第十話 新人指導(ニユウカマア・コオチング)

 翌日、朝食を終えて食堂を出たところで『教授プロフヱサア』に出会う。

「あ――おはよう。気分はどう?」

 最初の『あ』は、亜里沙の『あ』の名残だった。

 そう呼びそうになって、さすがに公共の場であることを鑑み、自粛したのだ。

「どうもこうもない。最後のところは全く覚えておらぬ。そして今朝は見事な二日酔いだ。ミザアルもなんだか具合が悪そうでな。今日は二人で自重することにした」

 彼女はいつものモオドに戻っていた。

 昨日の親密な雰囲気を思い出し、僕は少しだけ残念な気分になる。

「ふうん、お大事にね」

「お前もな」

 教授はふらふらと歩いて食堂の中へ消えてゆく。

 途中で控室を覗いてみたが、ミザアルの姿はなかった。

 教授とミザアルが別々に行動しているところを、初めて見たような気がする。

 これまでは食堂に入れなくても控室には必ずいた。

 よほど具合が悪いのだろうかと心配になる。

 そこで、昨日のミザアルの怒った顔が頭の中に浮かんだ。

(あれは本当に「怒った顔」だったのだろうか)

 意味なくそんなことを考える。

 教授のことはかなり分かってきたが、他の人のことになると僕にはまだ機微が分からない。


 *


 ヘルムホルツ共和国との戦闘後から一か月の間、朝食後に格納庫に向かうことが僕の日課となっていた。

 生体装甲バイオ・アアマの本質は「単独自律型兵器」だから、専門的な作業員や生体融合者パイロツトによる日常的な整備メインテナンスを殆ど必要としない。

 他からの支援が全くない状態でも、個蟲ゾイドが破損個所を自己修復し、本来の状態を維持するようになっている。

 そこが精密機械ではない生体装甲の一番のポイントだ。

 もちろん、外部角質アウタア・ケラチン内部群体インナア・コロニイを構成するための個蟲が足りなくなれば問題だが、格納庫内には個蟲の飼育槽があって、そこから各自で補充することになっている。

