第十一話 隣人憎悪(ネイバア・ヘイト)

 生体装甲バイオ・アアマ初期設定フアスト・ヱスタブリシユメントは、十分ほどで終了する。

 僕は先に『神白狼ヂンパイロウ』から降りて、格納庫の外で彩さんを待つことにした。

 さすがに、彼女が吐き出されるところをそばで見ている訳にはいかなかったからだ。

 しばらくすると、彩さんは衣を整えながら格納庫の外に出てきた。

 そこで「これから主要な施設を案内しましょうか」と言ってみると、彼女は、

「初期設定の時に共有概念コモン・イデアから、自室の場所と区域内地図エリア・マツプを入手したから、後は一人でも大丈夫です」

 と言った。

 確かに一度取り込んだ知識であれば、生体装甲から降りた後でも活用が可能だから、案内係は必要ない。

「一人になっていろいろと考えたい」という彼女を、それでも礼儀として自室前まで送る。

 ところが、やってきたその場所は教授プロフヱサアの自室の隣だった。

 ここで僕も、やっと作為的なものを感じた。

 これが「姫君の遊び」なのだろうか。

 教授もミザアルも不在だったので彩さんを紹介するのは次の機会にして、僕はそこで彼女と別れた。

 別れて食堂に向かって歩いた。

 歩きながら考えた。

(それにしても、僕が指導員になる必要はあったのだろうか?)

 彩さんはさすがに理解が速くて忘れない。

 決断も早いし、行動も迅速だ。

 僕が教えられることは、今日一日ですっかり伝えてしまったように思う。

 明日から行動を共にする意味がない。

(しかし、指導員に選ばれた以上、それでも何かしなければいけない――のか?)

 思い惑いながら回廊コリドオを歩いていると、前方から劉さんと琴音さんがやってきた。

 食堂と格納庫以外の場所で他の人に会うのは初めてだった。

 声をかけようとして、二人の様子がおかしいことに気づく。

 何だか口論しているような雰囲気だ。

 こちらに気づいていないようなので、申し訳ないとは思いながらも物陰に姿を隠す。

 二人は隠れている僕のほうに向かってやってきた。

「――何でそんなこと言うのですか。モミジは禁忌タブウ寸前まで無理してしまって、あの後本当に大変だったんです。それなのに、得られた情報が物足りなくて意味がなかった、なんて」

 琴音さんの声を初めて聴いた。

 見た目よりもしっかりとした声だった。

「それに、最初に気がつかなかった私も馬鹿でしたが、これでは従者ジウサとして使えません」

「そんなの、契約解除して別な妖精と再契約すればいいじゃないか」

 劉さんが言った。

 その、あまりにもあっさりとした言い方を聞いて、僕は驚く。

(これが本当にあの劉さんなのか?)

