第十四話 鬼子母神(キシモジン)

 翌日の朝。

 いつもの時間に食堂で顔を合わせた彩さんは、いつもの様子に戻っていた。

「昨日はごめんなさい。急に泣きだしたので驚いたでしょう? いろいろなことが重なって疲れていたんだと思う」

 そう言いながら、彩さんは恥ずかしそうに笑う。

 彼女は昨日の昼、急に泣き出した後、取り乱した様子のまま食堂から部屋に戻ってしまった。

 しかも、途中で従者ジウサのノラを控室に迎えに行く余裕すら失っていたほどだった。

 とはいえ、深夜の出来事ではないし、武装妖精アアマド・ピクシイは見た目が小さいだけで子供ではないから、単にノラが自力で部屋に戻ればよいだけのことなのだが、念のため教授プロフヱサアが様子見がてら部屋まで送り届けると言っていた。

「部屋の扉に鍵がかかっていたらどうするの」

 と、僕が素朴な疑問を口にしたところ、

「お前の部屋もそうだか、生体融合者パイロツトの宿舎には武装妖精アアマド・ピクシイが出入りできる扉が別に設置されているんだよ。だから全く問題はない」

 と教授は笑って言っていたが、僕はなんとなく『猫の出入り口』を思い出してしまった。

 何はともあれ、昨日の彩さんの変化があまりにも急だったので、「大丈夫かな」と心配していた僕は、ほっとした。

 それと共に、あまりに人間臭い様子を見せた彩さんが、なんだか身近に感じられるようになった。

「僕も前に同じように泣き出しましたから、これでちゃらですよね」

「君の言っていることの意味が全く分からないけれど、ちゃらだね」

 そう言って、二人で笑った。何だかとても肩から力が抜けた。

 それまでの『超有名女優と一般人』という距離感が、嘘のように消えている。

 変な意味でのオーラが消えて、個人としての『安藤彩』が目の前にいる。

 そして、そのほうが彩さんは数倍、綺麗に見えた。

「それで、昨日の話の続きなんだけれど」

「はい……その、何の話でしたっけ?」

 思わず見惚れていた僕はあたふたしてしまった。

 彩さんは少しだけねたような顔をしながら(目は笑っていたが)言った。

「もうすっかり忘れられていたわけね。まあ、私が悪いんだけど。私の『武器』のことよ」

「あ、そういえばそうでしたね」

 その件については、僕自身いまだに忸怩じくじたる思いが残っている。

 しかし、まあ、それは横に置いておくことにした。

「私の『政宗マサムネ』には雄一君の『神白狼ヂンパイロウ』のように刃物が内蔵されていないと思うから、とりあえずの武器は準備したほうがよいと思うんです。それから――」

「それから?」

「――私、思うんだけれど、雄一君もとりあえずの武器を持っていたほうがよいのではないかしら?」

 彩さんのおっしゃる通りです。

 大変申し訳ございませんでした。


 *


 生体装甲バイオ・アアマの格納庫の隣には、管理事務所を挟んで、備品を保管するための倉庫が併設されていた。

 稼働可能な生体装甲の装備品は、格納庫内の生体装甲のかたわらに常時置かれているので、倉庫には過去の生体装甲に関わるものが保管されている。

 僕が指導員であるところの教授に『自分の武器』について尋ねた時、どうしてそのことを教えてくれなかったのか不思議だったので、後になって教授にその理由を尋ねてみたところ、

「ああ、すまん。あれを見せると非稼働になった生体装甲のその後の話をしなくてはいけなくなるので、先延ばしにしていた。そのうちにお前の装甲から剣が出たのでな。話す機会を失った」

