第六話 戦鬼初陣(フアスト・キル)

 日の出とともに自室に戻ると、僕はそのままベツドに倒れ込んだ。

 考えることの多い一日だった。情報が消化しきれず、こめかみのあたりが微かに痛い。

 結局、その日は昼過ぎまで寝て過ごしてしまった。

 訓練や研修のような予定があったら無断欠席だ。

(後で聞いたのだが、生体融合者パイロツトは特に定まった日課や役割はない)

 武装妖精アアマド・ピクシイ使役獣エンプロイメント・ビイストは、御主人様マスタアの指示がない時には待機している。

 自我核アイデンテイテイ・コアとなっていたり、さほど離れていないところで好きなことをしている場合もあるようだ。

 エミが疲れていないか心配だったが、どうやら妖精はそのような俗人的なこととは無縁らしい。

 室内を飛び回って僕が脱ぎ散らかした衣を片付けたり、ゴミを拾ったりと、動きっ放しだった。

「少しは休んだら?」

 と聞いてみると、

「動いていたほうが落ち着くんですぅ」

 と言われた。


 *


 部屋の中でぼおっとする。誰も現れない。

 昨日はなんだか怒らせたままで別れた教授プロフヱサアも現れない。

 劉さんや佐伯さんは当然現れない。

 それ以外の生体融合者もここには住んでいるはずだが、生活の気配が希薄だった。

 地球ガイアであれば、誰からも干渉されない環境はむしろ望むところだった。

 しかし、ここにはネツトもなければゲエムもない。

 テレビもなければコンビニもない。

 暇つぶしの手段を欠いた放置は、むしろ拷問に近い。

 仕方がないので、僕は食堂へと向かうことにした。

 僕が、自分から人の気配を求めるのは、かつてないことだった。


 *


 食堂にも人影はない。

 お昼の時間を外してしまったせいなのか、それとも元々ここはあまり利用されていないのか、判断に迷う。

 何か食べていれば誰か来るかもしれないと思い、厨房に向って「何か丼物は作れないか」と注文した。

 一人だけそこにいた男性が、頭を下げる。

 それにしても、ここの厨房で働いている人間たちは、まるでそれが職務の一部であるかのように全員の愛想が悪かった。

 一部の者だけならば「やむをえない」と我慢もするが、昨日から勘定して三回目の訪問となるのに、出てくる料理人全員が一言も喋らない。

 話しかけようとすると、その素振りだけで逃げられる。

 まったく取りつく島がない。

 僕が””を巻き起こしたせいかとも考えたが、そういえば昨日教授が注文した時も愛想がなかった。

 そして、同じ人物を一度も見ていない。

 注文した時と、出来上がりを受け取る時の人物も別人だった。

 だから現時点で五人に会っている。

 まだ標本サンプルがすくない、と考えるべきなのだろうか。

 しばらく待っていると、やはり注文時とは別な人物がカツ丼に似た食べ物を持って出てきた。

 注文時にいた人物の姿はない。

 そして、出てきた人物も、やはり愛想がない。

 会話を拒否する態度がありありな彼から丼を受け取ると、窓際の席に持っていき、食べてみる。

 見た目がカツ丼のそれは、香りが親子丼で、味は天丼だった。

 ここまでちぐはぐだと、わざとやっているのではないか、と疑いたくなる。

(なんだか昨日の夜の話以降、僕は疑り深くなっている)

