第27話 正統後継者、ダリヤ

(……何だ)


 目の前に広がる光景に、ベートは心底脱力した。抱き合うアレフとダリヤはただの仲のいい兄妹にしか見えない。先程までの迸るような殺気は一体何だったというのか。


「アレフ。一体どういうことなのか説明してくれるか」

「ああ。こいつはダリヤって言って、俺の師匠の娘だ」


 痛む胸元を押さえつつベートが尋ねると、アレフはそう答えた。とすれば、妹とは言っても血縁はないのだろう。


「つまり俺はこいつにとって、親の仇ということになるな」

「うん。その時から義兄妹の縁は切れたから、ボクは元妹ってわけ」


 しかし元妹とはどういう意味だろうか、と首を捻るベートに、二人はあっさりとそんな事を言った。かつて師を殺したことがあるという話はベートも聞いていたが、その時の告白に比べて彼らの口調はいやに軽い。


「そうか……恨んでいるというわけではないのだな」


 アレフが師を殺したのも、やむを得ない事情があったとは聞いている。ダリヤもその辺りはわかっているのだろう。親しげに抱きつく彼女の様子は、とても仇に対するものとは思えなかった。


「うん。全然恨んでなんかいないよ。むしろあんなクソ親父殺してくれてせいせいしたって感じかな」

「そう言ってやるなよ……」


 ダリヤの言葉に、弟子であるアレフの心中は複雑らしく、彼は苦笑する。


「ではワタシを殺そうとしたのも戯れか何かか」


 どう考えても本気の殺意を感じていたが、彼女ほどの腕前ともなればそのくらい自由に出し入れしてみせるだろう。アレフが止めずとも寸止めするつもりだったのかもしれない。


 そこまで考えて、ベートは己の思考に疑問をいだいた。


 ならばなぜ、アレフは止めた?


「え? いや、殺すよ?」


 ダリヤはアレフに抱きついたまま、あっさりとそう答えた。


「キミも、そっちの白い髪の子もさっきいた赤髪の子も、勿論アレフ兄ちゃんも。みーんな、殺すよ」


 先程まで彼女が発していた、恐ろしいまでの殺気。それが再び発せられていた。ギィが悲鳴をあげてベートの背中に隠れる。


「本当に相変わらずだな、お前は……」


 抱きつかれたまま間近からその殺気を浴びつつ、アレフは苦笑する。


「どういうことだ。全くわからんぞ」

「ボクはね。アレフ兄ちゃんが大好きなの。だから殺しちゃう前に、こうしてぎゅーってしてアレフ兄ちゃん成分を補充してるんだよ」


 アレフに視線を向けて説明を求めるベートに、ダリヤが答える。


「俺は師匠の正式な弟子じゃなかった。闘技場で隠れて剣を習ってただけだからな。正当な弟子はこのダリヤだ。師であり親である師匠を部外者に殺された彼女は、その仇を討つ責務がある」


 その説明に足りないところを、アレフが補足した。


「……つまりこういうことか?」


 ベートはやや狼狽えながら尋ねる。


「個人的にアレフに対して好意を持っているし、何の遺恨もないが……それはそれとして、殺す、と」

「そーゆーこと!」


 ダリヤはこれから人を殺そうとしているとはとても思えない明るい笑顔でそう答えた。親を殺されて恨んでいない、というのはわかる。殺さなければならない、というのも、理解できないわけではない。


 だが殺意を持ったまま、好意を隠そうともせず、殺すことに何の躊躇いもないというのは全くベートの理解の及ぶ範疇ではなかった。


「いや待て。ならばなぜワタシ達まで殺されなければならない?」


 はたと気づいて、ベートはそう問うた。仇討ちというのならば、死ぬのはアレフだけでいいはずだ。勿論アレフを犠牲に助かろうなどというつもりもないが、かといって無為に殺されるのも嫌だ。


「え、だって。お兄ちゃん一人で死んだら、寂しいでしょ?」


 ベートの問いに、当たり前のようにダリヤはそう答える。


「だから仲のいい人も一緒に殺してあげようと思って」


 自分の行動に何の疑問も抱いていない、眩しいほどの笑みだった。


「まあ……そういうことだ。まさかダンジョンの中にまで追ってくるとは思わなかったけどな」


 ガリガリと髪をかきながらダリヤから数歩離れ、アレフは剣を構える。


「そろそろやるか」

「うんっ」


 まるで兄に遊んでもらえる幼い妹のように嬉しげに、ダリヤは剣を引き抜く。そしてその両手に、一対二本の剣を構えてみせた。


 妙だ、とベートは一瞬思う。あれではダリヤが見せた、手で相手の攻撃を捌いて反撃する技が使えない。だがどう考えても、あの攻防一体の技術こそが彼らの剣技の真髄であるはずだ。両手に剣を持っては使えない──


 ベートの疑問は、彼らの戦闘が始まってすぐに氷解した。


 大気さえ両断してしまいそうなアレフの凄まじい斬撃を、ダリヤはその剣の腹で反らし捌く。先程まで手のひらでやっていたことを、剣でやってみせたのだ。


 少し考えてみれば当たり前だった。同様の事は、アレフ自身もベートに対してやってみせたではないか。だが彼の場合は剣で槍を捌き、徒手で攻撃するというものだった。


 剣で攻撃を捌き、もう片方の剣で攻撃するというダリヤの動きは、同じようで全く同じではない。両手に剣を持って手のひらと同様に操るというだけでその難易度は恐ろしく高いものだ。しかしそれ以上に、相手にとっての脅威度はその比ではない。


 左右どちらの剣でも攻撃を捌き、もう片方の剣での反撃がやってくるのだ。つまり死角というものがない。ありとあらゆる攻撃に対応し、それへの反撃がやってくる。


 片手で剣を振るうアレフと比べてみればその差は明らかだ。彼は左手でダリヤの攻撃を捌き、右手の剣で反撃することしかできない。右側から来る攻撃に対してはかわすか、剣で捌いてもそれに続く一撃を放つことができない。


 剣の間合いでは拳は届かず、彼でさえ一歩踏み込むことができないほどにダリヤの剣は苛烈であったからだ。


 己であれば数秒も持たないだろう、とベートは思う。互いに振るわれては反らされ、また振るわれを繰り返す白刃の嵐は、まるで鋼の花が咲いたかのようだった。それでいて、鉄の触れ合う音はほとんどしない。ごく柔らかに、一切の無駄がなく力が反らされている証拠だ。


 だが、とベートは思う。


 このままでは、アレフが負ける。

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