「13」
●????年??月??日 森神と白鳥の捜査 反省会
その後、白鳥は森神と合流し、M学園を後にした。今は森神の家の最寄りにあるファミリーレストランで一息ついている。白鳥はひとまず、生徒会役員から聞いた生徒会役員について、話をした。生徒会室から5分以上外に出た鳳茜会長、その他生徒会役員の野崎、秋谷にについて報告をした。5分以上外に出たことは確かだが、彼女たちにはアリバイがあるということを。
「詰まったな……」
第一声がそれだった。本当に犯人は第一発見者の野球部員か教師なのではないかと思いたくなるような状況だった。しかし、それはまずないと森神は感じていた。
凶器のナイフが発見されていない。これは大きな要因だった。もし野球部員か教師が犯人ならば学校の敷地内で凶器が見つかるはずなのだ。現場の状況を見てこの事件は殺人であると判断したはずだ。だからこそ、警察はすぐに学校敷地内を一斉捜索し、凶器を見つけようとした。それと同時に第一発見者の荷物検査、身体検査を行ったはずだ。しかし、あの二人は逮捕されていない。つまりはあの二人は凶器を持っていなかったのだ。凶器を隠した可能性もおそらくない。悠宮梓が悲鳴をあげて、野球部員と教師が駆け付けた、ということなのだ。つまり、もし第一発見者二人のどっちかが犯人だとしたら、凶器を隠す時間はほとんどなかったと言える。数分しか二人には与えられなかった。学校の敷地内はすべて学校が捜索したのだ。数分の内に、学校の敷地内で警察に見つからないような都合の良い場所を森神は考えられなかった。警察犬も何匹か投入されたらしい。もし地中に埋めて凶器を隠したとしてもおそらくはすぐに見つかってしまうだろう。血の匂いは意外と強烈だ。警察権の捜査をかいくぐる為には相当深い穴を掘って埋めなければならない。そのために数分は短すぎる。それに、森神は大川が犯人であるとほとんど確信に近い何かを持っていた。しかし、白鳥の報告によれば、大川は悠宮梓が悲鳴をあげた際、職員室にいたというこれ以上ないアリバイを持っていたという。この勘はもう外れなのかもしれない。あまり一つの考えに執着するのは破滅の始まりだ。
「あ、そういえば」
突然思い立ったように白鳥が声を発した。
「どうした白鳥」
「い、いえ、あのですね。大川さんがこんなことを言っていたんですが……。『1m飛べるノミが、ここにいる。そして、そのノミ50cmのフタを被せる。すると、ノミは50cmしか飛べない。そしてその後、しばらく後に、フタを取るんだ。そうすると、ノミは何m飛ぶか?』という問題です。もし今回の事件が解けないようだったら森神に出せ、と……」
「へぇ……大川が……」
何とも言えない心持だった。大川が考えていることが、読めない。
「で? 白鳥は答えたのか?」
「は、はい。答えは重要じゃない、って言われたんですが……、1m飛ぶって」
「何だって?」
「いや、ですから。1m飛ぶって」
「ハッハッハ。白鳥、それは間違いだ。その場合、ノミは50cmしか飛べなくなるんだ。多分、ノミはフタを被せられて50cmしか飛べなくなったときに、自分は50cmしか飛べないと勘違いしちゃうんだろうね。まぁ、それでもフタを取った後、隣に1m飛ぶノミを置けば、しばらくしてまた1m飛べるようになる。つまりは、なんだ。よく例え話に使われるな。人間も、出来ないと思いこんでしまうと出来なくなってしまうが、覆いを取って、考えを変えたり頭を切り替えたり、はたまた、出来る人が傍にいれば意外とできる…………ように…………」
と言って、森神は少しずつ語るのをやめた。なぜ? なぜ、俺は語るのをやめようとしている?
