第四話 深夜遭遇(ミツドナイト・ランデヴ)
格納庫の扉は、重厚ではあるが堅牢とは言い難い「木製」だった。
しかし、仮にも王国の城壁の一部分なのだから、
(こんな
と、僕は考えた。
すると、
それによると、格納庫自体が城壁外にある。
もっと正確に言うと、ミツドランド王国における
これであれば、格納庫の扉が突破されても、その影響は限定的である。
つまり、人間は王国を守護する「生体装甲の担い手」であるのと同時に、容易に切り捨てられる「王国の厄介者」でもあるということだ。
彼は、この世界で目を覚まして以降の自分の呑気な感想を思い出して、苦笑する。
僕が苦い思いを抱いている目の前で、格納庫の扉が左右に分かれてゆき――
外では穏やかな風が緑色の野原の上を吹き渡っていた。
遠景には、
ラムザアル大陸の背骨にあたる標高四○○○
その手前には黒々とした森が広がっている。
距離があるはずなのに、木々の一つ一つがかなり大きいことが分かる。
さらにその手前には広々とした草原と、農地らしき規則的な
その一部がささくれ立っていた。
しかもそれは広範囲に及んでいる。
(あそこが、お前が城壁外に放棄された時に落ちたところだ)
(近づいてみようじゃないか)
『
(あ、ちょっと待って)
僕は慌てて足を踏み出して、そのあまりの軽さに思わずたたらを踏む。
装飾に乏しい華奢な西洋甲冑型とはいえ、巨大な生体装甲である。
さきほどは確かに身軽に感じたが、本格的に歩き出したらそれなりの重量を感じるものと思っていた。
それが、ない。
もしかしたら、僕が生身の時よりも重量感がないかもしれない。
(どうやら機動性重視の生体装甲ということのようだな。ふむん、実に興味深い)
『神君』は、生身の教授がよくやっているように、右手を顎に当てて右肘を左掌で支えるポーズを取った。
(なんでこんなに軽いの? 生身よりも軽く感じるのは気のせいかな?)
(そもそも
(感覚的に「身軽だ」と思わされている、ということではなくて、実際に「身軽な動きが可能」ということかな)
(その通りだ)
(――じゃあ)
試しに、地面がささくれ立ったところに向けて、無造作に走りだしてみる。
特に勢いをつけた訳でもないのに、身体は瞬時に反応して飛ぶような速さで走り出した。
風が身体の横を吹き抜けてゆく。
いや、身体が空間を切り裂いてゆく。
あっという間にささくれの端まで行きついてしまった。
*
(まったく、なんという身の軽さだ)
そう言いながら、教授の『神君』は一分後に追い付いてきた。
(お前が走ると後方に風が巻き起こる――どうかしたか?)
教授は、僕の様子が何かおかしいことに気が付く。
(僕は――僕は本当にここにいて、生き残ったのですか?)
彼はささくれの端から、その下を覗き込んでいた。
穴は直径が一〇〇目取、深さが三〇目取近くある。
周囲が滑らかな緑色の絨毯であるのに対して、その丸く切り取られた地域だけが地表面を露出させていて、乱雑な陰影を生み出していた。
最底辺に近付くにつれて穴の表面の色は黒ずんでゆくが、最底辺はむしろ白い。
金属のような光沢すら見られるのは、周囲の岩が一旦融解して再度固まったことを意味している。
爆心地というのが相応しい、禍々しい風景である。
(そうだ。お前はあの最底辺から生還したのだ。その白い生体装甲と共に)
教授の声が僕の頭の中に響く。
それは何故か、溜息のようであった。
「下まで降りてみようじゃないか」
そう言うやいなや、教授は無造作に穴の
守備専門の
また、個蟲には
『神君』は穴の斜面で危なげなく
僕も続いて穴の淵から中に飛び込む。
白い生体装甲も、やはり危なげなくバランスをとって滑り降りてゆく。
二体の巨人は、氷上か雪上を滑るかの如く、穴の斜面を降下して最底辺に到達した。
*
そこには、無残な世界が広がっている。
上から眺めた通り、その一帯の岩は濃密な
一瞬とはいえ、融点の違いによる成分の分離が行われたらしい。
部分的に金属光沢すら見せている。
それ以外の土砂部分は白く色が抜け落ちて、非常に脆くなっており、生体装甲の歩く振動だけでぽろぽろと溢れた。