 と、言われてしまった。

 しかし、実際に倉庫の中を見た僕は、その雑然とした様子に思わず「これは確かにその意味を探りたくなるかも」と納得してしまった。

 保管されていた武器は、一応、棚に並べられてはいたものの、大半は使えるかどうか怪しい物体に成り下がっていた。

 僕と彩さんは、まず自分の身体で倉庫に入る。

 雑然としすぎていて、生体装甲では目的もなく自由に見て回れないからだ。

 入口から中の様子を一瞥して、僕はすぐに気がついた。

「彩さん、なんだか武器の縮尺がおかしいと思いませんか」

「そうだね。あれなんかサバイバル・ナイフにしか見えないのに、私の身長の半分ぐらいの長さがあるね」

 生体装甲の全長は、だいたい四目取程度。

 生体装甲者の身長に関係なく、個蟲ゾイドの凝集度合いにより若干異なる。

 単純に考えると小さいほうが密度が高くて堅いことになるが、その後の焼結処理なども影響するので、そう簡単に割り切れるものでもないらしい。

 いずれにしても、個体毎に大きく差が出るものではない。

 目に見えて華奢な『神白狼』が異例なのだ。

 従って、比例で考えると地球ガイア人が地球で使用する武器の二倍から三倍の大きさが、生体装甲サイズになるはずだが、倉庫内の武器はそれよりも遥かに大きかった。

 生体装甲の力にあわせた結果だろう。

 また、前にも触れた通り、武器が今ここに保管されているということは、使用していた生体装甲が動かなくなったことを意味している。

 先日の人間居住区域ヒウマン・リビング・エリアの様子を思い出して、僕の気分は少しだけ沈んだか、

「――自分の身は自分で守らなければね」

 と、彩さんがぽつりと呟いた言葉に、目を覚ます。

 そう、僕はもう子供ではいられない。 

 エミのように最後の言葉すら交わすことも出来ずに分かれてしまうことや、ヨルやフワのように一方的に守られるだけの存在になってしまうことや、マリのように自分の激情に溺れて人を利用してしまうことが、これからはないようにしたかった。

(むしろ、僕が従者たちを守れるぐらいに強くならなければ――)

 そう考えながら歩いていると、前のほうから、

「まあ」

 という彩さんの驚きの声が聞こえてきた。

「どうしたんですか彩さん。何か見つけたんですか」

 と言いながら、僕は彩さんのほうに近付いてゆく。

 近付くに従って彩さんの右手側、棚の陰にある『その視線の先にあるもの』が次第に見えてきて、彩さんの発した言葉の意味が分かった。

 倉庫の奥、棚の陰に隠すように置かれていたのは、二目取ほどもある一本の刃だった。

 先反りが強い片刃で、さやつばも付けられていない抜身の状態である。

 それどころか、つかもつけないままで放置されていた。

 日本刀は、鞘からうまく抜き出せるように、さらに鞘の中で加速させることもできるように、反りが付けられているのが普通だが、目の前の刀はそれよりも遥かに先端部分の反りが強く、身幅が厚かった。

 従って、ただの日本刀ではない。

 彩さんは呟いた。

「これは、槍――じゃなくて薙刀なぎなたの穂先のようだね」

「どうしてそんなことを知っているんですか?」

「それは、時代劇のお仕事で薙刀を使う役をやったことがあるからなんだけど、それにしても長いわね」

 普通の生体装甲が携行している太刀は、取り回しを考えて一.五目取以下のものが多い。

 劉さんの円月刀は例外的に二目取近い長さがあったが、それと遜色がないほどの長さである。

「作ってみたのはいいけれど、薙刀の柄をつける時になってバランスがとれないことに気がついて、そのまま放置された――という感じね」

 言われてみると確かにそんな感じがする。

 長年放置されていたせいか、刀身はすっかり曇っていたが、錆は浮いていない。

 傷は見当たらないし、刃にもかけたところは見当たらなかった。

「その後も、形状の中途半端さから誰も関心を持たなかったのでしょうが――これ、太刀として作り直して使われたこともあるんだよね」

 と、彩さんはいたずらを思いついた子供のように眉を顰めて笑った。

(実際、この薙刀の穂先は大太刀にこしらえを直されて、彩さんの愛刀になる)


 更に倉庫内を物色していると、一番奥の片隅に、これまた変わった形状のものが置いてあった。

 一目取ほどの長さの金属棒の途中から、握りが飛び出している。

 アルフアベツトの「T」の、縦棒を縮めて、横棒を片側だけ伸ばしたような形状だ。

 それが二つ、並べて置かれていた。

「あら、これは珍しい。確か空手で使われるトンフアね」

 これは、僕も見たことがあるような気がする。

 おそらく地球の漫画かアニメで見たのだろう。

「僕は既に剣を持っている訳ですから、これだと分野が被らなくていいですね」

「それは随分とおかしな理屈だね」

 彩さんは笑いを噛み殺して言った。

「そもそも自由に出し入れできない剣なんだから、最初から似たような剣を持っていたほうが話が早いのでは?」

「まあ、それはそうですが――」

「単に気に入ったんでしょう?」

「へへ、やっぱりばれました?」

 こういう特殊な兵器は、なんとなく男心をくすぐるのだ。

(実際、このトンフアは僕の通常兵器となるのだが、僕はその扱いづらさに愕然とすることになる)


