第八話 外部記憶(アウタア・メモリイ)
そこからしばらく、僕の記憶は途絶える。
無責任な僕の脳が現実を直視することを拒んだために、
次に意識が戻るのは、その日の夕方。
やはりベッドの上だったが、自室である。
枕元の椅子には
僕の罪悪感が再起動する。
「目を覚まして、いきなり落ち込むのはやめたまえ」
教授は落ち着いた声で言った。
「君の気持は分かるがな。それは無意味だ」
「無意味って、どうしてそんなことが言えるのさ」
思った以上に冷静な声が、僕の口から出る。自分でも驚いた。
「申し訳ないが、
「また僕の心が読めていませんか。今度は一体何が未設定なんですか」
「心なぞ読まなくても、経験上知っているわ」
教授は、感情の起伏がない喋り方をした。
「
「反発心を
「ふむん、変なところだけ経験豊富なのだな」
一瞬の沈黙。
「あの、教えて欲しいことがあるのですが――」
僕は素直にお願いした。
「分かっておる。順番に話そうではないか。ただ、先に食事を済ませてくれないかな。前回と同じく、もうすぐ術が切れるのでな」
「はい」
*
生体装甲で戦闘状態に移行すると、生存確率をより高める手段として、個蟲は生体融合者の感情を抑制して戦いに集中できるように調整を行う。
そのことは、やはり事後に知った。
その揺り戻しとして、戦闘直後にはむやみに感情的になり、それが収まると逆の揺り戻しで感情の起伏が乏しくなる。
しばらくはそれの繰り返しで通常状態に戻っていくのだが、初陣の場合にはその過程に慣れていないので、特に感情的な状態の時に無茶な行動に走りやすい。
だから、感情制限を施すことが普通だった。
そこまでは理解できたが、さすがに食事をしながら僕の従者たちの運命を聞くなんて、そんな非情なことをできるはずがないと思っていた。
しかし、実際には何の問題もなく、食事も話を聞くこともできた。
そのことに、僕はなんだが失望した。
それはともかくとして、僕の従者たちがどうなったのかを語る。
その義務が僕にはある。
エミは、レイルガンによる砲撃をまともに受けて、瞬時に消滅していた。
欠片も残らなかった。
レイルガンの弾丸は空気中を高速移動しているから、摩擦熱でかなりの高温になっている。
その軌道上にエミはいたはずだから、何が起きたのか考える間もなく蒸発しただろう。
そう、教授は言った。
是非そうであって欲しかった。
マリは、望まないことを僕によって強制され続けたために、完全に自我を崩壊させていた。
元に戻るかどうかは分からない。
戻っても記憶に苦しめられるだけだろう。
カネは、そのマリの面倒を見たいと言った。
従者が自ら契約解除を申し出ることは、かなり難しい。
禁忌に触れるので全身が二割縮むほどの責め苦を受ける。
しかし、カネはそれに絶えて言い切った。
これで僕は二度とマリとカネを従者にすることはできない。
契約は一回限りのものである。
ジイは無事だったが、直後からもう酔っ払っていた。
こうやって彼は辛い出来事から目を背けているのだろう。
同じく契約を解除する。
これで、武装妖精は全員が僕の元を去った。
ヨルは生きていた。
そして、それは「狭義の意味」でだった。
心肺は機能していたが、意識はない。
皮膚の表面組織の大半が焼け爛れ、前足の部分は骨が見えるところまで焦げてしまった。もう再生することもない。
この状態で意識が戻っても、動くことすらできぬ監獄の囚人である。
フワは生きていた。
直後はほつれた襤褸のような姿であったが、二時間程度で再生した。
だから、僕の従者を続けることに差し障りはなかったのだが、王室がそれを許さなかった。
強制的に契約解除されて、今どこにいるかも僕には分からない。
対レイルガン防御壁として研究されているのではないかと、教授は推測していた。
つまり、全員が僕の元から消えた。
誰も残らなかった。
*
