第25話 光の信号

 燦々と降り注ぐ陽の光。爽やかに駆け抜けていく風が木の葉をそよがせ、鶏が餌の草をついばむ音が小さく聞こえる。


「平和ねー……」


 暑くもなく、寒くもなく。程よい陽気にウトウトとしつつ、ぼんやりと木の枝の上に寝転がりながらナイはそう呟いた。拠点から少し離れた場所に立てた鍛冶場でへレヴが振るう鎚の音は、まるで楽器のように心地よく、なおさら眠気を誘う。


 今日の狩り当番はベートとギィ、そしてヘレヴの三人だ。もっとも迷宮に慣れた三人の組み合わせであり、申し分のない戦力を持ちながら、必要なだけの臆病さも備えている。何をするかわからないアレフよりも遥かに安定感のあるコンビで、安心して帰りを待つことができた。


 そのアレフの傷も毒怪鳥コカトリスのベアトリクスが生む卵料理のおかげかすっかり癒えた。もし襲撃があっても万全の体勢で迎え撃つことができるし、そもそもベートが仲間になって以来襲撃らしい襲撃もない。


 それもそうだろう。伝説に名高い竜人ドラコニアと、それを打ち倒した男が、鉱精ドワーフの作った武器を携えて待ち受けているのだ。ついでに蜥蜴人リザードマンの襲撃を退けた小鬼ゴブリン森精エルフ、ペットの毒怪鳥コカトリスまでいる。


 よほどの愚か者でない限り、今のナイ達に手を出そうなどとは考えないだろう。


 これほど安らかな気持ちで過ごすのはいつぶりだろう、とナイは目を細めた。育ての親である魔女がいた頃だって、こんなにゆったりとした時間を過ごしたことはなかった。まあ、気難しく口の悪い老婆が安らぎとは正反対の性格をしていたせいも大きいが。


「ん……」


 突如として目に飛び込んできた光に、ナイは目を細める。それはアレフの剣の輝きだった。彼は天井にぽっかり空いた穴から降り注ぐ陽の光を剣に浴びせるようにして、じっと眺めていた。


「アレフー、それ何してんのー?」


 ごろんと木の枝の上で寝返りをうち、ナイは問いかける。てっきり剣の手入れをしているものだと思っていたが、それにしては油を塗ったり布で拭ったりしている様子もなく、随分と長いこと剣を傾けたり、また戻したりを繰り返しているだけだった。


 体勢を変えたことで、アレフの剣が反射する光がチカチカと小刻みにナイの瞳に当たる。


「ああ。眩しかったか? わりぃわりぃ」


 謝りながら、アレフはナイの顔に光が当たらないよう剣を傾ける角度を変えた。しかし、傾ける事そのものは続けるままだ。


「それは別に大丈夫だけど……」


 今まであまり気にしていなかったが、そう言えばよく晴れた日、アレフは度々同じことをしていた気がする。


 なんとはなしに、ナイは空を見上げた。天井にぽっかり空いた穴からは青い空と、風に揺れる木の葉が見える。恐らく地上も森の中なのだろう。中から外へと出ることはできないが、外から中に入ってくることはできる。


 ナイはそこから転がってきた木の実や種を植えてこの森を作り、迷い込んできた小鳥や小動物を捕らえ生きてきたのだから。


「……外に光を送ってるの?」


 不意に閃いて、ナイはそう尋ねた。


「よくわかったな」


 少し驚きながらも、アレフは答える。


「ま、意味があるのかどうかはわからんけどな。ただの暇つぶしだ」


 この迷宮には結界が張られていて、内から外へ出ていくことはできない。だがそれはどこまで有効なのだろうか、とアレフは考えていた。


 風が吹いているということは、空気が入り込んできているのは間違いない。しかし出ていくことが出来ないのであれば、迷宮の中にはどんどん空気が増えていってしまうはずだ。


 獣のはらわたを丁寧になめすと、水どころか空気も漏らさぬ袋ができる。そこに思いっきり息を吹き込めば、パンと弾けて割れてしまう。石造りの迷宮が弾けることはないだろうが、これ以上入らないというほどに空気が入ってきている気配はない。


 であれば、形のないものであれば結界をすり抜けられるのではないか。アレフはそう考えた。例えば、光だ。


 別に迷宮を出ていこうなどと考えているわけでも、外部に助けを求めているわけでもない。


「暇つぶし、ねえ……」

「まあ言うなれば──」


 小さくあくびを漏らすナイにアレフは笑みを見せ。


「ちょっとした、嫌がらせってとこだな」


 そう、呟いた。



 * * *



「奴が生きているだと!?」


 ガシャンと音を立てて叩き落されたガラス瓶からワインが溢れ、品のいい絨毯に染み込んでいく。倒したのは史上最年少で女王補佐──宰相の地位についたと言われている男。サイラス・イーシュ・ケリヨーテ伯爵であった。


「これを、ご覧ください」


 サイラスの配下は激高する主人に対し、一枚の羊皮紙を掲げる。


「何だ、これは……!」

「かの不帰の迷宮。そこから度々発せられる光の信号を、文章に変換したものです」


 紙を引きちぎらんばかりにぶるぶると拳を震わせるサイラスに、配下は跪いたままそう答えた。


 そこに書かれていたのは、サイラスの破滅に繋がる文章。『奴』が死んだ以上、今やこの世にはサイラスとその配下以外に知るものなどいないはずの事実を示唆するものであった。


