第十六話 悲劇開幕(トラジデイ・オオプン)

 払暁ふつぎょう

 

 ミツドランド王国の城壁外に侵攻軍の闘気がひたひたと満ちていた。

 事前に「ミツドランド王国は籠城策をとる」ことが漏れており、布陣にあたって邪魔が入る心配がないと分かっていたに違いない。

 昨晩のうちに三々五々到着した共和国軍は、敵地にもかかわらず丁寧に隊列を整えて、整然と営舎を構え、悠々と射程距離すれすれのところに三列のレイルガンを敷設し終えた。

 ここまで万全の布陣を敷かれてしまうと、ミツドランド王国は籠城策以外、選択肢がなくなる。

 戦闘開始のタイミングは完全に共和国軍にゆだねられており、今、彼らの駐屯地ではゆったりとした炊煙があちこちで上がっていた。

 前回ここで手酷い敗北を喫したにもかかわらず、以降は常勝街道を邁進している共和国軍の士気は高い。

 一方で心に余裕があるのか、軍勢のあちこちから陽気な笑い声が聞こえていた。

 生体装甲バイオ・アアマ部隊は、レイルガンの資材を搬送して敷設の作業も担当しているから、必然的にその隣に陣を敷いている。

 それに随伴する食堂車両は、駐屯地であるにも関わらず豪勢な食事を提供する準備で大忙しである。

 基本的に、軍の質は『そこで提供される食事の良し悪し』に比例するものだ。


「姉御――準備できたそうです」

 地球ガイアでは鳴かず飛ばすで、二流大学の非常勤講師を生業なりわいとしていた男が、『訶梨帝母ハアリテイ』の足元で叫んだ。

 あちら側では眼鏡を手放すことが出来なかった彼は、個蟲ゾイドのおかげで常時クリアな視界を保っている。

 そうなると自然に性格もクリアになるようで、聞き取り難い声で講義をしている実像とはかけ離れた明るい声をしていた。

「そうかい、有り難うよ」

 姉御と呼ばれた女は『訶梨帝母』の中で安静を保っていた。

 部下もその辺の事情は承知していたから、こうやって必要がある時にしか呼びにこない。

 彼女は視界の隅にある降機アイコンを押した。

 途端に個蟲が触手をうごめかせて、彼女を外に柔らかく運ぶ。

 変に気を利かせたようなその動きに彼女は苦笑しながら、『訶梨帝母』のくるぶしあたりを叩いて、ゆったりとした足取りで食堂に向かった。


 *


 一方、ミツドランド王国の生体装甲は、格納庫内で出撃準備に余念がない。

 軍の常識として「炊煙が上がっている間は戦闘を避ける」ことになってはいるものの、保証の限りではなかった。

 レイルガンという非常識な武器をたずさえていることもあり、「共和国軍はいつ何をするか分からない」という認識が広がりつつある。

 そのため、指示があった訳でもないのに大半の者は未明のうちに食事を終えていた。

 雄一も同様である。

 混みあう食堂で食べられるだけの量を食べて、明け方前には『神白狼ヂンパイロン』に搭乗していた。


 その時、彼は外部記憶アウタア・メモリイをチヱツクしていた。

 搭乗前までの出来事は、戦闘準備バトル・スタンバイに移行するまでの間に外部記憶アウタア・メモリイ上に同期される。

 もちろん、全ての出来事を外部記憶に留めることは、同期にかかる時間や事後の検索を考えても非効率である。

 そこで、個蟲はその記憶に連動している情動の強さに応じて、はなはだしいものだけを優先して同期していた。

 その後は、本人が再生した数に従って新旧入れ替わる仕組みになっているらしい。

 雄一の外部記憶容量にはまだまだ余裕があったので、入れ替えが生じたことはなかったが、自動同期されなかった記憶が後になって追加された経験はある。

 たまにそれをチエツクしていくうちに、雄一は早い段階で「教授に関連する記憶が最優先で同期、保存されている」ことに気づいていた。

 最初、彼は「出会いの時のインパクトの強さが影響しているんだろう」と思っていたのだが、同じくインパクトが強かった彩に比べても明らかに優先度が高い。

 それに、彼女の姿が視界の端に切れ切れに残っているにすぎない記憶も、外部記憶には丁寧に保存されていた。

 それで彼は、一週間前にやっと自覚したばかりである。

(そうか。僕は教授のことが大好きなんだ)

