第十八話 喰人(クラウド)
『
その鋭さは『神白狼』の動きを上回っていたが、雄一は弾かれた力を再利用して『神白狼』を加速した。それに伴って、彼の心理時間が更に間延びしてゆく。
『訶梨帝母』がどこかで間合いをとっていたならば、『神白狼』の加速はそこでキャンセルされてやり直しとなっていたに違いない。だが、事情を知らぬ彼女は「どこまでついてこられるのか」を試すことに専念してしまったため、その時期を逃していた。
気がつけば間合いを取る余裕すらなくなっている。ここで不用意に動けば『訶梨帝母』のほうが危ない。
最初のうち『訶梨帝母』は、足の位置すら変えることなく『神白狼』の攻撃を防御することができた。それが今では、攻撃を弾くために忙しく姿勢を変えなければならなくなっている。
周りを取り囲んだ両軍兵士には、二体の
『神白狼』の右腕が外側に弾かれた力は、右足を軸として回転運動に変換されて左腕の攻撃に連動する。
『神白狼』の左腕が上方向に弾かれたならば、身体を後方に転じて足の発条による右腕の下からの斬撃に連動させる。
全身を用いた派手な動きだが、もともとが軽量級の『神白狼』にとっては大した負荷ではない。しかも『訶梨帝母』の力を再利用していることから、見た目よりも消耗は激しくなかった。
一方、超重量級の『訶梨帝母』にとっては、鎚の上げ下げや装甲の取り回しの全てが負担となる。
これまで『訶梨帝母』が長期戦を覚悟した相手は少なかった。最悪の相手だった『インドラ』についても、『訶梨帝母』のほうが慎重になっていたから、短い手合わせに終わっていた。
従って今回の戦いは『訶梨帝母』にとって、未知の領域に踏み込んだものとなる。お互いの限界を探る戦闘――
しかし、今回の相手は
次第に『訶梨帝母』は余裕を失っていった。
(こいつ、一体何者なんだ?)
彼女の動きにここまでついてこられた彼女と同時代の地球人は、ごく少数に限られ、その全員が化け物だった。動きについてくるどころか彼女を遥かに凌駕しており、しかも全員が同じ流派に属していた。
彼ら以外に、同時代でその系統に連なる者はいないという話であるから、目の前の少年がその一派だとすると、過去か未来の者となる。
ミッドランドの生体融合者は平成生まれのはずだから、いれば自分は顔をあわせているはずだ。もちろん、平成生まれの中高生で次世代の流派を継ぐ者はいたが、この少年の声に聞き覚えはない。平成という年号がどこまで続いたのか分からないので、さらにその次の世代ということも考えられるが、それにしては動きが洗練されていない。
となると、全くの無関係ということになる。まさか他にも化け物がいるとは思ってもいなかった。
その時、右手の鎚が鈍い音を立て、弾いた時とは異なる微かな振動を伝えてきた。続いて左手からも異音と振動が伝わってくる。一瞥すると鎚の表面が僅かに削られているように見えた。
剣の側面を叩く速度が遅れ始めているのだ。
(ちっ、仕方がないねぇ)
彼女は舌打ちすると、即座に対応した。
『神白狼』の右腕の動きに狙いを定め、彼女は『訶梨帝母』の左肩を突き出す。『訶梨帝母』の左肩を『神白狼』の剣が貫き、そのままあたかも豆腐に刺さる針のように、滑らかに根元まで入り込んだ。左肩を支援している個蟲たちが剥離するのを感じながら、彼女はほくそ笑む。
(よっしゃあ、これで動きが止まる!)