 サイズがサイズなので、その二つを倉庫から持ち出す作業は小柄な『神白狼』で行った。

 倉庫内の隙間をぬうように薙刀の穂先とトンフアを持ち出すと、それを格納庫前に常備されている荷車に乗せた。

 武器の製造や補修などの作業は人間居住区域内にある工房で行なうから、その手続きを倉庫と格納庫の間に挟まれた管理事務所で取る必要があった。

 格納庫は出入りがフリイなので、普段は管理事務所の存在を気にとめることはない。

 初めて中に入ってみると、やはり不機嫌な、視線を合わせようとしない地球ガイア人の担当者がいた。

 彼は何も言わず、横柄に書類だけを突き出してくる。

 背景を理解していた彩さんは、黙って書類を受け取り、穏やかにその書類に必要事項を記入する。

 薙刀の穂先は、柄や鞘を付けて「大太刀」に拵えることになった。 

 僕のトンフアもそのままでは携帯に不便なので、背中に背負えるような工夫をしてもらうことにする。

 管理事務所の机には、

「出来上がりは三日後」

 という、そっけない貼紙がされていた。


 彩さんは、昨日置き去りにしてしまった埋め合わせのために、午後はノラと一緒にゆっくり過ごすという。

 僕は、名前も付け終わって正式に契約成立した従者、エリイ、ミキ、タンポポ、カオルとともに、城壁外に出なくてもできる訓練をしようかと考えた。

 ただ、今その場で思いついたことなので、世話係コンシエルジユとして同行しているエリイはともかく、他の三人には突然の招集になる。

 都合はどうなのだろうかと思い、エリイにそれを尋ねたら、

「大丈夫ですわ。彼らは待機しておりますから。私が連絡を取れば、彼らはすぐにここにやってきます」

 と言われた。

 そこで、僕は今まで気にしていなかった点に気づく。

「僕と一緒にいない時、他の三人は何をしているの?」

 使役獣エンプロイメント・ビイストは、大きさがまちまちなので部屋で同居する訳にもいかず、獣舎のような共通の待機所があったのだが、武装妖精はどうなのだろう。

「何をと言われましても、私たちは従者ジウサですから用がなければ自我核化して待機するように定められておりますので」

「えっ、そうなの? 御主人様がいない時は、何か好きなことをしながら過ごしているのかと思っていた」

「契約している御主人様マスタアがいない場合や、御主人様がそうするように命じた場合は別ですが、従者である私たちには待機することも任務の一つですから」

 何の疑問もなくそう言い切るエリイに、僕は衝撃を受けた。

 無論、地球ガイアの価値観を無暗矢鱈と振りかざす愚は犯したくない。

 だが、マリ、カネ、ジイがどんな思いで待機していたのかと考えて、いまさらながら胸が痛む。

 特に、戦闘に出た時ですら花が気になって仕方がなかったマリの様子を思い出すと、胸が締め付けられた。

 ジイは――自我核の中で待機しながら、酒に溺れていたのだろうか?

「僕が命じれば、自我核の中で待機する必要はないの?」

「それは、そうなりますが――今までそんな風にお命じになる御主人様はいらっしゃらなかったので、私自身、果たして何をしていればよいのかが分かりません。世話係であれば常時仕事がありますからよいのですが……」

「あ――」

 僕は絶句する。

 そう、その通りなのだ。

 自由は、何もすることが思い浮かばない者にとっては、苦痛でしかない。 

「じゃあ、僕が何かするように命じたら、それをすることはできるのかな」

「はい。ただ、その、私たちができない命令となりますと、その、ちょっと困ってしまいますが、それでも命令となれば何とかしたいとは思いますものの……」

 と言って、エリイは困ったような顔をした。

 つまり、御主人様と契約した以上、その命令に対して武装妖精に拒否権はない。

 できる、できないも関係がない。やらなければいけない。

 マリが戦闘時に見せた逡巡は、武装妖精である彼女にとっては契約違反寸前の禁忌行為だったのだ。

 僕はそのような武装妖精のあり方に、この時初めて強い疑問を感じた。

(――しかし)

