第22話 異国の武術

 蜥蜴人リザードマンというのは例外なく、生まれついての戦士であり、生粋の狩人である。雄も雌も区別なく槍を取り、獲物を狩ることによって生きる。


 それ故に雌の妊娠期間は極めて短く、僅か一週間程度で一度に二十個前後の卵を生む。卵自体もほんの数日で孵化し、手のひらに乗ってしまうほどの小さな赤ん坊は、大人に成長する頃には数匹にまでその数を減じてしまう。


 同じ親から生まれた兄弟たちはチームを組んで狩りを行い、互いを孵化した順の数字で呼び合う。血の繋がりに束ねられた彼らの連携は極めて卓越したもので、仲間が一人襲われれば血族全員で報復する程にその結束は固い。


 そんな中、ゼロはただ一人特異な個体として生まれた。


 その卵は一週間経っても孵らず、二週間経っても、一ヶ月が経っても、季節が春から夏になっても孵化しなかった。卵のまま死んでしまったのだろうと捨て置かれたゼロは、しかし一年の時を経て生まれた。


 その時にはもう、ゼロの兄姉は一匹も残っていなかった。だから、ゼロだ。


 生まれるのが遅かった上に兄弟もおらずただ一匹で狩りをしなければならないゼロは、すぐ死んでしまうだろうと思われていた。


 しかし蜥蜴人リザードマンたちの予想に反してゼロはたった一匹で生き延びてきた。他の蜥蜴人リザードマンより遥かに優れた体躯と、高い知性を併せ持っていたからだ。


 だが、ゼロは常に孤独だった。その突出した強さ故に、他の同族たちとは連携が上手くいかない。ゼロについてこれる蜥蜴人リザードマンは存在せず、ゼロもまた他の蜥蜴人リザードマンたちに動きを合わせることを厭うた。


 そうしようとすれば、どうしても手を抜き加減しなければならないからだ。一人きりで狩りをした方が、よほど早く効率的に獲物を狩れる。


 そうして足並みをそろえないゼロを、蜥蜴人リザードマンたちは敬意を払いながらも畏怖し敬遠した。同じ姿をしながらもまるで中身の異なるゼロを気味悪く思っていたのだ。


 ゼロは己の力を持て余しながら、蜥蜴人リザードマンの手に負えない獲物を狩り、日々を暮らしていた。


 ──今日、この日までは。


「そら、まだやれんだろ?」

「く、く……勿論、だ……」


 ゼロは鉄槍を拾い上げ、ゆっくりと立ち上がる。初めて全力を出せる喜びに体が震え、力が湧き出すような気分だった。


「シャァッ!」


 ゼロは槍を上段に構え、裂帛の気合とともに振り下ろす。大猪を頭蓋骨ごと真っ二つに切り裂いた技。しかしやはり、次の瞬間には地面を転がっていた。


 ──だが。


「見えた、ぞ……!」


 その動きの秘密を、ゼロは確かに見取った。アレフは剣の腹を用いてゼロの槍を逸らし、同時に掌底を叩き込んだのだ。


 逸らすと言っても、最初にアレフが突きを凌いでみせた、跳ね除けるような大仰な動きではない。舞い落ちる羽毛に手のひらを添わせるような、柔らかな動き。槍を手にしたゼロが感じないほどの、ほんの僅かに軌道を逸らすだけのものだ。


 しかしその僅かな隙間にアレフはその巨体をするりと滑り込ませ、同時に開いた腕で攻撃してきた。かわす動作と攻撃の動作は完全に一致していて、客観的に見ればゼロは突き出されたアレフの腕に自分から顎を突っ込んでいったような形になる。


 回転の一撃のときも原理は同じ。つまり、ゼロは自分で転んだのだ。痛みがないのも道理であった。


「ならば……これは、どうだ!」


 槍を短く持ち、鋭い突きを何度も見舞う。威力よりも速さと手数を重視した、細かい突き。


「な……!?」


 破壊の嵐とも言える無数の突きの中を、アレフはスタスタと歩み寄ってきた。全ての攻撃が、金属同士が触れ合う音すらなく逸らされて、ぬうとアレフの腕が伸びる。


「おおおおっ!」


 反射的に、ゼロは身体を半回転させてその尾を振り抜いた。たった一本で自重を支えられるほどの力を持つその尾の一撃は、巨木をもなぎ倒す威力がある。


「ぐあっ!」


 しかしそれも簡単に逸らされて、更に勢いをつけられ、ゼロは地面を転がった。


「やはり……やはり、そうか」


 ゼロはゆっくりと上半身を起こし、憎々しげにアレフを睨みつける。


「貴様……手を、抜いているな!?」


 アレフの技は、掌底を放ったり地面に転がしたりする事がその本質ではない。むしろ逆だ。本来は、拳で攻撃を逸らし、剣で一撃を加える技だ。アレフがその気になれば、ゼロは既に死んでいる。


「手を抜いてる、ってわけじゃないんだけどな……」


 アレフは困ったように、頭をかいた。


「いいや、良い。ワタシのせいだ。貴様に本気を出させることのできない、ワタシのせいだ」


 ゼロは生まれて初めて、己の弱さを悔やんだ。初めて全力を出すに足りる相手に出会えたというのに、相手はまるで本気ではないのだ。


 もっと力がほしい。強くなりたい、と初めて願う。心の奥底から炎が湧き上がるような、怒りにも似た強い思い。


「いや、単に俺は……」

「おおおおっ!」


 何事か言いかけるアレフの言葉を遮るように、ゼロは突きを放つ。これ以上、自分の弱さを指摘されたくはなかった。


 怒りに任せた、単純な突きだ。先ほどと同じようにアレフはそれを逸らしながら、掌底を放つ。


「なっ……!?」


 だがそれを、ゼロは耐えた。技でも何でもない。そもそも師もなく一人で戦ってきたゼロに、高度な技など使えない。ただ単に、脚と尾に力を込めて力づくで踏ん張っただけだ。


 しかしゼロが吹き飛ばなければ、打撃の反動をアレフも受ける。それはダメージになるほどのものではないが、どうしたって動きは一瞬止まる。その一瞬で一撃を入れるには、槍は長すぎて間に合わない。