 彼女の何気ない仕草や心遣いに激しく心を動かされて、瞬時に恋に堕ちていたのであれば、もっと甘酸っぱい気分になれたかもしれない。

 それが「自分の記憶を保存する優先度」という事実から納得させられたため、変に客観的になってしまった。

 昨日の夜もそうだ。

 本来ならば「教授が好きである」ことに気が付いた途端に、目を見ることも話をすることもできないほどに動揺するはずなのに、変に淡々としてしまった。

 しかし、その落ち着きのお陰で「教授の微妙なぎこちなさ」に気が付いたのだから、上出来である。

(自分は不器用で気が利かないから、せめて正直であろう)

 と、彼は思っていた。

 昨日、震える腕で抱いた亜里沙の身体の小ささと、彼女の震えが蘇る。

 抱えている重荷のことは結局聞けなかったが、いつか話してもらえるに違いない。


 *


 生体装甲バイオ・アアマは、生体融合者パイロツトの僅かな心の動きを行動に現す。

 その時、雄一は意識せずに『神白狼ヂンパイロン』の両の拳を開け閉めしていた。

 一緒に出撃しようと近づいてきた彩が、それに気づいて、

「雄一君、なんだか今日は気合いが入っているね」

 と声をかけた。

「そんな、いつもとそう変わらないですよ」

 と言いながら、雄一は『神白狼』を立ち上がらせると、背中のトンフアの位置を直した。

 二本のトンフアは長い棒の部分を交叉させた状態で、『神白狼』の背中にある革に似た材質のフオルダに収まっている。握りの部分は腰のあたりから前に出ているので、そのまま引きだせば使えた。

 彩はその様子を眺めて、さらに続ける。

「ふうん。そうかなあ。何かいいことでもあったんじゃないの?」

「からかわないで下さいよ、彩さん」

「ごめん、ごめん」

 彩は笑いながら謝ったが、実際は今のやりとりでかなりの情報を仕入れていた。

 やはり雄一は「何かいいこと」があったのだ。

 話す時の語尾が、いつもの彼と比べて上がっていた。

 それにトンフアの位置を直した時の、最後の一締めに切れがある。

(これは、教授との間に何かいいことがあっただな)

 依然として「黒幕の指示に従って雄一を奪う」役割を意識してはいた。

 しかし、無理に割り込むようなことはやめている。そんなことをしても、自分が惨めな気分になるだけで効果はない。むしろ長期戦を覚悟して、割り込む隙を虎視眈々と狙うほうが得策だと考えている。

 また、彼女の心は矛盾した思いを抱えていた。

 このまま二人が上手くいってくれないかな、と願う自分がいる。反面、その位置を譲ってほしいと願う自分がいる。

 そのような矛盾を、なぜか彩は素直に受け入れることができた。

 彼女は、女優だった頃の突っ張った気持ちがほどけて、いい具合に肩の力が抜けて自分の心に正直になっていることを自覚していた。

 時折、昔の「頭で、理性で、理詰めで」役を演じていた自分を思い出して、今ならばもっと違った形で自然に演じられそうな気分になる。

 彩は『政宗マサムネ』が左手に持った、鞘入りの大太刀を眺めた。

(これだってそうだ)

 地球ガイアの自分なら、こんな扱ったことのないものを急に与えられても、戸惑うだけだ。

 しかし、ボルザに転写された今は、初めての戦闘にもかかわらず上手に演じられそうな気がする。

 そんなことを彩が考えていると――


 格納庫の外扉が軋みをあげながら開き始めた。


 時間である。

(さあ、劇場の幕が上がった)