戦功のあった者は自分の目で見て選ぶことができるし、そうでない場合は強制的に割り当てられる。
今回、正門の守備を放置して独断専行した僕は、通常であれば強制的に割り当てられるほうだったが、レイルガンの連射を食い止めた功績は勘案されて、選んでもよいという。
教授は直ぐにでも手続きを取ってくれると言ったが、僕はそれを制止した。
しばらくの間は感情制限の影響下だから、平然と後任を受け容れることができるに違いない。
しかし、これ以上自分に失望したくなかった。
「自分から申し出るまでは、保留にしてもらえませんか」
そう正直に言う。
教授に「甘いな」と苦笑いされるのではないかと思ったが、そんなことはなかった。
彼女は、素直に聞き入れてくれ、
「まあ、ゆっくりとよく考えることだ」
と言ってくれた。
先程までの感情の抜けた喋り方とは違い、その言葉は優しく響いた。
部屋まで案内するという教授の申し出を断って、僕は食堂の入口で彼女と別れた。
すっかり日は落ち、
エミの後ろ姿を思い出しながら、一人ゆっくりと自室までの道筋を
一度も迷うことなく部屋に戻ることが出来た。
そして、そのことが更に悲しみに拍車をかけた。
部屋の中で少し泣いたのを覚えているが、その後の記憶は定かではない。
*
翌日の朝。
起きてエミの名前を呼ぼうとしたが、寸前で思い留まる。
胸がちくりと傷んだが、涙は流れなかった。
既に僕の心は回復方向に向かい始めている。
エミの笑った顔を思い出そうとしたが、微妙に輪郭がぼやけているような気がした。
エミが控室で一人歌っていた時の樣子は、まだ鮮明に思い出すことが出来たので、少しだけ安心する。
しかし、その安心の理由が自分でも理解できない。
そんなものはないのかもしれない。
一人で身支度を整える。大した準備は必要ないのだが手間取った。
櫛の位置が分からなくて十分ほど右往左往する。
細々としたことをエミが手伝ってくれていたのを実感した。
昨日までは黙っていても出てきたからだ。
食堂に移動して朝食。
やはり誰もいない。
量だけをせっせと詰め込む。
見た目を味の格差についての違和感は感じなかった。
その後、格納庫に移動する。
一人で外に出てはいけないということだったので、
特に意味はない。
誰の目にも触れない場所はどこだろうと考えていたら、ここになった。
一人になったら泣けるかと思った。
しかし、実際にやってみるとそうでもない。
感情制限は攻撃性だけを抑えると言っていたが、その余波は周辺にも及ぶのだろうか。気分は淡々としている。
個蟲は僕の身体を快適な状態に保とうとしている。
僕だけが快適な世界を漂っている。
彼らのことを思い出そうと試みる。
しかし、朝よりも記憶は薄れていた。
ジイの服はどんな生地で出来ていたっけ。
形がサンタクロウスに似ていることだけを思い出し、それに引きずられて
違う、それじゃない。
カネの厚化粧はどんな風になっていたのだろう。
関心をもって眺めたわけではなかったので、典型的な「水商売の女」の化粧となる。
目の上が黒すぎるし、唇が赤すぎた。
マリは――僕の心が無表情な彼女の姿を強制的に再生する。
他の顔が浮かばない。
浮かばない。
忘れたくないのに。
視界には「
その隣に見覚えのある情景の数々が、小さな画像となって「縦十列、横十行」で表示される。
そのうちの一つが反転画像となっていて、目を動かすと移動した。
首を振れば画面全体が入れ替わる。
つまりは、サムネイル表示から好きな物を視線で選択して再生する訳だ。
僕がこの世界にやってきてからの記憶だろうか。
いや、よく見ると最初のほうは欠けている。
見知らぬ天井を見ながら起きた時の情景――”
僕の指が震える。
目は忙しく画像の上を移動し、反転画像もあわせて高速で移動する。
(あった)
あの日の情景が切り取られた断片。
僕は瞬きで選択し、再生する。