そのことで、僕の感覚では羽のように軽い生体装甲が、実は相当な重量物であることを改めて実感する。
周囲に生体反応はない。
正確には
無論「敵味方を問わず、無差別に攻撃されても自分は構わない」という覚悟さえあれば、別に識別信号を遮断して判定を回避していても構わない。
したがって、判定対象がいないことがイコオル「誰もいない」ことの証明にはならないが、今、ここにわざわざ隠れる必要性が分からない。
それほどの荒れようである。
僕は黙ってその『死が支配する世界』を眺めた。
「雄一がどうしてこの中で生き残れたのか、正直言って私にも分からない。なにしろ、地面が融解するほどの高温だ」
「……」
「しかも再凝結するほどの急速冷却、電流による集中放電、土砂による物理的攻撃が加わる。通常であれば粉々だが、しかしお前はなぜが生きていた。すると、可能性は一つしかない」
教授は『神君』を
「予想以上に凝縮・結合した
「――それはどういう意味ですか? 一体何が言いたいのですか?」
ゆっくりと『神君』が立ち上がる。
「私の推測が確かであれば、他国の研究機関がお前とその生体装甲を欲しがるだろう。なにしろ、非常に
実験標本――それは『死刑宣告』と似た、陰鬱な響きを持つ言葉だった。
*
教授も現場を見るのは初めてだという。
その後、ひと通り最底辺の観察を続けていたが、三〇分ぐらい経過したところで急に、
「さて、そろそろ戻ることにしようか。腹が空くといかぬのでな」
と言って、『神君』の
穴の斜面をその剛健な姿からは想像もつかない
僕は後ろに従いながら、その姿を目で追いかけた。
爆心地をしばらく眺めていたことにより、僕には心の余裕が生まれていた。
この地獄から生還できたのであれば、他に恐れるものはあるまい、と感じ始めていた。
真の地獄を知らぬ者はその存在すら感知できない。知らないものは存在しないものだ。
僕は、その重量感を物ともせず、目の前の急な斜面を軽々と登ってゆく『神君』の姿を見て、
(そういえば、教授はあの中にいるのだな)
と、当たり前のことを改めて考える。
『神君』の外見上の重厚さに気を取られていて、今まで意識していなかったのだ。
そして、それを意識してしまうと、当然、次のことが気になる。
(ということは、教授はあの中で……)
さきほどの格納庫での
(穴という穴を貫かれているわけだから……)
途端に感じる下腹部の圧力。
何かがそこに隆起する予感。
体内に隠れた溶岩流の胎動。
装甲の股間に生じる熱と力。
(まずい、まずい、それはまずいって!)
どうやら、生体融合者の生理的な変化は生体装甲に直に伝わるらしい。
内側から突き上げてくる欲求を抑えるのは難しいが、
(せめて、せめて――)
股間から何かが生えることだけは勘弁してほしい!
雄一は教授の『神君』に背を向けた。
そして、生体装甲の右腕を腰の前にかざすと、これ以上はない真剣さで願った。
(こっちにこい!)
何かを意図したわけではない。
どうせ延びるのなら、右腕のほうがましだろうと思っただけである。
生体融合者の切実な意思に導かれ、
右腕上腕部の外部角質と
身幅の広い諸刃の豪剣という形をとった。
雄一は安堵に腰が砕けそうになる。
(しかし、剣とはね……)
個蟲が雄一の衝動をどのように解釈して、このような形に凝結したのか分からないが、なかなか意味深ではある。
諸刃の豪剣、しかも直刀。
撫で斬りよりは刺し貫く方が向いている。
雄一は目の前の白い刀身を見つめて嘆息した。
瞬間、背筋を冷たいものが撫でる。
彼は、その剣を体の右側に水平に前に構え、胸の高さに保持すると腰を落とした。
ミツドランド王国の近衛騎士団が共有概念として登録した
後で気がついたが、この剣は
しかし、反射的に身構えてしまったのだ。
(何か……いる!)
冷たい視線を感じる。
(敵意か、それとも殺意か?)
前方視界には何も動くものがない。一面の死の世界。
しかし、そこから鋭い切っ先が当てられたような気配がする。
(何だ? どうした?)
「どうした?」
(どうしたんだろう……って?)
