第十七話 副神経(サブ・ナアヴ)

 僕は改めて周囲を見回した。

 目の前には使役獣エンプロイメント・ビイストの炭化した小さな山がある。

 彼らはコピイ元のフワから、御主人様マスタアとその指示までコピイされたのだろう。その上で、オリジナルのフワを僕に戻してくれた。彼らを念入りに葬ってやりたかったが、今は時間がない。

「カオル、お願い。彼らを埋葬して欲しいんだ」

 概念伝達イメエジ・トランスレイシオンにより、小さな墓地のイメエジを伝える。人間の感傷に過ぎないその行為を、カオルは受け入れてくれた。

 小さな土の墓が出来上がる。

 タンポポがそばにあった野の花を電撃で切り取り、ミキがそれを風でお墓の上まで送った。

「有り難う、みんな」

 礼を言って、僕はトンフアが上腕の下となるように握る。

 前方では戦闘が始まっていた。

 ミツドランドの生体装甲は二体から三体が一つのまとまりとなって、レイルガンの集中砲撃を避けるように間を開けて展開していた。フワによるお返しで混乱したレイルガンは砲撃を再開していたが、僕に向かって集中砲撃を行なっていた時の勢いはない。いくつか使用不能になったらしい。垂直方向に向けての砲撃と、水平方向に向けての砲撃が半々ぐらいで、まばらになっていた。

 しかし、直撃を受けた場合の影響は大きい。

「彩さん、行きます」

「了解」

 僕と彩さんは前方の戦闘領域に向かって駆け出した。まずはレイルガンの無力化を優先しなければ。


 *


 レイルガンによる砲撃がそのまま送り返されてきたことによる混乱は、波のように陣営内を駆け抜けて、引いていった。彼女とその部下は、未だに合図待ちである。

 最初の砲撃で無力化に成功した場合、機体の回収任務が即座に命じられることになっていたから、現時点でそれは失敗に終わったということが分かる。

 外部協力者による足止めと一斉射撃――筋書きは悪くない。搦め手が苦手な彼女も、作戦としての有用性は否定しない。しかし、それが空振りに終わった以上、次は陣営内部に切り込んできたところで声がかかることになる。

(それにしても――)

 彼女は両拳を握り合わせて考える。

(『神白狼ヂンパイロウ』とはふざけた名前だ)

 ミッドランド王国が未成年を生体融合者パイロットとしていることは、よく知られていた。また、名前から受ける観念的な響きや軽率さから、この生体融合者パイロットも未成年であろうと推測する。

 珍しくはない。実際の戦闘をゲームと同じレベルにしか捉えられない、未熟な精神構造の子供を、彼女はこれまで何人も叩き潰してきた。自分の配下や子供たちを守るために、他国の子供達を蹂躙する。その自らのあり方を踏まえて、途中まで無名を貫いてきた生体装甲を『訶梨帝母ハーリティー』と名付けるほどに、葬った子供達の数は多い。

(ともかく、自らの機体に「神」と名付けるメンタリティーは感心しないね)

 自分もそうだからよく分かる。その名を使う者は、身の程知らずの阿呆か――あるいは本物の「鬼」だ。

(まあ、『インドラ』以上の化け物、ということはないだろうけどね)

 彼女は両拳を握り合わせる。空気が指の隙間から悲鳴をあげて逃げて行った。


 *


 指示待状態コマンド・モオド中の武装妖精アアマド・ピクシイや、攻撃形態進化アタツク・フオム・エヴオリウシオンした使役獣は、魔法結合マジカ・コネクトにより御主人様の動きと連動することになる。

 魔法世界ならではの物理法則を完全に無視した実に都合の良い前提条件だが、それがなければ生体装甲バイオ・アアマの移動速度は、武装妖精や使役獣に依存することになる。

 流石に彩さんと連携するためにはその速度にあわせる必要があり、『神白狼』は七割程度の能力で移動していた。何度か一緒に訓練もしていたので、彩さんもその辺は察しているようだが、あえて口には出さない。そんな余裕があるのならば移動に集中したほうがよいとばかりに、先行で牧草地帯を駆け抜ける。