 本が要らなくなったのなら、売って別な本を買えばいいじゃないか――そんな風に聞こえた。

「貴方は武装妖精アアマド・ピクシイに対して冷たすぎる。モミジは言っていました。あの人はとても優しかったと。それに比べて貴方は――」

 琴音さんは言葉を叩きつけるようにして叫ぶと、走り去る。

 残された劉さんは、しばらく琴音さんの後ろ姿が消えた方向を見つめていたが、軽く頭を一振りするときびすを返した。

 その表情は、いつもと変わりなかった。

 僕はといえば、呆然としてしまって、しばらくそこに立ち尽くしていた。


 *


 食堂で夕食を取っていると教授がやってきた。

 今日は随分人に会う日だなと苦笑する。そして、碌なことがない。

 僕が少しだけ気を引き締めていると、

「昨日はすまなかった。その前の日も」

 そう言って教授は僕の前に座る。

「ストレスが多すぎたのでな。しかし、お前にあたるのは筋違いだ。すまぬ」

 繰り返し謝罪の言葉を口にする。

 おかしい。また教授のモオドが変わっている。

「教授こそ大丈夫なの。なんだか疲れているようだけど」

「疲れている――確かにそうだな。私に向かってそう言ってくれるのはお前ぐらいだな」

 教授はそう言って笑った。

「そうなことはないよ。ミザアルさんだってちゃんと気づいているでしょう?」

「あ――そうだな。その通りだ。なんだか最近、心が狭くていけない」

「仕方がないよ。レイルガンの一件で大忙しだったんでしょう? 僕でよければ愚痴ぐらいいつでも聞くよ。他に取り柄のない僕だけど、その点には誰よりも強いから」

 僕は少しだけ話を誇張する。

 強いわけではなく、鈍感なだけだ。

「――有り難う、助かる。しかし、今はいい。お前とは本当は別な話がしたい」

「別な話って?」

「そうだな、別な話だから――」

 沈黙。

「そういえば、僕と教授はあまり世間話しないよね」

「そういえばそうだな」

「じゃあ、とりあえず今日は野球の話でもしようか」

「野球? ええと、野球、野球。ああ、ベイスボウルね。雄一はベイスボウルが好きなのか?」

「ううん、全然。でも、話題に困ったら天気か野球の話をするのが王道だろう?」

「まったく、雄一は適当だな」

「へへへ。よく言われます」

 僕は、自分でも信じられないほど無理にはしゃいでいた。

 教授に少しでも楽しんでほしかったからだ。

 理由はよく分からないが、それが今、僕のやるべきことだと思ったのだ。

 そして、やるべきでないことははっきり分かっていた。

 今ここで、彩さんの件を話すべきではない。


 *


 翌日の朝、僕は早めに食堂に行った。

 そして、予期した通り彩さんがいた。

 転写トランスレイトの翌日は朝早く目が覚めて、他にどうしようもなくなるはずと思ったのだ。

 最近、そんな細かい点で対人能力が向上しているような気がする。

「おはようございます、安藤さん」

 僕は声をかける。

「おはようございます、相田さん」

 そう彩さんは答える。

 彼女の目の前にはコオヒイ(のようなソオダ)と、トオスト(のような豆腐)と、野菜サラダ(のようなフルウツカクテル)が並んでいた。

「――あの、もしかしてここの食事って、これが標準なのですか」

「驚くよね。そう。だいたいが見た目と香りと味がちぐはぐなんだ」

「さすがにソオダ水と豆腐は無理があります」

「だよね。だから、僕はだいたいこうしている」

 そう言って、僕は彩さんの前に腰を下ろしてトレイの中身を見せた。

 チキンライス(のような五目御飯)と、オニオンスウプ(のような味噌汁)と、ボロニアソウセイジ(のような鯖)だ。

 味を優先して全体のバランスを考えて調整している。

「あの、ちょっと申し訳ありませんが、少しだけ頂いても?」

「どうぞ」

 彩さんはおのおのの料理をつつまんで食べてみる。

 目が大きく見開かれた。

「ああ、これならば違和感なく和食を頂いているような気分になりますね。見た目もまあ許せる範囲だし」

「そうでしょう?」


 食事がだいたい終わったところで、僕は尋ねる。

「昨日はよく眠れましたか?」

「はい、いや、あの――全然」

「そうですよね。突然すぎますからね」

「相田さんは随分前に転写されたのですか?」

「いえ、僕も一か月前です。だから似たようなもので。すいません、なんだか不手際多くて」

「あ、それですけど。昨日は本当にごめんなさい。失礼なこと言ってしまって」

 そう言って彩さんは頭を下げた。

「考えていることが筒抜けって知った時点で、なんだか全然余裕がなくなってしまって。そんなに人から隠したいことばかり考えている訳じゃあないんですけどね。やっぱり、筒抜けって嫌じゃないですか」

「ははは、僕もそうでした。だから、僕の指導員に『勝手に頭の中を読むのは止めてくれ』と言いました」

「あ、やめられるんですか」

「――どうでしょう? そういえば、やり方を聞いたことはないな」

 いつもであれば共有概念がこのあたりで注釈を入れそうなものだが、それがない。

「どうやら、指導員の側でもどうしようもないみたいですね」

「あら、じゃあ、『何だこいつ、使えない』とかいう考えも筒抜けですか」

「そうですが――ああ、なんだかすいません」

「いえいえ、そういう意味ではなく」

 顔を赤らめて両手を振る彩さん。

 なんだか気絶しそうなほど可愛い。

「本当は慣れている人が来るよりも、相田さんのような自分も不慣れな人に案内してもらったほうが、私にとってはよかったのです。ああ、私は自分ですべてやらないといけない世界にきたのだ、って覚悟することができました。これからは誰も何も先走ってやってくれない世界にきたんだ、って」

 そう言って彼女は両手を握る。

 よく考えてみれば、女優として周囲が面倒を見てくれるのが当たり前の世界から、こんな『放置が基本』という世界に放り出されたのだから、混乱して当然だ。

「安藤さんはお強いですね」

 と、素直に感想を口にすると、彩さんは、

「そんなことはないです。実は昨日、少しだけ泣きました」

 と言って、顔をしかめて舌を出した。

 ああ、もう――なんだかとっても可愛いぞ。

(どうするよ、自分)