聞き覚えのある冷たい声に気づいて、雄一の背筋がまた延びる。
振り向くと教授の『神君』が、高い位置から腕組みをしてこちらを見ていた。
「――その剣は一体何かな?」
刀身が
非常に正直な剣である。
(これについては――そうだ、殺気に気づいた途端にこうなった。防衛本能が形となって現れたのではないか、という解釈で――)
ともかく、この場はなんとか収めよう。
雄一は必死になって言い訳の細部を考えながら、教授のほうに向かって大急ぎで斜面を登っていった。
その後方には黒ずんだ死の世界が乱雑に広がっており、地面にやはり乱雑な影を投げかけている。
それが、乱雑な視線を隠していた。
その視線は少しだけ動揺している。
(なぜだ、なぜ気がついたんだ?)
彼が、今まで見たこともない白い生体装甲に興味を持ち、その視界から外れたところで観察のために意識を向けた途端、その生体装甲が振り向いて右腕から剣が伸びた。
そんな能力を持つ機体は聞いたことがない。
(どうしてだ?)
それがまったくの偶然であることに気づかず、彼はそこに縫い付けられたように這いつくばっていた。
*
格納庫に戻ると、生体装甲から外に出る。
これがまた、最前の逆回しとなる。
全身の穴という穴から、
粘着物が剥離してゆく感覚とともに、
白い生体装甲の『胴前』が開いて、
触手が雄一の身体を持ち上げると、
地面の上に吐き出した。
雄一は自分の身体の感覚を確かめてみる。
微かに目眩がする他は問題ない。むしろ快調だ。
向こうで教授も吐き出されていたが、それは見ないようにする。
「御主人様……」
と、『赤いワンピイスを着た妖精』が衣を差し出してくる。
(なるほど、たしかにこれでは面倒だ)
雄一は「急いで名前を付けなければいけないな」と思いながら、衣を
*
この後、僕は教授に導かれて、格納庫から人間居住地域内の食堂へと移動した。
先刻、王宮の食堂でかなりの量の料理を平らげたはずだったが、一時間程度、生体装甲と神経結合しただけで、もう腹が空いていたのだ。
個々の施設を繋ぐ
僕がベツドの上で意識を取り戻したのが、多分午前中。
王宮の食堂で昼食を取ったのが正午で、人間居住地域に移動したのが三時頃だろう。
そして、外にいたのは一時間半ぐらいだから、今の時間は午後十七時といったところだろうか。
そこまで考えて、
(いや、待てよ)
と思い直す。
日照時間の感覚だけで言ったら、
だからといって、ボルザが地球と同じ二十四時間で自転しているとは限らない。
ボルザ人が暮らしている点から、地球に近い環境を維持できる条件が整っていることは分かる。
あまり自転の速度が遅くて日照時間が長すぎても、逆に日照時間が短すぎても、地表面の気温は安定しないからだ。
しかし、その条件は、この世界の太陽の年齢や表面温度によっても違ってくる。
「あのー、教授」
「何かね」
「このボルザの一日の時間は、地球の時間に換算すると何時間になるのでしょうか?」
「
「ボルザには固有の時制はないのですか」
「あるにはあるが、地球でいうところの不定時法だ。不定時法は分かるか?
「……いえ、全く」
「ふむん、まあ、そうだろうな。非常に乱暴に言うと『太陽が出ている時間を十分割、太陽が沈んでいる時間を十分割』したものだ。たから、現在は昼側の十時といったところだな」
「ふうん、そうなんですか」
とは言ってみたものの、分かったような分からないような気分で、僕は前を歩く教授を見つめる。
彼女は既に衣を着ていたが、隙間から褐色の肌が大胆に覗くので、なんだか落ち着かない。
それにしても、前を進む足取りが軽く見えるのは気のせいだろうか。
心なしか、耳が赤くなっているようにも見える。
生体装甲に搭乗すると、個蟲が自分の身体からエネルギイを吸い取るのと同時に、その機能を延長して最適化する。
つまり、簡単に言うと一番具合の良い状態に維持管理されることになるから、教授の変化はその影響によるものだろう。
好きなものを好きなだけ食べても、生体装甲に搭乗すれば無駄な贅肉は消えて、肉体が最も適切な状態に保たれるわけだから、どれだけ都合のよいダイエツト方法なのかと思う。
そんなことを考えながら長くて暗い廊下を歩いていると、その先からとてもよい香りがしてきた。
記憶にある香り――醤油や出汁のそれに近い。
(異世界なのにどうして?)