 ゼロは殆ど無意識に片手を槍から離し、左手を突き出した。


「うおっ!」


 アレフは大きく飛び退り、辛うじてその一撃をかわす。革の服の胸元がざっくりと裂け、浅く切れた傷口から血が滲んだ。まるで、剣で斬られたような傷。


「……なんだあ、そりゃあ」


 ゼロの爪が、まるで槍のように長く伸びていた。


「シャァァッ!」


 目を見開くアレフに、ゼロは疾駆する。右手一本で両手で振るっていたのと同じ──いや、それにも増した鋭さで、ゼロは槍を振るった。


「おい、おい……!」


 槍と爪。左右から連続して繰り出される刺突をいなしながら、アレフは数歩後ろに下がる。左右同時の突き。それを腕と剣で反らし。


「お前、それ、どうなってやがんだよ」


 蹴りが顎に入った。大きくのけぞるゼロの頭が、急に重さを増す。


「お前──!」


 そして、頭から生えだした角を、アレフに向けて振り下ろした。


「おい、待て、待てって!」


 ぶんと重い風切り音を立てて空を切り裂く角をかわし、アレフは更に下がる。


「シィィッ!」


 剣を跳ね上げ、短く持った槍を突き出す。更に一歩踏み出し、左の貫手。蹴り。角の振り下ろし。尾の一撃。


 そのことごとくを、アレフは逸らし、さばいていく。


「これでもまだ──」


 跳躍。


「足りないかっ!」


 ゼロは残る一本の脚を振り回し、蹴りを放つ。それはアレフの胸を捉え、吹き飛ばした。


「ま、待てっ!」

「今更興ざめさせてくれるな、アレフ!」


 好機とばかりに畳み掛けるゼロから、アレフは大きく距離を取る。


「違う! お前、わかってんのか、それ!?」


 身体が羽のように軽い。今なら何でもできそうな、そんな全能感をゼロは感じていた。


「お前、羽生えてるぞ!?」

「……は?」


 何を馬鹿な事を。そう言おうとして、ゼロははたと気づく。


 アレフの身体を眼下に見下ろしていること。


 己の身体が、空中に浮かんでいることを。


「知った──ことかぁっ!」


 だが、どうでもよかった。そのままゼロは急降下し、アレフに身体ごと突進する。


「そうか、よっ!」


 全身の体重を用いた落下攻撃は、流石に逸らして何とかなるようなものではない。ましてや今のゼロは爪と角で武装した全身凶器だ。槍の一撃を逸らしても連続して別の攻撃が来る。もともと徒手と剣の合わせ技は、武器を使う人間相手を想定した武術だ。今のゼロはむしろ獣に近い。


「おおおっ……らぁっ!」


 だからアレフは剣を捨て、両手でゼロの身体を受け止めて、そのまま投げ飛ばした。


「ふざけるな……! 本気を、出せぇっ!」


 ゼロはそのまま空中で体勢を立て直し、着地すると同時に突進する。既に槍は手放し、両手の爪が長く伸びていた。


「うるせえ、とっくに本気だっての!」


 アレフの言葉は嘘ではない。事実、ゼロの猛攻には殆ど防御で手一杯になっていて、反撃する余地がなかった。


「お前こそ、なあ……!」


 ──さっきまでは。


 固く握りしめた拳を、アレフは思い切り振り抜く。それは突進してきたゼロの眉間を見事に打ち抜き、弾き飛ばした。


「妙な力に振り回されてんじゃねえ!」


 確かに、全身を凶器に変貌させたゼロは強い。筋力も反応速度も全てが上がっている。


「……さっきまでより弱くなってるぜ、お前」


 だが槍さえ捨て本能のままに戦うその動きには、最初にゼロが見せた武というものがなかった。ただの暴力であれば、たとえ力が倍となっても怖くはない。


 ゼロ自身が、もっと大きく、もっと強い獣を技によって狩ってきたのだから。


「あ……あ……」


 ゼロは地面に転がったまま、長い爪の生えた己の手を見た。長い時間、槍を振るい、研鑽を積んできた己の腕。この爪では、もはや槍を持つことはできないだろう。


「ま、爪くらい切りゃなんとかなるだろ。……その角と翼は、切るってわけにはいかないだろうけどよ」


 完全に戦意を喪失したらしいゼロに、アレフは語りかける。


「なぜ……ワタシを、殺さない」

「始まったが最後、どっちかが死ぬまで……って戦いには飽き飽きしてんだよ。それに」


 大地に伏したまま問うゼロに、アレフは頭をかきながら答え。


「生かしといたらお前さん、もっと強くなるだろ。そっちの方が何回も戦えて楽しいじゃねえか」


 ニッと笑ってみせる彼に、ゼロはつられたように笑みを見せた。


「……なるほど。確かにそうだな」


 その、瞬間。


「っ!」


 急にアレフは飛び出し、ゼロに覆いかぶさるようにして迫った。


「な、何だ!?」


 彼の突然の行動に、ゼロは驚き目を剥く。しかしすぐに嗅ぎなれた匂いを感じて、その瞳を鋭く細めた。


「き、貴様……!」


 ゼロが感じたのは鉄錆の匂い。血の匂いだ。


「なぜ、ワタシを庇った!?」


 アレフの背中には、三本の投槍が突き刺さっていた。

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