 一瞬気を失いかけたらしい。彼女が、

「それで――今日は何をするのでしょうか」

 と言ったところで正気に戻る。

「あ、ああ、特に決まっていないんです。僕は武装妖精アアマド・ピクシイの再登録をしなければならないので、午後にはまた王宮まで行かなければいけないのですが――そういえば、安藤さんの従者ジウサはどうなっているんでしょうね」

従者ジウサですか? ああ、妖精と獣でしたね。自分が御主人様になるのはちょっと想像つきませんけど」

「一緒にいらっしゃいますか。その場で登録できるかもしれませんし」

「他にやることもないようですから、是非」


 *


 ミツドランドの統治機構は、だいたいが成り行き任せである。

 官僚的ではないと言えば聞こえはいいが、要するに自分がやらないと何もしてくれない。

 僕の最初の従者は、姫君の気紛れな一言で『はみだし者』だけがより集められたため、わざわざ自分で手続きをしなくてもよかったが、通常はどうやら指導員経由で手続きをとるものらしい。

 彩さんと一緒に、使役獣車に揺られて王宮の『兵器保管庫』に出向くと、窓口にいた係員が僕のほうは事前に聞いているからいいが、彩さんは聞いていないから駄目だという。

 自分の不手際に気が付いて僕がまごまごしていると、急に彩さんが、

「がたがた小さいこと言ってんじゃないよ。今ここで聞きゃあいいじゃないか。書類がいるのならば早く出しなさい。こっちは忙しいんだからね」

 と、カウンタの店番を右手で叩きながら言い出した。

 係員は目を白黒させながら、大慌てで書類を出してくる。

 そこに日本語で必要事項を記入すると、すんなり保管庫に入ることが出来た。

「役人を相手にする時は、こちらが強気で押したほうがいいんです」

 そう言いながら、彼女は澄ました顔をしていた。


 兵器保管庫の中は、想定外の世界になっていた。

 金属製の横にスライドさせる扉を開くと、目の前に奥行四〇目取メトルの通路が現われる。

 その両側に上中下三段の棚が設置されており、手前から順番に「赤、青、黄、緑」の武装妖精アアマド・ピクシイが、整然と並んでいた。

 棚には突起があり、妖精たちはそこに腰かけている。

 殆どが、お互いに話をすることもなく黙ってこちらを向いていたが、中には寝ているものや、聞こえないほどの小さな声で独り言を言っている者もいた。

 外見は、幼いものから年寄りまでさまざま。

 性別は女性のほうが圧倒的に多い。

 ともかく量が凄かった。その視線にさらされると、圧力すら感じる。

 それ以前に、この「選ばれるのを待つ」空気が胸に痛い。

「――よし!」

 僕の隣で、彩さんが気合いを入れた。

 彼女は「事態の異常さ」よりも、「今回の自分の目的」に焦点を絞ったようだ。

 上から下まで、赤の棚を丹念に眺めていく。

 一通り眺め終えるとまた最初に戻って、今度は飛び飛びに何人かの赤い武装妖精を眺める。

 あまりの真剣な表情に、見つめられたほうの武装妖精が身じろぎするが、途中で一人だけ視線を真面っまともに受け止めた妖精がいた。

 彩さんは即決する。

「おいで!」

 彼女はにっこりと笑うと、妖精にそう声をかけた。

 武装妖精は彩さんに向かって飛んでいくと、その肩に静かに腰を下ろす。

「他の子を選ぶの、手伝ってくれるかな」

「はい、御主人様マスタア

 まだ名前すら付けていないのに、武装妖精はすんなりと役割を受け入れていた。

 これが「現役トップ女優」の眼力かと驚く。

 彩さんは、今度は青の棚を丹念に眺めはじめた。


(さて、どうしよう?)


