第十五話 覚悟(プリペアアド)

 同日同時刻。


「彼」は光の届かない湿った部屋の中で、生きていた。

 戦場から回収されたものの役に立たないと判断されて、ここに放棄されてから二ヶ月弱が経過していた。

 生あるものが来てはいけない世界の中で、彼はそれでもまだ生きていた。 

 周囲には腐乱した肉塊が充満して耐え難い臭気を発していたが、全感覚が途切れていた彼にはそんなことは関係がない。

 膨大な努力を結集して、自分の口を開く。

 膨大な努力を結集して、首を傾けて付近にある腐肉を口の中に流し込む。

 膨大な努力を結集して、それを咀嚼して飲み込む。

 ただそれだけのことを二ヶ月弱続けて、やっと「核となる部分が分離可能な」エネルギイを確保しつつあった。

 彼には明確な意識がない。

 だから「命じられた任務を最後まで全うしよう」という、崇高な使命感がある訳ではない。

 にもかかわらず、こんな悲惨な境遇の中で、こんな悲惨な行為を粛々と続けている理由はただ一つ。

御主人様マスタアのところに帰らねば)

 この世界で一人だけ、今も彼のことを心配しているに違いない御主人様マスタアのそばに戻りたい、という帰巣本能だった。

 彼の長い戦歴の中で、ここまで思いを寄せた御主人様はいなかった。

 心酔――それは違う。

 崇拝――それも違う。

 友愛――それが最も近い。

 加えて、焦燥。

 そう、彼は意識なく焦っていた。

(帰って御主人様を守らなければ――)

 そう、彼の御主人様は「こんな世界で死んでよい人物」ではない。


 *


 さらに同日同時刻。


「姉御、全員準備できましたあ!」

 威勢の良い男性の声が脳内に響き渡った。

「そうかい、それじゃあいこうか!」

 それに負けず劣らず、活きの良い女性の声が響いた。

「おう!」

 五つの声が答えた。

 受発信神経結合レシーヴアンドパッシヴ・ナーヴコネクトは実際の空気の振動を伴わないため、隠密行動には極めて都合がよい。

 それに、生体装甲バイオ・アアマは機械ではないから、動き出したからと言って作動音がしないのも都合がよい。その見た目の大きさにもかかわらず、大型の肉食獣が獲物に忍び寄るような「気配」しか感じられないのだ。

 六体の生体装甲から構成されたその部隊は、獣の群れが狩りをする時のように密やかに移動を開始した。


 戦場における生体装甲の移動は「自走」が基本である。

 機動性に劣る生体装甲でも、舗装路であれば使役獣による荷車に載せて運ぶことができるし、実際、そのような方法で戦地を渡り歩く生体装甲も存在はする。

 だが、今回は侵攻作戦であるから、身軽さが優先される。

 レイルガンですら分解されたものを生体装甲に括りつけて搬送しているぐらいだ。

 自給自足で自己修復すら可能な兵器であるから、移動時の無用な消耗を避ける必要性もない。

 生体融合者パイロットは消耗どころか、生体装甲で移動していたほうが調子がよいぐらいである。


 五体の装甲に囲まれて、悠々とした足取りで森の中を移動している中央の装甲は、大きかった。

 目がおかしくなったのではないか、と思うほど通常より大きかった。

 原理的には個蟲ゾイドの密集度合いと装甲の堅さは比例するから、単純に大きいだけの装甲は脆くなるのだが、その装甲は違っていた。

 脆いどころか、通常装甲よりも少し堅い。

 その大きさにもかかわらず、機動性も決して低くなかった。

 周囲のものとまったく遜色のない、軽やかな動きである。

 ただ、地面に足が軽くめり込む重量感は、その静寂さや軽快さとは異なっていた。

 緩やかな起伏を見せる木々の間の道を、静かに、かつ重厚に六体は隊形を守りながら移動してゆく。

(それにしても、深夜の全軍での移動とは珍しいな)

 敵の斥候の目を気にしながら行動しろ、という意味だろうか。

 しかし、闇に紛れたぐらいで使役獣の目をごまかし切れるとは思えない。

(まあ、こういうのは気分や雰囲気も重要だからね。気を引き締めろということだろうよ)