 接近に気づいた敵陣営の武装妖精が魔法攻撃マジカ・アタツクを試みるが、移動速度にあわせきれないために、後方ないしは前方に火炎や氷柱、雷撃が流れる。

 土石流は広範囲に影響するために進行速度を遅らせる手段としては有効で、実際、最初のうちは僕たちの行く手にはいくつかの土壁が出現していた。しかし、これは僕たちにとって好都合で、レイルガンの砲撃や魔法攻撃からの遮蔽物になる。それに、生体装甲の機動性からすると、障害物のハアドル程度の邪魔にしかならない。

 いつのまにか土石流も止んで、使役獣による直接攻撃に移行する。

 先行する彩さんは共有概念コモン・イデアから入手したミツドランド王国近衛騎士団の正式剣技ソウド・スキルに、自身の演技経験で体得した武術を組み合わせて迎撃する。そもそもが機動性重視の軽装甲型だから、攻撃系使役獣の動きにあわせることは困難ではない。

 左右から接近してきた使役獣を、『政宗マサムネ』はすれ違いざまに大太刀で両断した。


 *


「合図出ましたぁ!」

「よっしゃあ! 出番だよ、みんな」

「おう、待ってました!」

 黒き颶風が動き始める。


 *


 彩は、自分に接近する敵との間合いを冷静に推し量る。

(右のほうがわずかに速い!)

政宗マサムネ』をそちらに寄せて先に間合いに踏み込む。

 剣の世界で言うところの「先の先」。

 大太刀がライオンに似た使役獣エンプロイメント・ビイストの頭部を跳ね飛ばす。

 自分が冷静にその様子を観察していることに彩は驚く。

 個蟲ゾイドによる調整の結果だろうか。

 心裡シンリ面にまで影響が及ぶという話は聞いたことがない。

 しかし、その思考を掘り下げている暇はなく、すぐさま左からの敵の動きを補足することに専念する。

 そちらは相手が既に間合いに入り込んでおり、覆いかぶさるように視界を塞いでいた。

(遅い!)

 下から救い上げるように大太刀を一閃する。

 剣の世界で言うところの「後の先」。

 腹を半分まで割かれた使役獣は吹き飛ぶ。

 身体が縦横無尽に動く。

(もっと堅くなってぎこちなくなるものと思っていたのに――)

 彩の口元が思わず綻ぶ。

 雄一の位置を確認すると、彼は彩の周囲で支援に徹していた。

 トンフアの握りが掌中で回転する度に、犬に似た使役獣が一体ずつ確実に後退する。

 よくもまあ、あの使い辛い武器を短期間であそこまで使えるようになったものだ。

 彼の従者が、降り注ぐ魔法攻撃に対して小まめにカウンタアをあててゆく。

 火には火、氷には氷、雷撃には雷撃、土には土。

 エネルギイが空中で釣り合い、音と光を発して消滅してゆく。

 それでカバアしきれない流れ弾のような攻撃は、彼がフワと呼んだ使役獣が弾き返していた。

 自分の従者たちの動きを確認する。

 武装妖精はノラを中心として同様に魔法攻撃の中和に励んでおり、攻撃系使役獣は同型の使役獣の首筋を捉えて振り回していた。

 索敵型は上空で全体の状況を補足している。

 こちらの連携も訓練通りだが、

(しかし、まだ物足りない――)

 雄一の従者たちの動きは二割ほど早く、互いの連携の強固さは比べものにならない。 

(いったいどうやって――)