 彩は小さく息を吐くと、

「それじゃあ行きましょうか、雄一君」

 と声をかけた。そして、そこでやっと彼の様子がおかしいことに気づく。

 雄一は外扉のほうを見ていなかった。

 その逆――格納庫の入口のほうを向いていた。

 入口の扉は細く開けられていて、そこだけが浮き上がるように、切り取られたように明るかった。

 よく見ると、その下の端に生物の影がある。逆光なので「かなり小さい生物」ということしか分からない。

 地球ガイアの猫ほどだろうか。

 自分の使役獣エンプロイメント・ビイストも小型だが、それでも地球の大型犬より大きい。『政宗』の視野の倍率を上げて、照度も調整してみる。

 それでやっと判別できた姿は、やはり地球の黒猫だった。

 目だけが明るい緑色に輝いている。そして、雄一を見つめていた。

 その方向を向いていた雄一が、ぽつりと言った。

「おかえりなさい。ずっと帰ってくるのを待っていたよ」

 猫は言った。

「間に合ってよかった、御主人様マスタア

 それは、前に彼から話を聞いていた彼の使役獣――ヨルだった。


 *


 一緒に定められた場所に移動しながら、エリイは驚いていた。

(御主人様の使役獣は、年寄りで大型の攻撃系だと聞いていたのに――)

 目の前を一所懸命走っている使役獣は、武装妖精アアマド・ピクシイとそう変わらない大きさだった。これまで一緒に戦った攻撃系使役獣の中で、一番小さい。

 前回の戦闘で負った怪我の影響を振り払うために、殆ど成功例のない『核』の分離を試み、それで実態が極小化したのだという。

 それに加えて、彼はいきなりミキと親しげに話を始めた。聞けば、一緒に同じ御主人様のもとで戦ったことがあるという。

(なんだか意外だなあ)

 そこまでの戦歴を持った古兵には見えない。

 エリイが戸惑っていると、彼がエリイのほうを向いて喋った。

「すまぬ、エリイ。聞きたいことがあるのだ」

「あ、はい。なんでしょうか、ヨル」

「エリイが世話係コンシエルジユになってから、御主人様の周辺でおかしな動きをしている武装妖精アアマド・ピクシイを見たことはないか」

 唐突で、かつ奇妙な質問にエリイはさらに戸惑う。

「えっと、その、そうですわね。御主人様の周辺という意味では――誰もおりません」

 微妙な言い回しをヨルは聞き逃さなかった。

「御主人様の周辺でなければ、いたのか」

「はい、その――」

 エリイはその時の様子を思い出す。

「琴音様の従者ジウサだと思うのですが、控室でずっと姿を隠していて、琴音さんが迎えに来た途端に飛び出していった子がいました。人見知りが激しい武装妖精だなと思いました」

