第二話 存在意義(レイゾン・デイトル)
意識が戻って目を開けると、白い天井が見えた。
有名なテレビ・アニメーションのワンシーンを思い出す。
(……あれは、前日の戦闘で敵を葬り去った少年の話だったな)
はて、自分は何をしているんだろうと考えた途端――
絶対的な『闇』の記憶が立ち上がる。
僕は全身を硬直させる。
毛穴が開いて、汗が吹き出し、身体が縮んでしまうような気がした。
(――身体が縮んで?)
そういえば、なんだかおかしい。
柔らかな布団に包まれて仰向けに寝ているのだから、いつもであれば自分の身体についた贅肉の重みが、わずかながらも感じられるはずだった。
それがない。
両手を持ち上げて目の前に持ってくると、細くて節くれだった少年の指が目の前にある。
手首は細く、下にある筋が浮き出ている。
華奢かといえば、そうでもない。
上腕も二の腕も、しかるべき筋肉がついている。
それが自分の思う通りに動いていることが信じられない。
上に掛けられた軽い布をどけてみる。白い衣が緩やかに身体を覆っており、その下にはほっそりとした身体のラインが見える。
お腹の位置を過ぎて爪先まで見えるという経験は、今まで一度もなかった。
恐る恐る上体を起こしてみる。なんだかその動作も想像以上に軽い。
僕は、白一色の窓のない部屋の真ん中に、ぽつりとおかれた寝台の上にいた。
ベッドと呼ぶには造りが重厚過ぎるが、天幕が付くほど豪華ではない。
イメージで言えば、総合病院の最高級な個室、だろうか。
それにしても何も調度品がなかった。
交通事故に遭遇して病院に担ぎ込まれた可能性を考えてみる。
それにしてはどこにも怪我はない。
気を失ったところに通りかかった、奇特な人に助けられたと想定してみる。
それでは体の変化が説明できない。
昏睡したままで数年が経過しており、突如として目覚めたと仮定してみる。
体の軽さがそれを否定している。
(つまり、どういうことだろう?)
いろいろ考えてみるが説明がつかない。
何かしていないと先程の『闇』が再生されそうで落ち着かない。
立ち上がってみる。やはり身体は軽い。
寝たきりどころか、十分な鍛錬を積んだ体操選手のような気分だ。
寝台の周りを歩いてみるが、特に手がかりは見つからない。
窓がないので、ここがどこであるかの確認もしようがない。
(そういえば――)
周囲の壁を見回す。
ドアがない。
背中に悪寒が走って、口から悲鳴を上げそうになるが、
(いや、僕が中にいるということは出入りする方法があるということだ)
と思い直す。
なんだか頭の回転も速くなっているような気がする。
(ともかくドアを探してよう)
一つの角から始めて順に壁面を目でなぞってゆく。
継ぎ目のようなもの、裂け目のようなものを探っていくが、見事に見つからない。
壁紙を貼っているのであれば、その貼りしろがありそうなものだが、それもない。
一周して得た結論は、側面には開口部らしきものが見当たらないということだった。
残るは下か上。それが却下されたら結論は一つ。
中に僕を置いてからすべての壁を作ったということになる。
(いや、それは何でも――)
そんなことをする必要性が分からない。
一般的な高校生にすぎない僕を、出入り口のない牢獄のような部屋に閉じ込めなければならない理由が思い当たらない。
僕には何の力もない。取り柄もない。
親や妹からも既に見放され、学校では同級生から無視されていた。
嫌がらせをされないだけでも幸運と思っていた。
何をする気も起らず、だからといって自室に閉じこもるほどの自由(母が金切り声をあげて、鍵のないドアを開ける)もなく、惰性で学校への登下校を繰り返す日々を続ける。
(その僕にどんな危険性があるのか分からない)
「いや、それがあるのだな」
急に背後から声をかけられたので、僕は飛び上がって驚いた。
振り向くと、同じくらいの年代の女の子が立っている。
(どこから入ってきた?)