 また激情に押し流されてしまわないように、自問自答する。

(武装妖精は自由を知らない。それは定めで、ボルザにおいては常識だ。それに違和感を感じる地球人のほうが『自分たちの文化のほうが上等だ』という、傲慢で独善的な見方に囚われているのかな――いや、それは違う。エミは『本来、妖精は草花や小さな動物たちの世話をするために生まれてきた存在』だと言っていた。だから、今の武装妖精のあり方は、そう強いられたものに違いない)

 マリは武装妖精の中でも、珍しく「やりたいこと」がはっきりしていた。

 そういう個体がいるということは、彼らは本来そうであるということだ。

 緊急招集時に出遅れるような個人的なことは禁止されているのだろうか。

 いや、それならば生体融合者も自由に行動することは許されないはずだ。

 誰かが、武装妖精を「そのようなもの」と規定したから、そうなったのだ。

 急に黙り込んでしまった僕のほうを、エリイが不思議そうに眺めていた。

 僕は彼女を見つめる。

(それに、急に自由を与えられても暇つぶしの方法がないと何をしてよいか分からない点は、昔の僕と同じだ)

 急に見つめられたエリイはそわそわし出した。

「あの、御主人様。何か私が申し上げたことに問題でもありましたでしょうか?」

「いや、問題ではないんだよ」

 ただ、僕は君たちの御主人様として思ってしまったんだ。

 君たちにとっては非常識で、とても迷惑な話かもしれないけれど。

 君たちが昔の妖精と同じように、好きなことが自由にできるようにならないかなって。

 そんなことを思ってしまったんだ。

 こんな理不尽な御主人様で申し訳ないけれど、みんなは付き合ってくれるかな。

「エリイ」

「はい、なんでしょうか」

「ミキ、タンポポ、カオルをここに呼んでほしいんだ」


 *


 生体装甲バイオ・アアマの格納庫前には、殺風景な空間が広がっていた。

 新規の生体融合者パイロツトが、生体装甲や大型の使役獣エンプロイメント・ビイストとともに輸送用の使役獣車エンプロイメント・ビイスト・ワゴンでやってくる可能性があるため、前の空間が広く取られていたのだが、使役獣車が転回するだけであるから、ここまでの余裕は必要がない。