 そこで彩の思考は途切れる。

 次の瞬間、大太刀は上空から接近してきた大鷲のような使役獣を撫で斬りにしていた。


 *


 僕は戦場に線を引く。

 彩さんを中心とした直径一〇目取メトルの半球。

 彼女の動きに連動して位置を変えてゆく半球。

 それを防衛線として、その中に入ってきた敵を叩く。

「前、左二!」

「後ろ、右一!」

 前方は僕が、後方はヨルが補足を分担する。

 指示待状態コマンド・モオドから戦闘状態バトル・モオドに移行すると同時に、概念共有イデア・コネクトによる位置情報のやりとりが可能になった。

 前回の戦闘では感じなかった、頭の後ろに目があるような感覚。

 右後方からの使役獣の攻撃を、自分の視界で捉えることなく回したトンフアで弾き飛ばす。

 それにマリイからの概念共有が重なる。

「二時! 氷!」

おう!」

 半球上の一点に氷の矢が突き刺さり、内側からミキの氷の矢が迎撃する。四散。

 大きめの破片はフワが防御する。彼は正確に半球の中間地点を移動し、仲間たちへの影響を最小限に食い止めていた。

 半球状の防衛ラインが概念共有により全員に行き渡る。

 三次元の知覚に若干の戸惑いを残しながらも、

(これがボルザの戦闘なのか?)

 カオルが土石流を壁で抑え込むところを知覚しながら、僕はそう考える。

 その時点では、それがどんなに異質な状態なのかを、僕は知らなかった。


 *


 王宮内にはレイルガンの砲撃が降り注ぐ振動が、断続的に伝わっていた。

こく! 『神白狼ヂンパイロウ』と『政宗』が敵陣に重なりました」

「状況報告!」

 巫女ミコの報告に教授プロフエサアが反応する。

! 戦闘は四つの地域に分かれて継続中。生体装甲の反応消失は、現時点でゼロ。先行した『ロン』と『白蓮ビヤクレン』が敵の生体装甲を引き付けている模様」

「『訶梨帝母ハアリテイ』は?」

「覇! いまだ現れず」

 教授はそこで腕組みをする。

 生体装甲部隊しか展開していない現状で、王宮の一室にある指揮所で知り得ることは少ない。

 ミツドランドの政体装甲による敵味方識別判定フレンド・オア・フオウの結果と、守備兵の視覚情報ビジユアル・インフオメイシオンに依存する。

 圧倒的な情報不足。これも教授が籠城戦を忌避した理由の一つである。

 自群の動きはなんとか分かる。しかし、相手の動きが見当もつかない。

 教授の腕に力が籠る。

(どこにいる?)

 この戦闘において最大のポイントとなるもの。それは、

(『訶梨帝母ハアリテイ』と『神白狼』がいつどこで遭遇することになるか、だ)


 *


 王宮の一室。

もろいな」

 姫君は無表情で呟く。

 前に控えた神官の裡面傾向ステイタスには、城壁内の被害状況が表示されていた。

「御意」

 横に直立不動していた枯れ木のような老人が応じる。

「これまでだな」

 姫君は無表情で呟く。

「……御意」

 枯れ木のような老人の声に初めて微妙な躊躇ためらいが混じる。

 姫君は知らない。老人が最終局面の準備を密かに始めていることを。


 *


「姉御、前線が相当へこんでいますぜ」

「無様だねぇ、こりゃ。気合いで押し込まれてるよ」

「先行しちゃっても構わんですか?」

「そいつはいいね! 景気づけだ、ど派手にやりな」

「そうこなくちゃ!」

 彼女を取り囲んでいた部下達が加速する。


 *


 おかしな気配が防衛線に迫ってくる。

 ヨルの首から背中にかけての毛が、一斉に逆立った。

(来る!)

