第26話 元妹の襲撃

「ぎーーーーぎぎぎーーぎぎぎーぎーぎぎぎー、ぎぎぎぎーぎぎーぎーぎぎー」

「ギィは歌が上手じゃのう」


 機嫌良さげに歌を口ずさみながら歩く小鬼ゴブリンと、それを見つめ相好を崩す鉱精ドワーフの少女。


「……なぁ」


 その後ろを歩きながら、ベートは今日何度目かになるため息をついた。


「やはり、我々は別々に行動した方が効率的ではないか?」

「ぎっ!」


 そしてこれも何度目かになる提案を、胸の前で腕を交差してみせるギィにあっさりと切り捨てられる。獲物を見つけても、お前は戦わないではないか。喉元まで出かけたそんな言葉を、ベートは辛うじて飲みくだした。


「わしらは足手まとい……ということかの?」

「ありていに言ってしまえば、そうだ」


 柔らかな口調で尋ねるヘレヴに、ベートは僅かに躊躇いながらもはっきりと頷く。


 背の低い小鬼ゴブリン鉱精ドワーフに、歩幅を合わせるだけでも一苦労だ。特に小さなギィなど、気をつけなければ踏み潰してしまいそうだった。


「勘違いしないで欲しいが、ワタシも別に君たちの能力を認めていないわけでもなければ、協力する気がないと言っているわけでもない」


 このダンジョンに、文字通りの弱者などというものは存在しない。誰もが自分なりのやり方で生き延びてきたものだからだ。


 ギィとヘレヴがしっかりとこのダンジョンで生き抜く術を身に着けているのはベートにもわかったし、共に生活することになった以上は助け合っていくつもりもある。


「要は適材適所という奴だ。ワタシの戦い方というのは一人の方がやりやすい。君たちの鍛冶や細工をワタシが手伝うことも出来ない。ならば別々に行動した方が良い」


 長い槍や尻尾を振り回して戦うベートの戦法上、味方がそばにいると攻撃に巻き込んでしまう可能性がある。アレフ程の使い手ならば向こうで勝手に避けるだろうが、ギィとヘレヴに同じことは期待できないだろう。自然、彼女達を気遣いながらの戦いとなるし、複数の相手を気にしながら戦うのは一人きりで戦うよりもむしろ大変だった。


「うむ。お主の言っておることは確かに正しい……じゃがな。三人で行動せよというのは旦那様からの指示なのじゃ。悪いが付き合ってはくれんかの?」

「……むう」


 諭すようなヘレヴの言葉に、ベートは唸る。


「……わかった。アレフが言うのであれば、相応の理由があるのだろう。聞き分けるとしようか。ちなみに君はどんな理由があるか知っているのか?」

「さてのう。こういうことではないかと考えていることはあるが、説明されたわけではないからの」

「ぎっぎぃ」

「すまないな、小鬼ゴブリン語には疎くてね」


 何やら物言いたげに鳴くギィに、ベートは肩をすくめた。実際に彼女の鳴き声に意味があるのかないのかすら定かではない。


「お話し終わった?」


 出し抜けにかけられた声に、ベートは反射的に槍を構えた。


「こっちだよ」


 だが続く声色は、ベートが槍を向けたのは反対の方向から聞こえてくる。慌てて背後を振り返ると、そこには少女が立っていた。


 金の髪を二つ結びにした、小柄な少女だった。ベートに人間の年頃というのはよくわからなかったが、まだ背の高さから言ってまだ大人にはなりきっていない、幼い少女だろう。鉱精ドワーフであるヘレヴよりも僅かに高いくらいの背丈しか無い。


 腰には剣を二本差しているものの、ダンジョンにはまるで似つかわしくない街に遊びに行くかのような格好をしている。


「ギィ、ヘレヴ」


 だが、ベートがここまで近づかれるまで気づかなかったのだ。尋常な相手であるはずがない。


 何より……出会ったその瞬間から、これほどの殺気を放っている相手がまともであるはずがなかった。


「逃げろ!」


 そう叫んだ瞬間、火花が散った。槍さえ届きそうもない距離から一呼吸で間合いを詰め放たれた斬撃を、ベートが辛うじて防いだのだ。


「わっ」

「こいつ……」


 風車のようにくるりと槍を回し、柄で殴りつける一撃は当たり前のようにかわされた。


「つよーい」

(強い……!)


 少女が口にしたのと、ベートが心の中で呟いたのは、奇しくもまったく同じ言葉であった。


 下手をすれば、あのアレフよりも……そう考えるベートの脳裏に、ふと何か違和感のようなものが過る。だがそんなものに構っている暇はなかった。


「じゃあちょっとだけ、本気出しちゃおうか……な!」


 少女の身体が瞬時にして消えた。最初に声をかけられたときと同じだ。確かにそこにいたはずなのに、まるで煙のように消え失せる。姿を消す魔法でも使っているかのようだ。


 だが少女は確かに人間だった。妖精でもないのに魔法など使えるはずもない。であるならば──


「そこだ!」

「わ、っと」


 その身体は、ベートの視界の外にある。選択肢は背後か頭上──あるいは、足元だ。その小さな体を更に低く低く倒し、まるで地を這うかのような体勢で切りかかっていた少女へ、ベートを突き下ろすような一撃を見舞う。


 少女はそれも軽くかわすと、その体勢のまま剣を振るった。腹、胸、喉。すべてが致命傷を狙ったその攻撃を槍の柄でいなし、同時にベートは穂先を少女の頭へと振り下ろした。


 少女は剣を持たない左手を掲げてその槍へと伸ばす。そして刃の腹を指先で柔らかく押して反らすと、驚愕に目を見開くベートの左胸めがけて剣を突き刺した。


「うわっ! かったぁ……」


 その一撃は見事にベートの胸に突き刺さったが、その強靭な鱗に刃を阻まれて命を奪うには至らなかった。竜人ドラコニアであるベートの鱗は、蜥蜴人リザードマンのそれよりも遥かに硬い。