 しかも、ただの砂地が荒れ果てたままで放置されていたため、地球ガイア風に説明すると「野球場ほどのわだちだけがところどころに残る砂地」となっていた。

 無論、こんなところを美化したところで何の意味もない。

 僕たち地球人は、ここに戦闘要員として連れてこられた。

 いつ戦闘で死ぬことになるのか、見当もつかない。

 死なないまでも、生体装甲が壊れてしまえば即座にお払い箱だ。

 だから、無意味なことに費やす時間があるのならば、その時間を使って体重を増やす努力をするか、訓練に専念していたほうが、生存のためには有利に決まっている。

 決まっているのだが、


「ここに花壇が作れないだろうか」


 と、空き地の真ん中で僕は従者たちに相談していた。

 従者たちは全員、戸惑ったような顔をした。

「花壇――ですか?」

「そう、別に今すぐそうしたい訳じゃないよ。少しずつでいいんだ。みんなで分担しながら、少しずつ作れないかなと思って」

 僕も単なる思い付きに過ぎないので、今一つ歯切れが悪いことしか言えない。

「そうですわね……カオル、貴方ならば基本的な土台を作ることは可能ですわね?」

 カオルは首肯して、たおやかに右腕を振る。

 すると、空き地の中心部に直径三目取ほどの円が描かれた。

 大まかな位置取りをしたらしい。

「ただ、細かい細工物となりますと……ミキ、貴方なら水流による大まかな切り出しと、氷柱による細かい削り出しが可能ですね」

「まあな、ただ、俺は具体的な形を想定するのが苦手でな。こうしてくれと言われれば、そのように細工できるだろうが」

 ミキは太い腕を数回力強く振る。

 鋭く細い水流が空き地に落ちていた人間の頭ぐらいの大きさの岩を寸断し、正方形を切り出していった。

「具体的な花壇の姿をデザインするのはタンポポが向いていると思います。タンポポ、何かイメエジは出せますか?」

「……はい、今はこんな程度ですが」

 高速移動する雷が、その残像によって空中に花壇のイメージを浮かび上がらせた。

 岩を切り出した杭によって周囲を囲い、その中に土を半球状に盛り上げて、高低差を利用して木や花を配置する案だった。

 それを見つめていたエリイが、

「使役獣車の出入りを考えると、枝が横に張り出さない木がよいと思いますが、何か候補はありますか?」

「……ありますが、この近くに自生しているものとなるとコルンか、ヒヨ、メイムあたりです」

「上にも伸びすぎないほうがよいでしょうから、ヒヨでしょうか。あら、カオルに何か希望があるようですね」

 カオルは首肯すると、優雅に両腕を持ち上げた。

 砂が巻き上がって、大まかながら半球に段差がついた形が示される。

「なるほど。そうなると段差の土止めが何か必要ですね」

「ならば、板状のものも準備しようか」

 ミキの手刀の動きに合わせて、水流が正方形の岩を板状に寸断してゆく。

「そうですわね。これで、できそうだというだいたいの目途がついた訳ですが――」

 そこで、四人が揃って僕のほうを見つめると、エリイが代表して言った。

「どんなものでしょうか、御主人様」


 僕は唖然としていた。


 想定以上の出来事だった。

 エリイは完全に全員の得手不得手を把握しており、その上で自分は全体の調整役に徹していた。

 ミキ、タンポポ、カオルも自分の役割と限界を十分に把握していた。

 主を選ぶことに関しては頑なだったミキも、花壇を作る作業となるとエリイと意見を交換しながら進めている。

 タンポポは口数が少ないし、表情も殆ど変わらないが、細かいことをよく考えている。

 そして全員がカオルの反応にも目配りを忘れていない。 

 そして、自分のできる範囲の中で最善となる提案を自発的に行っている。

「――君たちは凄いな。僕は、なんだか君たちが僕の従者になってくれたことにとても感謝したくなった」

 僕は唖然としながら、素直にそう言った。

 全員の目が嬉しそうに笑っていた。


 その後の経過を傍らで眺めながら僕は思った。

 武装妖精は、戦場では「御主人様の指示に従って単体で用いられる兵器」である。

 それは、先日の初陣でもそうだった。

 連携はあくまでも僕の指示に基づいて行われていた。

 しかし、妖精としての彼らは「共同で作業する」ことに適しているのではないだろうか。

 作業の中には僕もちゃんと組み込まれていて、必ずエリイが要所要所で僕に了承を求めてくる。

 僕が異論を唱えるはずはないのだが、それでも適切なタイミングで尋ねてくる。

 全体で動く、このバランス感覚は半端ではない。

 だから、僕は思ったのだ。

(ボルザ人は妖精の使い方を間違えているのではないか?)


