第五話 夜想曲集(ノクタアンズ)

「ええと。””の件はとりあえず置いておいて。相田雄一といいます。ご免なさい、お邪魔しちゃいましたか?」

「いやいや、そんなことはないよ。ここは常時使用可な場所だしね。僕たちの専有施設じゃないから」

 男性と女性は立ち上がる。

「ここでは昔の名前はあまり意味を持たないけれど、名乗られた以上は名乗り返さないと失礼だからね。僕の名前は劉早雲リウ・ソウン、彼女は佐伯琴音さえきことねさんだよ」

 佐伯さんは黙って頭を下げた。

 その視線は僕を警戒している。

「やあ、彼女は人見知りするからね。悪く取らないでほしいのだけれど」

 そう言って、劉さんは明るく笑った。

 劉さんは名前の響きから中国人のようだったが、(言い方が自分中心で恐縮ながら)外見は日本人と変わらなかった。

 話す言葉も流暢な日本語である。

 素直そうな黒髪が顔の上半分を覆っている。

 隙間から覗く目は一重で細い。その目は楽しそうに笑っていた。

 色が白いために唇の色が際立って赤く見える。

 身長が百八○線地センチを超えているらしく、全体的にすっきりとした印象である。

 もっとも、彼が生体融合者であれば、太っているほうが珍しいに違いない。

 佐伯さんのほうは、やはり素直そうな黒髪を後ろで纏めているために、額が現われていた。

 眼が丸く、全体的に栗鼠のような活発な印象を受けるが、今は警戒する表情を浮かべている。

 身長は百五○線地ぐらい。劉さんより頭一つ分小さかった。

 やはり全体的にすっきりとした姿だったが、僕より年下なのか起伏が乏しい体格で――


 そこで彼女は急に怒ったような表情を浮かべた。


 急いで劉さんの後ろに隠れると、怖い顔でこちらを睨んでいる。

 劉さんは「おやおや」という表情を浮かべていた。

「雄一君、質問があるのだけれど」

「はい、何でしょうか?」

概念共有イデア・コネクト初期設定フアスト・ヱスタブリシユメント済みだよね」

「はい。今日やったのがそうだと思います。まだ上手く使いこなせないんですが……」

「そうか、まだ転写されたばかりなんだな。初期設定については誰から指導を受けたの?」

教授プロフヱサアです」

「ふうん。そうか、やはりな。彼女は教えていないのだな。じゃあ、僕が教えておくよ。自己防壁セルフ・デイフヱンスの初期設定を早くやったほうがいいと思う」

「自己防壁? 何ですかそれは?」

「概念共有の初期設定段階でそこまでやらなかったんだね。仕方がないなあ。ちょっと失礼するよ」

 そう言って劉さんは僕を抱き寄せると、思い切り口の中に舌を入れてきた。


 自己防壁――概念共有時に個人の感情面の情報共有のみ遮断する方法。


 生体装甲の中で感じた時のように、僕の頭の中に明確な概念イデアが沸き上がってゆく。

 しばらくすると劉さんは身体を離したが、あまりの突然のことに僕はぼんやりしてしまった。

 彼は苦笑すると、言った。

「申し訳ない。雄一君が現時点で概念共有を利用するには、誰かを経由して直接結合ダイレクト・コネクトする必要があるのでね。手伝わせてもらった」

「あ、あの、有難うございます。というのも変ですが。その、何だかすいません、本当に」

「まあ、気にしないでね」

「はい。それで、自己防壁の意味と設定のやり方はよくわかりましたが、その、もしかして……」

 僕は慌てて佐伯さんのほうを見つめる。

 佐伯さんは僕を見つめている。その目がとても怖かった。

 いろいろな意味で彼女は怒っていた。

「そう、雄一君の意識や感情は、先程から周囲にすっかり漏れていたんだよ」


 僕の頭は一瞬、真っ白になった。


 そこから大急ぎで回復すると、概念共有が告げた通りに自分の意識内の周辺部に線を引いた。

 そこから内側には自分の感情や記憶を。