 やり方は単純で、生体装甲を飼育槽の前まで移動させるだけでよい。

 個蟲に不足が生じていれば、自主的に生体装甲の『胴前』部分が開いて、その中から伸びた触手が必要量を『捕食』する。

 その時に「重い、ぬめりと湿り気を帯びた」音がするのはえげつなかったが、もう慣れた。

 城壁外にも、自然の中に自生している個蟲がいるから、外で不足した時は『白狼パイロン』のようにそちらを取り込むこともできる。

 天然物の個蟲は、粒蟲のように育成途中で機能特化していなかったから、応急措置にしか使えないことが多いのだが、性能面で見劣りする訳ではない。

 むしろ、天然物の中には稀に特殊機能を持つものがいるという。

 数が少ないのと、特殊な環境に適応しているものが多いので養殖に向かないため、一般には流通していない。

 だから、僕も実物を見たことはなかった。

 生体装甲は、表面の清掃も基本的には必要ない。

 新陳代謝で入れ替わるようになっている。

 それでも、劉さんのように気になる人はこまめに洗浄しているようで、その日、僕が格納庫の扉を開けるとそのうちの一人が先に来ていた。

 ウィリアム・ワキウリさんだ。

「よう、今日も整備かい」

 彼は黒人で、薄暗い格納庫の中にいると白目と白い歯が浮き上がって見える。

 最初のうちは、その技術者らしからぬ堂々とした体格に気後れしてしまい、何も話しかけられなかったが、向こうから声をかけてくれたことがきっかけで話すようになった。

 話してみるととても気さくな人だった。

 ケニア共和国のキクユ族出身、アメリカの大学に学んだ生物学者で、三桁者トリプルナンバだという。

 整備が必要ないことは分かっているが、技術者のさがで細かく整備をすることが趣味になっているらしい。

「はい、やることはほとんどありませんが」

「毎日じゃあね。俺のように一週間に二回程度の整備なら、そこそこあるよ」

 彼と日本語で会話していると、どうにも不思議な感じがする。

 教授によると「共有概念コモン・イデアがあるので共通語はなんでも構わない」そうだが、生体融合者は日本語で話す人が多かった。

 新規の生体融合者に多い「日本人中高生」に配慮した結果ではないかと言われている。

 僕も最近になって、生体装甲外でも共有概念へ結合コネクトできるようになってきたから、英語でも構わないけれど、日本語を使っている。

「それこそ、他にやることがありませんよ」

「ふうん、そうなんだ。俺が君の立場ならば一日中、女の子を口説いてまわるけどね」

「どうして今はやらないんですか」

「やってもいいんだけど、実年齢教えると確実に引かれるから」

「ああ、なるほど」

 彼は、見た目こそ二十代前半だが、実年齢は四十歳後半だ。

 苦笑しながら右手を軽く挙げて会話を打ち切ると、僕は『神白狼ヂンパイロウ』のほうに向かった。

 歩きながら「それにしても、随分と社交的になったものだ」と驚く。

 昔ならば知り合いとも上手く喋れなかった。

 他愛のない会話が出来るというのは嬉しいものだ。


 *


 生体装甲同士の通信は、ラジオの同期チユウニングに似ている。

 遠く離れている時は、敵味方識別判定フレンド・オア・フオウによるアオの識別信号しか見えない。

 近付くにつれて、座話座話ざわざわとした雑音が入ってきて、視認可能な距離まで近づくと発声されたものならば聞こえるようになる。

 接続が頻繁になると、他の人の声よりもよく聞こえるようになるが、これは受信系神経節レシイヴ・ガングリオンが太くなるためだ。

 さらに密着すると、思考のやりとりまで可能になるそうだが、実際に試したことはない。

 他には、術者が魔法マジカで強化する視覚情報発信ビジユアル・インフオメイシオン・パツシヴという手段もある。要するに「テレビ電話」だ。


 僕が『神白狼』に搭乗して、部品補給という名の捕食行為を行なっていると、視界の端で着信表示メツセエジ・アイコンが点滅した。

 受信系神経節に、共有概念を経由した受発信神経結合レシイヴアンドパッシヴ・ナアヴコネクトの承認請求が届いているのだ。

 このような生体融合者補助パイロツト・フレンドリイ機能は有り難いのだが、内部群体の生々しさとの落差を感じて、いただけない。

 アイコンに視線を向けて反転表示。瞬きで選択する。

 すると画面に教授が映し出された。

 術者による視覚情報発信だろう。

「指令を伝える」

 表情と声から「私は今とても機嫌が悪い」という裡面傾向ステイタスが疑いの余地なく伝わってくる。

 二日酔いのせいだろうか。

「はい」

「明日、第三千五百三十三回目の降臨儀式デイセント・セレモニイを執り行う。それにより転写トランスレイトされた新規生体融合者ニユウ・パイロツトの指導員に、雄一が選ばれた」