 今回の侵攻軍を指揮している男は、いちいち「戦士の心理状態」のような細かい点まで気にする、顔をあわせるととてもいけ好かない男だった。

 しかし、その実力は認めなければなるまい。

 だいたい嫌な奴ほど実力があって出世するものだし、今回の軍は全体に余裕があって士気も高かった。

 まあ、これまでの戦闘は最初のレイルガンによる砲撃であらかた完了してしまったから、戦士が特に疲労を溜めこむような場面はなかったので、余裕があるのも当然と言えば当然である。

 むしろ「さっさと本格的な近接戦闘をさせろ」という空気すら醸成されている。

 生体装甲部隊は、搭乗していれば個蟲ゾイドが眠気や疲労感も調整チューニングしてくれるから、移動による疲労の蓄積は全く問題にならないし、今回は補給路を確保しながらの移動だったから、一番の懸念材料である糧食の心配がなかった。

 さっきまでたらふく食事にありついていたし、加えて今回の従軍料理長が格段に優れていた。

(臨時雇いを抱え込むとは、随分金をかけたもんだね)

 彼女はそう考えて笑った。

 それだけ今回は気合いが入っているということだろう。

(万全の体制と練りに練られた戦略――まったく悪くないね)

 彼女は気楽に生体装甲を操り、闇の中をゆく。

 しかし、その足取りがいつにもまして慎重であることを、彼女は自覚していなかった。


 *


 真夜中の緊急会合が終了すると、生体融合者パイロツトたちは待機期間に入った。

 ヘルムホルツ共和国の侵攻速度は一定しており、このまま変化がなければ三日後の早朝に王都周辺に到達するという。

 従って、それまでに戦闘準備を終えなければならなかった。

 殆どの者はかき込むように食事をすると、部屋に戻った。

 明け方近くまで食堂に残っていたのは、僕と教授プロフヱサア、彩さん、劉さん、琴音さんの五人だけである。

 教授は、二日に亘って王宮で行われていた緊急会議に出席していたため、非常に疲れた顔をしていた。

 その会議中、彼女はずっと、

「基本的な戦略が『使役獣エンプロイメント・ビイストによる防衛線を利用した籠城』で、生体装甲バイオ・アアマ部隊によるレイルガンの掃討後に全兵力で出撃する、というのは笑止千万」