 そこから外側には自分の経験や知識を。

 切り分けて、分類して、配置し、壁を設けて、内側への扉に鍵をかける。

 これで、感情や記憶は概念共有の対象外となった。

 その僕の樣子を劉さんはニコニコと笑いながら眺めていた。


 *


 当初の予定通り、僕は厨房に「何か甘いものとコオヒイのようなものがほしい」とお願いした。

 すると、色や形はシヨウトケヱキとコオヒイそのものが出てくる。

 しかし、味は胡麻団子とサイダアに近かった。

 目覚めた初日の王宮での食事は、飢餓のあまりまったく目で味わう余裕がなかったので、どんなものを食べたのかもすっかり忘れてしまっていた。

 しかし、なんとなくではあるが、向こうは「見た目からして地球ガイアのものとは違う」ものが出ていたような気がする。

 人類居住区域の食堂では、香りであったり、色であったり、形であったり、部分的に地球のそれを真似て作られていたが、最終的な味は異なるものばかりだった。

 さっきの夕食時もそうだ。

 香りは見事に醤油と出汁の香りだったが、見た目はコオンスウプで、味はオニオンスウプに近かった。

 不味くはないのだが、各々の落差がなんだか切なかった。

 メインの肉料理は見た目がサアロインで、食感が高野豆腐、味はレバアソテヱに近い。

 やはり、これも不味くはないのだが、気分的に落ち込む。

 料理人たちがかなり無理をして頑張っていることは認めるが、それでも正直辛かった。

 さすがに『食』が異なると痛手ダメエジが大きい。


 僕たち三人は、さきほどまでの様々な出来事を棚上げにして、同じテヱブルを囲んでいた。僕がサイダア味のコオヒイを、眉をひそめながら飲んでいると、劉さんは静かに話しかけてきた。

「教授のことはあまり信用しすぎないほうがよいと思うよ。彼女、大事なことを隠す癖があるから」

「大事なこと、ですか?」

「そう。最初に教えてくれればいいのに、何故か隠す。なんだろうね。随分年を取っているからボケたのかな」

「えっ、だって高校生ぐらいじゃないんですか」

 劉さんは、そこで口をつぐんだ。

 じっと僕のほうを見つめるので、なんだか居心地が悪い。

 彼は溜息を付く。

「ほら、やっぱり隠しているじゃないか」

 と、僕の目を見据えながら言った。

「彼女は初期の転写でやってきた一桁者シングル・ナンバだよ。人間の年齢に換算したら、そうだね。そろそろ五十代になるんじゃないかな」

(五十代って、自分の母親よりも年上じゃないか)

「雄一君、今もしかして『自分の母親より上だ』と思わなかった?」

「えっ、あっ、まだ自己防壁が完璧じゃなかったんですか?」

「いや、そんなのは自己防壁のありなしに関係なく、顔色見てたら分かるって」

「そうなんですか、まいったな。僕はあまり他の人の感情を読み取るのが得意じゃないので、よく分かりませんが」

 僕はなんだか急に居心地が悪くなる。

 そう、昔から対人関係の問題となると、途端に居心地が悪くなるのだ。

 それは、親子関係や友人関係の歪みから生じていたものだと思う。

 ともかく、対人関係で楽しい経験はなかった。

 それも顔に出ていたのだろうか。劉さんは急に笑顔になると、穏やかな声で言った。

「感情が素直に表情に出てしまうのは、別に悪いことじゃあないんだよ。出ないほうがよっぽど怖いんだ」

「そうなんですか」

「そうだよ。穏やかに笑っているように見えて、実は腹の底では冷酷に刃物を研いでいる奴がいたら怖いじゃないか」

「それは、そうですね。確かに」

 劉さんは、ここでまた真面目な顔に戻ると、先ほどの話を続けた。

「まあ、ボケたというのは冗談だけどね。教授には気をつけたほうがよいと思う。現在のこの状況を作り上げた責任の殆どは、彼女にあるのだから。君がここにいることも含めてね」