彼女にはそれだけで十分な余裕となる。
傷口を広げぬように、『神白狼』の剣が貫いたのとは正反対の方向に『訶梨帝母』の肩を引くと同時に、両手の鎚に渾身の力を込めて『神白狼』の左腕の剣を叩き上げる。
*
『訶梨帝母』の左肩に剣が突き刺さる
(くっはああぁ……)
*
その瞬間を彩は見つめていた。
大きく弾き飛ばされた『神白狼』の右腕から、その航跡をなぞる様に白いものが
それは、地面に
雄一の右腕の剣が何を現しているのか理解している彼女は、その現象の本質を即座に理解し、反射的に生理的嫌悪を感じる。
と同時に、その迸りのあまりの猛々しさに対する胸の
「はあっ――」
思わず息が漏れる。
*
「よし!」
思わず拳を振り上げる
「貰った!」
*
『
地中の個蟲を急速に取り込んで、頭部の白い角を震わせながら、物凄い数の
彼らの本能は「誰よりも速く駆けて、一番最初に潜り込め」だが、その潜り込む先の選定には優先すべき条件がある。
「その場で最も生存可能性の高い優れた個体を優先せよ」
戦場においては最も強い個体ということになる。そして、それは歴然としていた。
雄である白狼達は甲高い
その時は概算で三千匹ほどが実体化していた。
*
「もうっ――厄介だね!」
彼女は、昔の友人に教わった通りに頭の中で『訶梨帝母』の周囲に半球を描いた。
途端に、その内と外とを分ける膜状の空間――結界が認識される。
『訶梨帝母』の個蟲達が
都合の良いことに、変な白い生き物は一直線に並んでいる。それが到達時間の差を生じさせることから、全部を一度に相手しなければならない事態だけは避けられる。
「五十歩百歩だけどな!」
彼女は両手の鎚を肩に載せて、右足を前に出した。
白狼は列をなして殺到してゆく。
最初の一体が結界の内側に入り込んだところで、『訶梨帝母』は即座に鎚を一閃する。
白狼は地面に叩きつけられ、再生する余裕を与えられずに四散した。瞬間的に小さな負の泡が生じる。
次から次へと殺到する白狼。
それを次から次へと丹念に叩き潰す『訶梨帝母』。
生じる泡。
彼女を取り囲む地面にはいつしか円が描かれてゆく。その外側には
が、三千匹の白狼をすべて叩き落とすことは、どだい無理な話である。『訶梨帝母』を囲む絶対防衛線は、次第に中心部に向かって収縮し始めた。
単位時間当たりの殺到する量が多すぎて最初の防衛線では対応し切れない、という事情もある。しかし、それよりも大きな理由は『訶梨帝母』自身の疲労が蓄積していくことだった。
一撃で叩き潰すことに専念しながらも、次第にそれでは対応しきれなくなる。
そして、とうとう、
「ちいっ、しまった!」
彼女は白狼の白い角のみを叩いてしまった。
即座に角の
ともかく、迫ってくる相手を叩き落とすことに専念するしかなくなる。
最初に角を折られて、二回目も角を直撃された白狼は、鎚にその角を突き立ててもがく。それが鎚の動きを悪化させて――
*
雄一はその様子を放心しながら見つめていた。
前回もそうだった。
白狼を放出すると、彼自身は心と身体が分離した状態となる。
白くて小さな者が『訶梨帝母』に向かってゆく。激しく尻尾を振りながら。
白くて小さな者が『訶梨帝母』に叩き潰されてゆく。激しく尻尾を振りながら。
*
一匹の白狼がとうとうその防衛線を潜り抜けた。
既に装甲再生済みの角が『訶梨帝母』に向かってゆく。
近付き過ぎてもう対処する余裕はない。こうなれば、表層部分でなんとか食い止める以外に方策がない。
戦士の本能で、彼女は即座にそう判断した。
衝撃に備え、着弾点を支援する個蟲達が凝縮し、分離の準備をする。
そして、白狼が『訶梨帝母』の装甲に接触し――
弾かれて、哀れな鳴き声をあげながら地面に落下する。
彼女は唖然とした。
「何だよ、何なんだよ、これは」
殺到した白狼達は『訶梨帝母』の表面に触れた途端に、次々に力を失って落下してゆく。迎撃すら必要ない。
「――ふざけやがって!!」
あまりの事態に『訶梨帝母』の怒りが爆発する。
「これだからガキの遊びにつきあうのは嫌なんだよ。これがお前の必殺技か? 気の利いた名前があるなら教えろよ。ホワイト・ラッシュ・フィニッシュとかなんとか、ちゃんとふざけた名前をつけてあるんだろ。何で前の時はちゃんとできたのに、今回はこんなに無意味なんだよ。私のこと舐めてんのか!」