 それを自覚したが、だからといって何かが変わるわけではない。

 結局、食事が終わるまで食堂には誰も現れなかった。


 *


 さすがに人恋しくなって格納庫に足を向ける。

 食堂を出てからというもの、エミはずっとにこやかに話しかけてきた。

 僕の表情が暗いことを心配しているらしいが、人形のような妖精と話をしたい気分ではなかったので無視する。

 自由も、それを活用する能力や目的意識がない人物にとっては、むしろ拷問に近い。

 僕は、傾き始めた午後の日差しの中を、出現する時間を間違えた幽霊のように黙って歩いてゆく。


 *


 しかし、格納庫にも人影はない。

 相変わらず微妙な熱気を感じる室内は足音一つしなかった。

 ただ、何かが擦り合わさる音や締ってゆく音が、絶え間なく聞こえている。

 昨日は教授と一緒だったし、緊張していたので気が付かなかったが、格納庫内は微妙な物音で溢れかえっていた。

「なあ、エミ」

 さすがに無言に耐えきれなくなって、僕は妖精に話しかける。

 今ならば人語を解する犬でも、話しかけただろう。

「はい、御主人様」

「僕が、ここにある他の生体装甲バイオ・アアマを操縦することはできるのかな」

「それはできないですう」

 エミは即答する。

「生体装甲は、個々の生体融合者に一対一対応するように作られていますから、他の人が乗り込もうとすると異物扱いされます」

「要するに吐き出されるということ?」

「そうです」

 僕は目の前になる戦国時代のヨロイを見事に再現した、重厚な漆黒の生体装甲を見上げる。

 それは僕のものよりも一回り大きく、そして二回り強そうに見えた。

 それから、格納庫の奥、他の機体から隔離された僕の生体装甲を眺める。

 相変わらず、それは美術のデツサン人形のようなそっけなさで、片膝を立てて座っていた。

(教授は僕の装甲を特殊なものだと言った。それを目当てにいさかいが起きるとも言った。それは事実なのだろうか)

 自己防壁セルフ・デイフヱンスのことを教えてくれなかった件は、僕の心にとげのように刺さっており、しかも、それは成長する根のようにあちこちに顔を覗かせていた。

 僕は白い生体装甲に向かって歩く。

 そして、もう少しで搭乗(というか捕食)される寸前で、立ち止まった。

(美しい装甲――だけど、実際の戦いでこれが本当に僕を守ってくれるのかな)

 傷や汚れがまったく見られない滑らかな白い鎧。

 それがむしろ「作り物」めいた安易さを感じさせる。

 僕は溜息をついた。

 しかし、本来今ここで考えるべきはそんなことではない。

 僕はこの時点で『戦争の本質』をすっかり失念していた。


 *


 結局、その日は(厨房の担当者を除くと)他の人間には出会わないまま終わった。

 翌日になると、さすがに自分が「戦闘要員として待機している」事実に思い当たる。

 そして、

(生体装甲の操縦や、武装妖精や使役獣との連携に慣れるためには、やはり練習が必要だろう)

 という結論に達した。

 エミ、マリ、カネ、ジイ、ヨル、フワを引き連れて格納庫に向かう。

 自分の白い生体装甲の前に立つと相変わらず心の中では戸惑いを感じるが、いつまでもそんなことに拘っていられない。

 足を一歩踏み出す。


 白い生体装甲の『胴前』が開き、

 触手が衣を剥ぎとって雄一の身体を持ち上げ、

 爪先から粘着物に埋もれる感覚がして、

 何かが穴という穴に差し込まれてゆく鈍い感覚と快感があり、

 視界まで軟体動物に埋もれてゆくと同時に、

 快感が僕の全身を貫く。


(むっ…ふうん…)

 抜群の浮遊感、安定の快楽である。

 荒い息が収まると、目の前が明るくなって外の景色が見えるようになる。

 手や足の指先が微妙に痺れ、それが全身に広がってゆくのは何故だろうか。


 生体認証バイオ・サアテイヒケイシヨン――管理者権限認証および状況確認コンデシオン・チエツク


 なるほど、本人に間違いないことと、健康状態に問題がないことの確認か。

 末端から体幹までのサアチが終わると、視界の右下端に緑色グリインの明かりが灯る。

戦闘準備バトル・スタンバイ完了)

