「10」 座国民の視た現実


●????年??月??日 ??????? 座国民の視た現実


 長野県の実家に向かっている。いつもは実家から離れて安いアパートに一人で暮らしているが、夏休みや、冬休みなどの長期休暇の時は家に帰ることになっている。しかし、今は夏休みでも冬休みでもない。ゴールデンウィークに突入するシーズンだ。一人暮らしを始めて初めてのゴールデンウィーク。別に家に帰る気は無かったのだが、家から帰ってこいとのラブコールを受け取ったため、結局帰ることになった、というわけだ。


 高校に受かった時、両親はとても喜んでくれた。ダメかもしれない、ダメかもしれないと何度も何度も思った。なんと言っても受ける高校は東京の私立M高校なのだ。私の学力は校内一だったのだが、それでも受かる確率は20%ちょっとだろう、と教師から告げられていた。だから、半分は諦めていた。しかし、彼女は諦めなかった。諦めたくなかった。この学校から東京の一流とも言われる上位偏差値を誇る進学校に進学できた生徒が少ないことはもちろん知っていた。だからこそ彼女は燃えた。普段はおっとりしていて、穏和そうに見える彼女だったが、そう言った前人未到の領域を目指そうと言う野心は人一倍あった。そして、それに気付くものは少なかった。表向きの彼女の性格があまりに穏和すぎたのだ。人に飼い慣らされた猫のような外見をしつつも、その裏には獲物を見つけた獅子のような獰猛性と瞬発力を兼ね備えていた。

 校内一の学力と言っても彼女は別に毎日コツコツ予習、復習をしていたわけではなかった。授業はそれなりに聞いてはいたがそれでも5回に1回は寝ていた。その寝てしまった分はしっかりと友人にノートを見せてもらい、そしてしっかりと自分のノートに書き写していた。ただ、それだけだった。あとは、テストの1週間前だけでは真面目に家でも勉強をしようと努力する。本当にこれだけだった。こうして校内一に上り詰めたが、別に彼女は「上り詰めた」という感覚はまるでなかった。何か特別なことを成し遂げたわけでもなく、誰も行ったことのない未知の領域に足を踏み入れたという高揚感を得たわけでもなかった。彼女にとって、校内ランキング1位の成績というのは宝クジの5等が当たったぐらいと同じ感覚だった。宝クジは買えば当たる可能性がある。だから宝クジを買ったら5等が当たった。運良く5等が当たった。当選した。

 彼女の校内ランキング1位もそれと同じく、1週間適当に、それなりに勉強したらなんか1位になっていた、程度のことだった。別にこれといって特別に1位を目指すためにがむしゃらに頑張ったわけでもない彼女にとって、これ以上ないほどどうでもいいことはなかった。それだけならいざ知らず、それによって周りからチヤホヤされるのがこれ以上ない苦痛だった。これがもし、自分が目指したもの、だったら自分の気持ちはどうだったのだろう、と彼女は考えた。自分がひたすら、一直線に、あることを目指して頑張る、努力する。そしてソレを成し遂げ、それに対して周りの人間が自分に対して各々が持つ最大級の賛辞を自分に向けて惜しみなく送ってくれて、祝福してくれる。それはとても自分にとって、この上ない喜びをもたらしてくれるだろうと容易に想像できた。彼女も別に褒められることが嫌いなわけではないのだ。しかし、それが彼女と意図しないものだと、嫌な気分、とまでは言わないが良い気分はしないのだ。その程度の話。だから彼女は目標を設定しようと決めたのだ。目標に向かって突き進んでみたいから。目標に向かって、突進をしてみたい。目標に向かって、努力をしてみたいと思ったから。

 目標を設定しようとは決めてみたものの、じゃあ具体的にどういった目標を設定すればいいのか、という段階に話を持って行こうとすると途端に何も思い浮かばなくなってしまった。それは、ある意味当然のことかもしれなかった。彼女はあまり具体的に自分の目標というものを設定したことが無かった。だから、いざ何か目標を設定しようとすると本当に何も思い浮かばなかったのだ。それを設定するのにはいささかの時間を要した。しかし、考え始めてから1週間後、目標を設定することができた。東京の、上位ランクの学力が必要な高校へ、入学しようと。

 こういう理由にしたのは何とも単純な理由だった。どうせなら出来そうで出来ないような目標がいいと思った。最近、中学校で進路調査が行われた。私はその時には何もどこの高校に行こうかなんて決めていなかったので(中卒で就職する気はなかった)、事前に配られた自らの進路希望先にはとりあえず周りと同じ普通の公立高校を記入したのだ。そしてその記入を終えた数日後、一人一人の生徒が先生と面接をする機会が設けられた。その時にもちろん彼女も先生と面接を行った。その時に。