と疑問に思う前に、腹のほうが健康的に反応し、派手な腹の音が廊下に響き渡った。
しかも二つ。
教授の耳がさらに赤くなっていた。
*
食堂はがらんとしていた。
古ぼけた木製と思われる机と椅子が、無造作に置かれている。
椅子の数をざっと数えると百席ほどある。
人影はない。
しかし、調理場には人の気配があった。
「ここでは、常時食事をすることが可能だ」
どうだ参ったかと言わんばかりに、教授は腕組みをしてふんぞり返る。
「支払いはどうなるのでしょうか」
そういえば僕は金銭を一切持っていない。
「そんなものは必要ない。経費は王宮持ちだからな。生体装甲を維持するための費用の一部だ。燃料代と捉えてもよい」
燃料代――そう言われればそうだが、ちょっと複雑な気分になる。
「すると食はそれで事足りるとして。衣と住は支給されるようですから、これも問題なし。細々とした生活に必要な物は――」
「それも基本的には支給される。後で受け取り窓口に案内しよう」
「すると、ここで生活する限り、僕は現金を必要としない、ということでしょうか」
「その通り。だが、所謂『給与』のようなものは支給される。目覚ましい戦績には報奨金も出る」
「生活に必要な物はすべて支給されるのに、どうして現金まで必要なのですか」
教授は黙って、
「お前というヤツは――まあ、なんだ。生活必需品ではないものを買うのに必要だと理解したまえ」
その後、急に教授の機嫌が悪くなったが、その理由は僕には分からなかった。
*
食事の後、不機嫌な教授に連れられて、食堂の隣にある『生活必需品の受け取り窓口』に行った。
本来、こういう時こそ概念共有が使えれば、案内役要らずで最大の効力を発揮するのだが、転写されてしばらくの間は脳内の
直接接続である生体装甲から一歩外に出ると、僕には薄ぼんやりとした妄想程度にしか概念共有の存在が感じられなかった。
つまり「ネツトが使えない現代高校生」というわけだ。
受け取り窓口は、学校の購買部を一回り大きくしたようなカウンタだけの場所で、中には老婆が一人座っていた。
カウンタの上には支給品のリストがあり、それに必要数を記入して食事前に出しておけば、食事後に受け取れるという。
さしあたり必要な物が分からなかったので、その時は何も受け取らずに部屋へ案内してもらった。
僕に割り当てられた部屋は、格納庫のすぐ目の前に並んでいる色気のない石造りの建屋の一角だった。
緊急時に直ぐ飛び出せるように、という意味だろう。
建屋は頑丈かつ堅牢な作りで、窓には鉄格子が嵌められていた。
トイレは室内だが、風呂は共同だ。
そのことが部屋の『昔の使用目的』を
室内には木製のベツドと、同じく木製の簡単な椅子と机以外の調度品はなかった。
僕にはそもそも携行品はないので、余計にがらんとしている。
部屋自体は結構広めで余裕があり、巨大な猫型の
ただ、使役獣は別に獣舎があって、普段はそちらで待機しているという。
今は理由があって一緒に来てもらった。
僕は、とりあえず自分に与えられた
一応話をして、その印象から名前を考えることにする。
戦場で呼びかけることが主目的ならば、短いほうがよい。
その程度の方針は先に立てておいたのだが、これが難航した。
*
「君の名前は、そうだな――『エミ』でどうかな」
「エミ、ですね。エ、ミ、
『赤いワンピイスを着た妖精』は、これで正式に『エミ』という名前になる。
彼女については先程の格納庫での会話で、
・思春期の高校生のような落ち着きのない話し方
・気は利くけれど今一つ何かが欠けている不安定さ
から、同級生にそんな感じの子がいたのを思い出して、そう命名してみた。
『黄色のスモックを来た妖精』は、言葉遣いも非常に幼かった。
「君は、その、なにか好きなものはあるかな」
「わたしはあまいおかしがすきです」
「他には何か好きなものはあるかな」
「きれいなおはなや、かわいいどうぶつさんがすきです」
「動物というと、どんな?」
「このほわほわとしたの」
と言って、彼女は大きな瞳を輝かせながら『斥候系の使役獣』を指した。
果たしてこの『脳内お花畑少女』を戦場に連れて行って道義上の問題はないのだろうか、と悩む。
僕は親戚の小学生からの連想で『マリ』と命名した。
『青い長髪の妖精』は、すっかりオバサン化していた。
目線が合うと聞きもしないうちから、
「私は――そうですわね、何かこう、
「でも、それじゃあ緊急時に呼びづらいから――」
