第18話 蜥蜴人の襲撃

「く……そ……」


 アレフは歯を食いしばりながら、剣を支えにして立ち上がる。その息は荒く、身体のあちこちについた傷からは血が滲み、新調したばかりの服を赤く染めていた。


「アレフ!」

「心配すんな、これくらい大丈夫だ」


 ナイに答える彼の声は、今まで聞いた中で一番余裕のないものだった。


 傷はどれも小さく浅く、致命傷には程遠いものだ。だが、数が多い。血が流ればその分体力も失われていく。


「うおおおっ……らぁっ!」


 アレフが振り抜いたハンマーが、蜥蜴人リザードマンを纏めて三匹弾き飛ばし、壁に叩きつける。だがその隙に投擲された木製の槍が、アレフの太ももを軽く掠めていった。


「タフな奴らだぜ、本当に」


 弾き飛ばされた蜥蜴人リザードマンたちが、ムクリと起き上がる。一切の手加減などなしに振り抜いた、石壁さえ破壊する一撃である。まともに受ければ巨人すら殺すであろうその一撃を、しかし蜥蜴人リザードマンは耐えていた。


 まともに受けていないからだ。


 彼らは皆分厚い盾を構え、アレフの攻撃に合わせて後方に跳んでいる。恐るべき反射神経だが、しかしそれでも衝撃の全てを殺せるわけではない。


 だが、名前の通り蜥蜴のような鱗に覆われた彼らの皮膚は、それそのものが生半可な刃など通さない頑強な鎧であり、壁に叩きつけられてなお死なないだけの耐久力をも備えていた。


「さあ次、来やがれ!」


 叫ぶアレフに、蜥蜴人リザードマンたちは迅速な動作で怪我人を担ぎ上げ、牽制の槍を投げながら撤退していく。


「……いった、か……」


 それを見送り、アレフはどうとその場に倒れ伏した。


「アレフ!」


 血相を変え、ナイは彼に駆け寄る。


「心配ない。眠っておるだけじゃ」


 しかしすぐにいびきをかき始めた彼に、ヘレヴはほっと胸を撫で下ろした。


「そうは言ってもあんな場所じゃ……とりあえず、入り口を塞ぐわね。ヘレヴ、運べる?」

「ううむ。ちょっと難しそうじゃの……起こしても悪いしの」


 家の前、剥き出しの地面の上で眠るアレフをみやり、ヘレヴ。剛力で知られる鉱精ドワーフと言えど、彼の巨体を一人でベッドまで運ぶのは不可能だった。


「ぎぃ……」


 ギィがアレフの横に座り込み、その顔を心配そうに覗き込む。


「時間がないわ。今のうちに、手分けして薬を塗りましょう。気休め程度にしかならないけど……」


 広間の入り口を魔法で塞いだナイは、薬草を調合した塗り薬をヘレヴとギィに手渡した。炎症を抑え、切り傷によく効く灰の魔女直伝の傷薬である。


 しかしそれも、すぐに傷を塞いでしまう魔法の薬ではない。


 すぐに新しい傷が出来てしまうのでは、全く意味がなかった。


 薬を塗り終わるよりも前に、ドスン、と音がして、入り口を塞いだ木々が裂けていく。斧の刃がそれを切り裂いて、再び六匹の蜥蜴人リザードマンたちが広場に侵入してきた。


「下がってろ」


 途端にアレフはむくりと起き上がって、ハンマーを手に取りナイたちを背後に庇う。


「でも、アレフ!」

「大丈夫さ」


 アレフは口を笑みの形に歪め、駆け出した。


「おら、ちょっと寝たから元気いっぱいだぞ!」


 そんなわけがない。時間にして、五分と眠っていないのだ。


 アレフはもう、丸三日もろくに寝ていないというのに。


 どうしてこうなってしまったのか。ナイは、絶望的な気持ちでそう思わざるを得なかった。






 事の起こりは、三日前。

 ナイがアレフと共に狩りに出かけたときのことだった。


「当たるもんですか!」


 ナイは突進してくる大猪カリュドーンを跳躍して飛び越え、同時に身体を反転させて素早く矢を放った。体高がアレフの背丈ほどもあろうかという巨大な猪の毛皮は分厚く、ヘレヴに鉄の矢尻をつけてもらった矢さえ致命傷を与えるには至らない。