「……殺せ」


 それは単独では、サイラスの地位を脅かす内容ではない。


「奴を殺せ! 今度こそ、確実にだ!」


 だが彼にとってそれは、とても看過できるものではなかった。


「恐れながら、閣下。それは非常に困難と言わざるを得ません」


 怒鳴りつけるサイラスに対し、配下は表情一つ変えぬままそう答える。


「今まで送った暗殺者はすべて退けられ、迷宮送りにしてなお生存している……そこへ刺客を送り込んだところで、満足の行く結果は得られないでしょう」


 不帰の迷宮は、彼らにとっても未知の空間だ。迷宮が作られた当時の古文書に記された断片的な情報しか把握できていない。


「……ダレットまでだ」

「は」


 唸るように告げるサイラスに、配下は目を瞬かせる。


「アレフならばあの迷宮で生きていけるというのなら。今のアレフ1番からダレット4番までを刺客として送り込め」

「しかし閣下、それでは」

「いつからお前は俺に意見できるほど偉くなった?」


 配下の反論を押し込めるようにして、サイラスは居丈高に言い放つ。


「今すぐ送れ。いいな」

「……は」


 跪き、立ち去っていくサイラスの靴音を聞きながら、配下はどうしたものかと考えた。


 剣奴たちは奴隷と言っても、農奴や家内奴隷とはわけが違う。

 上級剣闘士ともなれば貴族と変わらぬ暮らしをしているものもいるし、ましてや一桁台の剣奴ともなれば闘技場の花形と言っていい。


 それをアレフからダレットまで、生きて帰れぬ迷宮へと送り込むなど正気の沙汰ではなかった。一体どのような口実を用意したらそんな事が可能になるものか。


 それにそもそも四人送ったところで、奴を殺せるとはとても思えなかった。

 アレフであれば生き残れる? 馬鹿なことを、と思う。


 奴は歴代のアレフの中でも飛び抜けた力を持つ化け物だ。同じ序列といえど、今のアレフとは雲泥の差がある。


 そこまで考えて、彼はふとあることを思いついた。


 現在のアレフで勝てないのなら、そう。


 ──過去のアレフを送ればいいのだ。



 * * *



 カタカタと音を立て、暗い縦穴をロープに吊られた木の板が降りていく。

 そこに乗ったのは四人の男女。男が三人に、女が一人だ。


 木の板はやがて白骨が山積している迷宮の床へと辿り着き、その動きを止める。


「ちっ。これで俺たちは帰れないってわけか」


 地面に降りた後、ぼたりと落ちてきたロープにでっぷりとした男が舌打ちする。


「仕方あるまい。我らは使命を果たすのみだ」

「流石、アレフさんは言うことが違うねえ」


 ひときわ背の高い男に対し、皮肉めいた口調で小男。


「元、だ」

「それを言うならあたしたちみんな元だけどね」


 アレフと呼ばれた背の高い男が言うと、紅一点、小男よりも更に背の低い女が場違いな明るさでケラケラと笑った。


「ちっ。まあいい。あの悪鬼とやれるってんならな」


 大斧を肩に担ぎ上げて、太った男が舌打ちする。


「ああ。あいつが迷宮送りになったって聞いた時は失望したもんだが、まさかこうして生きててくれるとはねえ」


 小男が己の顔に走った傷を指でなぞりながらほくそ笑む。


「歴代最強の『アレフ』か……まさか刃を交えることが出来るとはな」


 表情に乏しい顔で、しかしそれでもどこか感慨深げに、背の高い男。


「それは無理じゃないかなあ」


 だが女が、彼らの言葉を否定した。


「あん? そりゃどういう……」


 不機嫌そうに振り向く太った男の胸元に、剣が突き刺さる。


「だって」


 どさりと崩れ落ちる男の胸から剣を抜き放ちつつ、女は言う。


「君たち皆ここで死ぬんだもん」

「てめぇっ……!」


 反射的に投げ放たれる小男のナイフを、女は容易く剣で弾き落とした。だがそれはフェイントに過ぎない。ナイフを放った瞬間、小男は異常なまでの俊敏さで女の背後へと回っていた。


 眼前のナイフに気を取られた相手に放たれる、死角からの一撃。体格に恵まれなかった小男をかつてベート2番にまで押し上げたその技を。


「な……ぐっ……!」


 女は振り向きもせずに、背後へ突き出した刃の一振りで、死に至らしめた。


「貴様……ダレットではないのか!?」


 味方を殺したから、ではない。不意を突いたとはいえ、元ベート2番の小男と元ギメル3番の太った男を一瞬にして殺してみせたその手管はあまりにも鮮やかで、とてもダレット4番とは思えないものだったからだ。


「ううん、違うよ。そもそもボク、剣奴じゃないし」


 元アレフの問いに、女はあっさりと首を横に振る。


「……元剣奴だと言っていなかったか?」


 そう尋ねつつも、元アレフは己の身の丈と同じ程の大きさの剣を背から抜いた。剣奴時代苦楽を共にし、あらゆる相手を切り裂いてきた相棒だ。


「剣奴とは言ってないよ。ボクは……」


 無造作に歩を進めてくる女に向かって、元アレフは剣を振り下ろした。振りかぶらず、そのまま刺し貫くかのような軌道で放たれる斬撃。初動の一切ないその一撃は、避けることも防ぐことも出来ない。


「ボクは、妹」


 だがその剣の腹を、女は無造作に空いた手のひらで押しやった。大して力も込めていないその腕に、しかし斬撃は完全に反らされて空を切る。同時に、女の放った刺突が元アレフの喉を突いた。


「アレフ兄ちゃんの、元妹だよ」


 首元から大量の血を吹き出しつつ倒れる巨体に、女はにこやかにそう告げる。


「さて、と」


 三つの死体が転がるダンジョンの奥底で、彼女は準備運動を終えたかのようにぐっと身体を伸ばし。


「待っててねお兄ちゃん。今いくよ」


 酷く嬉しそうに、そう呟いた。

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