 と言い続けていた。


 魔法結界マジカ・シイルドが有効であればともかく、レイルガンという遠距離からの物理攻撃を所有するヘルムホルツ共和国を相手に、籠城戦は無意味である。

 防御系の使役獣による城壁防衛線は、検証が完了しておらず、実戦で機能するかどうか定かではない。

 仮に防衛線が機能しなければ、城壁はなくなる。城壁のないミツドランド王都は、拠点となりえない。

 生体装甲を除いた全兵力を城壁内に待機させるというのは、「戦う気がない」と言っているに等しい。

 むしろ、王都から非戦闘員を早急に退避させて、場合によっては王都すら放棄する覚悟が必要である。

 それと同時に、城壁外へ全兵力を分散配置して、レイルガンによる攻撃目標を分散させるべきである。

 機動力のある騎兵、武装妖精アアマド・ピクシイ、使役獣、生体装甲により近接戦闘を仕掛けたほうが、まだ勝算がある。


 そう、ミツドランド王国近衛軍幹部や神官マスタアたちに説いていたに違いない。

 しかし、結局は籠城戦となってしまった。

 その決断の裏には三つの事情がある。


 一つ、これまで敵国の侵攻を阻んできた拠点決戦という戦略と、城壁そのものに対する根拠のない自信。

 二つ、前回の戦闘でレイルガンの砲撃により、城壁の一部が大破したという事実への怯え。

 三つ、防御を固めていれば、今回も生体装甲部隊がなんとかしてくれるのではないか、という意味のない期待。


 根拠のない自信と事実への怯え、意味のない期待で成り立った戦略は、もはや戦略とは言えない。

「前回の戦闘でもっと痛い目にあっておればよかったのだ」

 と教授は吐き捨てるように言った。

「あれは、雄一とその使役獣の信頼関係に基づく奇跡のような防衛線であって、そんなものに全面的に依存しようとするなんて馬鹿げている」 

 それから僕のほうを向くと、

「それに雄一がレイルガンを無効化するために払った犠牲は、そんなに小さくはない」

 と、今度は静かな声で言った。

「生体装甲全機が、それほどの犠牲を払う覚悟で城壁の防衛にあたればなんとかなる、などとよくもまあ言えたものだと思う」

 そこで劉さんが口を挟む。

「あの、フワ型でしたか、防御系使役獣は機能しないのですか」

「それが私にも分からんのだ。培養した個体を用いて何度か検証試験を行ったらしいが、結果は芳しくないと聞いている」

「芳しくない、とは穏やかではありませんね」

「ああ、そうだ。もっとはっきり言ってほしいものだ。あれは機能しない、と」


 沈黙。


「あの、なんだかすいません」

 僕は居たたまれなくなって言った。

「お前が謝ることではない。いろいろ言ったが、結局は王国の中枢がその程度のものだったということだ」

「まったくだね。生体装甲に依存しながらも、その価値を認めない心の狭さは今に始まったことではない」

 教授と劉さんの方向性が同じというのは珍しい。

 そのことに気が付いた二人は、何だか居心地の悪そうな顔をしていた。

「私は前回の戦闘を知らないのですが、今回、生体装甲で持ちこたえることができそうなのですか」

 彩さんがもっともな質問をした。それには教授が端的に答える。

「無理だろうな」

「あの――それは『負け戦で王国が併合される』という意味に聞こえますが」

「その可能性があるという意味では、その通りだ」

「その割には、皆さん淡々としているような気がしますが。私も切迫感を感じませんし」

「所詮は異世界の話だからな」

 教授が切り捨てるように言った。

 そこにさらに彩さんが突っ込む。

「私たちには生体装甲があるから、まだ何とかなるかもしれませんが、それを持たない方々にとっては――」

 そこで教授が目配せをした。

 彼女が上体を前に傾けたので、全員が前かがみになる。

「小声で申し訳ない――」

 教授は話を続ける。

「――このままここで暮らすことのほうが、彼らにとって幸せに繋がるのだろうか?」

 その問いかけには誰も答えられなかった。


 *


 僕の額に軽く汗が浮かんでいた。

 部屋の中にも、それまでの格闘による汗の匂いが微かに漂っていた。

「エリイ、それじゃあ、また入れるよ」

「よろしく、お願い、致します、御主人様マスタア

 エリイは大きく開くために渾身の力を使っているせいか、声が掠れていた。

「やっぱりきついかな」

「そう、ですよね。小さすぎ、ます、よね。でも、思い切り、いって、下さい」

「そうかい、また壊れるかもしれないよ」

「試して、みないと、わかりません、から」

「そうだね、分った。じゃあ、いくよ」

「お願い、致し、ます」

 僕はゆっくりと入っていった。

 しかし、やはりその圧力に耐え切れない。


 微離微離微離びりびりびり――


「はあはあ、やはり無理がございますね」

 一所懸命に布を引っ張っていたエリイは、息を切らしながら言った。

「まあ、二週間前の寸法でお願いしたやつだからねえ」

「出撃準備で、かなりお太りになられましたから」

 僕とエリイは手にぶら下げた布を眺めた。

 カオルが静静しずしずとエリイに近づいて、その布を受け取る。

 そのまま部屋の片隅に戻ると、彼は針仕事を再開した。


 花壇を作る作業中に破れてしまった僕の服を、カオルが見事に補修したことから、

「もっと動きの邪魔にならなくて、脱ぐのも簡単な服は作れないものか」

 という次の行動目標が出来た。

 今日はカオルが作ったサンプルをいくつか試していたのだが、さすがに出撃準備の意図的な暴飲暴食で体型が変わってしまったために、サイズがあわない。

 それで、さきほどから悪戦苦闘していたのだ。

 なるほど、緩やかな一枚布にも意味があったのだなと感心する。

 ただ、カオルはまだ試作を諦めていないようなので、継続して検討をお願いすることにした。

 それにしても、彼が針を操る手捌きはとても繊細で優美だ。思わず見とれてしまう。

 その隣では、石から切り出したらしいトンフアを操っているミキがいる。

 最初のうちはとても扱いずらそうにしていたが、一週間を過ぎた頃から次第に形になってきた。

 そのまた隣では、タンポポがいくつか種を前に並べて、じっくりと眺めている。

 時折、両手に一つずつ種を持って重さを比べたり、軽く放り上げたりしていた。

 さすがにミキとタンポポに裁縫は不案内だったので、ミキにはトンフアの扱い方についての検討を、タンポポには狭い空間でも作れそうな作物の選定とその栽培方法のまとめをお願いしたのだ。