 僕は途方にくれた。

 正直言って、ここまで視線が集中すると気後れする。

 全然落ち着かない。

 それに、どこをどう見て選ぶのか全く想像もつかない。

 赤の棚を眺めてみる。小さな二つの目が大量に並んでいる。

 何が違うのか分からない。というより、正面から対峙できない。

 ともかく頭から眺めてみる。すると、途中で集中力が途絶えた。

 なんだか妖精に申し訳ない。

 冷や汗を流しながら最初に戻ってもう一回。あるいは最後から遡ってみる。

 駄目だ。頭が苦楽苦楽くらくらしてきた。


 途方にくれて全体をぼんやりと眺めてみると、赤の棚の中ほどで目が留まった。


 一人だけ、なんだか顔を横に向けつつ、こちらのほうを横目で眺めている武装妖精がいる。

 赤い癖毛が小さめの顔を取り巻いている。

 人間の年齢に換算すると高校生ぐらいだろう。エマと同じぐらいだ。

 胸が血苦裡ちくりと痛んで、思わずそちらに近付いてしまう。

 僕が自分のほうに向かってくることに気づいた妖精は、疑苦裡ぎくりとして視線を逸らした。

「ねえ、君。ちょっと教えてくれないかな」

「なな、なんでしょうか。わわ、私にお答えできることでしたら、お答えしないこともありませんわ」

「大したことではないんだけどね。君は歌が好きかな」

「は? あ、はい。大好きです。そんなに上手ではありませんが」

「じゃあ、この旋律に覚えはあるかな」

 僕はあの夜、エマが口ずさんでいた歌の旋律だけを再現してみる。

 途端に、赤い妖精の顔が明るく輝いた。

「それは私の故郷の歌ですわ。よく御存じですのね」

「うん。前に聞いたことがあるんだ。君もこれを歌えるのかな」

「はい。まあ、その、歌ってくれと言われれば歌わないこともありませんが――」

「じゃあ、一緒に来てくれる?」

「は? それは、もう、お願いされましたらいかないことも――」

「お願いします」

「――分かりました」 

 赤い妖精は、僕のほうに向かって嬉しそうに飛んでくる。


 青の棚も、同じように全体を眺めてみる。

 すると、最後のほうに一人だけ弩尻どっしり構えた妖精がいるのに気付いた。

 近づいてみると、ぼさぼさの髪と不精髭が特徴的な、二十代後半の男性に見える妖精だった。

 足を広げて深く腰を下ろしている。

 そして――堅く目を閉じていた。

「お邪魔して申し訳ない。ちょっと話はできるかな」

「俺に何か用か」

「うん。どうして貴方のような立派な体格の武装妖精がここにいるのかな、と思って」

「それは主君マスタアに恵まれないからだ」

「引く手あまたでしょう。妖精に拒否権があるの?」

「拒否権はない。ただ俺は禁忌タブウに引っかかっても、嫌な相手には従わない」

「そうか。じゃあ、僕なんかじゃ役不足かな」

 彼は目を開く。青い瞳。

 底のほうまで引き込まれそうな深みがある。

 しばらく僕を見つめていた彼は、重い声で言った。

「質問がある。従者が貴殿の命令なしで、全力で貴殿を守ろうとした経験はあるか」

「ある。それで彼は再起不能になってしまった。次の従者を探す気になるまで一か月かかった」

 僕は正直に話す。

「――よかろう」

 青の妖精は、ゆっくりと腰をあげた。


 黄の棚は、最初から一人しか目に入らなかった。

 中ほどの棚の中段、その片隅にひっそりと座って、手に花を持っている中学生ぐらいの女の子。

 髪を肩上ぎりぎりまで伸ばし、前髪を目の上で真っ直ぐに揃えている。

「話をしてもいいかい」

「……はい」

「どこから花を持ってきたの」

「……外から」

「どうして花を持っているの」

「……好きだから」

「僕が戦いの最中に『雷で花を焼き払って』と言ったらどうする?」

「……契約後ですか?」

「そう」

「……分からない」

「じゃあ、僕は君に『花を守って』と言えるように頑張ろうと思う」

「……お願いします」

 黄色の武装妖精アアマド・ピクシイは、僕が伸ばした右手の人差し指を握った。


 緑の棚は本当に分からない。

 どうやっても見えてこない。

 じっくり見ても、ぼんやり見ても、誰も浮かび上がってこない。

 これでは如何ともしがたいので、最初の子から順に話を聞いてみることにする。

 背中までの長い緑色の髪をした、高校一年生ぐらいの女の子。