*
怒りに我を忘れている『訶梨帝母』を見つめながら、彩は考える。
雄である白狼は必然的に雌に向かって潜り込もうとする。
『訶梨帝母』の
となると、白狼達が弾かれる理由は一つしか考えられない。
そして、その可能性に彩は慄然とする。
「まさか、貴方――」
震えた声が出た。
「――妊娠しているわね!」
戦場には不釣合いな単語が彩の口から洩れ、あたりに響き渡る。
急に別な方向から声をかけられ、しかもそれが秘匿していた内容だったために我に返った『
「おや、困ったね。隠してたのにばれちまったよ」
「どうして、どうしてそんな大切な時期に戦場になんか――」
「ふうん、何だか聞いたことのある声だけど、高校生ぐらいの女の子だね。大人の事情があるんだから、子供は口を挟んじゃいけないよ」
そう語る『訶梨帝母』の口調が、さほど強くもない落ち着いたものであったため、その裏にある重い覚悟が余計に感じられた。彩は口を
そして『訶梨帝母』の言葉の中に微かな引っ掛かりを覚えた。
(私も彼女の声に聴き覚えがある……)
*
「なんだと!」
この時やっと白狼の本質を知った教授は、彩の思考経路を追いかける。そして、どうして結論になるのか理解できた。生物学的には「最初の精子が受精したことで受精膜が形成されて、以降の精子がそれに阻まれている」ということだろう。しかし、わざわざ白狼対策で妊娠する者はいないから、ただの偶然で『
この意味は大きい。雄一には他に『訶梨帝母』に勝てる技はない。しかも彼は『訶梨帝母』が母体であることを知ってしまった。彼はまだこの世界の『悲惨』を知り尽くしていなかったから、この一言で余計な迷いを生じさせることだろう。
教授は身体を翻すと、司令室を飛び出した。
*
彼女はこれまでの生涯の殆どを格闘家として生きてきた。そして、
それがある日、気がついたらボルザにいた。目の前にいた男に聞くと、
「勝手に地球からコピーした」
と言う。それにコピーなので帰す方法もないと言う。
彼女は荒れ狂った。後に、
「ヘルムホルツの街が一つ消滅した」
と語られるほどに荒れた。
(街一つ分は大袈裟だったが、事実それに近いものがある)
一頻り暴れて腹が空き、食事をしてやっと落ち着く。
生来、彼女はシンプルに出来ている。呼ばれて帰れない以上は、その世界を謳歌するしかない。落ち着いて周囲を見回すと、地球人は窮屈な暮らしに甘んじていた。そこで彼女は待遇改善に取り掛かる。
その闘いの途中で再会した『インドラ』も、同じく地球人の待遇改善に乗り出していたが、実に彼らしい用意周到さで、いまや国全体を掌握したに等しいところまで来ている。彼に任せておいても、いつの間にか世界征服しているだろうが、元より野望とは縁遠い男だからそれがいつになるか分からない。しかも、彼には「自分でやったほうが早いことを人にさせる」という悪い癖がある。恐らく、彼女がいるのでヘルムホルツ攻略は後回しにされているだろう。
そこで、自分の周囲だけでも自分で改善することにした。
それには格闘家としての名声が寄与する。さすがに過去から呼び出された人物には実力行使であたるしかなかったが、同時代以降の人々には誤って過剰に伝わった人物像があったために、掌握も早かった。地球人の共同体を束ね、ヘルムホルツの官僚たちと渡りあう日々が続く。
その中で、地球の伴侶とは異なる男と関係を持つに至った。
その男は格闘とは縁遠く、風貌も今一つさえなかった。地球ではかなり有名なソフトウェア技術者であり経営者だったが、システム自体が存在しない、生体融合者としての価値しか認められないボルザにおいては、その才能を発揮する機会が与えられていなかった。
それが、彼女の待遇改善に突き進む過程において、非情に役に立つ。彼女は外交手腕には長けていたが行政手腕に乏しい。その男は行政手腕に長けていたが、示威行為が苦手で力押しができない。お互いの欠点を補って、歯車は力強く回り始めた。
そして、その男は彼女が「生涯唯一の伴侶」を内に秘めていることを承知してくれた。
彼女はヘルムホルツにおいては、地球人の象徴である。その彼女がボルザに根を下ろすことの意味は大きい。地球の伴侶には悪いと思いつつ、彼女はこの世界で生きる腹を括った。それを知った周囲からは「伴侶をコピーする」という手段を提示されたが、彼女はそれに強い誘惑を感じつつも、さらに強く拒否した。