 三人の様子を見ながら、エリイが声をかけて相談に乗っていた。

 一緒に花壇を作り、その維持管理を共同で行ないつつ、その後で個々に新しい課題を設定してもらったことがよかったのかもしれない。

 ただの思いつきにすぎなかった割には、うまく進んでいるようだ。

 それにはエリイの小まめなサポオトが寄与していた。

(やはり、ボルザ人は武装妖精アアマド・ピクシイの使い方を間違えている)

 先日の想いを強くする。

 兵器という目的に限定して使うのはもったいない。個々の妖精の能力は決して低くないのだ。


 そんなことを考えていると、入口の扉を叩く音がした。

  

 僕の部屋に人が訪ねてくるのは初めてだ。

 慌てて室内を見回したが、エリイがちゃんと管理してくれているので、整理整頓は行き届いている。

「はあい、どなたですか?」

 僕は声をあげて扉に向かった。

「私だ。夜分申し訳ない」

 教授プロフヱサアの声が聞こえてくる。

 僕は大慌てで扉を開けた。もともと外出時以外、鍵はかけていない。

「随分と不用心なのだな」

 鍵を開ける音がしなかったことに気づいた教授は苦笑していた。

「夜分恐れ入ります。雄一様」

 いつもの通りミザアルも同行している。

「やあ、こんばんわ、ミザアル。それにしてもどうしてこんな時間に僕のところに」

「特に意味はない。近くまで来たので立ち寄った。迷惑だったかな」

「いや、そんなことはないけど――」

「あの、御主人様……」

 後ろからマリイの声がした。

「その、玄関で立ち話というのもなんですから――」

 ああ、そうだった。

 自分の家に知り合いが来ること自体、地球ガイア時代も含めて初めてのことなので、すっかり舞い上がっていた。


 部屋には椅子とベツドしかないので、僕は椅子のほうに座って、ベツドに教授が座った。

 彼女は物珍しそうに室内を眺めている。

「ふむん、雄一は持ち物が少ないのだな」

「そうかな。うん、そうかもしれないね。他の人の部屋はあまり見たことがないから分からないけど」

 確かに僕の部屋の調度品は、最初にやってきて以降、全く増えていない。

 最初に置いてあったベツドと机と椅子、それだけだ。

 それ以外の生活必需品は、作り付けの棚に置いてある。

 必要になった時に食堂横の窓口で調達していたが、極めてシンプルな生活をしていたため、それも最小限しか置いていない。

 そういえば、地球ガイアの僕の部屋も似たようなものだったと思う。

 時代遅れのデスクトツプパソコンが唯一「自分の持ち物」と言えるもので、他は最低限の生活必需品しか与えられなかった。(その「最低限」すら、よく滞っていた)

 それでも、ネツト環境さえあれば暇つぶしが出来る。

 向こう側では昼夜逆転しかねないほど重度のネツト・ジヤンキイだったし、そこしか自分のいる場所はなかった。


 ボルザにはそれもない。


 共有概念コモン・イデアはインタアネツトに似てはいるが、参照するだけのデエタベエスであって、「個人が情報を発信し、共有する場」ではない。

 しかも転写直後はそれにすら自由に接続できなかった。

 人類居住区域ヒウマン・リビング・エリアに移った直後に武装妖精アアマド・ピクシイ使役獣エンプロイメント・ビイストと出会わなかったならば、『薬の切れた中毒患者』のような気分に陥っていたに違いない。

 そして、物音一つしない静かな夜の中に、暇つぶしの手段を持たずに保吊ぽつりと取り残されて、果てしなくいらつきながら過ごしていたに違いなかった。

 ところが実際は体験が濃密すぎて、そんなことを考える暇すらなかった。

 今ではネツト環境なんかすっかりどうでもよくなっている。

 昔は「持っていない、繋がっていない」ことがとても惨めで耐え難いことだったが、今は「持っていない、繋がっていない」ことが気にならない。

 それに、必要な時には自分から会いに行けばよい。

 きっと相手は受け入れてくれるし、話をしてくれる。

 本来、そのような相手であるべき地球の家族との断絶すら気にならない。

 そもそも父、母、妹が本当に『家族』と呼べるものだったのかも、自分にとってはさだかでないのだ。

(自分は情の薄い冷酷な人間なのだろうか)

