第21話 蜥蜴人の戦士、ゼロ
たった一匹の
しかしその場にいた誰もが、まるで蛇に睨まれた蛙のように動けないでいた。
今まで戦ってきた
そんな特徴が気にならない程の、圧倒的な生物としての格が、その個体にはあった。
「ぎぃぃっ!」
意外にも、真っ先に我に返り行動したのはギィであった。弱者である彼女は、強者と出会うことに慣れている。そして驚き竦めば待ち受けているのは死だ。それ故の反応だったのかも知れない。
しかし、
「ぎっぎぃ!」
慌てて逃げ出すギィ本体を追うように、
「今じゃ!」
同時に、ヘレヴは立ち並んだ木々に斧を入れる。巨木が
「なんじゃと……!?」
だが、
「なら……これでどう!?」
あっさりとトラバサミも破壊し、傷を負った様子もなく歩を進める
「やった……!」
ナイは快哉を叫んだが、
ナイの立つ家のすぐ目の前まで。
「あ……ああ……」
殺される。
ナイはそう直感し、その場に崩れ落ちそうになる。
──アレフが寝ている部屋へと。
そう気づいた時、ナイは己の褐色の脚を殴りつけていた。震えは止まらなかったが、しかしそれでなんとか立ち上がることができる。そして、神速の速射で
だがそれも、
「待てよ」
低い声が家の中から響き、
「俺が、相手になる」
「アレフ!」
半日は寝ているはずの男が、そこに立っていた。
「ギィ。ナイ。ヘレヴ。ありがとうな。よく、頑張ってくれた」
アレフは作ってもらったばかりの鞘から、すらりと剣を引き抜く。それは、目の前の
「おかげで、絶好調だ」
アレフの言葉は、虚勢ではなかった。ナイたちが稼いだ時間はほんの僅かに数時間。
しかしそれで十分に、彼の身体は回復している。全身に塗ってくれた傷薬の効果もあったのだろう。だがそれ以上に──
「さあ、やろうぜ」
強敵の登場に、彼の肉体は歓喜に震えていた。
「……お前は
突然、
「ワタシは、ゼロと呼ばれている」
そう名乗った
「短くていい名前だな」
軽口で応じ、アレフもまた剣を構えてみせた。
そして次の瞬間、ゼロは弾かれたようにアレフに迫っていた。突き出される槍の一撃は、
アレフは剣を下に向け、その一撃を左に逸らしながら右前方へと一歩踏み出した。槍の長所はその長さにあるが、欠点もまたその長さにある。至近に近づかれ柄を掴まれれば打つ手を失ってしまう。
だが、柄を掴もうとしたアレフの左手は空を切った。彼が掴むよりも早く、槍が引き戻されたからだ。あれ程の前傾姿勢で突進しながら、一体どうやって槍を止めたというのか。驚くアレフの視界に、ゼロの尻尾が映った。
太い尾を地面に押し付けることによって、ブレーキをかけたのだ。普通の
すかさず繰り出される二の突きを、今度は逆に左側へと踏み出しながら右へいなす。そしてそのまま手首をくるりと返し、
切っ先が僅かにゼロの鼻先を掠め、次の瞬間には間合いの外へと離脱している。
尾をバネのように使い、後ろへと跳んだのだ。
「……く」
切り裂かれた鼻先を長い舌でぺろりと舐め、ゼロは喉の奥からくぐもった音を出す。
「は」
それに答えるようにして、アレフも声を上げ。
「く、くくく。くくくく……」
「ははははははははははは!」
そしてそれは、二つの笑い声と変化した。
「素晴らしい。素晴らしいぞ、アレフ。貴様こそワタシの求めていた相手だ」
「参ったな。お前さん程強い奴がこの迷宮にいるとは思ってなかったぜ」
ゼロは、他の
「……仕方ねえな」
そう呟いて、アレフは剣から片手を離す。
「? 何のつもりだ?」
そして手のひらを向けるアレフに、ゼロは訝しげに尋ねた。それはまるで、降参を示す仕草のように見えたからだ。
「本気を、出すのさ」
アレフがそう答えた瞬間、ゼロは弾かれたように動いていた。
降参などとはとんでもない。
──あれは、戦うための構えだ。
尾で地面を弾き、ぐるりと身体を回しながら槍を下からねじりあげるように振るう。アレフからは見えない位置で溜めた尾の力は二本の脚にも勝る速度で、しかし予備動作は微塵もない。避けることも防ぐことも不可能な一撃が、旋風のようにアレフを襲い──
次の瞬間、ゼロは地面を転がっていた。
「な……!?」
一体何が起こったのかわからなかった。全く衝撃がなかったのだ。
槍でアレフを打った手応えは勿論のこと、自分が地面を転がるに至った打撃でさえ。
斬られたわけではないのは、傷一つない己の体を見れば明らかだ。だがしかし、拳にしろ蹴りにしろ打撃を食らったような感覚もない。痛むのはただ、打ち付けた背中だけだ。
「俺の師匠だった人は妙に博識な人でな」
独特の呼吸音とともに息を吐き出しながら、アレフは語る。
「剣以外にもいろんな事を教わったもんさ。魔物の知識や食べられる草花の種類、獣の解体の仕方、そして──」
その外見に一切の変化はない。
「徒手と剣を組み合わせて使う、どこにあるんだかもわからない遠い異国の武術もな」
まるで、何倍もの体躯を持った巨人に対峙しているかのような重圧を、ゼロは感じ取っていた。
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