『1m飛べるノミが、50cmの高さのフタを被せてしばらくノミを飛ばし続けた後、フタをどけると1m飛べたはずのノミは50cmか飛べなくなってしまう』
何かが引っかかるのだ。大切な、何かが。
『覆いを取って、考えを変える…………。覆いを取って。覆いを、取って。覆いを、取って』
「白鳥ッ!!」
「は、はい!」
突然机を叩かんばかりのパンチ力のある声に姿勢を正してしまった白鳥が返事をする。
「大川が職員室にいた時間をもう一度教えてほしい」
「大川が……職員室にいた時間、ですか? ちょっと待ってください」
「6時から……6時10分です」
「6時から……6時10分……」森神が復唱する。
「生徒会室を出た生徒会役員の名前と、生徒会室を出た時間帯を、すべて、正確に教えてくれ」
森神の眼は光っていた。何かを、見つけたのだ。
そして、すべてを終えた後に、森神が白鳥に言った。
「大川の周辺をすべて洗う。白鳥、僕は大川の家に入りたい。大川に無断で。つまりは、これは犯罪になる」
突然の提案に、白鳥は声が出なかった。
●2011年8月8日(月)――決着
とても奇麗、とは言い難いが、かと言ってボロくさい、とも言い難い。
そんな外観のアパートだった。父親が一緒に探してくれた、ちょっとした思い出があるアパートだった。家賃も手ごろで、駅にも近い。とても便利なアパートだった。ゴキブリも出ないし。大川優誠がこのアパートに住んで3年間、別にこれといって困ることもなかった。大家との関係も特筆すべきことは何も無く、スリリングなサーフボードにはまったく適していない凪のような生活をこのアパートで過ごしきた。
大川の部屋は小ざっぱりとしていた。大川の母親は病的なまでに奇麗好きであり、潔癖症だった。その性質がおそらく遺伝してしまったのだろう。大川優誠自身もいたく奇麗好きだった。だから、部屋が散らかっている、ということもまったくなく、先ほども言ったとおり小ざっぱりしていた。黒く変色した腐ったお茶のペットボトルがそこら辺に乱雑されていることもなく、いつ買ったのかわからないキャベツの塊が冷蔵庫の奥に居座っていることもなかった。
だから、部屋をあらかた整理するのもそれほど時間がいる作業ではなかった。やろうと思えばさっさと終わる。今日みたいに、やらなくてはいけないような状況になったらすぐにでも片付くのだ。そして、実際に片がついた。捨てるべきゴミも今日すべて捨てた。持って行くべき荷物もしっかりまとめた。中ぐらいのスーツケース一つだけが手荷物というのはなんとも楽だ。やはり、出かけるときは少ない手荷物に限る。
雨が降っていた。激しい雨ではないが、決して少なくない雨量だった。少し億劫になったが仕方ない。傘をさして、外に出ることにする。
そして、階段を降り、道路に出た。その道路には、
森神悟が立っていた。暗くてよく見えなかったが、黒っぽい色の傘をさしていた。
「森神か」
もう相手が森神だとわかっていたが、大川はそう声をかけた。それが礼儀であるような気がしたからだ。
「大層な荷物だな。お出かけか?」
森神の声はバスを担当する歌手の一人ような低く、哀しい声だった。小学校のクラスに一人はいそうな子供のテンションだった。
「あぁ、ちょっとね。だからあまり時間はかけられないんだが、何だ?」
自分の用には構うな、と森神を牽制してから話題の矛先を変える。
「悠宮梓の事件について、お前に話したいことがある」
そら来た。
森神さんからの、お告げだ。
目を閉じ、何かを考えるフリをする。雨は少し弱まったようだ。
「事件発生時の、僕の行動についてだろ? それについては、お前の弟子の白鳥君に話したよ。話せることは、包み隠さずにね。だから申し訳ないが、事件発生当時の僕のアリバイについては僕に聞かないで彼に聞いてくれると嬉しいな」
これもまた、一つの言葉の牽制だ。さて、どう出る森神?