 気配は大きく分けて二つ。

 手前と向こう、特に向こうのやつは危険だ。

 幾度も戦場を駆け廻った経験から考えても、三本の指に入る相手だ。


 *


「目標、白!」

「黒は無視か? あれ、女だろ」

「色気出してんじゃないわよ」

「この間も振られたよね?」

「こりない奴だな」

 彼らは掛け合いながら動きを完全に一致させる。


 *


 ヨルの緊張が、僕に皮裡皮裡ひりひりとした皮膚感覚として伝わってくる。

 しかし、向こうのやつを心配している暇はない。

 敵陣営の武装妖精アアマド・ピクシイ使役獣エンプロイメント・ビイストが慌てて後退する。

 戦場には僕と彩さんを中心とした空白地帯が出現した。

 そこに、敵陣営の一角を破って黒い生体装甲が走り出してくる。

 単機に見えるそれは、剣を握った腕を四方から突き出していた。


 *


御主人様マスタア!」

 ヨルの警告。

 僕は状況を理解する。

「有り難う――エリイ、ミキ、タンポポ、カオルの順で右から」

「「「おう!」」」

 フワは前面に移動した。


 *


 ヘルムホルツ共和国軍内でその名を知られた、『訶梨帝母ハアリテイ』配下の四神獣。

 それが縦一線から四方に展開する。

 右上方からは青龍――マリイの火炎弾を剣で弾く勢いで後退。

 右下方からは白虎――ミキの氷柱を側転で躱し、間合いの外へ。

 左上方からは朱雀――タンポポの雷撃を剣で受け、本体は即座に離脱。

 左下方からは玄武――カオルの土石流に蹴りで応じ、身体を捻って圏外へ。


 *


 四神獣の真ん中には、投擲用の短槍を構えた生体装甲が隠れていた。

「ふんぬっ!」

 彼は持った短槍を投げる。

 それは確実に『神白狼ヂンパイロウ』を捉える線上に乗っていたものの、フワが展開してその短槍を受け止めた。

 彼らが姿を現してから十秒。

『神白狼』の足は終始、全く動いていない。


 *


「すげえや!」

「まじかよ?」

「読まれた?」

「まさか!?」

「あちゃあ!」

 今まで決して見切られたことのない同時攻撃をあっさりと処理されたことに、五人は衝撃よりも感嘆の声をあげつつ、『神白狼』を囲んで間合いをあける。


 *


 彩は見切れなかった。

 敵陣から突風のような鋭さで生体装甲が現われ、それが眼前で四方に分裂した瞬間に、雄一の武装妖精が魔法攻撃マジカ・アタツクで個々に迎撃し、真ん中に残った一機から投擲された短槍は使役獣が処理した。

 文字に直すとそうなるが、反射神経でも追い切れない瞬間の出来事だった。

 敵は等間隔で前方に並んでいる。

 よく見るとヨロイの処理に微妙な違いはあるものの、遠目には同じ機体にしか見えない。

 こうなるように自ら仕組んだのだろう。


 *


こく! 四神獣出現しました。『神白狼』が応戦」

 巫女みこの宣言に司令室内の緊張は一気に高まる。

(ついに現れたか――)

 教授プロフエサアが胸の下で組んでいた両腕に力を込めると、ミザアルが彼女の肩に柔らかく腰を下ろし、頬に掌を当てた。

 その真意を汲み取り、教授は込めた力を解く。

(そう。今はまだ雄一を見守ることしか私にはできない――)


 *


 僕は気配を感じる。

 目の前に並んだ五体の生体装甲の向こう側からやってくる、それ。

 大きい、気配だけで視界が暗くなるようだ。

(もう、これはトンフアだけじゃあ太刀打ちできない)

 僕は両手のトンフアを地面に突き立てると、視線で外部記憶アウタア・メモリイを起動する。

 そのことにもう躊躇ためらいはなかった。


 *


『神白狼』の右腕から剣が顔を出すのを見て、彩は思わずむっとした。

 無論、ここは戦場であり、雄一の判断は合理的であり、自分が嫉妬なんかしている場合ではない。

 彼女の理性はそれを認めている。

(仕方ないけど――)