 頭から自然に言葉が流れ出た。

 概念共有イデア・コネクトによる情報が流れ込んでくる。

 それによると格納庫の倉庫は生体装甲が外に出ようとすると自動で開くようになっていた。

 魔法である。

 僕は片膝立ちの姿勢から足を組み替えることなく立ち上がる。

 そして、軽やかな足取りで扉の外へと向かっていった。


 *


「さて、これからみんなの能力を教えてほしいのだけれど、まず誰から先にやる?」

 午前の早い時間の風は爽やかに吹く。

 その中に立って僕は従者ジウサたちを眺めた。

「じゃあ、私からお願いします」

 エミが手を挙げて、空中を前に進み出た。

「分かった。それじゃあ宜しくお願いします」

「お願いしまあす」

 なんだか気合いの抜ける受け答えだが、これがエミの初期状態デホルトだから仕方がない。

 僕は概念共有の情報から、武装妖精の指示待状態コマンド・モオドへの移行に関するものを取込インストオルする。

「エミ、指示待状態移行」

、御主人様」

 同時にエミの身体を覆っている赤いワンピイスが蠕動ぜんどうする。

 繻留繻留しゅるしゅると全身が赤い布に巻かれていき、最終的に彼女の姿は――


 宙に浮かんだ赤い壺状の物体となる。


 決して魔法少女のような派手な変化を期待していたわけではない。

 しかしこれはなんとも「味気ない姿」だ。

 沈みそうになる気分をなんとか持ち上げると、僕は遠くに見える森の木の一部に焦点を絞る。

 実際に視界がクロウズアツプされるので便利だが、このままだと逆に至近距離の敵に対応できないから、実戦向きではない。

 あくまでも練習や索敵のための機能である。

 枝の先の一枚の葉っぱに目標を定めると、反転表示する。

 距離は非常にアバウトに見て、一〇基路キロというところだろう。

 御主人様と武装妖精の結合は、戦闘状態バトル・モオドに移行すると強化される。

 だから、このまま僕がエミの力を発動させることも可能らしいのだが、それはエミの人格(というより妖精格か)を否定することになるような気がする。

 無論、彼女に聞いたら、

「それは御主人様ですから、好きにして構わないのですぅ」

 と答えるに違いない。

 ともかく、僕は彼女に指示するだけに留めた。

「用意――!」

 途端に延びる紅蓮の矢。

 それは狙った葉の位置まで到達すると――


 周囲五〇目取メトルことごとく焼き尽くした。


「申し訳ありませぇん。加減が出来なくてぇ……」

 壺状の物体から聞こえてくる少女の声は、思った以上にシユウルだった。


 他の者の結果を列挙する。

 マリは指示待状態に移行することができなかった。

 理由は「ここでかみなりをつかったらおはながかわいそうだから」である。

 カネは指示待状態に移行し、マリの悲鳴が響く中、鋭い氷の矢を放った。

 しかし、残念ながら狙いが若干逸れる。

 本人曰く「遠すぎて見えにくい」ということだが、老眼ではなかろうかと疑う。

 ジイは酔って寝ていたので指示待状態自体が認識できなかった。

 ヨルは攻撃形態進化アタツク・フオム・エヴオリウシオンによって、普段の大きな猫からは想像もつかないほど見事な肉食獣の姿となり、周囲を駆け巡った。

 ただし、一〇分が限度である。

 フワには、攻撃形態進化したらしいが、外見上の変化はない。

 ただ風和風和ふわふわと頼りなげに浮いたままだった。

 従って、戦闘で使えそうなのは「エミ、カネ、ヨル」に限られる。

 他は未知数だったが、期待していると馬鹿を見そうで怖かった。


 *


 訓練が終了した後、僕は格納庫に戻ると従者たちに待機を命じた。

 僕は食堂に向かって歩きはじめる。

 すると、後ろからエミがついてきて、申し訳なさそうに言った。

「マリのことを怒らないでやって下さいませんか、御主人様」

 そんなつもりは全くなかったので、僕は足を止めてエミの顔を見つめてしまった。

 エミは一瞬戸惑ったようだが、説明を続ける。

「マリはとても妖精らしいのです。本来、妖精は草花や小さな動物たちの世話をするために生まれてきた存在で、その世話のために水や土を魔法マジカで扱い始めたにすぎません」