「はい……って、どういうこと?」

「言葉通りだ」

「何で僕が指導員なんか。僕だって転写されてからまだ一か月程度しかたっていないよ」

「知らん。選ばれたとは言ったが、正しくは姫君の御指名らしい」

「姫君って――」

 自分が転写された時の様子を思い出す。

 二階席にいた最も高貴な身分と思われる女性のことか。

 しかし、あれ以来、全く顔を見たことがない。

「まあ、姫君は気紛れだからな。お前で遊びたくなったのだろうよ」

「遊ぶって、何を」

「知らん。ともかく指令は伝えたからな。降臨儀式の時間と場所は共有概念コモン・イデアで確認しておけ。ではな」

 そこで切れる。

 教授は最後までそっけなかった。


 *


 新規生体融合者には、生活が安定するまでの指導員がつく。

 その役目を転写の責任者であるところのボルザ人ではなく、地球ガイア人が担っていることの意味は、僕ももう理解していた。

 ボルザ人は、人間と極力接点を持ちたくないのだ。

「戦争に勝利するための必要悪」でしかない僕たちに、必要以上の手間をかけたくないのだ。

 だから、転写から生体装甲生成までの一連の儀式については仕方がないものの、それ以降は地球人に丸投げだった。

 本当は王宮外とはいえ、自分たちの食堂を貸すのも躊躇ためらわれるのだろうが、そこは譲歩したものとみえる。


 僕は、儀式終了後に引渡しを受けるために、降臨堂コウリンドオ外の控室に座っていた。

 ここまで来るのに王宮から派遣された使役獣車エンプロイメント・ビイスト・ワゴンを使ったが、誰も同行はしなかった。

 着いてからこの控室まで移動する際も、警備の騎士が二人、明らかに職務命令に嫌々ながら従っているという雰囲気で案内してくれた。

 その後はひたすら放置。

 誰も何も説明してくれない。

 共有概念がなかったら、どうしたらいいのかまったく見当もつかなかっただろう。

 手順だけはインストオルまで完了していたが、心構えは全く分からない。

 教授に聞いておきたかったのだが、捕まえられなかった。

 降臨堂のほうからは、先程から低周波の唸りが響いてくる。

 恐らく焼いている最中なのだろう。

 僕の時は緊急事態だったから、かなりイレギユラアな対応になったが、通常であれば、

 生体装甲の中で気を失った生体融合者が目を覚ますまで、付き添う。

 食事をしてから、生体装甲と共に使役獣車で人間居住地域ヒウマン・リビング・エリアに移動する。

 という手順になる。


 しかし、待ち時間が長い。

 