 やはりむっとするし、気に入らない。

「その位置を私に明け渡せ」と、彼女の感情が全否定するのを彩は止められない。


 *


 僕は高まった興奮を息とともに大きく吐き出すと、前方から来る気配を睨みつけた。

 濃度はさらに高まってゆく。

 そして、それは具体的なものの形を取り始めた。

 敵先陣の中に、遠目にも通常の生体装甲の二倍はありそうに見える異形の姿が、ある。

 僕はミツドランド王国近衛騎士団の公式剣技スタンダアド・ソウド・スキル――「大樹タイジユ」の構えを起動する。

 いつの間にか左腕の剣も姿を現していた。


 *


「遅くなってすまないね」

 敵陣営の中から一歩踏み出した『訶梨帝母ハアリテイ』から、そんな呑気な女の声が発せられて戦場に響き渡った。

「人を待たせるのが私の悪い癖でね。勿体ぶり過ぎて客が逃げたりしてないかい?」

 個蟲ゾイド内部群体インナア・コロニイは、機能分化フアンクシオナル・スペシアライゼイシオンして発声器官を構成する。だから、生体装甲バイオ・アアマ生体融合者パイロツトの声で会話を始めてもおかしくはない。しかし、話の内容がその場の空気に全然あっていなかった。

「姉御、すいません」

 部下の一人がその声に気軽に応じる。

「攻撃をかわされちまいました」

「おや、珍しいことがあるもんだね。お前達の連続攻撃が効かなかったのかい?」

「へい、残念ながらやつの足すら動かすことができませんでした」

「おお、そうかい。そいつぁ美味しそうな話だねぇ」

 部下と実音声で肩の力が抜けた会話を続けながら、『訶梨帝母』はゆっくりと前に歩み出る。

 地上高が通常の生体装甲よりも頭一つ分、高い。

 さらにヨロイが、鍬形クワガタシコロ吹返フキカエシ大袖オオソデ草摺クサズリの全てにおいて過剰に発達している。実用性を欠いた観賞用のような造形の鎧は、通常の生体装甲と比較して質量が一・五倍近くありそうだ。

 しかし、その足取りは滑らかである。

 左右の手には金属製のツチが握られており、その各々が破城鎚と見紛うほどの太さだった。彼女はそれを実に軽々と振り回す。右手の一本を振り上げて肩に当てる際、風を切る鋭い音がした。

 雄一はその一部始終を、すっかり毒気を抜かれて眺めていた。

御主人様マスタア!」

 ヨルの一喝に、彼ははっとする。『神白狼ヂンパイロウ』の両腕の剣が、地離地離じりじりと姿を隠しそうになっていたので、雄一は気を引き締め直した。

(――危なかった)

 今の会話は、彼らが戦場の主導権を握るための常套手段に違いない。

「ふうん。小細工は効かなかったようだね」

『訶梨帝母』は『神白狼』の動きを眺めて、感心したように言った。

「それにしても噂通り成りが小さい装甲だね。なんだか子供をいじめるようで気が進まないなあ」

 そう言いながら、『訶梨帝母』は左の鎚も肩に当てる。確かに通常より遥かに大きい『訶梨帝母』と、通常より目立って小さい『神白狼』の差は、見た目で高校生と小学生ほどの違いがあった。