 だがそれでも溢れ出る血液を押さえきれず、ベートは片手で傷口を押さえながら少女から距離を取る。


「今の技……アレフと同じものか」

「あ、やっぱりアレフ兄ちゃんの事、知ってるんだ」


 先程ベートが覚えた違和感。それは、彼女の戦い方にどこか覚えがあるというものだった。体格が違いすぎるからだろう。彼女とアレフの戦い方とは似ても似つかない。だがそのタイミングや呼吸の仕方、足運びには既視感があった。


「ああ。お前は彼の何だ?」


 まともな答えが返ってくるとも思わずに、それでもベートはそう問いかけた。ほんの僅かでいいから、痛みを堪え、呼吸を整えて槍を握り直す時間が欲しい。


「ボク? ボクはねえ……アレフ兄ちゃんの妹──元妹の、ダリヤだよ」


 だが案に相違して、ダリヤと名乗った少女は攻撃の手を止めてそう答えた。


「妹、か……参ったな」


 ベートは深く息を吐き、傷口を押さえたまま槍をダリヤへと向ける。


「なら殺してしまうわけにもいかん」

「へえ?」


 ベートが叩いた軽口に、ダリヤは眉を吊り上げた。


「心配しなくても……君にボクは殺せないよ!」


 ぐん、とダリヤが更に低く体勢を倒して駆け出す。タネが分かっていても見失ってしまう程の低さだ。下方への攻撃というのは非常に限定される。振り下ろすか、突くか。横に振るう攻撃は掻い潜られる可能性が極めて高い。しかし縦の攻撃は手でいなされ、鋭い反撃が飛んでくる。ベートの技術ではそれを防ぐ方法はなかった。


 ──たった一つしか。


「なっ……!?」


 背中に小さく折り畳んでいた翼を広げ空中に飛び上がるベートに、ダリヤが驚愕に目を見開くのが見えた。たった一度きりしか通用しない、しかし完璧なダリヤの攻略方法だ。


「驚いてくれて何よりだ!」


 小柄な身体を更に低く前傾させたダリヤの体勢からは、空中のベートを攻撃することは出来ない。しかし長い槍を手にしたベートの攻撃は一方的にダリヤに届かせることが出来る。


 ベートはくるりと身体を回転させると、槍の柄をダリヤに向けて叩きつけた。彼女の頭上を超え、背中から殴り飛ばすような一撃。いくら彼女でも、背後からの攻撃を手でいなす事は不可能だろう。


「やれやれ、まったく……」


 ベートは地面に降り立って翼を畳み、深くため息を付いた。


「痛ったぁ……よくもやってくれたなぁっ!」


 肩の骨の一本も砕くつもりだったんだがな、とベートはひとりごちる。怒りに眉を吊り上げるダリヤは、ほとんど無傷だった。とっさに背後に突き出した剣の柄で槍の一撃を防いだのだ。まるで背中にも目がついているかのような反応だった。


 空を飛ぶのは相手の意表をついたからこそ有効な、一度きりの手品のようなものだ。そんな事ができるとわかっていればダリヤはいかようにも対応してくるだろうし、空中では機敏な動きを取れないからむしろ無防備になる。


「ここまでか……」


 半ば諦めつつ、ベートは槍を構える。次の一手で自分は死ぬのがわかっていた。恐怖はないが、残念だという気持ちは大きかった。アレフ達の群れに入り、ずっと焦がれていた家族というものを味わってみたかったのだが、結局ベートにはわからないままだ。


 ダリヤの剣が迫る。やはり飛んでも無駄だ。そのまま切り上げられる。かといって槍で防いでも迎撃しても駄目だ。何をしてもそのまま胸を貫かれる。ならば、あえて貫かせて剣を身体に埋め、反撃するか。


 それは割と悪くない戦略に思えた。即死さえしなければ一矢報いる事ができるだろう。たとえ心臓を貫かれても、生き物というのは本当は何呼吸かは生きていられる。ベートにもそうする自信はあった。


「……いや、やめておこう」


 だがベートは槍を下げ、その選択肢を手放した。

 妹。自分にもいたはずの存在。生まれたときには既に死んでいなくなってしまっていた。アレフにも同じような思いをさせたくはない。ふと、そんなことを思ってしまったからだ。


 防御を解くベートに一瞬疑うような動きを見せるも、ダリヤは構わずそのまま突きを見舞う。仮にそれが罠だとしても、対応する自信があるのだろう。その見立ても正しい。そして刃は吸い込まれるように先ほどつけた胸の傷口に向かい──


 貫くその寸前で、投げ放たれた鉄塊に弾かれた。


「遅いじゃないか。後3センチでワタシは死んでいたぞ」


 ベートは何でも無いような顔で、事実を告げる。


「悪いな。これでも最大限急いできたんだが」

「ぎっ!」


 鉄槌を投げはなった格好で告げるアレフの背後で、彼を呼んできたのだろう、ギィが誇らしげに胸を張る。


「よお。久しぶりだな、ダリヤ」


 そして彼は抜身の刃を手にした妹へと向き直ると、何事もなかったかのようにそう挨拶した。


 ぐん、とダリヤの身体が加速する。先程までとは比べ物にならないその速度に、まだ底を隠し持っていたのか、とベートは驚愕した。


 その速度にはアレフすらなすすべもなく、腰に下げた剣を抜く暇すら無くダリヤが肉薄し──


「会いたかったよー! アレフ兄ちゃん!」

「相変わらずだなあ、お前は」


 そして彼女は、アレフの身体にぎゅっと抱きついた。

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