 従者ジウサが同行している場合も多いのだろう。

 僕の新しい従者の件は、ミザアルが体調を崩しながらも終わらせてくれたようで、武装妖精アアマド・ピクシイと使役獣の選考日時に関する連絡があった。

 これも生体装甲の通信機能による。

 まるで巨大な携帯電話だ。他の生体融合者がどうしているのか分からないが、毎日融合していなければ見過ごすところだった。


 世話係コンシヱルジユ――従者による通信補助


 ああ、そうですか。そいつは私が悪うございました。


 *


 生体装甲の冷却が終わり、これですべての転写手続きが完了したという。

 堅い口調でそう伝達した仏頂面の騎士に連れられて、僕は控室から新規生体融合者が一時的に収容された部屋に移動した。

 降臨堂は外れではあるが王宮に接している。

 そして、収容された部屋は王宮内らしい。

 控室から王宮へ続く重厚華麗な観音開きの扉を押し開いて、騎士と僕は豪華な装飾が施された明るい廊下を歩いた。

 僕の時とは随分待遇が違う。

 飢餓状態だったので細かいことは覚えていないが、僕はかなり殺風景な一角の殺風景な部屋に押し込められていたような気がする。

 ””でいきなり迷惑をかけた僕は、相当疎うとまれていたらしい。

 さほど行かないうちに、天国の門もかくやと思われるような観音開きの扉の前に着き、仏頂面の騎士が顎をしゃくった。

 万国共通の「いいから黙って入れ」という合図。

 重厚な扉を押し広げて中に入る。

 広い室内の真ん中に置かれた、大きな天蓋付の寝台の上には――


 女の子が横たわっていた。


 僕は棒立ちになる。

 どんな人間が転写されるのかという点について、「日本人中高生」程度の認識はあったものの、それ以上は深く考えていなかった。

 もちろん、女の子という確率は二分の一であり、十分あり得る状況だ。

 不思議でもなんでもない。

 しかし、事前に僕は想定しておくべきだった。

 状況証拠は整っていたのだから。

 新規生体融合者の指導員には、性が異なる者が割り当てられる。

 僕の時には教授。

 おそらく、琴音さんの時は劉さん。

 標本数が少なすぎるものの、教授の機嫌が悪かったことでそれは補強される。

 そして、教授の機嫌が悪いという点から、別な解釈が可能になっていただろう。

 しかし、何の事前準備もなく緊急事態に直面した僕は、すっかり余裕を失った。 

 寝台に横たわっていたのは、高校三年生の少女である。

 長くて癖のない黒髪が寝台の上に扇状に広がっており、その上に小さめの形の良い頭が置かれていた。

 白い衣に匹敵するほど肌が白く、そこだけ健康的な色をした唇は僅かに開いており、静かな寝息だけが漏れていた。

 手足は衣からすんなりと伸びている。

 胸は、言い方は非常に悪いが「琴音さん以上、教授未満」というところだった。

 つまり、年齢相応で非常に好ましい。

 白い衣は適度な厚みがあるので、身体のラインが丸見えということにはならない。

 しかし、それでも彼女の肢体が極めて可憐であることに、疑いの余地はなかった。

 もちろん、生体融合バイオ・アタツチメント時に個蟲によって調整されただろうから、実際にこうだったかどうかは通常であれば分からない。

 ところが、彼女について言えば、平成生まれの日本人ならば大抵が「地球ガイアの姿のまま」であることを断言できただろう。


 安藤彩あんどうあや


 これは確か芸名イコオル本名で、愛称が「AA」。

 二〇一五年時点で、現役バリバリの高校生女優だ。

 僕自身は彼女が出演したドラマを見たことがない。

 見ていられるほど家庭環境が安定していなかったからだが、それでも名前と顔と最低限のプロフイルだけは頭に入っている。

 学年まで断言できるのはそのためだ。

 つまりは、そういう希有な存在だった。

 同じ室内で同じ空気を吸うだけでも畏れ多いのに、さらに他に誰もいない状態で、二人きり。

 転写された虚像ではあるものの、ご本人と寸分違わない。

 そして寝ている。僕は拳を強く握りしめてしまった。

(待て、自分。落ち着け、自分)

 息を吐いて力を抜く。

 寝台の横に椅子があったので、そこに腰を下ろした。

 落ち着いてみると、動悸が激しくなっていたことに気づく。

 何を意識しているのか自分でもよく分からない。

 転写されてしまえば前歴は無関係。この世界では只の生体融合者である。

(別に違いは――)

 寝台に横たわる肢体を見る。


 駄目だ。異世界に別世界の生物がいる。


(その指導員が自分だと?)

 背中に変な汗が流れて止まらない。

 しかも、僕の目が確かならば、目の前の彼女は今わずかに身じろぎしたようだ。

 別世界の生物のまぶたが開かれてゆく。

 澄んだ黒い瞳が見えると――

  

(えっ?)


 という当たり前の反応が引き起こされた。

(えっ、何、ここどこ、どうしてこんなところで寝ているの、何かのセット?)

「えっと、まあ、無理だとは思うけど落ち着いてもらえるかな」

(何この子、誰? 何言っているの、落ち着けって意味が分からないよ)

「あはは、そうだよねえ。僕もそうだったから分かるよ」

(笑われた。分かるよって何が――あれ、私何も言ってない?)

「そう。そうなんです。初めにお伝え――」


「嫌ぁあああああ――」


 まあ、普通はそうですよね。

 しばらくこの阿鼻叫喚は続くのだが、詳細は割愛する。


 *


 これは後から彩さん本人に聞いた話になる。

 彼女は、僕が慌てる姿を見て、むしろ落ち着いたという。

 その理由は三つある。

 まず、自分が営利誘拐などの犯罪に巻き込まれたのであれば、僕のような頼りない監視役がついているはずがないから、今は危機的状況ではないことに気が付いたというのが一点目。