「ふうむ、してその属性は」

「私と同じ火炎系でしたよ」


 *


 前回のとの戦闘で、雄一の持ち場は「正門左側」とピンポイントで指定されていた。

 ところが今回、城壁外における生体装甲バイオ・アアマの配置は細かく指定されていない。

 それもそのはずである。

 ミツドランド王国の城壁は巨大であるから、そもそも全域を二十五体だけでカバアできる訳がない。

 だからといって周囲に生体装甲を均等配置したのでは、最初から戦力を分散してしまうことになる。

 それはどう考えても得策ではないから、とりあえず正門前を配置を定めずにカバアし、その上で後は「出たとこ勝負」でいくこととなった。

 ミツドランドの生体装甲部隊はレイルガンによる狙撃に注意しながら、縦に隊列を組んで移動してゆく。

 雄一は彩の前を、ヘルムホルツの軍勢を眺めたり、仲間の様子を確認しながら歩いた。

 雄一の足元をヨルが駆けている。

 それを武装妖精アアマド・ピクシイたちが追随する。

 前方すぐのところを、劉の『ロン』と琴音の『白蓮ビヤクレン』が、ときおり前後を入れ替えながら進んでいた。

 索敵の都合だが、それは戦場には似合わない舞踏ダンスのような優雅で滑らかな動きだ。

 そして、彩の後をワキウリの生体装甲『ンガイ』が、なんだかゆらゆらと揺れながら歩いていた。

 キクユ族はキリスト教に改宗する前、独自の一神教を信仰していた。

『ンガイ』は、その古くから伝わる一神教における「ケニア山の頂上に座する神」の名だと、彼は言っていたが、今の挙動では「神」というより「死ぬ寸前の人」のようにしか見えない。

 ワキウリがあれだけ念入りに整備していたにもかかわらず、残念な姿だった。

 しかし、考えてみれば彼だけではなく全体が何とも残念な隊列である。

 今回、王国が「籠城策を取る、生体装甲で城壁外を守る」という方針を主張した際、教授プロフヱサアは「ならばせめて持ち場まで城壁内で移動させろ」と要求していたが、戻ってきたのは「不可」という答えだった。

 ならば『神君シンクン』はどうなのだという教授の追及に対しては、「緊急事態を想定した特例であって、通常状態での機動は一切認めない」という回答が帰ってきたという。

 この、変に硬直化した前例主義や官僚主義が、愚王の存在に次いでミツドランド王国を二等国家に格下げした要因であることに、王都の臣民自身が気が付いていないのだから始末におえない。

 ともかく、彼らは城壁外を移動せざるをえなかった。

 城壁間際は魔法防御マジカ・シイルドの有効範囲内ではあったが、レイルガンに対しては無防備だ。

 今砲撃をされたら使役獣の防御があったとしても、多少はダメイジを受けることになる。

 無論、ミツドランドの生体装甲の機動性はずば抜けて高いので、ただ砲撃の的になるだけということにはならない。

 特に、桁違いに装甲が強固で機動性に優れた『神白狼ヂンパイロウ』がいる。

ロン』や『白蓮ビヤクレン』もいる。

 彼らがレイルガンを掃討している間だけでも、防御系使役獣がレイルガンから城壁を守ってくれれば、苦戦はしてもなんとか全滅は避けられるだろう。

 ミツドランドは機動性重視の生体装甲が多かったので、その点からも作戦の選択肢は多くなかった。

 守りを固め、神速の寡兵で敵陣の重要拠点のみを短時間で叩く。

 素早く退避したところで、味方の兵が出陣する。

 作戦としてはおかしくない。

 だから、誰もがそのような段取りを想定していた。

 最優先はレイルガンの無力化である。

 それに成功すれば従来の戦闘と何も変わらない。

 近衛軍が出てくるので、城壁外での総力戦となる。

 その作戦の中心に置かれていた雄一自身は、そのことを意識していない。

 彼は周囲を見回しながら移動する途中で、一〇目取メトルぐらいの間隔で城壁上空にフワ型の防御系使役獣が待機していることに気づき、今はそれを丹念に眺めていた。

 周辺すべてをあれでカバアしたのであれば、膨大な数になる。

 いったいどのような方法でそれだけの数の「フワ」を準備したのか疑問に思うが、その点は教授も「分からない」と言っていた。

(それにしてもオリジナル・フワはどこにいるのだろう)

