第20話 妖精の魔法

 ──魔法。

 妖精たちが扱う、人知を超えた不可思議な能力をそう呼ぶ。


 ナイが一瞬にして草木を生やすことができるのも、ヘレヴが自在に鋼を造り上げるのも、ギィが一晩にして布を編み上げるのも、全て魔法の一種だ。


 妖精たちは必ず何らかの魔法を持ち、魔法を使えるからこそ妖精と呼ばれる。


 しかし彼ら自身、なぜそんなものが使えるのかはわかっていない。妖精にとって魔法とは生まれたときから己に備わっている能力であり、呼吸とまでは言わないまでも歩いたり走ったりするのと同じくらいに自然なことだからだ。


 故に彼らの感覚で言えば、自分は魔法を使えると言うよりも、できて当たり前のことが自分以外にはできないというのが正確なところだった。


 よって、妖精というのはどの種も基本的に極めて排他的だ。可能なことと不可能なことが共通する同族同士で暮らすことを好み、他種族と交わることは殆どない。


 ──だからこそ、知られていないことがあった。


「……来たわ」


 メキメキと音を立てて折れる入り口の木に、ナイは表情を引き締める。


「手筈通りいくわよ」

「ぎっ!」

「うむ」


 三人の妖精たちは互いに頷きあって、持ち場へと急ぐ。


 そして、蜥蜴人リザードマンたちがなだれ込んできた。


「ナンダ……?」


 昨日までとはまるで違う光景に、蜥蜴人リザードマンは怪訝な声を上げる。広場の中にはまるで家までの道を作るように、木々が左右に立ち並んでいた。


 このような地形の場合、警戒すべきは伏兵による奇襲だ。しかし立ち並んだ木々はぎっしりと密集しており、とてもその間を通れそうには見えなかった。


「これでも喰らいなさいっ!」


 これまでとは異なる様相の迎撃体制に警戒する蜥蜴人リザードマンたちに、ナイの放った矢が飛んだ。蜥蜴人リザードマンは難なくそれを盾で防ぐが、分厚い木製の盾を貫通した矢に目を剥いた。


 飛んできたのは柄から先端まで全てが鉄で出来た、ヘレヴお手製の貫通力の高いものだったからだ。これは盾で防ぐには限界がある。蜥蜴人リザードマンたちは盾を構え、ナイの方に向かって突進した。


 当然のこと、腕で投げる槍と弓で放つ矢では、射程距離は大きく差がある。オマケにナイは家の屋根の上に陣取っていた。かなり近づかなければ、そこまでは投槍も届かない。


 しかし蜥蜴人リザードマンの脚力ならば、ナイが二射目に移る前に十分な射程距離まで近づくことができると踏んでの判断であった。


「グアッ!」

「ガッ!」


 だが十数歩踏み込んだところで、前衛の蜥蜴人リザードマンが突然うめき声をあげて歩みを止める。


 その足には、ギィが仕掛けた罠。トラバサミが、ガッチリと足を挟んでいた。


「コシャク……ナッ!」


 罠を外そうとする蜥蜴人リザードマンに、ナイの矢が放たれる。彼らの手にした投槍には金属製の罠を粉砕できるほどの威力はなく、盾を手放しては矢を防ぐことができない。


「タス……ケロ……!」


 前衛がそう要請するまでもなく、後ろに控えた蜥蜴人リザードマンたちが走り出していた。盾を構えて前衛の前に出て、彼らを矢から守る。その隙に前衛はしゃがみこんで己の罠を力づくで外した。両手が使えるのならば、そのくらいの事はやってのける膂力が備わっている。


 だがその瞬間、轟音とともに彼らの背後に生えていた木々が倒れた。倒れ、入り口を塞いだ木々の根本から、一人の鉱精ドワーフがぬうと姿を現す。


 顔は見えないし、種族としての特徴である髭や長い腕が確認できるわけでもない。だがそれは、間違いなく鉱精ドワーフであった。


 ──他に、板金鎧で全身を包み、巨大な盾と大斧を担いで、軽々と歩けるような種族はいないからだ。


 蜥蜴人リザードマンたちは瞬時に判断する。恐らく前方は罠だらけだ。走って進むことはできない。だが後方ならば安全は確保されているし、何より相手は重装備とは言えたった一人、手の届く場所にいる。