彼らに名前を付けた、あの時間。
エミは嬉しそうに笑っていた。
マリは一所懸命に自分の好きな物を教えていた。
カネは勢いよく喋りはじめた。
ジイは酔っぱらって投げやりな表情をした。
ヨルは渋い声で「それもあった」を繰り返した。
フワは上下に浮き沈みした。
その時はまったく気が付きもしなかった、幸せな時間。
僕の目からやっと涙が溢れ出た。
*
しばらくの間、僕は生体装甲の中で
どのくらい経過したのかは分からない。
場内に通じるほうの格納庫の扉が開かれる音がして、僕は
逆光の中を、黒々とした人影が入ってくる。男性のようだ。
生体装甲が反射的に瞳孔を開き、倍率を調整する。
それで劉さんだということが分かった。
彼は自分の
「
四体のの武装妖精は瞬時に作業にかかる。
無駄のない動きだった。
それを厳しい目で見つめていた劉さんが、ふとこちらを見た。
「雄一君。もしかして、そこにいるのか?」
「――すいません、黙っていて」
「もう体は大丈夫なのかい?」
「はい。あの、有り難うございました。昨日はここまで運んで頂いたそうですね」
「ああ、その礼ならいらないよ。当然のことだから」
劉さんは笑って言った。
僕が気を失った後、
白狼も十五分を経過したところで力尽きた。
もともとエネルギイに乏しい個体だし、彼らは「捕食」という行為自体を知らなかったから、
混乱が収まったところで、劉さんと琴音さんが僕のところに駆けつけてくれて、意識を失った僕を生体装甲ごと回収した、と教授から聞いている。
劉さんの話では、彼らの本来の目的は侵攻ではなく「レイルガンの実地試験」だったのではないだろうかということだった。
投入された戦力が、ヘルムホルツの国力からすると中途半端だったし、引き際もあっさりとしたものだったという。
レイルガンが発射されてから敵が撤退するまでの時間は、一時間もかかっていなかった。
ミツドランド王国軍の主力部隊は古来の格式に従って正面に陣取っており、それを完全に読まれていたために戦場の中心部だけが混戦となっていた。
周辺部、特にレイルガンが秘匿されていた位置は主力部隊から遠く離れていたので、僕が突入していなければ連射は避けられなかっただろうと、劉さんは言った。
「だから、君は今回の戦闘において一番の功労者だよ」
「しかし、僕は自分の
「結果はそうだけど、じゃあ、最初のレイルガンの砲撃に気づいた時点で、何か君に出来ることはあったのかい?」
「それは――」
あの時、レイルガンの最初の砲撃が行われた時点で、何か僕にできることがあっただろうか。
答えは分かり切っている。何もない。
僕には神がかりな能力はないし、あったとしても、あの時なんとかできたとは思えない。
仮に全員が神経を研ぎ澄まして正門の警備にあたっていたら、どうなっていたのだろうか。
それでも結果は変わらなかったはずだ。
レイルガンという最新兵器の存在を知らなかったのだから。
「今回君が助かったのは、君の
その通りだった。フワがいたから僕は生き残った。
僕が出陣前に「僕に危険が迫ったら、守ってくれ」と言ったから、彼はそれを忠実に守ったのだ。
仮にそれが「僕ら」という指示だったら、どうなっていたのだろうか。
フワの能力の限界がどのへんなのか分からないのでなんとも言えない。
あの時の様子からすると、僕以外を守ることはできなかったように思う。
ヨルの助けがあって、ぎりぎり守り切れたのが現実だ。
「君の従者に防御能力の高い使役獣がいて、それに適切な指示を与えていたから君は助かった。僕が助かっただけでも奇跡に近い」
「――しかし、それで気分が楽になることはありません」
「君は強情だな。じゃあ、仮に君がレイルガンの直撃を受けていたらどうなっていただろうか?」
「それは――」
瞬時に消滅したかどうかは怪しいが、少なくとも行動不能にはなっていただろう。
そうなると、レイルガンの砲撃はさらに続いたはずだ。