 しかし、その言葉とは裏腹に『訶梨帝母』はやる気満々である。

「戦場に出てきたのだから覚悟が決まっているんだよね。それじゃあ、始めようじゃないか」

 そう言うと腰を軽く沈めて、突撃体制に入る。

 彩はその様子を、先程までの雄一と同じように、夢か何かのようにぼんやりと眺めていた。

「彩さん」

 雄一の声にはっとする。

「あ、ごめん。私、ぼおっとしてた」

「僕もそうでした。それが彼らの手なんだと思います。それで、お願いがあるんですが――」

「何、もう大丈夫だから言ってちょうだい」

 彩の目の前で『神白狼』の腰が沈み込む。

「――しばらくの間、手を出さないでもらえますか」

 そう言うやいなや、彼は『訶梨帝母』に向かって疾駆した。両腕を交叉したまま、『神白狼』は『訶梨帝母』に低い姿勢で接近する。

「ほう。この私に先制攻撃とは、なかなか話が分かるじゃないか」

『訶梨帝母』は、さらに腰を落とすと両腕を前に出した。

 鎚は掌と肩の線上に平行に乗っている。

 雄一はまず、その堅牢な守りの構えを崩そうと試みた。

「エリイ、ミキ、タンポポ、カオル、順に」

「「「おう!」」」

 魔法攻撃が『訶梨帝母』に降り注ぐ。

 エリイの火炎弾は、身じろぎ程度の動きでかわされた。

 ミキの氷柱は、右の鎚の一閃で微塵に帰る。

 タンポポの雷撃は、地面に立てられた左の鎚を経由して放電される。

 カオルの土石流は、軽やかな足さばきでかわされた。

 魔法攻撃のさばきに慣れた古強者の余裕。

『神白狼』は間合いに入ると、右腕の剣を右下から斜め上にすくい上げる。 

『訶梨帝母』は、左手の鎚で鋭く剣の身幅を打った。


 ぢん


 それだけで『神白狼』の全身が右方向に放り出される。足を滑らせて姿勢を保った。

「ヨル、大丈夫?」

「なんとか!」

 彼は『神白狼』の鎧の継ぎ目に足の爪をひっかけて、ぎりぎりのところで踏ん張っている。

(凄まじい膂力だ! 腕の力しか使っていないはずなのに、それに対抗できない! しかも剣の刃をわざと避けて、側面を打つなんて!)

 カオルが再び土石流を試みようとしている。その気配を察知したのか、『訶梨帝母』は鎚を一振りした。間合いの中ではないから当りはしないが、その風圧だけでカオルは吹き飛ぶ。フワが途中で受け止めなければ、彼は地面に叩きつけられていただろう。

 雄一は即座に決断する。

「みんな、僕から離れて待機!」

 同時に雄一は指示待状態スタンバイ・モオドすら解除した。

 御主人様マスタアの命令に、従者ジウサ達は渋々ながらも後退してゆく。

「いいねえ、お前さんのそのいさぎよさには感服するよ」

 その様子を『訶梨帝母ハアリテイ』は腕組みしながら見守っていた。

「それに、動きを見ていると実によく分かる。お前さんは従者想いの優しい御主人様なんだとね。しかし、戦場で常に従者の心配なんかしていたら自分が命を落とすわな。誰でも、極限状態になれば自分以外の事は考えられないし、考えてはいけない。だから、同時に独立した意識を持った従者を兵器として用いている以上、この世界の戦闘は最終的に非情にならざるをえないんだ。その意識を無視し、存在を無視しなければ、自分が生き残れないから。どんなに優しいふりをしても、結局はお一人様なんだよ。戦場に守るべきものなんか存在してはいけないんだよ」

 彼女は両手の鎚を軽く振り回しながら、淡々と講釈するように語った。

 しかし、彩は聞き逃さない。

(『訶梨帝母』の語りには、微かに自嘲の響きがある)

 それが何に起因するものか、彩には分からない。一瞬、部下である五体の生体装甲バイオ・アアマのことを指しているのかとも考えたが、彼らは最前から大人しく後方待機している。彼女が守るべき範囲には何もない。

 それに、彼らは従者を用いていなかった。地球ガイア人であっても『訶梨帝母』ほどの実力者であれば、武装妖精アアマド・ピクシイ使役獣エンプロイメント・ビイストを多数従えていてもおかしくはない。同じく歴戦のつわものと思われる部下達のそれとあわせれば、優に一個師団を構成することができるはずだ。にも拘らず、部隊を構成しているのは六体の生体装甲だけである。

 その点について『訶梨帝母』が語り始める。

「私も最初の頃は従者を使っていたけどね。言葉をしゃべるものだから一緒にいると情が移るし、戦場で死なれると派手に落ち込んだ。じゃあ、ただの兵器と割り切ってその個性を無視できればいいのだけれど、なまじ話が通じるものだから、どうしても非情になり切れない。かといって、戦闘中に気を遣っている暇なんかないから、やっぱり死ぬ。次の候補者探しも面倒になって、最終的に一人でいいやと割り切った。お陰で本当に気楽だよ。戦いの最中は自分一人のことだけ考えればいいんだから。お前も生き残っていれば、最後にはきっとそうなる。まあ、今回、生きて帰れないけどな」