「事件発生当時のことを聞きたいわけじゃない」
「…………へぇ?」
悪くない答えだった。及第点。聞く価値はあると思えた。
「面白そうじゃないか。で、何を聞きたいんだい?」
「お前は何をした?」
鋭い声だった。問い質す声。しかし、大川がその声に怯むことはもちろんない。むしろガッカリした。大川が期待していたモノに、森神は辿り着いていない可能性が浮上したからだ。
「具体的に、何を?」
しかし大川もまだ諦めてはいない。もう少し踏み込んで聞いてみる。
「僕はこれ以上、言いたくない」
返って来た答えがこれだった。ガッカリしたくもなるものだ。
「それは、どうだろうね。君がそれ以上、何も言えないんだったら僕としても何も言うことが無くなってしまう。わかるかな? そうやって僕が逃げたら君はどうするつもりかな? 警察にでも垂れこむかい? そう、お父さんにでも、ね」
「僕は警察官じゃないんだ。警察には言わないし、これ以上この事件について騒ぎを起こすつもりもまた、ない」
「……へぇ」
警察に真実を打ち明けるか打ち明けないか、それは大川にとってはどうでもいいことだった。証拠は、ないのだから。推理を誰に話すのも自由だが、真実を打ち明けることは出来ない。
「それはちゃんちゃらおかしい話しじゃないかい? もし僕が悠宮梓を殺した真の犯人で、君がその事実に気付いたとする。それでもなお、君は警察にそのことを密告しないのかい? 君は悠宮梓の犯人を絶対に捕まえてみせると僕に息巻いて見せたじゃないか。それなのに、真の犯人である僕を、野放しにするのかい? 僕としたら別にどちらでも構わないが」
「お前は悠宮梓を殺した犯人なんかじゃない」と、森神の一言。
長い間があった。
大川としたら、ここで素早く何かしらの返事ができた。いや、した方が良かったのかもしれない。しかし、大川は返答に窮してしまった。ついにだ。ついに、確信めいた一言を森神が言ってのけてしまった。コイツは、確信している。あらゆる誘惑や、周りの圧力に負けないであろう、絶対的な自信を持って、この一言を発している。 だから、余計な言葉を発してはいけない気がした。
「じゃあ、結構なことじゃないか」平静を装って返事をする。何もおかしなことは起きていない。森神は至って当たり前のことを言ったまでだ。
「僕は犯人じゃない。そりゃそうだ。僕は誰も殺してなんかないんだから。それが森神にもようやくわかったってことじゃないか。実にいいことだ。で? 僕はどうすればいいのかな? そろそろ君との話を打ち切って出かけたいんだが?」
その瞬間、森神は大川の傍にいた。大川はまったく反応ができなかった。まさか、森神が殴り込みに来るなんて、思ってもみなかったからだ。しかし、森神は殴らなかった。胸倉を掴み、怒鳴っただけだった。
「お前は何がしたいッ! ? お前は一体何なんだ!?」と森神だ。
「なんだ、お前らしくもない。俺は悠宮梓を殺してはいない。それはお前もやっと認めてくれたことだろう。むしろお前が何なんだ。お前は何をしたい」
「お前はなぜ犯人を庇っているんだッ!?」
「何を根拠に――」
「これだッ!!」
と言って森神が見せたのは洗剤の容器だった。日本では見かけない、見慣れない言語が羅列されている。
「な、なぜこれを……?」大川が動揺した。はじめて動揺を見せた。
「君の家にあがらせてもらったよ。何だ、君は随分おかしなことをするじゃないか。調べたよ。10年間分の家賃を前払いするなんて、君は大学を出た後もこのアパートにいるつもりかい? いや、そもそももう都中央大学に入った気分かい? まぁ、それは今はどうでもいい。なぜこの洗剤を君は持っているんだろう?いや、違うな。どんな洗剤を持っていようが勝手かもしれんが、中身はまだ半分以上入っている。なぜ捨てたんだい?これは最先端な洗剤だ。スペインのバレンシア大学が研究した超最先端なね! 最先端過ぎて、血痕のヘモグロビンも破壊してしまう、つまり、ルミノール反応なんて出なくしてしまうほどの最強の洗剤をなぜ君が持っていて、中身が大分入っているのにも関わらず、中途半端な量で押し入れの奥底にしまったんだい!? 答えろ、大川!」
今まで聞いたことの無いくらい、威圧的な声だった。
「お前に答える義理はない」
答えはひどく、冷淡だった。誰かが描いたのではないかと思うほどに、人工的な無表情さが大川の顔にあった。
「それが何の証拠になるんだろう?」
安い、三流ミステリー小説で聞くような、犯人の吐く最後の抵抗の台詞。
しかし、非常に残念ながらこの場所で、このタイミングで言うのは非常に効果があった。実は、森神の側にこれ以上の証拠は無い。いや、そもそも森神は、大川を問い詰めに来たのではない。大川がこの事件で何をしたのかは何となくわかった。しかし、たかだかは何となくなのだ。良くも悪くも、なんとなくに過ぎない。
ただ、もうあまり話すことはできなくなるであろう、この男と、話せるときに話しをしたかっただけなのかもしれない。