「ふうん。じゃあ、どうしてマリは武装妖精としてここにいるのかな」

「今、純粋な意味での妖精は存在しません。すべて武装妖精に位置づけられていますから」

「えっ、じゃあ本人の意思は関係ないってことなの?」

 エミはくすりと笑う。

「妖精の意思、なんて言葉は初めて聞きました。なんだかおかしな響きですね」

 僕にはそういう意識はなかったが、それがこの世界の常識なのかと思う。

「私たちはすべて武装妖精です。例外はありません。カネやジイにしてもそうなのです」

「えっと、それはどういう意味かな」

 僕が困惑した表情を浮かべると、エミは顔を赤くした。

「申し訳ございません、御主人様。説明が足りませんでしたね。もともと妖精は寿命がとても短かったんです。ですから、私ぐらいで大抵は寿命を迎えて消えていくのが普通でしたし、今でもだいたいはそうなんです。カネでも珍しく長命な妖精で、昔であれば小さな者たちの養育係として、慕われながら穏やかな日々を過ごしていたことでしょうし、ジイであれば滅多にいない古老として尊敬や崇拝を集めていたかもしれません。それが、今では死の寸前まで武装妖精なのです」

「――そうなんだ。どうしてそうなってしまったの?」

「ゲルトフエン・イイムズによる現代魔法体系モダン・マジカ・システムの確立以降ですね。妖精は言語魔法ワアド・マジカによる強化をうけて武装妖精となり、自我核を与えられました」

自我核アイデンテイテイ・コアは後で与えられたものなんだ」

「そうです――あれは私たちにとって、住処すみかとなる宝石ジユエルであると同時に、反逆を封じるための牢獄ジエイルでもあるのです」

 そう言って僕の直ぐ目の前を飛んでゆくエミの背中は、真っ直ぐに伸びている。

 そこには弱者の悲哀も自虐的な嘆きもなかった。


 *


 食堂には教授がいた。

 全く期待していなかったので、僕は少したじろぐ。

 その樣子を訝しげに眺めながら、彼女は、

「おや、自己防壁を習得したようだな。研究熱心で何よりだ」

 と、何事もなさそうな口調で言った。

 事実を伏せられていた僕は面白くない。

 どうしてもそれが態度に出てしまう。

「他の人に教えてもらいました。指導員が怠慢なので」

「おお、それは申し訳なかった。それで、誰に教わった?」

「誰って――劉さんです」

「そうか、彼か……後で礼を言っておくよ」

 何だろう、いま微妙に間が開いていたような気がする。

「ところで、今まで何をしていたのだ」

「外に出て訓練をしていました」

「訓練、だ、と? 独りでか?」

「そうです、が――何か問題でも」

「いや、その、そうか。それも説明をしていなかったのか」

 珍しく教授が狼狽する。

 僕はその姿が不思議でならない。

「いや、済まない。それは一番最初に説明すべきだったな。生体装甲での単独行動は認められないのだ」

「えっ、だってあれは近接格闘用の人型兵器じゃないんですか? それならば、単独行動が基本でしょう?」

「戦場では、やむをえない場合や命じられた場合には単独行動もありうる。それ以外の時、特に通常待機中の単独行動は認められない」

「どうしてですか? 意味が分からない」

 教授の単鏡モノクルが怪しく光る。

「そうだな。言葉で説明すると長くなるからな。ちょっと失礼する」

 と、言うやいなや教授は僕の身体に両腕を巻き付けて、口に舌を入れてきた。


 飢餓欲求制御デザイア・コントロオル――生体融合者が生体装甲搭乗中に飢餓状態に陥ることを避けるための禁忌事項


 教授の柔らかい身体の感触と心地よい温もりが、概念共有した情報とともに伝わって来る。

 彼女が身体を離した時、僕は思わず残念に思った。

「これで分かったかな」

「――はい、よく分かりました」


 *


 生体装甲は生体融合者を動力源とする。

 融合中にそのエネルギイが尽きると、外部からエネルギイを取り込みたいという欲求が沸き起こる。

 それが飢餓欲求デザイアだ。

 欲求を制御しきれずに、手当たり次第に周囲のもの――例えば従者である武装妖精や使役獣を捕食してしまうと、外部エネルギイを通じて生体装甲と生体融合者との間に双方向の栄養伝達経路が出来上がる。