「ちゃんとドアから入ってきたよ。君には
髪を後ろにまとめた褐色の肌の女の子は、右目だけの眼鏡を輝かせてそう言った。
英語にしては武骨な発音に違和感を覚えるが、今はそこに拘っている場合ではない。
「ここはどこ? 君は誰? なぜ僕の考えていることが分かるの? ビジュアル・ミューテーションて何なのさ――」
「ああ、五月蝿い」
女の子は右手を挙げて制止した。
「聞きたい気持ちは分かるが、立て続けに問われても困る。まあ、落ち着け」
「そんなこと言っても無理だよ。それに――」
僕は彼女の右側上方を見る。
「どうしてそこに小さな女の子が浮かんでいるのさ?」
「おお、そうだな。すっかりこっちに慣れてしまったので気がつかなかった。ミザアル、ご挨拶しなさい」
「はい、
アイスブルーの髪を頭上で複雑な形に結い上げ、細身をアイスブルーの和服で包んで緋色の帯できりりと
「私、
僕もとりあえず頭を下げる。
「ということで。それでは順次、君の疑問に答えようじゃないか」
腕組みをし、上体を僅かに
いろいろと物申したいことは山ほどあったが、まずは基本的な質問をする。
「ここは一体、どこですか?」
「王宮の中にある一室だ」
「王宮は一体どこにあるんですか?」
「ミツドランド王国の首都アムランだ」
言葉の続きを待つが、教授は「どうだ」という顔で笑っている。
ミザアルがその斜め上でにこにこしていた。
「…ミツドランド王国はどこにあるのですか」
「ラムザアル大陸の西の端になる」
「……ラムザアル大陸はどこにあるのですか」
「ボルザの上だ」
「………つまり、ボルザという星のラムザアル大陸にミッドランド王国の――」
「正しくはミツドランドだ」
「…………ミツドランド王国の首都アムランに僕はいるということですか」
「そうだ。そう言っているではないか」
(……………駄目だ)
これは「非常に頭の良い人間が、相手も同じレベルであることを前提として話をする」時の癖だ。
「おお、そうか。君は
無造作に専門用語らしきものを使うのは、技術者の悪癖だ。
ということは、教授は理系ということになるのだが――
いや、待て。
「今、『向こうの世界』と言いませんでしたか?」
「言った……ああ、もう少し詳しく語らねば分からんのか。面倒だな、人間は」
そう言うと、彼女は眉を片方だけ上げて少し考えるような表情をした。
「要するに、ここは君がいた
「ちょっと待って!」
「む、どうした。分からんと言うから詳しく説明しておったのに、何が不満でそんな大声を出すのだ」
「今度は情報量が多すぎて混乱してきました」
「そうか。本当に人間は面倒だな」
「……すみません」
謝るものの、僕のどこが悪いのかはよく分からない。
「だったら謝るのはよしたまえ」
「あ、それです。ちょっと僕の思考を読んで、それに対応するのは止めて頂けませんか」
「黙っていればよいのか」
「――いえ、できれば読むこと自体を止めて頂ければ」
「むう。つくづく面倒な生き物だな、人間というのは。君はもう違うのだから早く慣れたまえ」
教授は盛大に鼻から息を吐き出すと、不合理だというように眉に深い皺を刻む。
どう考えても「不合理な立場にあるのは僕のほうじゃないか」という気がするが、そこに反応するとさらに混乱しそうなので、やむを得ずスルーする。
「ええと、僕が理解できた範囲でまとめるので、おかしかったら言って下さい」
「
「僕は地球とは異なる世界にコピーされて、ここミツドランド王国にいる。この世界は魔法が使えて、ミザアルのような妖精が実在する世界であり、思考が共有できるようだ、と。ここまで合ってますか」
「私があれほど説明したにしては
「――で、僕はその王国の首都で部屋の中に囚われている状態である。それには理由がある、ということで合っていますか」
「いや、そこは間違っている。君が囚われている訳ではない」
「しかし、ドアが見えません」
僕がそう言うと、教授はまた盛大に鼻から息を吐き出した。
「それは仕方がないだろう。君は転写直後に
教授は「やむをえない」という表情で、腕を組み頭を上下に振る。僕にはやはり何のことか分からなかった。
「僕が痩せてしまったのは、転写の影響なのですか」
「いや、それとは全く別な理屈によるものだが――そうさな」
と言って教授はミザアルのほうを見る。
「ミザアル、
「残り三十二秒です」
「そうか、分かった。ということで、その件を事前に説明して対応を取る時間がなかった。申し訳ないが、実体験してもらうことになる」
「実体験って、一体何のですか?」
教授はなんだか人の悪そうな笑いを浮かべ、黙っていた。ミザアルが衣を
「五、四、三、二、一、開放」
途端に僕を
お腹が空いて声が出せない。
まともに物が考えられない。
身体を動かすことが出来ない。
こんな飢餓は初めてだった。
今ならば、身体さえ動けば――
ミザアルだろうが教授だろうが、手当たり次第に食べられるかもしれない。
「ということで、先に食事だね」
*
部屋を警護していた二人の男たちに抱えられるようにして、王宮外の食堂までやってきた僕は、礼儀作法二の次で、出される料理を次々に平らげていった。
三十三皿目にしてやっと人間の心を取り戻す。
そして「どうして自分の体型が急激に変わったのか」の原因が分かったような気がした。
「要するに、
「その通り」
「しかし、その、バイオアーマーに乗る度に限界までエネルギーを使っていたのでは、あまり効率的とは思えないのですが」