「もちろん、この高校に進むのは構わない。君のクラスにも希望者は結構いるからね。絶対とは言えないが、この学校の相当な人数がこの学校に行くことになるとも思う。それに、君ならほぼ間違いない。試験当日、インフルエンザにでもならない限りは受かるだろうね。内申書もまったく問題ない。……でも、もちろん、君の意思次第だけど、先生とすればもう少し上を目指してもらいたいという気持ちがある。この県の一番の進学校だ。それでも、君だったらほとんど受かるようなものだね。以前のテストの点数でまったく問題はない。もし君が、この進学校にうかれば、この中学校設立以来、6人目の快挙だ。どうだろう?」

 この先生の意見に対して、彼女はあまり乗り気ではなかった。別に進学校に興味はないことはない。県内一という言葉にもそれ相応の輝きは発していたがそこまでではなかった。この県は正直言った話、そこまで大きくはない。一番という数字には惹かれるものがあるが、日本全国的に見ればそんな大したことは無い。だから県内一という言葉自体にそれほど意味があるとは思わなかった。Jリーグが日本一のサッカーリーグとかのたまっているようなものだ。しかし、この時、どうしてかはわからないがあることを閃いたのだ。普段だったら間違いなく閃かなかっただろう。だがこの時は自分が設定すべき目標について考えを巡らせていた。だからこそ、閃いたのだと思う。おそらく。

 ――そうだ、東京で一番の進学校に入るのはどうだろう。という考えが。

 そのことを、その場で先生へ告げた。先生はお前が何を言っているのかよくわからない、という表情を見せた後、眉間に皺を寄せ、目を閉じ何かを考え始めた。そして。

「東京で一番の進学校……。それは、つまり……私立M高校、聖ジョージC学園、魁鳳高校のどれかってことか……」

 聞いたこともないような高校の名前をズラズラと挙げられた。3つ挙げたのは、その3つが毎年凌ぎを削っている、ということなのだろうか?

「そのうち、どれが一番なんですか?」

「……特に決まってはいない。毎年予備校が弾きだす3つの高校の偏差値はかなり変動する。変動するけど、この3つがいつも上位にいるのはほぼ間違いない。それに、この3つ以外にもすごい高校はたくさんある。しかし、うん、君、だったら……そうだな、この3つがいいだろう……、しかし……」

 なんとも言いにくそうな表情で先生は悩んでいる。

「何か、あるんですか?」

「う、うーん……。いや、色々と思うところはあるんだが……」

「?」

「まず、一つ目だ。この学校から、その3つの高校に進んだ人は一人もいない。誰一人としてだ」

「…………」

 進学実績がまったくない。表情には表わさないようにしたが、この時彼女の心は台風が過ぎ去った後の青空のような、澄みきった様相となった。まったく問題が無い。まさに順風満帆だ。今まで誰も到達したことがない、前人未到の領域、その2つのキーワードは彼女の心に火をつけた。小さな火だったら強い風で消えてしまうが、彼女の心の火は大きく、強いものだった。だから強い風が吹いてもまったく問題はなかった。それどころか、近隣への被害が増大した。そうだ、私の待っていたのはこれなんだ。このフィールド(世界)なんだ。

「ん? どうした? 腹でも痛いのか?」

 自分の表情を見ることができないが、どうやら第三者からは腹痛を我慢しているように見えるらしい。しかし、今はそんなことはどうでもいい。

「い、いえ。大丈夫です先生。それと、他に何か問題は? 問題はそれだけですか?」

 あと他に問題が無ければ別に大したことはない。このままこの目標に突き進んでいけばいい。なんら問題はない。しかし、先生が思っている残りの問題というのも気になる。

「あとはそうだな……学力の問題だ」

「学力?」

「あぁ、そうだ。その、なんだ。これは言いにくいことなんだがな。東京の学校が教える勉強のレベルとこの学校が教える勉強のレベルは少し違う。ここからは、如何に自分で調べ、自分で勉強するかが大事になる。もちろん、お前が本気で狙うのであれば先生も協力する。しかし、授業以外での勉強の時間が増えることは覚悟しておいた方がいい」