 これは赤ちゃんの臍の緒みたいなものだ。

 そうなると両者は不可分の存在となる。

 生体融合者は生体装甲から分離できなくなるので、生体装甲のまま捕食しなければ生命を維持できない。

 繋がりが強固である分、運動性能は格段に向上するが、生体融合者の意識が個蟲ゾイドの単純な行動原理に取り込まれることにもなる。

 つまり「生きて、食え」だ。

 その本能に従い生きる者は『喰人クラウド』と呼ばれる。

 もはや人ではない。


 *


 僕が自分の単独行動の軽率さについて反省していると、教授は、

「おお、そういえば今日お前を探していた理由を思い出した」

 と、取ってつけたように言い出した。

 食堂にただ座っていたのに、「探していた」もないと思う。

 僕が怪訝な顔をしても、教授はそれを全く意に介さず、次のように言い切る。

「隣国ヘルムホルツ共和国から宣戦布告があった。戦闘開始は二日後の正午。明日の正午にはここで事前説明ブリイフイングがある。以上だ」

 それは、運動会の日程を告げるのと同じぐらい、事務的なものだった。


 *


 翌日正午に食堂に行く。

 そこには、今まで見たこともない数の人々がいた。

 僕を含めて二十五名。生体装甲に搭乗可能な全員である。

 殆どが日本人の中高生だったが、一部に西洋人と思われる白い肌の者たちと、武士の流れを組むと思われる剣呑な空気を纏った目つきの鋭い男たちが含まれていた。

 研究者と武士の生き残りだろう。

 そして、僕以外は見事に太っていた。

 前方に劉さんと佐伯さんの姿もあったが、遠目でも二日前の夜に会った時より既に身体の幅が増えていることが分かる。

 それで僕は理解した。

 生体融合者は普段、何もせずに身体にエネルギイを蓄えることだけに専念しているのだ。

 そして、それが戦場で自分が生き残るために、最も重要な事前準備なのだ。

 となると、いつもあまり変わらない体型をしている教授はどうなるのだろうかと、訝しく思う。

 当の教授本人は前方の机に座っていた。

 向かって左側には黒地に金糸や銀糸で模様が刺繍された衣装を纏った、騎士らしき重厚な男がおり、右側には黒い衣を着た僧侶のような簡素な男が座っていた。

 僕は一番後ろの席に座る。

 すると、それを待っていたかのように教授は口を開いた。

「全員が揃ったようなので、事前説明を始める。なお、本日は戦闘の総指揮官であるガイスト中将と、グイネル筆頭大神官も同席している」

 二人は紹介されても、傲然と頭をあげたままこちらを見据えている。

 何だかとても無礼な姿だが、教授はそれを無視して話を進めた。

「ヘルムホルツ共和国から古式に則った宣戦布告があった。戦闘の開始は明日の昼五つ目。つまり太陽が最高点に完全に登り切った瞬間である。武装妖精による遠距離攻撃、使役獣と騎士階級による接近戦の順に戦闘が行われて、騎士階級が引いた後で我々の出番となる」

 教授の整然とした話を聞きながら、僕は強烈な違和感を覚える。

(一体何だ。この運動会の行事予定を説明するような雰囲気は)

 しかし、他の出席者は特に違和感もなく平然と聞いている。

「戦闘終了は昼の七つ目となる予定だ。質問はあるか?」

 誰も発言しない。

「結構。予定は以上のとおりだ。が――」

 教授の単鏡が輝く。

「ヘルムホルツ共和国は平民共が平等という間違った観念に侵されて、高邁な精神もなく寄り集まって作り上げた下賤な国家である。これまでも合理性の観点から、古式を踏み躙るような振る舞いを平然と行なってきた無頼の徒であるから、実際はどのような汚い手を使ってくるのか分からない。しかし、ミツドランド王国軍は誇り高き軍隊であるから、諸君も弁えて見苦しき振る舞いのなきように願いたい、とそういうことでしたな。ガイスト中将」

「その通りだ」

 ガイスト中将は短く答える。

「ということだ。諸君、明日は健闘を期待する。以上だ」

 それで、事前説明はあっけなく終わった。


 *


 終了後、僕は遅ればせながら大量の食事を平らげることにした。

 食堂には教授と僕以外には誰も居ない。

 相変わらず、見た目と香りと味がちぐはぐな、不味くはないけれども美味しいと喜べない料理をかき込みながら、僕は教授に率直に言った。

「なんだか行事か儀式の説明みたいな内容でしたね」

 教授は眉を上げて言った。

「その通りだよ。ミツドランド王国にとっては、戦闘は儀式だ。定められた手順に従って進められる優雅な競技なのだよ」

「そんなことで戦いに勝てるのですか」

「無理に決まっている」

「ではどうして?」

「それが難しいところよ。今のミツドランド王国は、高邁な騎士道精神の虜となって、新興の相手を見下すだけで新しい戦術や戦略を理解しようとしない過去の遺物だ。戦争がひどく合理的で身も蓋もないものであることが理解できない前例主義の硬直した官僚国家が、自由な発想で仕掛けてくる相手に勝てるわけがない。誇りで勝てるほど戦闘は甘くないからな」