 そう言って『訶梨帝母』は笑った。


「――僕はそうならないよ」


 雄一が初めて言葉で応じる。

『訶梨帝母』は腰のところに手をあて、 

「おやおや、ガキの声だね。ミッドランドは日本人の中高生を生体融合者パイロットに採用していると聞いてはいたけど、それにしても罪作りなことをするもんだね。同世代との争いすら避けることに汲々として、頭でっかちな夢想の中でしか生きることができないひ弱で未熟なガキなんか、リアルな戦闘に向くわけないじゃないか。飛び散る血しぶきと肉片に精神のバランスを崩して、とち狂って無茶やった挙句にサヨウナラするのが関の山だよ」

 と、頭を振りながら傲然と言い放つ。さらに、右手の鎚を地面に突き立てると、

「ところで、その生体装甲はミッドランドの最新式のやつで、特殊な状況で作られたために滅法硬いそうじゃないか。自分の実力ではない装甲の特殊性能に依存した戦いで、大したことない相手を葬り去った経験だけで、『自分は最強の勇者だ』と勘違いしたんじゃないのかい。最新鋭の特殊装甲を操っていれば歴戦の強者とも互角に渡りあえる、なんていう幻想を抱いてしまったんじゃないのかい。そんなものは絵空事以下なんだよ」

 と、嘲るように一気に言い放った。

「――煽っていく作戦には乗らないよ」

 雄一がそれに、落ち着いた声で応じる。

「僕は自分が弱いことを知っている。そして、僕の従者達もそのことを知っている。だから、彼らは一所懸命に僕を守ろうとする。でも、このままだと僕を守るために彼らが死ぬ。僕にはまだ誰かを守れるだけの力がないから。だから今は彼らに下がってもらった」

「言っている意味が分からないね。それじゃあ、お前は、ここで、一人で、死ぬことを覚悟した、ということじゃないか」

「違うよ」

「ますます分からないね」

「それじゃあ――」

神白狼ヂンパイロウ』は低い姿勢から踏み込む。


 彼は左腕の豪剣を一閃した。『訶梨帝母』はそれを右手の鎚で弾く。

 ぢん

 その勢いで身体を捻り右腕の豪剣を下から上へ。これも左手の鎚により弾かれる。

 ぢん

 さらにその勢いを借りて身体を回しながら左腕の豪剣を振るう。左手の鎚が跳ね返した。

 ぢん


「いいねぇ、実にいいじゃないか。面倒な言葉は置いといて、拳で語り合おうってことかい!」

『神白狼』の連続する斬撃を丁寧に弾き返しながら、『訶梨帝母』は余裕に満ちた声をあげる。

 鋭く切り込む『神白狼ヂンパイロウ』。

 余裕を持って弾く『訶梨帝母ハアリテイ』。

 弾かれた力を借りて、さらに鋭く切り込む『神白狼』。

 やはり余裕を持って弾く『訶梨帝母』。

 大人が子供の拳をさばくような他愛もない光景が続く。どう考えても力の差は歴然としており、周りを囲む兵には『訶梨帝母』が『神白狼』を弄んでいるようにしか見えない。

 部下である五体の生体装甲バイオ・アアマは、力を抜いて状況を楽しんでいた。

「なんで最初から全力出さないかなあ、姉御は」

「すぐに勝負がついたら、つまんないからじゃないの」

「でも――今は身体を休めたほうがいい時期なのに」

「そうだけどさ。姉御にゃ姉御のスタイルがあるからね」

「そうそう、何事にも自然体なのが姉御のいいところだ」

 そんな会話が聞こえている。


 *


 彩もその戦いを見つめていたが、彼女の拳は汗で濡れていた。

(『訶梨帝母』が本気を出してしまえば、雄一君は耐え切れない――)

 手を出さないでほしいと言われたものの、『神白狼』が劣勢に陥ったら介入しようと思う。

(――でも、私が介入したからといって状況が変わる訳ではない)

 両足が小刻みに震えている。彩はそれが『政宗マサムネ』に伝わってしまわないように、祈った。


 *


 索敵型の使役獣エンプロイメント・ビイストにより、現場の状況を視認できるようになった王宮の司令室では、教授プロフヱサアが彩と同じく拳を握っていた。しかし、そのニユアンスは彩のそれと異なる。

(早くしろ、雄一!)

