「9」
●2010年8月1日 ――森神 悟
携帯電話のバイブレーダーの音がした。メールの着信音だった。夜の12時を過ぎてはいるが別に驚きはしない。この時間にメールを送ってくる友人は時々いる。誰からかな、と確認したところ、森神が知らないメールアドレスからだった。メールのタイトルは、『調子に乗るな』だった。
森神は眉を潜めた。メールを開こうか悩んだ。森神には友人がそれなりにいるが、さすがにこんなタイトルのメールを受け取るのは初めてのことだった。しかも知らないメールアドレスからだ。メールアドレスを変更しました、とかそういったものではない。明らかに、警告を促すメールだ。敵意をこれ以上なく剥き出しにしたメールだ。これは開いたら携帯電話がぶっ壊れる、というようなウイルスメールだろうか? いや、それはないだろう。森神は考える。携帯電話のメール機能ごときを使ってウイルスプログラムを仕込むことなど簡単なことではない。むしろこのメールがそのウイルスメールだったら喜んで見てみたい。そう思った。そして、メールを開く。
『調子にノるな お前モ コの男 の ヨゥに なる ぞ(添付ファイル有Azusa.png)』
背筋がぞっとした。添付ファイルは画像ファイルだった。
メールを開くと、自動的に画像も開かれた。
それは、死体の画像だった。
いや、死体というのは少々違うのかもしれない
しかし、腹部を血で濡らした男が倒れている画像であることに間違いはなかった。
倒れている男は、半目を開けて、手を伸ばしている。
空を掴もうとしているように見えた。
撮影者の腕時計だろうか。
左下には、腕時計が映ってる。
時計は、4月30日午後6時2分を示している。
その倒れている男は……裏庭の芝生に倒れている男は、
悠宮梓だった。
あまりのことに顔が紅潮した。こいつは、この撮影者は……。
悠宮梓をナイフで刺した後に、生きて、もがいている様を撮影したのだ……!!
怒りで頭がどうにかなりそうだったが、パソコンを起動させる。
今の携帯電話の画像は簡単にその詳細なデータを調べることができる。
いつ撮影したのか、どの機種で撮影したのか、その携帯のキャリア(会社)は? 携帯電話の色は?
そして、このメールアドレスも調べる必要がある。冷静になれ……。森神は自分に言い聞かせた。
「2011年7月29日(金) --:--撮影
Pi‐201b au 黒」
写真のデータはこんなものだった。メモを取る。普通なら撮影した時刻のデータも表示されるはずだが、この写真のデータにはそれがない。携帯に細工でもしたのだろうか。
そして、急いで森神は自分の携帯電話の電話帳から、大川のメールアドレスを確認する。『ez-web』―間違いない、大川の持っている携帯電話のキャリアはauだ。しかし、それだけではこの写真が大川の携帯電話から撮られたことの完全な証明にはならない。これはあくまで、大川が持っている携帯電話とこの写真が撮られた携帯電話のキャリアが一緒、というだけしか証明していない。この国に住む人間の25%近くがauの携帯電話を使っているのだ。それだけでは何の証明にもならない。
そして、次はメールアドレスだ。調べられることは調べたが、こちらは完全にお手上げだった。まだしっかりと調べたわけではないが、おそらく海外のサーバを相当な数経由している。このメールを送ったメールアドレスの直接のサーバはイギリスにあるものだった。そしてそのメールはインド、オーストラリア、中国を経由していた。そこまでは追跡できたのだが、そこで追跡を止めた。中国が絡むと色々と面倒くさい。あの国はインターネットにおいて独自のシステムを持っているので、下手なハッキングを行うとまったく関係のない蛇を出してしまうかもしれない。それに、これ以上メールアドレスを特定するためだけに時間を割くのはどうも最善手ではない気がする。これでメールアドレスの調査は終わりだ。あきらめるしかない。本格的にこの画像を調べたければ警察の協力を仰がなければいけない。しかし、警察にこの情報を提供したところで、自分に相応の情報がリターンされるとは限らない。情報の行き来がこちらからあちらへの一方通行状態なのだ。刑事を父親に持つ自分だから知っている、警察の絶対秘密主義。それでも、しっかりと情報が正しく用いられればそれはそれで構わない。しかし、危惧すべき問題がもう1つある。この情報が果たして正しいものなのかどうか、この情報が罠の可能性があるのだ。
具体的にもう少し噛み砕いて説明すると、このメールアドレスの出自を警察の力を借りて徹底的に調べてみるとする。その先に『大川 優誠』がいるとは限らない。あぁ、もう認めなければならないだろう。私は大川優誠を犯人だと確信している。かなりの高い可能性で、いや、ほぼ確信に近い形で。
大川がもし今回の梓殺害に関わっているならば、間違いなく一筋縄ではいかない。悠宮梓と同等……とまでは言わないものの、彼も大変頭が良かった。かなり高く、そして深い洞察力も持っている。どこでどんな暮らしをしたらそんな高レベルの洞察力を持つことができるのかは知りたいものだ。洞察力、人の感情の機微を読み取る力、どこがこの人物が怒るポイントで、何を言えば喜ぶのか。この人物にとって、どこまでがお世辞と捕える発言で、どこまでが本気で喜ぶのか。そういった、言ってしまえば〝不思議〟な力を持っていた。そうだ、よくよく考えたら、大川優誠はこうした特別な能力(ちから)を持っているのだ。もしかしたらもう、大川自体は、僕が疑っていることを知っているかもしれない。だとしたらなぜ、このタイミングでこの写真を送ったのか? それが理解できなかった。
「あんまりグダグダ考えても仕方ない、か……」
一通り考えをまとめてそう呟く。そうだ、あまり複雑に考えても仕方ない。時間を無駄にしている場合でもない。時間は時と場合によっては真実を失わせる。行動は早ければ早いほどいい。
静かに、携帯電話の電話帳を開き、ある人物の項目を開き、電話をかける。相手はもちろん、大川優誠だ。
1コールした後で、すぐに大川が電話に出る。もしもし、も、時候の挨拶も入れず、ただただ静かに用件だけを伝えた。
「大川、これだけは覚えておけ」
「なんだろうな、森神」突然の一言に対してもまるで動じることなく大川は対応した。
「僕はね、悠宮梓を殺した犯人を決して許すつもりはない」
「……お前らしくないな、森神。だが、その言葉は受け取った」
犯人は、大川優誠だ。
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