「なんだか、言っていることが随分違いますね」

 教授は何も言わず、済ました顔でコオヒイのような見た目のサイダアを啜った。


 *


 初めての本格的な戦闘を前に、僕は眠れなかった。

 何度か寝返りを繰り返した挙句、とうとう眠る努力を放棄して、朝の早い時間から格納庫に移動した。

 僕の武装妖精と使役獣も一緒である。


 格納庫内は案の定、がらんとしていた。


 生体融合者が動力源の生体装甲である。

 寸前まで動かずにエネルギイを温存するのが常識であることは理解していた。

 しかし、今の僕はベツドで横になっている方が、消耗が激しい。

 僕の白い生体装甲の前に立つ。

 その滑らかなおうとつの少ない機体は、やはり迫力に乏しかった。

 続いて僕は従者たちの姿を眺める。

 本来は戦闘に向いていない者を含んだ烏合の衆である。

 しかし、彼らだけが現時点で僕の味方であった。

 フワは相変わらず無造作に宙に浮かんでいる。

 その姿は格納庫の殺風景な樣子と、戦闘前の殺伐とした空気にはそぐわなかったが、僕はなんだかほっとした。

「僕に危険が迫ったら、守ってくれるよな」

 僕はそっとフワに願う。彼は相変わらず何も言わなかった。


 *


 生体装甲が一斉に出陣する樣子は、壮観だった。


 規格品ではない、おのおの独創的な生体装甲は、まとまりに欠けるものの見ている分には面白い。

 武器にも様々な種類があった。

 日本刀のような反りのある片刃の剣を、抜身で肩に掲げている者がいるかと思えば、短めの諸刃を両手に持つ者、身長の二倍はある槍を抱えている者もいる。

 これが教授の言っていた各自の戦闘様式スタイルなのだろう。

 ただ、『神君シンクン』は最後まで動かなかった。彼女は司令部づきらしい。

 僕は自分の生体装甲を操りながら、戦闘前だというのに気が抜けていた。

 昨日、教授から指示されたことがある。

「お前は初陣だからな。今回は城壁防衛のために正門のそばから離れないように」

 つまり、今回、僕の出番は自軍が最悪の事態に陥るまで、ないということだ。

 生体装甲たちは軽やかな足取りの割に、地面を盛大に振動させながら所定の位置へ移動してゆく。

 その樣子を見守りながら、僕たちは正門の隣に移動して、そこで待機した。

 正門からは馬(のような使役獣)に騎乗した騎士階級や、整然と整列した武装妖精の群れ、足踏みまで整然と合わせた攻撃系の使役獣の一団が次々に出撃してゆく。

 その横で僕はただ立っていた。

 次第に出撃する者たちの姿は少なくなっていき、最終的に絶えて、正門が閉じられる。

 その横で僕はただ立っていた。

 出陣による土埃が掠れてゆく。

 正午前の爽やかな空気が戻ってきた。今日も天気がよい。

 軍勢は遥か彼方で整列している。敵の軍勢はそのまた向こうだ。

 ここからだと敵の生体装甲も黒い点にしか見えない。

 そもそも「敵」という威圧感すらわかない。

 初陣はこんなもんなのかなと、僕は嘆息する。

「なんだか長閑な時間ですね」

 エミは壺状の姿で僕の左方向に少し離れて浮いていた。

 一応、彼女なりの警戒モオドなのだろう。

「我々は防衛隊だからな。とはいえ、気を抜かないように」

 ヨルは攻撃形態進化に移行した状態で、僕のかたわらに控えていた。

 さすがに歴戦のつわものだけのことはある。落ち着いているのに隙がない。

 カネは指示待状態だったが、後方でマリとジイのサポオトにまわってもらった。

 マリの視線は周囲の花に向けられている。

 世話をしたそうな素振りだったが、さすがに戦闘中であることは認識しているらしい。

 ジイはその隣で相変わらず寝ている。

 フワは攻撃形態進化に移行しているらしいが、相変わらずの姿で僕の手前に風和風和ふわふわと浮いていた。

 僕は僕の従者たちを、それでも温かい目で見られるようになっていた。

(これはこれで仕方のない事だ。まあ、僕がなんとかするしかないよな)