「でしたら、ちょっとシヤアプな感じの短いやつで。『キリ』とか、『サキ』とか、『カネ』とか」
「カネ、ですか?」
「そうですわ、カ、ネ。
確かにその通りの意味合いはあるものの、正直、音にすると年寄臭い。
どうかと思いはするものの、本人が気に入っているので『カネ』とした。
『もう一体の赤い妖精』は、対照的に全くやる気がない。
すっかり酔っぱらっていて眠そうだった。
彼が何かを飲んでいるところは目にしていないので、これが初期状態なのかと疑う。
「何でもいいから好きにつけといてくれや」
「本当にいいの? 後で怒らない」
「怒らねえって。どんな名前でも怒りませんよ、俺は」
「ふうん、じゃあ」
見た目そのままで、短く『ジイ』とする。
『巨大な猫のような使役獣』は、渋い声で言った。
「俺も特に名前には拘りがない。いろいろな名前で呼ばれてきたからな。ただ――」
「何か希望でもあるの」
「そう、昔の名前はできれば避けたい。その名で呼んでいた者達は全て死んだ」
まあ、確かにそうだ。僕もあえてその名前を付けたいとは思わない。
「じゃあ、『レオ』はどうかな」
「ああ、それは前にあった」
「そうだよね、じゃあ『ケン』は?」
「それもあった」
「じゃあ、『ライ』ならどうだ」
「あった」
「……」
「……」
年季が入っている相手も困ったものである。
結局、紆余曲折あって『ヨル』となる。
『小さな毛玉のような使役獣』は、意思の疎通すらできない。
「ええと、聞こえるかな」
「……」
「もし話が理解できるのなら、上に動いてくれないか」
「……」(上に動く)
「一応話が分かっているようだね」
「……」(下に動く)
「……」
結局、話が伝わっているのかどうかも分からないままで、『フワ』ということにする。
しかし、これでどうやって斥候を命じるのだろうか。
全員の名付け作業を終えた時、僕はすっかり疲れ果てていた。
頭脳作業を行った後、人は何か甘いものが欲しくなる。これは本能のようなものだ。
感覚的にはもう随分な深夜だったが、『食堂は常時使用可』という教授の言葉を信じて、行ってみることにした。
僕が「食堂に行く」と言うと、使役獣二体は、獣舎に戻るために一緒に外に出るという。
武装妖精たちは、エミだけが道案内役として同行して、外の控室で待つことになった。
他の者は
エミ一人だけを外の控室で待たせるのは可哀想な気もしたが、当のエミから、
「私も武装妖精ですから、そのぐらいはなんら問題ございません」
と断言されてしまった。
(そういえば教授も、ミザアルとしか一緒に歩いてはいなかったな)
だから、その時は僕もエミだけを従えることを不思議とは思わなかった。
しかし、両者の理由が大きく異なることを後で僕は知ることになる。
エミが発光しながら飛んでゆく。その後ろを僕が追いかけてゆく。
やはり、羽ばたきという物理現象がない状態で空中を水平移動する
「あの、幽霊とは何でしょうか?」
「ああ、それは人間の世界で言うところの、死者の魂――魂とは、そうだなあ。気持ち、みたいなものかな。向こうでは死んだ人が、気持ちだけになって空中を飛ぶと言われているんだ」
「御主人様は、その幽霊を見たことがあるのですか?」
「いや、僕は見たことがないよ。誰も本物を見たことはないかもね」
「そうなんですかー」
*
外の控室はやはり誰もいなかった。
僕はエミに、
「なるべく早く戻るようにするからね」
と言って、食堂のほうに向かう。
途中で振り向くとエミの姿が
*
そして、深夜にも関わらず食堂には人影があった。
厨房に誰かがいるのは『常時使用可』だから当然として、奥の机に中学生ぐらいの女性がこちら向きに、それよりは少し年上と思われる男性が向こう向きに座っているのが見えた。
二人の目の前、机上にはコップや食器の類が置かれていなかったので、ただここで話をしていただけらしい。
「邪魔をしてしまったか」
と、一瞬、僕の足がとまる。
すると背中を向けていた男性のほうが、僕の気配に気が付いたらしく振り向いた。
「やあ、こんばんわ。見かけない顔だね。こんな深夜に食堂で新しい人と遭遇するとは驚いたよ。夜行性は僕たちぐらいかと思っていたのに。ひょっとすると君が、最近来た”
僕には既に変な呼び名がついてしまっているらしい。
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