 黙ってじっとこちらを見つめていたが、前に立つと目を逸らした。

「ちょっと話をしてもいいかな」

 無言でこちらを見つめている。

「あの、怖がらなくて大丈夫」

 無言だが、怖がっているというよりは困っている。

「その、ご免なさい。なにか気になることでもしたかな」

 無言の上、困惑の度合いが酷くなる。

「あの、その、別に他意はないんだけど」

 無言に加えて、手が震えているのが見える。

 それで、ふと思い当たった。

「――君は話ができないんだね」 

 首肯。 


 *


 保管庫の管理人は、彩の従者ジウサを見て瞠目した。

「どうして、どうやって、この雑然とした倉庫からこれだけの武装妖精を揃えることができた?」

「さあ、どうして、どうやってかしらね」

 さきほどの顛末てんまつを根に持っていた彼女は素っ気なく応じる。

 しかし、管理人には通じていない。

「これは既に一流騎士並の布陣だ。俺も初めて見た」

 彩の武装妖精たちを惚れ惚れとした表情で眺めている。


 一方、雄一の従者を見た途端に彼は笑い出した。

「どうして、どうやって、この倉庫の中からここまでひどいのを選べるのかねえ」

 在庫一掃処分だ、大掃除だ、と五月蝿うるさい管理人を無視し、雄一は従者たちに話しかけている。

 彩はそんな進一の姿を眺めながら、こんなことを考えていた。


 今回、彼女は主に「視線に力強さと落ち着きのある者」を中心に選んだ。

 それが、見知らぬ能力を判定する上で最も確実なポイントとなるからだ。

 一方で、気にはなるけれど得体のしれない者はリスク回避のために外す。

 自分の命がかかっている訳だから、確実、安全、安心を優先したわけだ。

 ところが雄一は、自分が外した「気になる者」を見事に全員選んでいた。


 あの赤い妖精の面倒臭い態度は「恥ずかしさ」の裏返しで、実際は忠誠心が並外れて高いと見た。

 青い妖精は、能力は高いだろうが全身で私を拒んでいた。どうして雄一には従ったのか不思議だ。

 黄色の妖精は「おや」と思わせる片鱗はあったが、実際の戦闘には向かないかなと思って外した。

 緑の妖精は、気になって話しかけた途端に目を伏せた。まさか、口がきけないとは思わなかった。

 偶然か、それとも必然か。「ただの気の弱い高校生」とばかり思っていたが、これは侮れないぞ。

 

 *


 武装妖精の保管庫の隣には、使役獣エンプロイメント・ビイストの保管庫がある。

 こちらはさらに想定外の雰囲気だった。

 中には何の仕切りもなく、獣たちは勝手気ままに寝そべったり歩き回ったりしている。

 雰囲気は完全に「サフアリ・パアク」だ。

 攻撃系の使役獣は、犬や猫、猿などのそれらしい姿をしているので分かりやすいが、索敵系の使役獣は定型がない。

 鳥のような形から海月のような不定形のもの、毛玉のようなものなど、多岐に亘っている。

 彩はその中で、犬のような攻撃系使役獣と鳥のような索敵系使役獣を選択した。

 深い意味はない。それが相応しそうに思えただけである。

 やはり「視線に力強さと落ち着きのある者」を選んだ。

 雄一は選べなかった。これは管理人のせいではない。

「まだ、以前の使役獣との契約が消えていませんよ」

 そう言われたのだ。

 雄一にも思い当るところがある。

 武装妖精については明確に契約解除をした覚えがあったが、ヨルとフワについては自信がなかった。

 ヨルは、ヨル自身が契約解除を求めたら同意すると約束していた。

 ということは、未だに意識が戻っていないのだろう。

 フワについては、雄一が意識を失っている間に近衛軍団が強制連行してしまったから、契約自体がどうなっているのか確認していなかった。

 

 そして、契約が切れていないことに安堵する自分がいた。


 *


 彩さんが選択した使役獣エンプロイメント・ビイストは、いずれも小型のものだった。

 お陰で帰りも使役獣車が使えることになり、僕が王宮の車両基地でその交渉をしていると、彩さんが、

「折角ですから、人間居住地域を横切って戻ってもらえないかしら」

 と言い出した。

 共有概念と地図によれば、「城壁内の一般市街地と城壁外の人間居住地域の間」と「人間居住地域と生体装甲の格納庫がある区域の間」は、いずれも門によって隔てられているものの、門番が常駐しているので行き来は可能だという。