 そう思っていた。

 実はそれが大きな間違いであることを、僕はこの直後に思い知ることになる。


 *


 さて、歴史の流れの中には、時として大きな転換点が現れる。

 今回、その転換点は敵陣営の奥深くに秘匿されていた。

 まさかこの世界で見ることになろうとは思ってもいなかった兵器。

 いや、むしろこの世界であるからこそ、それは実用化できたとも言える。

 地球ガイアでも未だ正式導入されていない兵器――


 レイルガン。


 電気伝導体で作られた二本のレイルの間に、同じく電気伝導体を『弾丸』として挟み込む。

 そこに直流の電力を入力し、還流させて電気回路を形成する。

 すると、弾丸の電流とレイルの電流との間に発生する磁場の相互作用(電磁誘導、いわゆるロオレンツ力)によリ、弾丸は加速され、射出されるのだ。

 地球においてはいくつかの技術的な問題があって実現に至っていない。 

 まず、レイルという真っ直ぐな電気伝導体に生じる磁場を利用するため、短時間に非常に大きな電流を供給し続ける必要がある。

 第二次世界大戦当時にドイツや日本でレイルガンの兵器化に関する研究が行われていたが、レイルガン一つに発電所が二つ必要になるという試算もあって実現しなかった。

 ボルザにおいては、この問題は武装妖精による雷撃系魔法攻撃で解消される。

 また、弾丸を加速している間、弾丸には電流が供給されている必要性があり、したがってレイルと物理的に接触している必要がある。

 しかし、接触から生じる摩擦熱や、電気抵抗によるジユウル熱などにより、レイルあるいは弾丸の一部が蒸発・プラズマ化して接触が維持できなくなると、電流が流れないために弾体は発射されなくなる。

