(4)


 閑静な住宅街を押し潰すようにして、QLAの実務部門に所属する人たちが、一つの建物へと群がっている。交通規制、住民避難、巻き込まれるべきではない全ての人たちを、この場所から遠ざけるだけの人員が、この場所へと投入されている。


 奇妙な光景だった。住宅街にスーツを着た大人がひしめいているだけでも奇妙なのに、それら全てが女性に統一されているのだ。レリーフ部隊は技術的な問題により女性だけしか採用されていない。そういう事実を僕が再認するのに、とても効果的な風景だった。


「まもなく作戦が開始されます」

 今回の作戦概要をタブレットで閲覧している僕へと、運転席に座っている佐々木女子がコーヒーを手渡してくれた。魔法瓶に入っており、温かさが保たれている。僕が見ている資料も、道中で佐々木女子から渡されたものだった。

「あぁ、ありがとう」

 どうやら秘書というものは色々と手渡してくれる存在らしい、なんてことを考えながら彼女からコーヒーを受け取った。一口飲んでみると、僕の個人オフィスに置かれているものより安い味がした。こちらのほうが好みだと僕は思った。


 渡された資料によると、このエントリー333という17階建ての集合住宅に対象が存在しているらしい。戸部文香。女性。27歳。職業はウェブメディアの編集者。彼女の個人情報が綿密に記載されていたが、興味がないので目を通してはいない。


 現場は既に、緊迫した空気が流れていた。スーツを着た女性たちの中に、二人の少女の姿が見えた。それが姫路綾子と夕張の二人だと気付き、僕のオフィスから駆けて行った彼女たちの背中が思い起こされた。

 ようやく僕は、それが現実だということを理解したらしい。あの二人の少女が人間ではなく、もちろん普通の少女ではなく、人類を守るために生み出された特別な存在であるという現実について、ようやく身体的な理解を得たらしい。


 無意識的に僕は自分の後頭部を掻きむしった。原因は急性的なストレスであることは間違いない。僕は、そういった現実に対して強いストレスを感じてしまう。

 彼女たち二人と会話をした僕は、あの二人が歳相応の少女であることを知っている。

 相手をするのは面倒だが、彼女たちは同世代の少女たちと変わらない日常性の持つ存在であることを知っているのだ。


 だのに今、彼女たちは黒いスーツを着た若い大人の女性たちに囲まれている。SFじみた特殊なデザインのボディウェア(体に張り付くようなタイトなサイズ)を着ている。


 日常とは程遠い光景が僕の目の前には広がっていた。二人の少女は、その光景の中に飲み込まれていた。退避勧告を意味する黄色いランプが視界の中で回転している。僕はセダンの扉に手をかけて、外へと一歩踏み出した。


 彼女たちの下へと歩み寄ろうとした。けれど、僕の足はすぐに止まる。歩み寄って、僕は何を告げようとしているのだろうか。言葉が何も見当たらなかった。彼女たちに告げられる言葉が僕の中には備わっていないのだ。

 下手な同情や僕の道徳観は、二人にとって重荷にしかならないだろう。知らぬ間に拳を強く握っていた。彼女たちのような存在がいるから、多くの人たちの平穏が保たれているのだ。もちろん僕も含まれる。


 そういう犠牲と前提で組み立てられた社会で、僕は偉くなろうとしている。社会的なエリートになろうとしているのだ。だったら、偽善的に振る舞うべきじゃない。甘えるべきだ。誰かの犠牲から生み出された甘露に舌鼓をうつならば、骨の髄まで依存するべきなのだ。


 でなければ、犠牲となっている誰かから意味すらも奪ってしまうから。


 僕は握っていた手を開いて、その中を確認した。もちろん何も握られていない。空っぽだ。そして、ゆっくりと呼吸を整える。仕事の都合でここにいることを自覚させる。やるべきことの優先順位を理性に叩き込み、社会的な自分の価値を熟考する。

「佐々木さん」秘書の佐々木へと話しかけた。「僕の仕事をそろそろ教えてくれ。意味もなく、ここへと連れてきたわけじゃないだろう」

 彼女は既に車から降り、僕の隣に立っていた。彼女はタブレットを持っており、耳にはインカムが付けられていた。どうやら現場の情報が彼女へと伝達されてくるようだ。僕は話しかけると同時にタブレットを僕へと手渡してきた。


「宮間特別監査官には大きな役割が二つあります。一つは通常の監査官と同様に、レリーフが与えられた力を行使するためのトリガーを引くことです。彼女たちの体内には、レリーフ化によって得た特別な力を抑えるための特殊なリミッターが施されており、QLAの監査官はそのリミッターをオフにする権利と義務が与えられます」


 タブレットの画面には電子署名を求めるアプリケーションが表示されていた。僕の指紋で、僕が事前に登録した筆跡で、僕がサインをしなければロックが解けないQLAが標準としている署名アプリである。

 姫路綾子と東雲夕張のリミッターを解除することに対して、僕がサインすることを求められている。責任を請け負うことと権限を行使することが求められている。

 