 以前はそんな風に困惑したこともあったが、今ではすっかり慣れてしまった。

 むしろ、ボルザで経験した別離のほうが遥かに辛かった。

 そのことから、逆に「「自分が冷酷」という訳ではなく「家族といってもその程度の関係」でしかなかったのだ、と実感したほどである。

 大事な人は向こう側には誰もいない。

 全員こちら側にいる。

 転写当初に感じた『特別な自分』は幻想に過ぎず、こちら側の現実も過酷なものだった。

 しかし、少なくとも自分にとって『特別な存在』だと思える人たちがいる。

 そのことがとても嬉しかった。


「なんだか楽しそうだが、いいことでもあったのか」

 教授が不思議そうな顔をしている。

「いや、そんなこともないんだけど――いや、あるかな。どうだろう」

「なに訳の分からないことを言っているのだ」

 部屋の向こう側でミザアルがミキと話をしている。

 珍しくミキが緊張しているように見えた。

 エリイはお湯を沸かそうとして格闘中だ。

 タンポポとカオルが器の準備をしていた。

 その動きを眺めながら、教授は言った。

「お前の従者ジウサは、いつ見ても仲が良いな。常に一緒に行動しているし、特に指示しなくとも自分の役割を理解しているように見える」

「そうなんですか? ふうん、そういえば他の人の従者をまとめて見たといえば、劉さんと彩さんの従者ぐらいだな」

「……劉の従者と会ったことがあるのか?」

「はい、格納庫で生体装甲バイオ・アアマの整備をしていました。なんだかとても規律が正しくて、劉さんらしいと思いました」

「ふむ、そうか」

 教授は何か言いたげな微妙な顔をしたが、結局何も言わなかった。

「僕の従者はできるだけ自由にさせようと思っているので、ちょっとばらばらで恥かしいですけど」

「いや、そんなことはないぞ」

 エリイが差し出した『紅茶の香りがする抹茶味の飲み物』を受け取り、軽く頭を下げながら教授が言った。

「むしろ感心している。このようなあり方もあったのかと初めて知った」

 教授は武装妖精たちの姿を眺めながら、呟く。

「もっと早くに知っておればな。ミザアルに寂しい思いをさせずにすんだかもしれない」

 彼女がミザアル以外の従者を持っていないことは前に聞いていた。

 その裏に事情があることもなんとなく分かっていた。

 自分もそのような気分になったことがあったからだ。

 だから「今からでも間に合うよ」とは言わなかった。

「ねえ、教授。そういえば聞きたいことがあるんだけど」

「む、何かな」

「ミザアルがあの名前ということは、もしかして他の従者はイワザアルとキカザアル?」

「……ばれたか」

「それはもう。で、どうしても後一人の名前が思いつかないんだ。それとも使役獣まで含めるとあと三つかな?」

「使役獣は別だよ。そして後一人の名前だが――」

 教授は顔を赤くしながら言った。

「――シラレザアルだ」

 何というか、実に教授らしい。

「ところで、わざわざ僕の部屋まで来たということは、何か用事があったんじゃないの?」

 僕がそう尋ねると、教授プロフヱサアはにやりと笑って、

「用事がなければ来てはいけないのか」

 と、質問で返してきた。

「別にいけなくはないけれど――」

 どうやら今日の教授は雑談モオドらしい。

(最近、変に空気が読めるようになってきたな)