 雄一には、自分ならば一目で分かるに違いないという不思議な自信があった。


 *


 教授はその時、近衛軍指令部で怒り狂っていた。

「グイネル、今更何を言っているのだ!?」

「言葉の通りだ。ガイスト中将は生体装甲が前線を維持している間、兵力を城壁外に出すつもりはない。防御系使役獣と生体装甲でなんとかしてくれと言っている」

「生体装甲だけでヘルムホルツ軍をすべて追い返せと言うのか?」

「そこまでは言っておらん。レイルガンを無効化して、とりあえずの膠着状態を作り上げてくれれば、それで十分だ」

「十分、だと?」

 教授は信じられないことを聞いたという顔をした。

 それに対して、筆頭大神官グイネルは苦虫を噛み殺したような顔で答える。

「そうだ。膠着状態になれば後は近衛軍団が籠城戦で持ちこたえる」

「籠城、だと?」

「くどいな。前からそう言っているではないか」

「言ったからどうした。それがそのまま現実になるとでも思っているのか?」

「言語化されない夢は実現されない」

 グイネルはぽつりと呟く。

 その口調から、グイネル本人もそれを信じていないことが伝わってくる。

 教授は呆れていた。

 この非常時においても、神官たちは近衛軍団に従属するということか。

「……箴言めいたことを言っても、現実は変わらないぞ。何度も言うが、生体装甲部隊だけで前線を維持するのは不可能だ」

「使役獣もいるではないか」

「実戦を想定した試験は完了しておるのか」

「……実戦はしばらくなかったのでな」

「世迷言を!」

 つまり、実戦で役にたつかどうかまでを神に委ねた、ということだ。


 *


 彼女は『訶梨帝母ハーリティー』の中で身じろぎをした。

 昔から待つのは苦手だった。

 生まれながらの性格がそうだったが、守りに徹した親友がいたことも大きい。彼女と一緒にいると、自分が攻めに徹していないとバランスが悪かったのだ。だから、状況を静かに見守るよりも介入して望んだ方向に変えることのほうが得意だった。

大鎚おおづちを手にして戦場を駆け廻っているほうが、自分には似合っている)

 そう考えた途端に、その大鎚を持った右手が震える。

 部下達が自分を囲むように待機していたが、その生体装甲バイオ・アーマーは彼らの心裡シンリを反映して、微妙に震えていた。彼らもじっとしているのが苦手なのだ。

 似た者同士、あっちの世界でもこっちの世界でも生き難い者達が、寄り集まって徒党を組んでいる。

 彼女には彼らの不器用さが、とても愛おしかった。彼らを守ってやりたかったし、こっちの世界で「人間としての生」を十分に謳歌させてやりたかった。だから、自分が率先垂範して「人間として」生きてきたのだ。

 それに、この戦いに勝利すれば、また一歩自分が築き上げてきた世界の実現に近づくことができる。

 そう考えると、大鎚を持った右手がまた震えた。

(しかし――)

 今回の作戦については、事前に指揮官から話を聞いている。しかも、

「お前たちはいつも勝手なことをするからな」

 と、何度も合図があるまでは動かないように念を押された。彼女はその時の、指揮官の苦虫を噛み潰したような顔を思い出すと、苦笑して全身の力を抜き、個蟲ゾイドに身を預ける。

 正直、待つのは苦手だが、今回の作戦に限っては待機している間にすべてが完了してくれると有り難い。

(激しい戦闘は避けたいものだ)

 彼女は心の中で、決して部下には聞かせられない独白をする。


 *

 

 正門付近に到達すると、それまで整然と進んでいた生体装甲は思い思いの位置に散開していった。

 雄一は彩と共に正門の手前で待機する。

 エリイ、ミキ、タンポポ、カオルは指示待状態コマンド・モオドに移行して雄一の前に浮かんでいる。

 その下にはヨルが四肢を広げて地に屹立していた。攻撃形態進化アタツク・フオム・エヴオリウシオンを行うにはエネルギイが不足しているらしい。只の子猫にしか見えないが、その体躯には気が充実していた。

