今風葉が知りたいのは、そんな事ではない。
「何なの……」
後ずさりながらも、風葉は瞳の形をした機械を見つめる。
「どうして、そんな……?」
その色は、どうしようもなく強くて、ひたすらに悲しく見えた。
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