 と思いつつ、僕は声に深刻な響きが含まれないように注意しながら切り返す。

「明日にも戦闘開始だという時に『用もないのに部屋に来る』というのは、見事な死亡フラグだよね」

「ああ、それはそうだな」

 教授は先程の動揺からすっかり回復して、しれっとした顔で抹茶味の液体を少し飲んだ。

「戦場に出るのはお前だから、お前のほうのフラグになるのか?」

「えーっ、それは酷いや」

 僕はむくれたふりをした。

 教授も苦笑するふりをする。

「冗談だよ。何かあったら私が必ず助けに行くから安心しろ」

「その台詞も立派なフラグだよ。『そう言ったほうが危機に陥って、身動きが取れなくなる』やつだね」

「じゃあ『今回の戦闘が終わったら、君に伝えたいことがあるんだ』というのはどうだ」

「ああ、よくあるよね。それは『言ったほうが最後に自爆して、敵の侵攻を阻止する』タイプだよね」

「では『大丈夫だよ、僕には必殺技があるから』ならどうなる」

「それは――死亡フラグじゃないね。『必殺技が通じない相手が現われて、ぎりぎりで新たな技を見出して逆転する』ことになるかな」

「ふうむ。では『今回は珍しく本部待機だから危険はないよ』は」

「前線が破られて、本部まで敵が侵攻してくる」

「それでは『大切な物だから、必ず返してくれ』だと」

「大切な物だけが他の人の手を経由して帰ってくる」

「つまり、物語の最終局面では何を言っても何をやっても、逆のことが起きるフラグにしかならない、ということかな」

「――そういえばそうだね」

 僕と教授は顔を見合わせて、それから笑った。

「なんだか緊張感に欠けるな」

「そうだね、明日には誰かを殺すことになるし、自分が死ぬかもしれないのに」


 沈黙。


「教授は今回も王宮のほうに詰めるの?」

「そうだ、近衛軍の本部におる。しかも、今回は珍しく『神君』を一緒に持ってこいとのお達しがあった。それで城壁内は相変わらず稼働不可というから矛盾しているがな」

「へえ、さすがに今回は危ないかもしれないと自覚したんだね」

「どうやらな」

「ふうん、でも前線が崩壊しない限り、教授の出番はないよね」

「そうだな」

「了解。じゃあ、持ちこたえるように頑張ります」

「おや、頼もしいことを言うね」

「へへへ、それほどでも。ただやっぱりフラグっぽいけど」


 沈黙。


「ねえ、教授」

「なんだ」

「もう、フラグとか、そんなことはどうでもよくて、僕は話しておきたいことがあるんだ」

「――分かった、聞こう」

 僕は少しだけ息を深く吸うと、一気に話した。

「このミツドランド王国に住む地球ガイア人が幸福なのか、そうでないのか、そしてどうすれば幸福になれるのか、僕にはまだ分からない。そんな国を守るための戦闘で、同じ地球人を殺すことになるのに、そのことへの実感も罪悪感も、最初はあったと思うんだけれど今は沸いてこない。それがなんだかとても『無責任で身勝手だよな』と、自分でも呆れてしまうんだけれど、ただ、どうしてもこれだけは曲げられないというものがある」

 そこで、少しだけ間を開ける。

 教授は何も言わずに僕を見つめていた。

 その瞳を見ながら、僕は言った。 


「僕はもう大切な仲間を失いたくない。そのために戦う」


「それは――非常に難しいな」

 教授は穏やかにそう言った。

「人によっては『そんなことは無理だ』とはっきり言うだろう。戦場には、安易な理想論や友達感覚が入り込む余地はない。それこそ死亡フラグにすぎない。甘えた考え方がむしろ周囲の者を危険な目にあわせるのだ、とな」

「僕もそう思う。でも、失いたくない」

「お前が仲間を救おうとしたために、それ以外の者が大量に死ぬことになっても、か」

「感情的にはその通りと言いたいところだけれど、そこまで理性は失っていないよ。僕が全世界を救えるわけがない。どうしようもないことだってあるさ。ただ、実際にそんな事態に直面しても、僕は最後の最後まで足掻くつもりだ。足掻いて何とかならないか考える。それでも全然駄目で、僕にはどうすることもできないほどに状況が悪化していたとしたら、僕は――どうするだろう。分からないや。でも間違いなく、僕は仲間を失ったことに深く絶望して、そのことを一生忘れられなくなる。本当に他に出来ることはなかったかと、一生自分を責め続けることになる。既にそんな思いをいくつかしてきたから、これからそうならないようにするために、もう誰も失いたくない」

「まったく――お前は独善的で我儘で強情な男だな」

 と、教授は言った。

 そこには非難する響きはなかった。

「しかし、それがお前の覚悟なのだな。茨の道を素足で踏みしめて、血の足跡を残しながら歩くことになるぞ」

「しかたがないよ、もう決めたことだから」

 僕は淡々と言った。

「本当にそんなに自分が強くいられるかどうか自信はない。自分でも言っていることが、支離滅裂でまとまっていないと思う。物語の主人公ならば、もう少し真面なことを言うと思う。けれど、今は自分で決めたことだからそうあろうと思った。ただそれだけ。理屈はない」

