第19話 森妖精の粉薬

「くそっ、またか……!」


 入り口に生えた木を破壊する物音に、アレフはがばりと起き上がる。


 アレフが叩きのめして以来、蜥蜴人リザードマンたちは散発的に襲ってくるようになった。特に眠りにつく夜を狙って襲撃し、こちらの休養を妨害してくる。狙いは明白だった。数を頼んでアレフを休ませず、弱らせようとしているのだ。


「アレフ、あんた、血が出てるじゃない!」


 蜥蜴人リザードマンを撃退したアレフの肩に傷を見つけて、ナイは悲鳴のような声を上げた。


「ああ、こんなのは掠り傷だ。ツバでもつけときゃ治る」


 そうは言うが、アレフが蜥蜴人リザードマンとの戦いで傷を負ったのはそれが初めてだった。彼の動きが鈍ってきている証拠だ。


 そして同時に、蜥蜴人リザードマンたちの動きはどんどん良くなっていっていた。明らかにアレフの戦いに順応してきている。


「それより、しっかり隠れてろ。あいつら結構やるぞ」


 蜥蜴人リザードマンたちの戦い方は、極めて巧妙なものだった。常に前衛と後衛に分かれ、前衛を攻撃した隙を後衛が突いてくる。そしてナイたちが戦いの場にいれば、躊躇なくそちらを狙ってきた。


 前衛に盾で押さえつけられ、槍を投げられてはアレフも庇いようがない。


 鉱精ドワーフたちに対してやったように巨木を武器に使おうとすれば、彼らはすぐさま距離をとって散開し、木の届かない場所から槍を投げてくる。


 知能が低いなどとはとんでもない。戦い……それも一対一のそれではなく、戦争と呼んでいい規模の大きい戦いにおいては、蜥蜴人リザードマンたちは間違いなく妙手であった。


「強いだけでは生き残れない……か」


 鉱精ドワーフ王、ミョズヴィトニルから送られた忠告をアレフは今になって噛み締めた。あれは、こういうことだったのだ。


「そうだ。鉱精ドワーフたちに助けを求めたらどうかしら? 彼らだって私達の水や木材がなくなったら困るはずよ」

「駄目だ」


 ナイの提案に、アレフはすぐさま首を横に振る。


「自分たちの住処を自分で守れないものなんて、対等には扱われない。そんな借りを作れば、俺達は鉱精ドワーフに従わなければならなくなる」


 だからこそ、ミョズヴィトニルはあんな事をアレフに言ったのだろう。気に入ったという言葉に裏はなく、せめてもの助言だ。


 だが王としての判断は、好悪の情など考慮されずに下される。もし今アレフが助けを求めれば、彼は間違いなく一方的な条件を突きつけてくるだろう。


「そうは言うが、旦那様。このままでは……」

「なあに、あいつら全員、戦えなくなるくらい叩きのめせばいいだけさ。何匹いるか知らないが、あいつらの数が尽きるか、俺の体力が尽きるか根比べだ」


 そう、アレフは嘯いて。






 そして、殆ど休むことも出来ぬままに、三日が経った。

 蜥蜴人リザードマンたちの攻撃はますます苛烈になり、頻繁に襲撃が繰り返される。トカゲの顔の区別などつかないから、一度撃退した個体が回復してまた出てきているのか、それとも別の個体がどんどん出てきているのか、判別はできない。


 もし前者であれば、そもそもアレフの狙いは成り立たないのだ。


 そうでないとしても──食料が、持たない。

 アレフが狩ってきた大猪カリュドーンの肉は、食べきってしまった。蜥蜴人リザードマンたちが襲ってくるこの状況では、狩りに行くこともできない。


 緊急用の干し肉はいくらか備蓄してあるものの、やはり新鮮な肉に比べれば食べにくく、味も悪いし栄養価も低い。連戦で消耗されていくアレフの体力を補えるようなものではなかった。


「はあ、はあ、はあ……」


 アレフが、肩で息をしながら撤退していく蜥蜴人リザードマンたちを見やる。

 当初の戦いと違って彼はもはや、敵を殺さないだけの手加減をしていなかった。そもそも、疲れ果てた身体ではそれだけの力を出せないのだ。


 蜥蜴人リザードマンたちは完全に持久戦の構えで、防御を最大限に重視し、少しでも負傷すればすぐに撤退する。アレフを休ませないためだけに襲撃するふりをして、すぐに逃げていくことさえある。


 そんな状況ではトドメを刺すほどの余力は、もはやアレフには残っていなかった。


「アレフ。少しでも休んで」

「……いや……」


 広場の入口を睨みつけたまま、座ろうとすらしないアレフに、ナイは悟る。


 もはや彼には一度座り込めば、起き上がる力すら残されていないのだ。


「……アレフ」


 ナイは薬草を幾つか口に含み、噛みしだいて混ぜ合わせると、アレフの名を呼んで彼の首に腕を回す。


「なん、だ……ん……っ」


 そしてその唇に口をつけ、口内の薬草を舌で押し込んだ。


「お前……何、を……」

「ギィ、お願い!」


 ふらりと身体を大きく揺らすアレフを突き飛ばすように押して、ナイは叫ぶ。すかさず、ギィが布を張った木の板をアレフの下に敷いた。そこにアレフはどうと倒れ、意識を失う。


「睡眠剤よ。これで、半日は起きないはず」


 寝息を立てるアレフを見下ろし、ナイは腕で唇を拭いながら言った。


「……やるんじゃな」

「ええ」


 それは、三人で話し合っていたことだった。いよいよアレフが限界となれば、他の三人で戦うしかない。


 ナイはひたすら森に篭もり、弓矢で敵を追い払い、かなわない相手は『避けられぬ死』と名付けた大水蛇サーペントの元へと送ってきた。

 ヘレヴは鉱精ドワーフたちの支配する国の端、庇護を間借りするような形でひっそりと暮らしていた。

 ギィは敵からは逃げ隠れし、罠を巧妙に使って難を逃れ、昆虫や小動物を喰らい泥水をすすって生きてきた。


 今までアレフと違い、まともな戦いなどこなしたことのない三人だ。

 種族全体が狩人であり戦士である蜥蜴人リザードマンと戦うことなど、とても出来そうにない。


 ──それでも。彼女たちは、既に戦うことを決めていた。


 生まれて初めて手に入れた帰るべき家を。

 生まれて初めて手に入れた家族を、守るために。


「よし。旦那様は家に入れたぞ」


 ギィがアレフの下に敷いたのは、ヘレヴが作った簡易的な台車だ。車輪のついたそれを引けば、ヘレヴの力でもアレフの体を運ぶことができる。


「……やるわよ」

「ぎっ!」

「うむ」


 弓矢。短刀。大槌。

 三者三様、思い思いの武器を手に取り、少女たちは決意した。


 十二時間、自分たちの手でアレフを守り抜く事を。

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