「えっ、それはどういう意味ですか? どうして僕がここにいることに教授が関連するんですか?」

 劉さんは嘆息する。

「どうせ追々分かることだから説明するけどね――」


 *


 劉さんの説明は以下の通りだった。


 教授こと、有働亜里沙うどうありさが転写されたのは、ミツドランド王国が転写実験を始めて間もない、それこそ正式な儀式以前の試行段階のことだった。

 その頃はまだ転写後の外部角質化や初期段階の手順が確立されておらず、せっかく転写しても生体融合者の適合率は極めて低かった。

 彼女以前に転写された者は、ほぼ途中のミスにより命を落としていて、計画自体が頓挫しかけていたという。

 そこに彼女が転写されてきた。

 個蟲との生体融合および外部角質形成、初期鎧形成まで実験は順調に進み、最終段階で事故が起きる。

 概念汚染の最初の兆し。高度呪文中の神聖文字ホオリイグラフが一か所だけ日本語に置き換わっており、そのために教授の右目は異なる影響を受けた。

 それがどのようなものなのか、誰にも分からない。

 この後、彼女は数か月の間生死の境を彷徨いつづけた。

 そして、起き上がった途端に神官たちに命じて作らせたのが単鏡モノクルである。

 従ってあれは眼鏡ではない。何か別な世界を見ないようにするための遮眼帯だ。

 彼女は人間世界でも既に異端児であった。

 転写時は高校卒業年齢前だったが、親の仕事の関係で米国に在住しており、既にMITの博士号を取得していた。

 その才能を発揮し、彼女は概念汚染イデア・ポリウシヨンを逆手に取ることを提案する。

 個蟲を通じて人間の言語や世界観が浸透し、それが異世界に蔓延することになる現象を利用して、初期の転写対象に「武士」と「英語圏の研究者」を指定したのだ。

 それにより、武士による鎧形成段階の確立と、英米語による理論構築を実現した。

 漢字とカタカナルビ表記の混乱が生じているのは、初期のこの転写による影響である。

 その後の転写対象に「平成年代の日本人中学生および高校生」を指定した。

 これは純粋に「適性」の問題である。

 時代が古すぎると魔法にしか見えない。未来過ぎると不便で仕方がないために現状を改変しすぎてしまう。

 異世界に転生することをぎりぎり理解できる知識があって、ほどほどに文化的で、あまり自己主張が強すぎず、適度に従順で控えめな時代の人となると、必然的に「平成年代の日本人中学生および高校生」となった。

 

 *


 劉さんとの会話が長引いたために、僕が食堂を出た時には日の出寸前の時間になっていた。

 僕はいろいろなことがありすぎて、頭がすっかり飽和していた。

 それで、食堂の出口まで来て、そこから外に出る寸前になってやっと気がついた。

(そういえば、エミはずっと一人で控室に――)

 僕は何だか気が引けて、そっと控室の入口から中を覗く。


 エミはいた。


 控室の中、硬い木製の椅子に横座りしていた。

 微かな歌声が聞こえてくる。彼女が歌っているのだ。

 静かに夜が明けてゆく中で、彼女の静かな歌声が室内に微かに流れてゆく。

 日本語ではなかった。いや、人間の言葉で当てはまりそうなものは僕には分からなかった。

 妖精たちの本来の言葉だろうか。その旋律はとても繊細で、儚げで、そして悲しそうだった。

 僕は堪らなくなって控室の扉を敲く。

「エミ、ごめん。遅くなってしまって――」

「あ、御主人様マスタア、ご心配なく。私は武装妖精アアマド・ピクシイですから、待機には慣れています」

 エミは昨晩と同じく元気な姿で、僕を先導しようと飛んできた。

「そうかい、ではお願いします」

「わっかりましたー」

 エミが右手を挙げて、僕の前を飛んでゆく。

 僕はその後ろに従って歩く。

 先ほどの彼女の寂しげな姿が、自己防壁から漏れ出さないように注意しながら。


 *


 さて、ここで僕はここ二日で最大の過ちを犯していた。

 いや、人生最大の過ちと言って良いかもしれない。

 ここまでの出来事におかしな点があることに、ここで気がつくべきだったのだ。

 そして、それは決して難しい問題ではなく、ごく簡単な問題だった。

 もし、それに気がついて問いかけをしていれば、その後の世界の姿は変わっていたかもしれなかった。

 しかし、その時、僕は教授の過去のこと、劉さんと佐伯さんとの出会いのこと、エミの悲しげな表情のことでとても動揺していて、そのことを考えることができなくなっていたのだ。

 この時の出来事を思い出して、後で僕は激しく後悔することになる。

 そして、一生消えない『心傷トラウム』が残るのだ。

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