お腹が満たされると人間は鷹揚になる。
自分自身がその搭乗者であることを忘れて、僕は質問した。
「まあ、一時間の戦闘で消費されるエネルギイは
教授は山積みされた皿の向こうで、お茶らしきものを飲みながら言った。
「あの――」
「なんだ」
「となると僕はどのぐらい、その、戦っていたのでしょうか?」
「ああ、あれを戦闘と呼んでいいのかは別として、そうだな、五分ぐらいだな」
「そんな時間で全身の脂肪を消化してしまったのですか?」
「だから言ったではないか。お前は”
「その”
「正確には分かっていないが、
「敵も味方も見境なしにですか?」
「敵も味方も見境なしに、だ」
*
この後、一向に咬み合わない話を、延々と教授相手に続け、やっと僕は以下のような『世界の基本的な
この世界は地球と異なる法則が支配している。それは『魔法』と『蟲』だ。
魔法はこの世界が成立した時から連綿と存在していたが、近世以前のそれは実用に耐えるものではなかったという。
例えば、洞窟の中を温めたり、土壌に適度な湿り気を与えたり、治療を促進したりする程度のものであり、あると便利な小道具程度の位置付けでしかなかったらしい。
事情が変わったのは、
ゲルトフヱン・イイムズは、それまで単語でしかなかった
また、身近な小動物でしかなかった妖精や獣が魔法適性を有しており、交配を繰り返すことでその特性を強調できることを発見した。
以降の魔法体系は、次の二つの道に分かれる。
神聖文字によって記述された呪文で起動する『
妖精や獣の特性を強化して、それを従属させることで活用する『
前者からは
現在、騎士階級の者一名に、四体(「火、雷、氷、土」の四属性)の武装妖精と、二体(主に攻撃系と斥候系)の使役獣が割り当てられている。
そして、その数は騎士の習熟度や指導力により、さらに追加することが出来るようになっていた。
一方、蟲もこの世界には古くからいる。
この世界の蟲は節足動物である『虫』ではない。
固い殻を持つ虫は繫栄せずに衰退し、軟体動物である『蟲』が大半を占めていた。
蟲は個々が極めて脆弱なこともあり、寄り集まった
他の生物との共存を図った個体は、特に『個蟲』と呼ばれる。
ある時、その個蟲の中に角質を作るものがいることが分かった。
さらに、その個蟲は体内に土や金属を取り込むことができた。
その個蟲と融合すると、身体の表面に土台となる角質層が形成されて、それに沿って粘土や金属粒子の層が出来ることになる。
そして、それを炎で焼しめると、個蟲の体液が
その磁器を、武器や鎧として利用し始めた国が出、国家間のパワーバランスを乱していった。
より固い新素材、より相応しい個蟲の宿主を、他国に先んじて見つけ出すことが国家の存亡に直結しかねない。
そこで、各国は技術開発に
磁器の強度については、簡単だった。
個蟲に特定の割合で配合した粘土と金属を吸収させて、それが角質化したところで火炎系魔法により加熱することで、鉄以上の強度を与えることができるようになった。
しかし、宿主のほうはなかなか適切な生き物が見つからない。
武装妖精や使役獣は、蟲が宿主として選択しなかった。
蟲はおかしなことに気位が高いらしい。自分よりも下位の生命体には決して従おうとはしないのだ。
この世界の支配者である人類(仮に「ボルザ人」と呼ぶ)は、上位の生命体として宿主となりえたが、今度はボルザ人が下位の生命体である個蟲に寄生されることを良しとしない。
いろいろな生き物で試行錯誤していた時に――
魔法学者が異世界との回廊を開く事件が発生した。
結びついた先の世界には、ボルザ人に似た生物が住んでいた。
試しにその生物をコピーして使ってみる。個蟲との神経結合の強度や角質化の進行速度で、いままでとは比べものにならないほどの高い数値が観測された。
以降、生体融合者として人類はボルザにコピーされ続けている。
*
つまり、僕をこの世界に転写したのはボルザ人の高度呪文詠唱魔法であり、それによって僕は「向こうの世界にいるオリジナルの自分」と「この世界にいるコピーされた自分」の二つに分けられてしまったということになる。
僕はそのことを知り、さらに「自分がコピーに過ぎない」ことを知っても、特に衝撃は受けなかった。
それは、向こうの世界のオリジナルな僕が、それほどオリジナリティのある存在ではないことを自覚していたからだ。
人はそれぞれが「たった一人だけの特別な存在だ」と、訳知り顔で言う大人は多い。
しかし、だからといって全員が特別扱いされる訳ではないことを、正直に教えてくれる大人は少ない。
実際、向こうの世界の僕は「その他大勢」と見なされて、別な意味で特別な扱いをされていた。
だから、むしろ転写されることによって僕はその世界から脱出できたことを幸運だと感じていた。
この世界であれば、ぼくは生体装甲の操縦者としての役割を与えられている。
もう「その他大勢」じゃない。
ここには僕の
向こうの世界の僕のほうは、今後も「その他大勢」として生きて行かなければならない。そのことを不運だと考えていた。
後になって僕は思い知ることになる。
その時の僕は完全に間違っていた。
特別な存在であることの意義と、特殊な存在であることの意義は、全く違う。
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