「そうか。決めたのだな」

 教授は静かに念を押した。

「うん、決めた」

「そうか――では、私はそのお前の覚悟を見守ろう」

「宜しくお願いします」

「こちらこそ」

 そうして、僕と教授は一緒に頭を下げる。


 その約束がどんな結末を迎えることになるか、その時点では知るよしもなかった。


 *


 個蟲ゾイドによる生体融合者パイロツト調整チユウニングは万能ではない。

 生体融合者本人が物理的な致命傷を負ってしまった場合、それを回復させるほどの力はなかった。

 しかし、風邪のような病気や体調不良、三日程度の不眠であれば、生体装甲バイオ・アアマに搭乗した途端に問題なく解消する。僕はそのことを経験から知っていた。

 前回のヘルムホルツとの戦闘で、直後こそ心労から横になるとすぐに眠ってしまうことが多かったが、それを過ぎると今度は一時的に不眠に陥っていたのだ。

 その際に個蟲には随分と助けられたので、そのまま一晩中話を続けても翌日の任務に何ら差しさわりがないことは分かっていた。

 しかし、教授プロフヱサアは雑談が一区切りしたところで、

「明日は大変だからな。これで失礼するとしよう」

 と言い、腰をあげた。

 その気配を察したミザアルが、教授の傍に寄り添う。

 僕の部屋は広さこそ十分だったが、それでも所詮はワンルウムだから『見送る』と言っても大層なことにはならない。玄関を開けて二人を送り出す。

「じゃあ、明日は宜しくな」

 と言って右手を振る教授に、僕は少しだけ戸惑いながら言った。

「うん。頑張るよ」


 *


「宜しかったのですか」

 ゆっくりと回廊コリドオを進みながら、ミザアルがそう尋ねる。

「どうだろう。私にも分からないや」

 亜里沙は、暗い顔で答えた。

 雄一の部屋にいた時の余裕はない。

「もっと話をしていたいと思う。その一方でどんどん苦しくなる。こんなことをしても、彼の重荷を増やすだけにしかならないから」

 そう言いながらも、彼女の足取りは重い。

「雄一は、これからさらに重荷を抱えていくことになる。あの無慈悲な『神白狼ヂンパイロウ』は、簡単には彼をこの世界から解放してくれないだろうから。そして、私には彼の重荷を一緒に担って走り続けるだけの時間がない。それならばせめて、彼の重荷になることだけは避けたいのだけれど――」

 亜里沙の足が止まった。


「――でも、忘れられてしまうのも嫌なの。矛盾しているよね。どうしたらいいんだろう。今日だって本当は来ないほうがよかったって分かっている」


 絞り出すような声でそう言うと、彼女は両手で顔を覆った。

 ミザアルは亜里沙の肩に手をあてて寄り添った。

『忘れること』の辛さをずっと抱え続けた亜里沙に寄り添って、言った。

「雄一様は弱い方ではございませんよ」

「分かってる。けれど――」

「それに、御主人様マスタアがせっかく気を利かせても、あの気の利かない方には無駄なようですし」

 ミザアルの口調に違和感を感じて、亜里沙は顔を上げた。

 ミザアルは微笑みながら、回廊の向こうを見つめている。

 亜里沙がその視線の先を追いかけてみると、そこには小さな灯火が見えた。

 それが次第にこちらに向かってくる。

 それとともに、


「……ちょっと待って……」


 と喘ぐように叫ぶ雄一の声も大きくなっていった。

 エリイの灯す火に照らされて、彼の必死に走る姿が見える。

 亜里沙は急いで顔を拭うと『教授』の人格ペルソナを読み込もうとしたが、そこに雄一が待ったをかけた。

「亜里沙は、今、そこに、いるの?」

「――急に何よ。その名前で呼ばれる時は心の準備が必要なんだからね」

「ご免、なさい。でも、亜里沙、いるん、だね。よかっ、た」

 よほど急いで走ってきたのだろう。

 目の前で両膝に手をついて喘いでいる雄一を、亜里沙は驚きの目で眺めた。

「どうかしたの? そんなに急いで?」

「あの、自分でも、よく分からないんだけど、亜里沙に、一言、言っておかなくちゃと、思って」

 途切れ途切れに話すその声が、亜里沙にはとても愛おしい。

 ミザアルが静かに雄一に風を送っている。

 ようやく息を整えたらしい雄一は、顔を上げると言った。

「あの、全然うまく言えないんだけど、亜里沙の心に何か重い荷物があるんだったら、いつでもいいからそれを僕にも持たせてよ。まだ上手く空気が読めないから、言われないと全然気が付かないんだ。言ってくれたら絶対忘れないし、僕は頼りないかもしれないけれど我慢強いから大丈夫だよ。一人で持つより軽いよ。だから、その、えっ――」


 亜里沙は雄一の胸の中に飛び込み、その一瞬、全存在を彼に預ける。

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