それに晒されたミツドランド王国は城壁を失い、市街地を失い、国土を失っていたのではないかと思う。
劉さんと琴音さんが駆けつけた訳だから、僕がいなくても最終的には撃退できたのかもしれないが、被害は拡大していたはずだ。
「それでも、やはり気は晴れません」
「繊細なのだな。それは美徳だが、戦場では過剰な繊細さは命取りになるから、注意したほうがいいね」
「――はい、分かりました」
僕は劉さんの生体装甲を見る。黒い装甲は水に濡れて光っていた。
「ところで、戦闘終了後には必ず生体装甲を掃除しなければならないのでしょうか?」
僕は素朴な疑問を口にした。
「えっ? ああ、そういえば君は最後には必ず気を失っているんだったな」
劉さんは笑った。決して嫌味な言い方ではなかった。
「戦闘が終わった後、生体装甲には必ず『任務』が課せられるのさ」
戦闘後、当然のことながら戦場には敵と味方の
生体装甲は、敵味方を問わず、その骸を回収する作業を課せられていた。
「骸を放置したままでは腐敗するから、衛生上の問題から回収する必要がある」
というのが表向きの理由。
「骸は有効活用できるから回収する」
というのが実際の理由だ。
さて、この世界は
従って、前に教授の説明にもあった通り、地球とボルザの二重存在は問題とならない。
しかしながら、この世界の物理法則に反することはできない。というより、やれない。
転写は、地球の人間をこの世界に写し取る技であるが、この世界で
なぜならば、質量保存の法則を無視できないからだ。
そして『素材』の組成も、転写対象の人類と同じでなければならない。
人は神ではないから、
従って、本体はもちろん腸内細菌の類まで、組成が共通である必要がある。
故に、一対一で再生することもできない。
となれば、ボルザ人の自然死による遺体を集めて賄い切れるものではなかったし、それに、この世界の死生観や宗教観でも、遺体を転写に提供することは忌避すべき行為だった。
従って、戦場で骸が回収される。
回収された骸はまとめて保管され、転生儀式ごとに消費される。
つまり、僕たちはこの世界の生物の骸を集めて再利用した
「それにしても、凄い運動性能だね。君の生体装甲は」
劉さんは僕のほう――正確には僕の白い生体装甲を見上げる。
「
「えっ、あ、その。何ですか固有名称って」
「すみません、意味は
「ふうん、それは面倒だね。いつまでも『僕の白い装甲』という訳にはいくまい」
劉さんは右掌を顎に当てて、左掌で右肘を支える。
「僕の生体装甲は『
「そう言われても、僕にはよく分かりません」
「そうだねえ。何か特徴はないのかな。例えば、先日の戦闘で使った
「白狼ですか」
「そう。ちょうど装甲も白いしね。ただ、なんだか耳で聞く音が軽くて物足りないな。もう一捻りしたいところだ。なにしろ、こいつは非常にユニイクな装甲だからね」
そう言って劉さんは首を捻る。
「両腕から剣が生えているから『
劉さんの言葉を聞きながら、僕は昨日の戦闘を思い浮かべる。
ごく自然に特定の文字が頭に浮かんだので、それをそのまま口に出した。
「――『
「えっ? 雄一君、今なんと言ったんだい」
「その、ですから『
「いいね、それ! すごくいい。適度に重々しくて切れがある。『神白狼』ね、ふうん。『神白狼』……」
何度も口に出して言われると、なんだか恥ずかしい。
生体装甲の中なので、顔が赤くなっているのを知られずにすんだ。
由来を正直に話したら大笑いされるだろう。
しかし、劉さんはひとしきり感心したところで、その致命的な一言を発した。
「で、どうして
僕はしどろもどろになりながら、最後には「音が心地よいので」という意味の分からない説明で、なんとか劉さんに納得してもらった。
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