 と言われた。

 先生はおそらく、私の覚悟を固めるための、脅しのようなことを言いたかったのかもしれないが、むしろ望むものだった。

 そして、私は私立M学園の入学試験に合格した。




 彼女が進路相談室を出て行った。彼女のような生徒を持てて、彼女のような生徒を見ることができて、教師としてはこの上ない幸せなのかもしれない。

 東京の高校の上位三つ。偏差値なんて変わるもので、絶対的に先ほど挙げた三つが特別すごいというわけではない。しかし、それでもなお、先ほど挙げた私立M高校、聖ジョージC学園、魁鳳高校の三つを挙げたのはある理由があった。この三つの高校の入学試験では、面接というものがまったくないのだ。まぁそれも、この教師が知っている範囲、ではあるが。




 長野県の実家の最寄り駅に到着し、タクシーを待つ。学校から家に帰り、一旦休憩を取ってからすぐに長野への電車に飛び乗ったので、長野に到着する頃にはもう午後10時だった。もうバスはない。かと言って徒歩で行けるような距離でもない。タクシーを待つのが最善策だと思えた。

 そして、タクシーを待ってから3分ほど経って、タクシーが到着した。手を挙げて、乗車の意思があることを相手に伝える。

 乗り込み、後部座席へ座る。運転手に私の家の近くのコンビニの名前を告げる。私の実家はかなり道が入り組んでいるので、説明するのがとても面倒くさい。相手が60を見えた爺に見えるから尚更だ。そのコンビニからであれば15分ほどで家に着くのでちょうどいいとも言える。道入り組んでいるところで下手に乗り回されて料金メーターを上げられるのも癪だ。それに、コンビニで買いたいものもある。

「はい、りょぅかいしました」

その外見から予想される範疇のしわがれた声を出す。そして、タクシーは発進した。


「そんいえばお客さん、東京の人けい?」

タクシーが発進して5分ほど経った時、突然運転手から話しかけられた。

「あ、はい。と言っても今、東京の学校に通っているだけで、生まれは長野です」

できるだけ明るい声で答えた。

「ほぅ、そうけぇそうけぇ。ということは、今から実家に帰省する、ってとこぅかい?」

「はい、そうです。あまり長い間はいれないのですが」

「そうかそうか。ところで、お譲さんが住んでいる所は尾木坂村かい?」

尾木坂村。私が住んでいる村の隣の村だ。

私が指定したコンビニも尾木坂村になる。

「いえ、私が住んでいる村は廼栖(のす)村です。尾木坂村の隣の」

「えっ…………廼栖……?」

運転手が凍った声を出した。それからしばらく黙りこんでしまった。私はてっきり、運転手が運転に集中し始めたのかと思った。

「つかぬことを聞いちめうが、お譲さん、その村で生まれ、育ったんけ?」

嫌に断定的な聞き方だった。切れ味が鋭い、と表現すればいいのだろうか? その他に上手い表現が見つからない。

「えっと、はい、そうですが」

質問の意図がわからず、こちらの答え方も戸惑いを伴ったものとなってしまう。とてもじゃないが、同郷の人かどうかを確かめている聞き方には聞こえない。もっと何か、尋問地味た聞き方だ。

 そして、また少しの間が出来上がる。赤信号で今タクシーが止まっているため、その静寂な〝間〟がまた顕著になる。

 この時間、走っている車はほとんどない。右も左も田んぼの道だ。

 そして突然、後部座席の扉が開く。まだ目的地からは程遠いところだ。間違えて運転手が開けてしまったのだろうか。

「悪いが、ここで降りてくれんか」

運転手が何を言ったのかわからなかった。

「すみません、何ですか?」

意味がわからず、聞き返す。

「申し訳ないが、廼栖村の連中を乗せることは出来ん。申し訳ないが、降りてくれ。その代わり、アンタはこのタクシーに乗らなかったことにしてくれ。料金は要らん。今、すぐに降りてくれ」

聞き間違いでも何でもない。この運転手は、確かに自分に『降りてくれ』と言ってきた。今、この瞬間に〝自分に〟告げている。しかし、心当たりが何もない。私が何かマナー違反を犯してしまったのだろか? いや、まさか。自分に思い当たることは、何もない。胸を張って告げることができる。

「ちょ、ちょっと待ってください。どうしてですか?」

「いいから降りてくれ! 早くッ! なぜ儂が貴様のような下衆な賎民を乗せねばならないんだ! 降りろ! 早くしろッ!」

そう言われてしまったらもう何も言うことができない。この場では、理論は感情には勝てない。世の中には、往々にしてそういうことがままある。言われるがまま荷物を引き摺りタクシーから降りることしかできない。

 転がるように外に出て、呆然と立ち尽くす。タクシーの後部座席の扉は無慈悲に閉まり、タクシーはあっという間に夜の闇に消えてしまった。何が起きたのか、さっぱりわからない。理由もわからない。その後、50分歩き、実家になんとか到着した。

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