 *


 花壇の作業はその後も着実に進み、一週間程度で格納庫前には立派な花壇が出現した。

 作ったらそれで終わりではない。

 維持もまた重要な作業であるから、僕たちはいつも同じ時間に花壇の手入れを行なった。

 ミキが水を撒く。

 カオルが弛んだ地盤を固める。

 エリイとタンポポは害虫の駆除や落ち葉の片付けをする。

 一日のうちの僅かな時間ではあったが、全員で一つの作業をするのは楽しかった。


 ただ、このような穏やかな日常が長く続くことはありえない。


 *


「愚王による失政が続いたため、ミツドランド王国は大国の座から転落した」

 その話は、教授からも以前聞いていた。

 劉さんによると、僕が転写された時点で王国は最盛期の十分の一にまで領土が縮小していたという。

「しかし、これは殆どの国境線においてミツドランド側が実効支配地域の存在を認めていない、ということを加味した見解だけどね」

 と、劉さんは苦笑しながら付け加えた。

 つまり、ミツドランド王国の公式見解がそうだという意味である。

「実効支配地域を考慮すれば、さらに領土は二分の一に縮小するんだけどね」

 という劉さんの追加説明が、その時点での王国の実力を示していた。


 そのような衰退の一途を辿たどるミツドランド王国が、他国の侵略を退けて命脈を保っていられた理由は、三つある。


 まず、最初の一つ目の理由は「都市機能が王都に集約されていた」こと。

 ミツドランド王国内にはいくつかの都市が点在しているが、いずれも「村」レベルを超える規模ではない。

 王国の趨勢を左右するような重要拠点は存在しないから、いざとなれば周辺部をすべて切り捨てて王都防衛だけに兵力を集中できる。

 これが公式見解と周辺国の認識との差を生み出す原因でもあり、「王都以外は王国にあらず」と揶揄される原因にもなる訳だが、ともかく防衛には適している。

 無論、王都が陥落すればすべてお終いになるが、これまでは強力な魔法防御と二つ目の理由により、保たれてきた。


 その二つめの理由というのが、「国家の規模に比して強力すぎる生体装甲バイオ・アアマ部隊を持っていた」という点だ。

 合計で二十六体とはいえ、教授プロフヱサアが作り上げた独自プロセスによる生体装甲は、個々の性能が他国の生体装甲よりも桁違いに高い。

 他国の生体装甲を「自転車」とすると、ミツドランド王国の生体装甲は「ハンドメイドの高級車」だ。

 いくつか生体装甲の固有名称ユニイク・ネイムは他国の部隊にも浸透し、恐怖の的となっていた。

 守備力重視の『神君シンクン』。

 機動力重視の『ロン』と『白蓮ビヤクレン』。

 そして、世界で唯一の白い生体装甲『神白狼ヂンパイロン』。

 このミツドランド王国が所有する四体以外に、固有名称が知れ渡っているものはさらに四体あった。

 新興のヘルムホルツ共和国に属する『訶梨帝母ハアリテイ』。破壊力偏重の超重装備で知られている。

 アムラン王国の『インドラ』。既に前線から身を引いて久しかったが、いつでも実働可能と言われている。全てにおいてバランスのとれた『史上最強の生体装甲』だ。

 サルフイス連邦の『ハヌマアン』。機動性に特化した生体装甲と言われているが、特殊任務が多く実機を見たものは極端に少ない。

 ダルム王国の『アヌビス』に至っては名前だけが恐怖とともに流布しており、実際にどのような機種なのかが伝わってこない。見た者が全て死んだという突拍子もない噂すら流れていた。