 教授は「その瞬間」が来るを待っていた。そして、その焦りが拳に現れていた。

 前回の戦闘で、雄一は最終的に白狼パイロウを戦場に放った。細かい仕組みまでは分からないものの、あの無数の狼の群れに囲まれたら『訶梨帝母』といえども避けきれないだろう。圧倒的な力の差で押し込まれる前に、必殺技を炸裂させることができれば勝てる。教授はこの戦闘の結末をそう読んでいた。

(だから、早くしろ!)

 雄一にとっては可哀想な焦りを、教授は内心に抱いていた。


 *


 ヨルとミキはその光景を見つめていた。

 彼らは幾多の戦場を体験していた。そして、今は『神白狼』と『訶梨帝母』の動きを間近で眺めていた。さらに、彼らの感覚は地球ガイア人とは異なっていた。

「このような御主人様マスタアは見たことがない」

 ヨルが語る。ここで言う御主人様は一般名詞である。

「そうだな。こんな御主人様マスタアは見たことがない」

 ミキも語る。同じく一般名詞だった。


 *


 連続する攻撃を丹念に弾き返しているうちに、彼女はおかしな感覚に囚われ始めた。

(知っている。この感覚は、既知のものだ)

 脳裡に一人の男の動き浮かび上がってくる。

 そう、あの男――インドラの動きだ。

 彼の洗練された動きに比べると、雄一のそれは遥かに幼稚なものだったが、相手の力を次の攻撃に有効利用しているところは同じである。

 彼女の口角が、きゅっと上がった。

「面白いねえ。実に面白いよ。お前さんは」

 今までも手加減していた訳ではなかったのだが、ここから彼女の鎚の動きは格段に速くなる。

「どこまでついてこられるかな。お楽しみだね」


 *

 

 その時、雄一は別な感覚に戸惑っていた。

『神白狼』の剣が弾かれる度に、下腹部に快感が走る。それが次の攻撃の動機づけとなり、動きが加速する。次第に昂りに飲み込まれそうになり、慌てて抑える。

 その繰り返しも初めての経験だったが、それ以上に彼は戸惑っていた。


 時間感覚が間延びしていく。


 急に『訶梨帝母』の鎚の動きが速くなった。そして、それが今までの自分にはとても対応しきれるものではないことも自覚していた。

 しかし、剣が弾かれる度に『訶梨帝母』の速さをそのまま次の攻撃に利用できてしまう。

 目が慣れることとよく似ている。

 身体が温まっていくことにも似ている。

 彼女が加速するのにあわせて、雄一の感覚が変化して追随しているのだ。

 その時点で彼は知らなかった。フワがそうだったように個蟲ゾイドたちの時間感覚は地球人のそれよりもずっと間延びしていることを。


 *


 彩にもそれが分かり始めていた。

(雄一君の動きが次第に速くなっている!)

 最初のうちは大人と子供の喧嘩程度だったものが、次第に武道大会における初級者の手合わせとなり、みるみるうちに高段者の決勝戦並みになってゆく。既に彩の目では剣と鎚の動きを追い切れなくなっていた。

 いくら生体装甲バイオ・アアマといえども、生体融合者パイロツトである雄一の知覚を超えることはできない。彼の脳がその速度に反応できないからだ。

(すると、目の前の光景はどういう意味になる?)

 彩の脳は急激に動き出す。

 足の震えはいつのまにか消えていた。

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