 彩の従者ジウサも配置についている。

 そんな中で、

「のどかな風景ですね。これから殺し合いだというのに」

 と、彩が穏やかに言った。

「そうですね」

 雄一が短く答える。彼もちょうど同じことを考えていたのだ。

 近景には緑色の牧草地帯。

 遠景には頭を白くした高山地帯。

 その手前に時折陽光を反射する軍勢がいなければ、牧歌的な風景である。

「――実感が沸かないな」

 彩がぽつりと言った。

 役になり切ることに慣れた彼女のストックには「女兵士」も存在していた。既にそれを呼び出して、隙なく構えている。大太刀は既に鞘から出されて右手にあった。そこまで準備万端であるにも関わらず、割り切れない自分を払拭できない。

 その理由も自覚していた。

 彩にはその時点で「自分の身を守る」以外の、戦う理由がない。


 *


 戦端というのは無慈悲かつ無造作に切られる。

 雄一と彩はその一部始終を目撃していた。

 彼らが絵画のような遠景を眺めていると、その手前にある軍勢の中ほどから白銀の輝きが上空に向かって放たれた。

 それは目に追うのが難しいほどの鋭さで、蒼穹に消えていき―― 


 同じ速度で落下してくることを全員に想起させた。  

 

 雄一と彩はフワ型使役獣を見る。

 彼らは動かない。ただ中空に長閑に浮かんでいる。

 その上の、遥かなる高みから微かな唸りが聞こえて――


 それは瞬きする間よりも短い時間のうちに、王宮の外れにある尖塔を瓦礫の山に変える。


 無論、外にいる生体装甲部隊からはそれは直接見えない。しかし全員が、中の惨状を感じとり唖然とした。

 上空に向かっての砲撃。命中率は低いものの、最初から無差別攻撃と割り切れば効果は絶大である。防御型使役獣の対応可能範囲を超えているのか、それは遮るものもなく城壁内に突き刺さってゆく。

 いち早く状況を把握した劉が動いた。琴音も連動する。二人は最大戦速で敵陣営に切り込むべく、駆動を開始した。このままでは、城壁外のほうが城壁内よりも安全と思えるほどである。

 雄一と彩も追随しようとした。

 しかし、それができない。

 いつの間にかワキウリが雄一の足元に倒れ込んでおり、『ンガイ』の両腕が『神白狼ヂンパイロウ』の両足に絡みついていた。

「本当に申し訳ない」

 ワキウリの声が死神のように下から湧き上がってくる。

 同時に前方の軍勢のあちらこちらで、電流の輝きが迸った。

「な――」

 彩は言葉にならない声をあげる。

 そこから先の出来事を、彼女は後々までスロウモウシオン再生できるほど鮮明に記憶した。


 *


『ンガイ』によって足が固定されていた『神白狼ヂンパイロウ』は、それでも両腕の力だけを使って『政宗マサムネ』を強く押し退けた。

 体勢を崩して『神白狼ヂンパイロウ』から身を離した彩の視界に、敵陣営のあちらこちらから殺到するレイルガンの砲弾が見える。

 それは後から思い返すと『神白狼ヂンパイロウ』に向かう軌道に集中しており、その中のいくつかは彼女がいた場所を目指しているように思われた。

 命中していたら、『政宗マサムネ』はひとたまりもない。

 そのことは『神白狼ヂンパイロウ』も同じである。少しだけ持ちこたえる時間が長いだけだ。

 上空からも影が近づいてきた。

 無差別に打ち出された砲弾にしては柔らかなその影は、『神白狼ヂンパイロウ』の前面に到達すると防御幕を形成した。

 フワ型の使役獣エンプロイメント・ビイストである。

 先程の砲弾には身動きもしなかった彼は、雄一の危機に即座に反応した。

 バアジヨンアツプを重ねて狙いが正確となった砲弾の、最初の一つがその防御幕に突き刺さる。

 途端に生じる摩擦熱と閃光。

 次々に殺到する砲弾と、次々に殺到する防御幕。

 彩は地面に転がりながら、それらを見つめる。

 フワ型使役獣は、幾重にも重なって砲弾を受け止めていた。最初の幕は紅蓮の炎を上げて燃え尽きる寸前だ。しかし、砲弾はまだ勢いは止まっていない。防御幕がじりりと後退した。第二の幕が燃え尽きようとしている。