それでは悲惨を生み出したボルザ人に等しい。伴侶ならば笑って許してくれるだろうが、自分で自分が許せなくなる。
その覚悟をもってしても、地球で生きているはずの自分を思い、羨望に身を焦がすことがあった。
(多分、彼女は愛する者の傍らで、こんなに口が悪くもなければ人が悪くもない、シンプルな生を送っているのだろう――)
そう考えると腹の底に抑え込んだマグマがせりあがってくる。
しかし、流石にそれで街一つ分を再起不能にすることはなくなった。せいぜいが建物一つ分を粉砕する程度に収めていた。
今回の出撃にあたって、彼女はヘルムホルツの官僚と極秘裏に契約を取り交わしていた。
それは「ミッドランド王国の『
この契約の存在は、彼女とその参謀である「ボルザでの伴侶」しか知らない。いつもは何でも気軽に話している部下達にすら、無用な重荷となることを懸念して話していなかった。
ともかく、彼女は今日ここで死ぬわけにはいかない。
他国の地球人、しかもそれが子供であることを承知の上で蹂躙してまで、自らの周囲にいる地球人の待遇改善を図るその在り方は、まさに『鬼子母神』という名前に相応しい。彼女自身も内心忸怩たるものがあったが、「それはそれ、これはこれ」と割り切っていた。
『
「まあ、細かいことはいいじゃないか。そこの白いの、これでお前の連続攻撃は途切れたわけだし、必殺技は役立たずになったわけだけど、この先一体どうするんだい? まさか心が折れたので今日はこれでお終い、とか言い出さないだろうね」
実はまさしくその通りである。
雄一は
今まで、
「そうではない、ボルザにおいてはオリジナルなんだ」と否定しつつも、ではボルザにいることが幸せなのかというと、疑問が次から次へと湧きおこってくる。それと一緒に「むしろ消してあげたほうが幸せなのではないか」という薄暗い観念が立ち上がってくるのを消去できない。
ところが『訶梨帝母』の中には、この世界オリジナルの存在がいるという。
それを消し去ることは、オリジナルを消し去ることである。これまで散々、ボルザ人騎士や
今、彼が直面しているのは「コピー」とも「別世界の生物」とも言えない、第三の存在である。
無論、『訶梨帝母』ともども殺さなければ、自分が殺される。そこに甘えの入り込む余地はない。そして先日、雄一は教授に向かって「大切な仲間を失いたくないから、そのために戦う」と宣言した。だから余計に選択肢はないように思える。
にもかかわらず、彼は躊躇していた。そんなにも自分の覚悟は弱いものだったのかと暗澹たる気分を抱きながらも、彼は躊躇していた。
「……」
その様子は『神白狼』の身振りを経由して『訶梨帝母』に伝わる。
彼女は沸騰した。
「覚悟のないガキが
大きく両腕を広げて鎚を振り上げると、そのまま走り出す。
雄一は剣を胸の前に十字に組みはしたものの、それは反射的な行動にすぎなかった。『訶梨帝母』の右鎚が『神白狼』の両腕を弾き飛ばす。勢いで地面に倒れ込んだ『神白狼』の足を、『訶梨帝母』が上から抑え込んだ。
「母体保護の観点から攻撃できないってか! じゃあ、代わりにお前が死ね!」
左鎚が『神白狼』の胸を強打する。
「状況は前と何も変わっちゃいないんだよ、さっきのさっきまで母子ともども切り捨てようと考えていたんだから、急にいい子ぶるのはやめろよな!」
右鎚が『神白狼』の胸の同じところを強打する。
そのまま左右の鎚が『神白狼』の胸を連打し、『神白狼』は次第に地面にめり込んでいった。
「雄一!」
彩はそう叫んで『訶梨帝母』に近寄ろうとしたが、彼女の前には五体の生体装甲が立ちふさがる。
「駄目だよぉ、二人の熱い熱い戦いに勝手に手を出しちゃあ」
「何、彼氏の危機だから黙っていられないってことなの」
「かっわいいっわね、尽くすタイプなんだぁ」
「あんなのやめとけよ。すぐに心が折れて駄目になるタイプじゃん」
「まあ、今助けても、次の機会で確実に死ぬわな、あれじゃあ」
彼らは口々に勝手なことを言い出す。彩の奥歯が鳴った。
「――上等よ。おじさん、おばさん、全員まとめてお相手致しますわ。後で泣きを入れても決して許しませんわよ」
下段に構えた『