 矢での援護は厄介だが、鉄の矢は重い分速度は低い。離れた場所であれば避けることも可能なはずだ。


 前衛の蜥蜴人リザードマンたちは反転すると、鎧に身を包んだヘレヴに襲いかかった。


「ヨン、ミギッ!」


 同時に後衛はナイに睨みを効かせ、狙われているものに警告する。ナイに狙われた蜥蜴人リザードマンは後ろを振り返ることすらなく、右に飛んで矢をかわした。


「ぬぅんっ!」


 ヘレヴが大斧を振り抜くが、その動きはたやすくかわされる。そして振り切って動きの止まった斧に、蜥蜴人リザードマンが一匹しがみついた。


「ロク、ゴ、イケッ!」


 そして残りの二匹がヘレヴ自身に組み付く。彼らの槍では鎧を貫けないが、ならばこうして組み付いてしまえばいい。

 全身を大層な鎧で覆ってはいるが、ヘレヴは戦士としては並以下。素人であることを蜥蜴人リザードマンたちは見抜いていた。


「ぐっ!?」


 しかしその時、蜥蜴人リザードマンの後頭部に鈍い痛みが走った。矢ではない。鉄の矢を頭に喰らえば流石に鱗に覆われた彼らと言えど無事では済まない。


「ぎぃっ!」「ぎぃっ!」「ぎぃっ!」「ぎぃっ!」「ぎぃっ!」「ぎぃっ!」


 では何が……と振り向く彼らの目に映ったのは、無数の小鬼ゴブリンであった。皆白い髪に赤い瞳、手には石を握りしめていて、こちらへと投擲してくる。一つ一つは大した威力もない投石であったが、こうも大量に投げられては脅威となった。


「ナンダ、コノカズハ! テイサツカラハ、キイテナイゾ!」


 情報にないギィの魔法に、蜥蜴人リザードマンたちは浮足立つ。


「よそ見は……危険、じゃぞっ!」


 そこへ、盾を構えたヘレヴが突進した。全身鉄の塊となった彼女の突進は、アレフの金鎚の一撃にも勝るほどの威力を誇る。それを背後からまともに食らって、蜥蜴人リザードマンは木に叩きつけられ、動かなくなる。


「ウロタエルナ! エンジンヲクメ!」


 残った蜥蜴人リザードマンは素早く円陣を組み、盾を構えて互いを守った。


「フミツブセ! シロイヤツノバショニ、ワナハナイ!」


 隊長格の一匹の号令に、蜥蜴人リザードマンはギィの分身を蹴りつけ進む。

『石を投げる』という単純作業を繰り返していたギィの分身は、その蹴りを避けることすら出来ずに消滅した。


「イクゾ! マズハ、アノ森精エルフカラ、チマツリダ!」


 そう進まれては、鉱精ドワーフ蜥蜴人リザードマンを追うことはできない。自分もトラバサミに引っかかってしまうからだ。投石はしっかり盾を構えていれば驚異にはならない。だからまずは、矢を放ってくる森精エルフだ。


「──かかったわね」


 後方をヘレヴに、前方を罠に塞がれ、矢を射掛けられ、ギィに石を投げられ。


 そこまで追い詰めてようやく、蜥蜴人リザードマンたちは警戒心を捨てた。ギィの分身が立っている場所ならば、罠はないと確信して。


 だがそれは逆だ。ギィの立ち位置こそ、ナイが追い込みたかった場所。罠を仕込み、敵全員同時に立っていて欲しかった場所だ。


「これで、終わりよ!」


 ナイが言うと同時に、蜥蜴人リザードマンたちの足元から急速に木々が生えだし、成長する。それはあっという間に数メートルの高さまで育つと、蜥蜴人リザードマンたちを高々と空中に打ち上げた。


「はぁ……はぁ……はぁ……やった、の……?」


 肩で荒く息をしながら、ナイは呟く。


「……うむ。完全に気絶しておる」


 地面に叩きつけられ、ぴくりともしない蜥蜴人リザードマンたちを斧の先でつつきながら、ヘレヴは言った。


「よかったぁ……」


 ナイは脱力して、その場にへなへなと座り込む。自分たちの力だけで蜥蜴人リザードマンを撃退できたこと。


 ──そして、蜥蜴人リザードマンを殺さずに済んだことに。


 野蛮とは言え、言葉をかわせる生き物を殺して平気なほど、ナイの性根は座っていない。それに、彼らの仲間意識は極めて高い。殺してしまえば蜥蜴人リザードマンたちはそれこそ死にものぐるいでこちらを攻撃してくるだろう。

 逆に生かしておけば人質に取ることもできる。


「ぎっぎぃ!」


 ギィが麻で作った縄を取り出して、気絶した蜥蜴人リザードマンたちを縛り付ける。一匹も逃していないから、こちらの手口は殆どバレていないはずだ。


 妖精の魔法は、同じ種族でもない限りその詳細を殆ど知られていない。ましてや複数種の妖精が力を合わせて魔法を行使した時にどんな事ができるかなど、妖精たち本人すら知らないのだ。


 生活を共にし、密着して暮らしてきたナイたち三人だからこそ、出来た技だ。 その戦い方を予測することは極めて困難。同じ方法で何度か撃退することができるはず。


 十二時間……いや、せめて八時間、凌ぐことが出来ればナイたちの勝ちだ。アレフの睡眠時間を稼ぐことができる。


 ──その時の、事だった。


 入り口を塞いでいた倒木が、突然爆発した。


 一体何が起こったのかと目を剥くナイたちの前に、ぬうと一匹の蜥蜴人リザードマンが姿を表す。一般的な蜥蜴人リザードマンはせいぜい150センチ程度。だがその蜥蜴人リザードマンは、2メートル近い体躯を持っていた。


 柄まで全て鉄でできた長槍を手に、その蜥蜴人リザードマンは無言でナイを見上げる。


 途端、ナイの身体はガタガタと震え始めた。


 ──勝てない。


 一瞥されただけで、ナイはそれを悟ってしまった。

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