第29話 魔除けの護符

「あら、おかえりなさい。ご飯できてるわよー」


 くつくつと煮立つ鍋を前に呑気に出迎えたナイの姿に、ベートは再びの脱力を味わった。


「一応こっちは死にかけて帰ってきたんだがな……」

「アレフは『大丈夫だ』って言って出てったのよ。なら、それを信じて待つのが役目ってもんでしょ」


 胸を押さえてぼやくと、ナイはふふんと胸を張ってそう言ってのける。そう言われると、そんなものなのかも知れない、と今のベートにも思えた。それにちょうど食事時で、腹が減っているのも確かなことではある。


「大丈夫かの? 手当をしよう」


 流石にヘレヴの方はベートを心配してくれていたらしく、包帯と薬を用意してそう言ってくれる。


「お兄ちゃん、誰、この女!?」

「こっちの台詞だけど!?」


 そしてナイを指差し叫ぶダリヤに、ナイは叫び返した。


 一度負けを認めた後、ひとまずしばらくアレフを殺すのは断念したということで、彼女は当たり前のように拠点までついてきたのだった。


「……まあそんなわけで、とりあえず一回負けたらそれを克服する手段を見つけない限りは襲ってこないから、安心してくれ」

「ワケ解んないけど、まあ今更よね」


 アレフが互いを紹介して一通りの事情を説明すると、ナイは軽くため息をついてそんな事を言う。


「それで納得して良いのか?」

「このくらいで驚いてちゃ、こいつの場合キリがないもの。あんたも覚えときなさいよ」


 ベートの問いにナイは肩をすくめた。


「それに……」

「ねえ、これすっごい美味しいね! もう一杯食べていい?」


 ダリヤに目を向けると、当の本人はナイが作ったばかりのスープを飲み干して舌鼓を打ち、更におかわりを要求していた。


「血はつながってないそうだけど、兄妹そっくりだわ。警戒するのもなんか馬鹿らしくない?」

「それは……そうかもしれんな」


 ナイのもっともな意見に、ベートはようやく少しだけ気を抜く。そもそもアレフ自身が無防備に卓を囲んで飯を食べているというのに、部外者である自分だけが気を張っているのも滑稽な気がした。


「っていうかアレフを倒したいって思ってるのはあんたも一緒なんじゃなかったの?」


 そう言われて初めて、ベートはそんな事も言ったなと思い出す。正直に言ってしまえば、それは殆ど本気ではなかったからだ。ベートはアレフの力をすっかり認めてしまっていたし──もっとはっきり言ってしまえば、どちらが上であるかということにさほどの興味もなかった。


「そうだな……奴を倒すのはこのワタシだ。その前に他の者に殺されるわけにはいかんからな」

「何よそれ」


 ことさらに硬い口調で言って見せれば、それを冗談と受け取ってナイは笑う。ベートも実際に冗談のつもりで言ったのだが、口にしてみると思ったよりもそれはしっくりときた。少なくとも、アレフがダリヤに殺されるというのは嫌だと強く思ってしまったのだ。


「ねえねえ、お兄ちゃん」


 それがどのような感情に起因するものなのか考える前に、二杯目のスープも早々に飲みきって手持ち無沙汰な様子で周囲を見回していたダリヤが、不意に声を上げた。


「この中の誰がお嫁さんなの?」


 途端、ナイがスープを喉の奥に詰まらせて咳き込み、ヘレヴがハッとしたように目を見開き、ギィが迷いなく手を挙げる。


「へー……お兄ちゃん、こういう子がいいんだ」

「いや待て。別にそういうわけじゃない」

「ぎっぎい!」


 どこか侮蔑を含んだダリヤの視線に流石にアレフが弁明すると、ギィが不満げに鳴く。


「というか、お前、そういうつもりだったのか?」

「ぎぃ~……!」


 アレフの問いに、ギィは大変不満げな顔で彼の腕に齧りついた。


「それであれば、わしも嫁ということになるかの。家族になってくれと言われたことじゃし……」

「えっ、ちょっ、えっ……」


 顔を真赤に染め上げながら手を挙げるヘレヴに、ナイは裏切られたと言わんばかりの表情で彼女とアレフの顔を見比べた。


「私もっ……! 私も言われた!」


 ぐっと口元を引き結び、ぶるぶると震えながらも手を挙げるナイ。


「まあ、それはどうでもいいんだけど」

「ならなんで聞いたの!?」


 彼女にとっては百年分にも相当する勇気を振り絞った行動をダリヤにあっさりと流されて、ナイは叫ぶ。


「そういう事なら別にいっかなって思って」

「何の話だ?」


 首を傾げるアレフに、ダリヤは胸元から小さな金属片を二枚取り出す。


「ボクがなんにも考えずに、お兄ちゃんに会うためだけにこんなダンジョンの中にまで降りてきたと思った?」


 まさか、と声を出すこと無く呟いて、アレフは大きく目を見開いてそれを見つめた。


「不帰の迷宮から脱出する為の護符。一枚辺り一回きりの、特別品だよ」

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