 それから、あまりにも僕の姿が情けなかったので、自分がもっとしっかりしないと状況把握すらできないと思った、というのが二点目。

 そして「あまりにも雄一君が真剣に謝るので、見ていたらつい可笑しくなってしまった」というのが三点目だ。

 彼女は冷静に事態を把握することにした。

 覚悟が決まるとさすがに舞台慣れした女優だけのことはある。

 異常事態の「異常」さのほうは脇に置いて、「事態」のほうの客観的な情報収集に集中し始めた。

 状況設定さえ分かってしまえば、それにあわせることは難しくないという判断だろう。その点も女優らしかった。

 最初から淡々と状況を受け入れた割に、重要な点をすっかり取りこぼしていた僕とはえらい違いだ。


 *


「私が理解した内容を簡単にまとめると、こうなります」

 寝台の上に横座りした彩さんは、細くてすっきりとした右手の人差し指を立てる。

「まず、ここは日本や地球が存在する世界とは本質的に異なる別世界であり、私はそこに複写された。実際の私は今でも地球上に存在している、ということですね」

「ざっくり言えばそうなります」

「そして、この世界では戦争を行なうための主力兵器として、軟体生物の集合体である生体装甲が競争で開発されており、私はその操縦者に選ばれた、と」

「そうです」

「さらに、この世界には魔法や妖精が実在し、それが日常生活の一部になっている」

「おっしゃる通りです」

「また、思考や概念をネットのように共有できるので、異世界なのに言葉や生活に困らないと」

「その通りです」

「加えて、コピーされた地球人がかなりおり、その共同体が構成されている。共同体の中で生活するだけであれば、金銭は必要ない」

「間違いありません」

「ただ、転写した張本人であるこの世界の住人からは、疎まれているようだと」

「相違ありません」

 彩さんは目を細めた。

 そもそも整った顔立ちである上に、理知的な表情をされると気圧されてしまう。

「いろいろと都合がよすぎませんか。それに世界観が安易すぎて、まるで絵空事です。出来の悪い映画のシナリオよりも粗すぎます」

「はあ」

 客観的事実のみ並べてみると、確かにその通りだ。

 でも、これが実在するのだから始末に負えない。

「そして、新規にやってきた人は生体装甲の初期設定が完了するまで、考えている内容が一方的に周囲に漏れてしまう、と」(こんな風に。それで正しいですか)

「正しいです」

「それでは急いで参りましょう」

「えっ、どこにですか?」

「決まっています。生体装甲の中です。初期設定を行ないますので」

「いや、その、今はできません」

「なぜですか?」

「王都内での生体装甲の機動は禁じられているからです」

「――すると、私はしばらくこのままなのですか。貴方からは私の考えていることが丸見えなのに?」(失礼ではありませんか)

「はあ、すいません」

 共有概念に結合する方法には、僕を経由しての直接結合ダイレクト・コネクトもあるが、それはさらに失礼になるので提案しなかった。


 彼女は盛大に溜息をつく。

 最近どうも、女性に盛大に溜息をつかれることが多い。


「もういいです。分かりました。出来る限り思考のほうを制限してみます」

「お手数かけます」

「大変失礼な言い方になりますが、私の身になって我慢して下さい。なぜ貴方のような方が私の指導員なのでしょうか。もっと経験豊富な方がいるはずでしょう? 拝見しましたところ、貴方のほうが年下のようですし」

「……返す言葉もありません。僕もそう思います」


 *


 それから食事の最中、彼女は見事に思考を逸らし続けた。

 簡単な計算問題を作っては解く。

 般若心経を繰り返し唱える。

 年号の語呂合わせを思い出す。

 ありとあらゆる方法で、思考が漏れ出すのを抑え続けた。

 従って、僕と会話する余裕はなく、ただ淡々と皿だけが重ねられてゆく。

 僕も最初のうちは食事に付き合っていたが、ボルザ人との味覚の違いは如何ともしがたい。

 空腹であればともかく、さすがに途中で断念した。

 食事を終え、使役獣車で移動する際も、彼女は、

 円周率を唱える。

 出演作品のシナリオを再生する。

 と、非常に忙しかった。

 教授が最初のうち、細かいことをなるべく話さないようにしているのは、このためではないかと思ったが、定かではない。

 使役獣車はごとごとと人間居住地域に入ってゆく。


 *


 格納庫に着くやいなや、彩さんはその場で「初期設定を行ないたい」と主張した。

 そのために、僕はまず『神白狼』で搭乗方法を彼女に示すことにする。

 格納庫の奥、『神白狼』の所定位置までやってくると、彩さんは目を見張った。

「白い生体装甲ですか? 他のは全て黒なのに、これだけですよね。しかもコンパクト」(というか、華奢!)