元現役高校生女優の大見得に、五体の生体装甲の身体が硬直した。
『
そのあまりの激しさに周りの兵士達は息を飲むが、当の彼女は連打するほどに冷静になってゆく。
「なんだよこれは――」
想像以上に堅い。最初の手応えが変だった時点で、彼女の精神は急速に冷却された。
胸を連打するにつれて、心はさらに急激に温度を下げてゆく。今では零下に達していた。
地面にめり込んでいることから、鎚の威力が無効化されている訳ではないと分かる。
しかし、個蟲が彼女の手に伝えてくるのは有効打が撃ち込まれた時の「力が放出される」感じではない。
ともかく手応えがないのだ。
弾き返されるのでもなく、力がただ無意味に吸収されているような気がする。
連続して胸の一点のみを叩いているにも関わらず、やっと表面にわずかなへこみが現われたに過ぎない。
それが
「なんだよ、こんなの反則じゃないか!」
連打する。
既に『神白狼』の身体の殆どが地面の下にめり込んでいたが、へこみは遅々として広がらない。
心が絶対零度に向けて下降してゆく。こんなことをしている間にも、タイム・リミットは刻一刻と近づいていた。
「この! この! この! この! 早く壊れろよ! 壊れて、動くなよ!」
連打する。
周りがそのおかしさに違和感を抱き始め、ざわめきが生じていたが彼女は気づかない。
「もう動くな! さっさと死んでくれ! もう死んでくれ! そうしないと、そうしないと――」
連打する。
普段の彼女ではない。焦っていた。
息は荒く、目には涙すら浮かんでいる。
「そうしないと、もう、もたないんだよ!」
「何がもたないって?」
急に声が割り込んできたために、『訶梨帝母』は驚いた。思わず手を止めて声のした方向を仰ぎ見る。
そこには自分よりは嵩が小さいものの、同じく守備重視の生体装甲が腕を組んで立っていた。
鎧の型から、かなり古いものと推測できる。
「雄一に何をしている。彼の上からどきたまえ。それに、君にはそんなことをしている暇はないはずだ」
その生体装甲はゆっくりとそう言った。
「――お前に何が分かる?」
「分かる。私はこれでも一応、地球では医療関係者だった。だいぶん忘れてしまったがな。それでも状況は把握している」
そして彩の『
「お前ら、そこで遊んでいる場合か!」
その声に彩が反応する。
「
『
「お前たちの指揮官が危機的な状態に陥っているのだから、さっさと救助せんか!」
戦場に疑問符が乱れ飛ぶ。
どうして『訶梨帝母』のほうが危機的な状況になるのか?
彼女のほうが一方的に『神白狼』を押し込んでいたのに?
「まったく、揃いも揃って無神経なやつらだな」
教授は溜息をつく。
「よく考えてみろ。今『訶梨帝母』の中には二人の人物がいる。身体を共有しているから一応は同一個体として
そこで一瞬だけ間を開けると、教授はさらに続ける。
「そのいずれかが飢餓状態に陥ったら何が起こるか分からんのか?」
沈黙が戦場を支配した。その場の全員が状況を理解する。
それを受けて、
「特に胎児のほうが危険だ。
「いや、もう間に合わないよ――」
静かな声が続いた。
『訶梨帝母』が立ち上がっている。
「感じるんだよ。我が子のうねりを。我が子が何か他のものに代わってゆくのを」
そう言いながら彼女は『神白狼』から離れると、戦場のほぼ中央、誰もいない空白地帯へと移動した。
そして彼女は部下達のほうを見る。
「全員に告げる。最後の命令だ。私が喰人となった場合には全力でこの場から退避しろ。これは命令だ」
「そんな、姉御――」
「命令だ、分ったか!」
「「「「「了解!」」」」」
「周囲にいる両軍兵士全員に告ぐ。争いを続けている場合ではない。私はもう少しで喰人となる。『訶梨帝母』の喰人だ、並み大抵ではないぞ。そうなれば簡単には止められまい。喰人化しても、元の人格はしばらく残るというから、その間は全力で我が子を止めるが、どれだけ頑張れるかは分からない。全員、至急この場から退避し、全軍の兵力をもって私に遠距離攻撃を加えたまえ。それでも私が止まらなかった場合は、至急で『インドラ』を呼び出し、各自で逃げ回れ。それでは幸運を祈る」
そう言って『訶梨帝母』は鎚を放棄した。
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