 そして、ミツドランド王国の存続を支えていた三つ目の理由が「姫君」の存在である。

 彼女はボルザにおいて「非常に象徴的な存在」であった。

 それゆえに、各国がミツドランド攻略に消極的になるほどである。

 しかし、ヘルムホルツ共和国がベルツ王国を併合し、ラムザアル大陸にある国家数が「十四」に減少したことで、パワアバランスが変化した。

 ヘルムホルツ共和国がミツドランド王国を併合すると、その規模はやっと三大国と互角に亘りあえるものになる。

 従って、ヘルムホルツ共和国も必死であり、なりふり構っている暇がなくなっていた。

 レイルガンの優位性を確保している間に結果を出したい、というのが彼らの本音であった。


 *


 朝、僕が目を覚ましたら、エリイが先日と同じように目の前にいた。

 そのことに驚かなかったのには理由がある。

「――御主人様マスタア、起きて下さい。御主人様」

 と、エリイが呼ぶ声で目を覚ましたからだ。

「……エリイ、おはよう。もう朝なの」

 僕はまだぼんやりとした頭でそう尋ねる。

 すると彼女は、普段とは違う真剣な顔で言った。

「違います。只今、緊急一斉速報が発令されました。生体融合者パイロツト全員への緊急招集です。場所は食堂」

 僕は慌てて跳ね起きる。


 僕が食堂に到着した時には、既に彩さん、劉さん、琴音さんが着席していた。

 一瞬だけ彩さんと目があう。目が穏やかに笑っていた。

 彼女にとっては初めての緊急招集となる。

 それでもあの落着きよう、さすが女優だけのことはある。

 その隣に座っている琴音さんの視線には、思い切り殺気が籠っていた。

 先日、急に泣き始めた彩さんが自室に戻る途中で、琴音さんに会ったらしい。

 それ以来、僕は琴音さんから再び狙われるようになったのだ。

 自分から進んで渦中に飛び込むこともないので、少し離れた席に座る。

 前方には前回と同じように三脚の椅子が置かれていたが、座っているのは教授プロフヱサアだけが座っていた。

 彼女は僕のほうを見て、少しだけ眉を上げた。

 僕は右手を小さく振る。

 教授は一瞬笑いかけたが、流石に会議前なのでまじめな顔に戻った。

 予定された時間の前には二十六名の生体融合者全員が集まっていたと思う。

 教授は立ち上がると、話を始めた。

「さて、本日は緊急で皆さんにお集まり頂いたのは他でもない――」


 異変は「ミツドランド王国が主張している国境線」を守護していた要塞から始まった。

 前述の通り、ミツドランド王国は国境警備という概念に非常に冷淡である。

 従って、ここでいう要塞も、駐留していた軍人の数からいえば「補給基地」程度の規模でしかない。

 しかし、過去の王国最盛期に作られた軍事拠点であったから、重厚な城壁による防御能力だけは高かったのだが――


 それがあえなく一時間で陥落した。


 レイルガンの一斉連続砲撃により、要塞の城壁が只の瓦礫の山に代わるまで、それしか時間がかからなかったという。

 国境の要塞とはいえ、城壁には一応の魔法防御が施されていた。

 にもかかわらず、物理攻撃の前には全く意味をなさなかった。

 ヘルムホルツ側は兵站路を確保する目的で、侵攻方向の途中にある微妙な基地を全て制圧しながら、ゆっくりと着実にミツドランド王国内を進んでいた。

 今までの電撃戦とは異なる腰を据えた戦略であることが、かえってヘルムホルツの本気度を示していた。

 経路上の要塞の陥落は、使役獣により逐一王都の近衛軍本部にもたらされた。

 前回の攻防戦でレイルガンの威力を実体験していたミツドランド王国は、王都の城壁に沿って「フワを元に培養した同型の使役獣」を緊急配備した。

 しかし、これは「試験も行っていない使役獣を即実践配備する」という、どう考えても博打のようなものであった。


「我々、生体装甲バイオ・アアマ部隊には、前回のてつを踏まぬように城壁の防衛にあたるように、との指示が出ている」

 食堂内の数名から、思わず不満の声が漏れた。

 その気持は分からないでもない。

 つまり、使役獣による城壁防衛が十分でなかった場合には、生体装甲による『肉の壁』で何とか防衛せよ、という意味だからだ。

 しかし、レイルガンの威力はミツドランド王宮の者達もとくと承知しているはずである。

 しかも、前回のものよりも性能が向上しているというから、それを普通の生体装甲で食い止めることができるとは思えない。

(――ということは)

 食堂内の視線が、雄一に集まる。

(うわ、何で?)

 彼はたじろいだ。

 その微妙な空気を、教授が再び掻き乱す。

「さらに、敵の生体装甲部隊には『訶梨帝母ハアリテイ』が同行しているようだ」


 一瞬の沈黙、それに息を飲む音が続く。


 僕は、隣に座っていた劉さんまでが息を飲んだことに驚いた。

「劉さん、『訶梨帝母ハアリテイ』って何ですか?」

 僕はそう劉さんに尋ねる。彼はなんだか途方に暮れたような顔をしていたが、

「あ、ああ、そうか。雄一君はまだ一度も彼女と手合わせをしたことがないんだね」

「彼女――というと、女性ですか」

「そうだよ。ヘルムホルツ共和国軍所属の女性兵士が操る、超重装生体装甲の固有名称ユニイク・ネイムさ」

「そんなに強いんですか。皆さんが恐怖を感じるほどに」

「ああ、そうだ。『訶梨帝母ハアリテイ』は強い」

 劉さんは「海は青い、空も青い」という客観的な事実を述べるのと同じような調子で言った。

「前回の戦闘には参加していなかったから、僕が雄一君を助けに向かうことも出来た。彼女がいたら、僕と琴音君とで必死であたらないといけなかっただろうね」

 劉さんも琴音さんも、かなり名の通った生体融合者だと聞いている。

 その彼らが必死にならないといけない相手――

 想像もつかない。

「あの、『訶梨帝母ハアリテイ』という名前にはどういう意味があるのでしょうか」

「ああ、そうだね。『訶梨帝母ハアリテイ』では分からないよね。元はサンスクリツト語だからね。日本語で別な呼び名があるから、そっちのほうが通りがよい」

「なんですか、別な呼び名って」

「それがね、こういう名前なんだ――」


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