 僕自身、宿舎と食堂と格納庫を巡るだけの生活で、隣にある人間居住地域に足を踏み入れたことはない。

 あまり外出する機会もないので、あえて遠回りすることにした。

 車両基地の担当者の複雑そうな表情を眺めながら、車に乗り込む。


 *


 使役獣車を牽引する牛のような使役獣も、日本語を理解する。

 行先を告げさえすれば、経路は彼らが自分で判断してくれるから便利だ。

 王宮から一般市街地を抜ける。

 道路の左右には赤い屋根と白い壁の家々が立ち並んでおり、ボルザの人々が往来していた。

 城壁中なのに空間の使い方に余裕がある。

 道幅も広く、大型の使役獣が二列ずつで対面通行しても余裕があった。

 人々の顔は、続く戦乱に多少の思いはあるだろうが、概ね明るいし、子供は元気だ。

 これが、中心部を抜けて下層市民の居住区に入ると、一気に様子が変わる。

 壁の色はくすみ、屋根はところどころ剥離している。修繕が行き届いていない。

 家は立ち並び、使役獣車は二台がすれ違う程度の道幅しかない。

 それすら難しい横道が、無数に口を開けていた。

 景色を眺めていた僕と彩さんは次第に顔を曇らせる。

 市民も活気のない暗い顔が増えてゆく。

 どこからか子供の泣き声がした。

 そして、車は「城壁内の一般市街地と城壁外の人間居住地域の間」の門に差し掛かる。

 僕と彩さんは顔を見合わせて、どちらからともなく頷いた。

 門番が嫌そうな顔をしながら門の開閉機構を操作する。

 使役獣が回す歯車にあわせて、門が静かに開いてゆく。

 そして、その向こうの別世界も開いてゆく。

 人間居住区域は更に家々がせまっていた。

 いや、むしろ最初から無茶な空間に押し込められていた。

 使役獣車は一台通るのが限界。

 対向車が皆無なので通ることができているに近い。

 あちらこちらに壁が崩れているところがある。

 ガラスのない窓から、使役獣車を見つめる鋭い視線が感じられる。

 同じ、転写された人間のはずなのに、人間居住地域の中にはそんな友好的な雰囲気はない。

「相田君、なんだか敵意を感じない?」

「そうですね。全然友好的じゃない」

 扉を開けた老婆が、使役獣車を見て驚くと、続けて悪態をつく。

「どこのどいつだよ、こんな狭い道に獣で乗り込んできた阿呆は」

 あまりの勢いに僕と彩さんは身を縮めた。

「なんだか、友好的どころか完全に邪魔者扱いだけど」

「そうですね。なんでお婆さんはあんなに怒るのかな」


 ――お婆さん。


 そこで僕はある可能性に気が付いた。

「彩さん、僕は考え違いをしていたようだ」

「急にどうしたの?」

「多分、僕らは人間居住地域でも異分子なんだ」


 *


 生体融合者は生体装甲に搭乗している限り、身体を個蟲がベストな状態に調整してくれる。

 従って、教授のように年齢不詳のまま生き続けることが可能だ。

 それでは、生体装甲を失った者はどうなるのか。

 個々の生体装甲は、生体融合者自身がアドレスとなって、共有概念上に記録される。

 そして、生体装甲と生体融合者の対応も一対一である。

 ここまでは雄一も分かっていた。

 個々の生体装甲の記録は、個蟲全体に共有される。

 そうしないと共有概念との結合や、受発信系神経結合で宛先の混乱が起きるからだ。

 そして、ある装甲が補修不可能な状態になったからといって、その記録が消えてなくなったと認識されるわけではない。

 個蟲の中にその痕跡は残る。電話機が壊れた途端に電話番号が消えてなくならないのと一緒だ。

 すると、生体融合者は一生に一回しか生体装甲の形成できないことになる。

 生体装甲を失った生体融合者は、当然、個蟲の調整が受けられないから加齢が進む。

 本来の転写目的である戦闘に参加できない彼らでも、生きていくことはできるが、生体装甲を持たない生体融合者は、持つ者の世話係をする他に仕事がない。

 最低限の物資は提供されるが、それは決して増えない。ただの飼い殺し。

 そしていずれは老化が進んで死ぬ。


 そんな彼らに「僕たちのことを仲間だと思ってくれ」と考えるほうがおかしい。


 厨房の人が頻繁に入れ替わる理由がよく分かった。

 なるべく多くの人に仕事を割り振るためだ。

 厨房の人が無愛想な理由がよく分かった。

 彼らは「持てる者」への羨望の中で生きている。

 この世界で子供を産んだとして、その子供は生体融合者になれるか。

 初回であれば可能だろう。

 生体装甲の生成プロセスだけを降臨儀式と切り離すことも可能だろう。

 しかし、子供を育成するコストをわざわざかける意味がない。

 転写したほうが安上がりだ。


 つまり、生体装甲を失った者は、その瞬間から「朽ちるだけの、子孫繁栄すら覚束ない、生ける屍」となる。

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