 僕はコンマ数秒躊躇った後、署名欄に自分の名前を書き込んだ。

 そしてアグリーと表記されたボタンをタップする。


「これでいいんだよね」

 問題なくアンロックされたことをアプリケーションは教えてくれた。僕はタブレットを佐々木女子へと返し、先ほど姫路綾子と夕張を見かけた方向へと視線を向ける。けれど二人の姿は見えなかった。

「ありがとうございます。後は状況が収束した後に支部へと帰還し、今回の件に関しての報告書を生成し、QLA上層部へとそれを提出することが監査官としての第一の業務です」

「あぁ、そういう仕事は得意だから任せてくれ」


 指先には最後にボタンをタップした感触が残っていた。後味が非常に悪かったが、そのことに関してあれこれと患っている場面ではない。世の中というものは関わる大人の数で、物事の重要度が決定する。

 目の前には大勢の大人たちが慌ただしく蠢いているのだ。僕がリミッターをオフにして瞬間から、彼らの動きは更に活性化された。怒声に近い声が発せられている。「許可が降りたぞ!」「シークエンス入ります、カウント5」「退去は万全か?」

 かなり切迫した状況。そんな状況だというのに、僕個人の感情なんて、はたして考慮に値するだろうか。自問する必要もない。僕は即座に自分自身を切り離す。ナイーブな感情を断ち切ることが、僕にとって生きると同意義なのだ。


「なぁ、佐々木さん」僕は隣にいる佐々木女子へと話しかけた。

「一つ目の役割は解った。もう一つを教えてくれ」

 彼女は僕の様子を窺い、コンマ数秒の小さな戸惑いを見せた後、僕へと告げる。

「宮間監査官には、普通の監査官とは異なる役割があります。それゆえにアナタは特別監査官なのです。特別監査官というのは、我々QLAの実行部隊がスペシャルだと認定したレリーフを個人的に監査する役割が与えられます」

「マネージャーのようなものを想像したらいいのかな?」

「えぇ。そうですね。個人的なマネージメントもお願いすることになります」

「それで、誰なんだ。僕が面倒を見ないといけない相手は」

「それは――」


 ドウンッ!

 まるで地球の心臓が弾けたような音が響いた。


 彼女が口を開こうとした刹那、不意に世界の波動……あぁ、そうだ。世界に揺らがす目には見えない波動としか呼びようのない代物が、きっとだけれど。おそらくだけれど。強い負荷でも掛けられたように、激しく震えた。

「お、おい。こいつは……」

 空は一瞬で深い紫に塗り替えられ、ポツポツと朱色の雨が降り始めた。

「えぇ。どうやら始まったようです」

 常識では測れない物事が起こっていることは間違いなかった。

 現実というものが侵食されているのは、間違いなかった。

 QLAへと入社したさいに研修で教わった知識の断片が思い返される。

 ヴァリアント化した連中が得た超現実的な力。


 大小はあれども連中は例外なく、一つの大きな力を手に入れる。現実を幻想で塗りつぶす力。頭の中で想像した風景、現象、物体、法則を、現実へと持ち込む力が与えられる。


 先ほどの強烈な振動は、そいつが行使される前触れだろう。

「佐々木さん、僕は……」

 どうしたらよいのか。それを尋ねようとしたのだが言葉が先へと続かなかった。僕の声を押し潰すようにして、普段よりも大きな声で彼女が口を開いたから。

「連絡が来ました。姫路綾子と東雲夕張が、これから突入します」

「彼女たち二人だけなのか?」

「ヴァリアント化シークエンスがレベル3を突破しました。増援を待つ余裕はありません。そして我々のブロックには、このレベルのヴァリアントを退治できるレリーフが、彼女たち二人しか存在しません」


 姫路綾子と東雲夕張。


 先ほど捉えた彼女たちの姿が、駆け抜けるようにして脳裏に浮かんだ。そして僕のオフィスにいた二人の姿も。現実に潜むエッジな部分が僕へと牙を向いていた。そして、僕は次のことを彼女から言い渡される。

「姫路綾子は、宮間監査官にマネージメントしていただく個体です。彼女の治安維持力は非常に高い数値を誇っています。我々の持つレリーフ技術において、最先端のものが施されたスペシャルですから、任務は問題なく実行されるでしょう」

「彼女はそんなにも凄いのか」

「姫路綾子は文字通りに特別です。彼女は生得的なスーパーヒューマンですから」


 とても耳障りの悪い言葉が聞こえてきた。


「……どういうことなのさ?」

「旧来的なレリーフ化が後天的な医療行為で生み出されるのとは異なり、受精卵の段階で生成された新しいレリーフだということです」

「おい、それって!」

 僕は彼女の肩を掴んでいた。意識することなく、その手は自然と伸ばされた。それなりに力が込められていたと思う。佐々木女子の顔が苦痛で少し歪められた。僕は彼女に何かを告げようとして、唇を開いた。

 けれど、言葉が発せられることはなかった。

 僕が何かを告げるよりも早く、この場にいる誰かの怒声が僕らへと投げかけられた。

「現実境界線の融解が始まりました! 退避して下さい!」

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