なぜだろう。この男は、もういなくなる気がする。心のどこかでそう思った。まだ何かを解決したわけではない。しかし、もう少しでこの事件の何かが見える気がするのだ。あの日白鳥から教えてもらったヒントで、それを確信した。あともう少しだ。あともう少しだと思うと同時に、不安が頭を過ったのもまた、確かだった。なぜこのタイミングでヒントをあの男はこちらに与えてきたのだろうか。白鳥が僕にヒントを伝えないとでも思ったのだろうか?いや、それでは筋が通らない。というか狙いがわからない。あの大川のやることなのだ。必ず何か狙いがあるはずなのだ。無くてはならない。そんな無駄なことをする人間ではないはずだ。考えろ、考えたんだ。もし大川に何か狙いがあるとすれば、僕がこういう推理をすることを見込んだ、しかあり得ない。あのヒントがあれば事件の真相の輪郭がわかる。もしかしたらそれは誘導された真実なのかもしれない。しかし、別の可能性を、別の視点から事件を見ることができた。誘導することで大川が得をするとは考えられない。
広い平野にいる獲物が物陰に隠れていて、それが地を這う人間には見えなくとも、空を羽ばたく鳥には容易に見えるように。
しかし、鳥には容易に獲物が見えるようには出来ても実際にそれを捕まえることができるかどうかは話が別だ。先ほども言ったとおり、証拠は無い。獲物は隠し玉を持っていた。しかし、それでは結局大川の狙いがわからなくなる。最初、ヒントをくれたのは一種の罪滅ぼしなのかと思った。しかし、そう考えるのは少しばかり甘すぎたようだ。
この男は、おそらく自首する気はまったくない。
「もう用事が無いんだったら、もういいかな? 出かけたいところがあってね。失礼したい」
「どこに?」間髪いれずに問いを入れる。
「さっきと答えは一緒だ。君に言う義理も気もない。どうして君に言わなくちゃいけないのかな」
「親友として……はダメか?」
縋りつくような気持だった。その気持ちから染み出た、声。
大川は別に、森神が家に無断で忍び込んだから怒っている、というわけではない。むしろそれは褒めるべきポイントだった。忍び込むということは、何か考えをもってした行動だからだ。それでこそ親友だ、と感心すらした。
「…………」
間が空く。雨の音だけが響く空間。
「誰にも言うつもりはないし、親友だからこそ言えないことがある。だが、一つだけ言っておこう」
「なんだ」
「僕はもう、あの学校を辞めるつもりだ。そして、旅に出る」
青天の霹靂という言葉がもしこの世にあるとするならば、ここで使うべき言葉なのだろう、と胸を張って言うことができる。
「何を……言ってるんだ?」
「あの殺人事件が起きた日、悠宮梓の死体が発見されたまさにその日、その時間、僕は職員室にいた。それはもうお前のことだから知っていると思う。あの日な、退学届を提出しに行ってたんだ。いや、その場で作った、いや、退学の事前申し立てをしていたというべきか……。つい先ほど、退学の申請が通ったことを確認してきたところなんだ」
「何で学校を辞めるんだ? お前が何をしていなければ学校を辞める必要なんて無いはずだ。そうだろう?」
「別に、高校を出なくとも大学には行ける」
「答えになってないぞ」
「特に深い意味はないということさ。でも、おそらくお前と会うのはこれで最後になるだろうな。もし30年後に生きていれば、30年後には会えるかもしれないが」
「は……? 30年後……?」
「もういいか? お前との会話はおしまいだ。最後に1つだけ質問に答える。それで最後だ。でも、答えられないような質問だったら、答えは無しで終了だ」
そう言うと、こちらに背を向けて歩き出した。まるで意味がわからなかった。俺は一体ここに何をしに来たんだと自問自答をしたくなった。しかし、それは後でやるべきことだ。今はそんなことをしている暇は無い。でも最後に何を聞けばいい? おそらく本気で最期の1つだろう。お前が梓を殺したのか、とでも聞くか?いや、そんな質問に今は意味がない。証拠は無い。あいつは「やってない」と平然と言ってのけるだろう。証拠無き問いに何ら意味は無い。意味もないし、おそらく大川も期待はしていない。では何を聞けばいい?何の質問がここで意味を成すんだ?
「大川!」
考えがまとまらない内に気付けば大声を上げていた。大川はこちらにゆっくりと首だけを向ける。
「殺人は罪だと思うか?」
気付いたら、そんなことを聞いていた。
「あぁ、殺人は罪だ。いつの時代においても、重罪だ。人殺しが褒められる時代なんて、来ることもなければ、来てもいけない。」
そう言って、大川は歩いて行った。
もう追いかけることもできない。雨の音は一層激しくなり、大川が立ち去って間もなく、大川の姿は闇に紛れて消えた。
こうして、森神悟は大川優誠と袂を分かち、私立M学園男子生徒殺人事件は犯人不明のまま幕を閉じた。
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