「そうですね。他のものと作り方が違うもので。でも、基本は変わりません。まずは衣を脱ぎます」

 そう言いながら僕は全裸になる。

「ちょっと、いきなり脱がないで下さい」(しかも全裸――ふぅ)

 しまった。

 僕もすっかり教授に慣らされて忘れていた。

 それにしても、最後に溜息のようなものが含まれていたのは何故だろう。

「すいません。でも必要なことなので。よく見ていて頂けますか」

「もう――分かりました」(――むふぅ)

 後から漏れているほうがとても気になるが、指摘はせずに僕は足を一歩踏み出す。


『神白狼』の『胴前』が開き、触手が身体を持ち上げ、

 爪先から粘着物に埋もれ、穴という穴に差し込まれる感覚と快感があり、

 視界まで埋もれた後、快感が僕の全身を貫く。


 目の前が明るくなって外にいる彩さんの姿が見えた。

 こちらを見上げる顔が白い。

(喰われた……)

 という呆然とした思考が漏れている。

「大丈夫ですよ。すぐに慣れますから」

「えっ、あ、はい。ちゃんと中にいるんですよね」(別に消化されたりしていませんよね)

「していませんよ」

「そ、そうですよね。しかし、随分と――」(えげつない乗り方)

 僕はこっそり苦笑した。


 さすがに格納庫の外で全裸になるのは気が引けるのだろう。

 彩さんの生体装甲を使役獣車から降ろして、中に入れることになった。

 彼女の装甲は標準的な黒で、形状も典型的な鎧だったが、重装甲だった。

 守備型ということだろう。

 鍬形の部分が細長い三日月状になっているから、彩さんはどうやら有名な『伊達正宗』タイプを想定したらしい。

『神白狼』よりも大型だったが、抱えて運ぶことは容易だった。

 生体装甲の力は内部群体を形成する個蟲の性能に依存するため、どれもだいたい同じで、他の装甲を運ぶことぐらいは楽勝でできる。

 僕は彩さんの装甲を格納庫の一番奥まで運びこむと、片足だけ立てた状態に座らせて、少しだけ前かがみにした。

「これでいつでも搭乗可能ですよ」

「あ、有り難う」

「別に食われたりしませんから、安心して搭乗して下さい」

「あ――」(恥ずかしいから後ろを向いてよ!)

 はいはい。

 僕は彩さんの生体装甲に背を向ける。

(ああ、なんだか嫌。やっぱり嫌)

 という彩さんの声がしばらく聞こえていたが、

(えーい)

 思い切ったらしい。


 触手が身体を持ち上げる感覚に、

 爪先から粘着物に埋もれ、穴という穴に差し込まれる感覚と快感があり、

(そしてその感覚は、自分の時とは穴の位置が微妙に違っていて)

 視界まで埋もれた後、快感が全身を貫く。


(あ、ふ……)

 至近距離にいたので、超有名女優の本気の喘ぎ声をもろに聞いてしまった。

 思わず右腕から剣が顔を出したため、彩さんのほうからは見えないように背中を向けて身体の前に隠した。

(気持ちいい……)

 さらに伸びる剣。

 非常に正直だが、戦闘時以外は自制してほしい。

「彩さん、聞こえますか」

(あ、雄一君……聞こえています)

「でしたら、共有概念結合と、受発信神経結合は完了しています。自己防壁の設定手順をインストオルして――」

(分かるわ。了解)

 その声とともに、彼女の思考の気配がぷつりと切れる。

 ちょっと残念な感じがした。


 *


 同日の同時刻。

 ゆったりとした服に身を包んだ一人の女性が、上官に呼び出されてその執務室へと足を踏み入れた。

 上官からの「最終的に達成すべき事項」の説明を黙って聞いていたその女性は、最後に上官に質問した。

「つまり、この白い生体装甲を確保すればよいのですね」

「そうだ」

「白い装甲部分があれば部分的でも構わない。出来れば大きめで、と」

「そうだ」

「搭乗者の生死は問わないのですね」

「そうだ」

「それに成功すれば――私と家族の生活は保証されるのですね」

「そうだ」

 上官の機械的な返答には疑念を抱くものの、いつものことであり、もともと選択肢はない。

 命令を遂行できなければ、私は放棄されて家族が路頭に迷う。

(時期的にはギリギリだ)

 彼女は腹部に掌を当てて瞑目する。

 だがしかし、やはり選択肢はない。

「了解しました」

 彼女の決断に上司はほくそ笑む。

「では頼んだぞ、『訶梨帝母ハーリティー』」

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