 ボルザにおいては、この問題は武装妖精による冷却系魔法攻撃で解消される。

 最後に、十分な発射速度を得るためには十分な加速距離を取る必要がある。

 つまり、弾丸の初速はレイルが長ければ長いほど早い。

 火薬による弾丸の初速は、拳銃で秒速七〇〇目取弱、ライフルでも秒速二〇〇〇目取弱だが、それがレイルガンの場合、二十一世紀初頭で、秒速八〇〇〇目取を実現していた。

 この長いレイルを要する点は、生体装甲や使役獣により必要な部材を運べば問題にならない。

 今回、奇襲とせずにわざわざ古式に則って宣戦布告したのも、その搬送時間を取りたかったためである。


 では、この兵器のどこが「画期的」なのか。


 各国の城壁は通常、魔法結界マジカ・フイルドで防護されている。

 そのため、魔法攻撃マジカ・アタツクは城壁外に限られていた。

 魔法による土石流は、一見して物理攻撃のように見えるが、その土砂の移動自体に魔法が介在しているから、結界内では無効になる。

 従って、一般国民が被害を受ける拠点内侵攻は、場外の防衛軍が総崩れになって敵の生体装甲が城壁を破壊した後でなければ起こらなかった。

 しかし、レイルガンの発射過程には魔法が介在するものの、攻撃そのものは純粋な物理法則に従っている。

 物理攻撃の前に魔法結界は無力であるから、これ以降、城壁内の一般国民が戦闘の初期段階から攻撃対象に含まれることになる。

 その歴史的な最初の弾丸がレイルの上に載せられた。


 彼はそのことを察知した。


 彼が体感している時間は他の動物よりも六十倍近く遅い。

 敵陣営の中に輝きが認められたと同時に、高速飛行する物体が現れるのを見る。

 それは広範囲に渡っている。

 すべてを排除するのは不可能だ。

 そのような命令も受けていない。

 自分がやるべきなのは彼を守ることだ。

 普段は折りたたまれている細かい繊維の網を広げれば、彼一人分の防御は可能となるだろう。

 ここまでの思考を終わらせた時、射出された砲弾は中間地点にあった。

 かなりの速度である。

 あれを止めるとなればただでは済まない。

 しかし、だからといって命令に背くことなど考慮の範囲外である彼は、即座に防御体勢に移行した。


 僕は一瞬何が起こったのか分からない。


 目の前に白い幕が広がる。

 続いて衝撃。

 幕は「急有有有有有きゅうううう」という音を立てて軋む。

 同時に急激な摩擦熱が、周囲の気温を一気に押し上げた。

 ヨルの体毛が激しく燃え上がっている。

「ヨル、大丈夫?」

 呼びかけるが応答はない。

 目の前の幕はさらに軋む。

 凶暴な力が加わっている。

 少しずつ幕が押し込まれ、じわじわと僕の方に向かってくる。

 その時、僕の前に新たな壁が立ちはだかった。

 体表面の毛を燃え上がらせながら、ヨルが僕と幕の間に割り込み、幕を押し戻す。

 彼が幕に触れたところから、白い煙が盛大に湧き上がる。

 焼けているのだ。

 それでもヨルはひるまない。

 足を踏ん張り、咆哮ほうこうを上げながら押し込む。

 次第に幕は前方へと押し出されて――最後にはふわりと落ちた。

 ヨルも崩折くずおれる。

 僕は幕とヨルに守られて無事だったが、周囲は悲惨な状況だった。

 城壁が崩れていた。

 その、その向こうにある建物が瓦礫の山と化している。

 吹き出す炎と黒煙。

 飛んできた何かは高温だったのだろう。

 それが引火したのだ。 

 至近距離に敵の姿はない。

(今のは一体何だ)

 僕は狼狽する。

(生体装甲による直接攻撃以外、城壁を破壊する方法は存在しないはずではなかったのか?)

 しかし、至近距離に敵の姿はない。

 そして、至近距離にある味方の反応は――


 五つ。


 一つ足りない。

 反応のあるところを確認してゆく。

 瓦礫がれきに埋もれるようにして、黄色いスモックが見える。

 それを守るように覆いかぶさった水色の髪。

 さらにその上に赤いサンタクロオスのような衣裳が見える。

 岩で防御壁を生成し、その内側から冷却して凌いだらしい。

 目の前には、炭化して煙を上げているものの生体反応は途絶えていない獣。

 それから、千切れてボロボロになった幕――


 これは恐らくフワ。


「あ、あ、あ、あ」

 状況を把握するにつれて、僕の頭の中は業火で焼き尽くされてゆく。

「エミ……返事してよ」

 僕は呼びかける。

 返事はどこからもない。

 瞬間的な存在の消滅。 

 これが戦場。

 これが戦闘。

 情け容赦のない、慈悲など欠片すらない現実リアル

 死に際の挨拶なんて絵空事。

 油断した時、死は即座に訪れる。

 あっけなく。

 あっさりと。

「あ、あ、あ、あ」


 *


 王宮内で戦況をモニタリングしていた巫女が叫ぶ。

急告ウナ! 東側城壁が消滅しました。残る守備側の生体反応は六つ」

 教授の単鏡が心裡シンリの光を反射する。

「――ここからだな」

 冷酷な宣言。

 敵からの未知の物理攻撃は脅威だったが、こちらにも未知の兵器が存在する。

 彼女が平成年代の日本人中高生を転写対象としたのは「従順で扱いやすいから」だけではない。

 表面上従順な彼らの内面には、強く抑圧された『獣』が眠っている。

 それ以前の世代にはない特色だ。

 理不尽な死に直面したり、不合理な現実に追い詰められると、彼らの根底に眠るその残虐な『獣』が覚醒する。

 教授の口元が歪んだ。

(つまり――)


 *


 僕は憤った。

「誰だ! 何だ! エミ――僕の大切な仲間を奪った今の光は何だ!」

 敵陣営を見据える。

 その奥深くに不穏な気配があった。

「そーこーかあぁぁ!」

 僕の「左腕」から豪剣が延びる。

 それは攻撃性の象徴だった。

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