 そこで彩はおかしなことに気づいた。

 フワ達は綺麗に重なっておらず、右と左に少しずつずれていた。

 そして、中心部の厚みがそろそろ心許なくなってきた時には、左右にお椀上の軌道を形成していた。

 初弾の到達からここまでに要した時間は、五秒。

 次に生じた現象に、彩は目を疑った。

 中心部に位置するフワ型使役獣が身じろぎする。すると、回転している砲弾は、左右に振り分けられてその湾曲した面を滑り出した。そして、そのまま来た道を戻ってゆく。湾曲した面は中心に向かって収縮し、砲弾が戻る軌道を変えてゆく。敵軍勢のあちらこちらに砲弾が着弾したことによる火災が発生していった。

 初弾の到達からここまでに要した時間は八秒。

 レイルガンによる最後の砲撃が元の場所に帰ったところで、十秒が経過していた。


 彩は身を起こすと『神白狼ヂンパイロウ』のほうを見た。

神白狼ヂンパイロウ』は上半身を屈めている。両の拳が胸の前で組み合わせられていた。あちらこちらに弾き飛ばされていた雄一と彩の従者達が集まってくる。

御主人様マスタア!」

 という、エリイの叫び声に対して、

「大丈夫だよ」

 という雄一の回答が聞こえてくる。

 それを聞いて彩は安堵すると同時に、なんだかとても腹が立った。

「もう、急に押したりしないでよ!」

 自分でも言いがかりだとは分かっていたものの、どうしても言わずにいられない。そうしないと彼女は泣き出しそうだった。

「ごめん、説明している暇がなくて」

 と言いながら、彼は『神白狼ヂンパイロウ』の拳を開いた。中からヨルが飛び出す。

「申し訳ない、御主人様マスタア

「二回も同じ思いをするのはごめんだよ、ヨル」

 そして、雄一は足元で脱力している『ンガイ』を一瞥することもなく振り解くと、前に進み出た。

 その前方には炭化した防御癖の残骸がある。ただ、よく見るとその一部が筒状に、縦に丸くなっていた。

「おかえり、フワ」

 そう雄一が声をかけると、筒の周囲の炭がぽろぽろと剥がれ落ちてゆく。その中からは乳白色の幕が現われた。

「これでみんな揃ったね、今回は誰も失わずに済んでよかった。助かったよ、フワ。本当に有り難う」

 そう言って、雄一は万感の思いを込めてフワの表面を撫でる。

 心なしかフワの表面の色が変わったように、彩には思えた。

「じゃあ、今度はこちらから行こうか」

 雄一が背中に手を回してトンフアの握りを持つ。それを抜き放つと胸元で十字に構えた。

「フワ、新しい指示だ。ここにいる全員の命を、可能な限り守る努力をしてほしい。もちろん、君自身も含む」

 フワは微かに上下動した。

「ヨル、君はまだ万全じゃないから、僕の肩に乗ってくれないか。そして、周囲の状況を僕に教えて欲しい」

「承知した、御主人様マスタア

神白狼ヂンパイロウ』が身をががめると、ヨルは勢いよくその肩に駆け上がってゆく。

「エリイ、ミキ、タンポポ、カオル、みんな準備は大丈夫?」

「全員オウケイです!」

 エリイの元気な声がそれに答える。

「彩さん――」

「は、はいっ」

 雄一の急な呼びかけに彩はどもる。

 雄一は気にせず続けた。

「ごめんなさい、僕は頼りないかもしれないけど一緒によろしくお願いします」

 彩はその言葉に唖然とする。

 続いてなんだかお腹の底から元気が湧いてきた。

(そう、私は雄一を守ってあげなければいけないのだ!)

 彼女は大太刀を握りしめると高らかに言い放つ。

 

「お姉さんに任せなさい!!」

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