「そっち行ったわよ、アレフ!」

「任せとけ!」


 しかし、大猪カリュドーンが追い立てられたその先の曲がり角から、アレフがぬうっとその姿を現す。


「おらよっ、と!」


 そして巨大な鉄鎚を振りかぶると、思い切り大猪カリュドーンの鼻面に叩きつけた。どごん、と音がして、大猪カリュドーンは突っ伏すようにその場に倒れ伏し、動かなくなる。


「……相変わらずの馬鹿力ね……」


 鉄板のような強度を持つはずの頭蓋骨を陥没させて息を引き取る大猪カリュドーンに、ナイは呆れたものか驚いたものか悩んだ。


「よおし、これで今夜は猪鍋だな」

「それはいいけど、これ、運べるの?」


 なにせ四足で立ってもナイが見上げるほどの大きさを持つ巨獣である。体長で言えば四メートルは優に超えている。流石のアレフと言えども、持ち上げるのは難しいのではないか。


「うーん……運んで運べないことはねえけど、何かあった時に動けないからな」

「運べるの……」


 そう言えば鉱精ドワーフのしがみついた巨木も振り回してたっけ、とナイは今更になって思い出した。


「しゃあねえ、一旦戻って剣を持ってきて、切り分けて運ぶか」


 今度鞘と剣帯も作ってもらうか、とアレフは独りごちる。


「そういえば折角剣作ってもらったのに、そのハンマーばっかり使ってるわね」

「獣相手にはこっちの方が便利なんだよ」


 鉄鎚を軽々と肩に担いで歩きながら、アレフは言った。


「俺が習った剣の技はほとんどが対人用だしな。獣には技も何もなく、ぶっ叩いた方が早いのさ」


 強靭な筋肉と分厚い毛皮、堅固な骨を持つ猛獣は、下手に扱えば剣が刃こぼれするし、そうでなくとも血や脂ですぐに切れ味が鈍る。その点、鈍器は劣化が少なく、非常に便利だった。


「もしまたギメルのおっさんと戦うことがあれば、剣の方がいいけどな。ま、あれ程の実力を持った奴がこのダンジョンにそうゴロゴロいるわけじゃないだろ」


 ただ単に強い獣、という意味であればいるかもしれない。だが、戦士としての訓練を積んだ強者はダンジョンの中では希少な存在だ。


 そんな会話をしながら家に戻って剣を取り、ついでにヘレヴに鞘と剣帯の作成を頼んで大猪カリュドーンの死骸の場所へと戻る。


 多少ネズミに齧られたりはしているかも知れないが、あれほど大きな死骸をこの短時間でどうこうできるものはいないだろう。


 そんなナイの考えは、大猪カリュドーンの死骸を囲む生き物たちに覆された。


 それは、大雑把に言えば人に似ていたし、細かく言えば全く似ていなかった。二本の足で立ち、毛皮のようなものを身にまとい、槍を手にしている部分は人間と同様の知性を感じさせる。


 しかし、ワニのように長く伸びた口、緑色の鱗に覆われた肌、蛇のような長い尻尾は、人とは似ても似つかないものだった。


蜥蜴人リザードマンか……」


 呟きつつ、アレフはハンマーの柄に手をかける。ナイも名前だけは聞いたことがあった。直立したトカゲと呼ばれる、亜人の一種だ。妖精ではなく、獣人と呼ばれるカテゴリに属している。


 見た目ほどに知性の低い生き物ではないが、極めて好戦的で野蛮な種族であるとも。


「それは俺たちが仕留めた獲物だ。持っていかないでくれるか?」


 アレフの声掛けへの返答は、投槍であった。


「おいおい。言葉は通じるんだろ?」


 それを巨大な鉄鎚でたやすく撃ち落とし、アレフ。


「オマエ、ナワバリ、アラシタ」


 辿々しい口調で言い、蜥蜴人リザードマンはアレフを指差した。


「何だよ。お前たちもそんな事言うってのか」


 下らない話だ、とアレフは思う。

 ただでさえ壁で区切られたこの地下迷宮を、更に区切ろうというのか。


「かかってきな。お前たちも武器を持ってんなら、腐肉を漁るんじゃなく力で手に入れろよ」


 剣を床に突き刺し、鉄鎚を構えて、アレフ。


「剣は使わない……」


 勝負は、一瞬でついた。


「……の?」


 ナイがそう尋ね終える頃には、飛びかかってきた蜥蜴人リザードマンたちは全て地面に倒れ伏していたからだ。


「さて、そんじゃ猪を切り分けるか」


 失神した蜥蜴人リザードマンたちを適当に通路の隅に放り投げ、アレフは剣を引き抜く。


「ほんと、あんたって滅茶苦茶よね……」


 ため息をつきながら、ナイは解体を手伝う。

 剣を抜く必要すらない相手との、一瞬で片付けた戦い。


 ──だがそれが、長い長い戦いの始まりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る