第16話 迷宮鉄の風呂釜

「おおおおっ!」


 アレフが雄叫びをあげながら、鋼鉄のハンマーを振り下ろす。迷宮に甲高い金属音が鳴り響き、砕けた鉄片が辺りに散らばった。それを、へレヴとギィが拾い集めていく。


「……しかし、盲点としか言いようがなかったの」


 それは、誰もが目にしていた鉄材であった。しかしそれを採取すればいいと気づいたのはナイだけだ。あの強欲な鉱精ドワーフたちすら気づかなかったのだから、ダンジョンに住むものであれば誰もがそうなのだろう。


「まあ、気づいてもこれは普通取れねえ気もするけどな」


 そう言いながら、アレフは壁の中に収納されていく折れた刃の根本をみやった。


 ナイが言う『鉄』。それは、迷宮のいたる所に仕掛けられた罠に使われている、刃物のことであった。


 ダンジョンに住む者たちは基本的に皆、罠を避ける。それらは例外なく致死性のもので、仮にかわせたとしても大きな怪我を負えばそれは死を意味する。負傷したものが生きていくには、ダンジョンはあまりに過酷な環境だからだ。


 アレフでさえ、あまり罠には近寄りたくない。そんな意識が、罠を資材として見る目から遠ざけていた。ナイが気づいたのは、そもそもそれに近づく経験がなかったから。ずっと森の中に引きこもっていたからこそだろう。


「ぎっ、ぎぎー」


 彼らが罠を資材として扱えるのには、もう一つ理由がある。それはギィの存在だ。彼女は驚くほどに、迷宮の構造とそこに仕掛けられた罠について詳しい。


 たとえ罠の起動スイッチを発見したところで、普通はそれがどのような罠であるのかはわからない。押した途端に壁から槍が飛び出すかもしれないし、床に落とし穴が開くかもしれない。


 それら全てを警戒し、反応するのはアレフでも非常に神経を使うことだった。だから普通は罠がない事がはっきりしている道だけを歩くか、新しい道を歩くときは起動スイッチを慎重に探り、避けながら進むのである。


『ゆか』『やり』


 ギィは抱えた木片の中から二つを選び、アレフに示す。ギィは、あらゆるスイッチの場所と、それを踏めばどんな罠が起動するのかまでを熟知していた。


 ヘレヴが長い棒でスイッチを押すと、途端に床から無数の槍が飛び出す。その瞬間に、アレフはハンマーを横に薙ぎ払った。


「柄まで鉄製だったのか、この槍」


 粉々に砕け散る槍の柄を見て、嬉しい誤算にアレフは目を見開く。柄が何の素材でできているかすらわからない程の速さで、槍は飛び出し、そして収納されていくのだ。


「木ではすぐに朽ちてしまうからの」


 スイッチを踏まないように注意しながら、ヘレヴは鉄片を拾い集める。ナイが持たせてくれた麻の布袋は、そろそろ三枚目がいっぱいになろうとしていた。


「うむ。これだけあれば十分じゃろう。取りすぎたくらいじゃ」

「そんじゃあ、そろそろ帰るとするか。留守番のナイが寂しがってるかもしれないしな」

「ぎっ!」


 アレフが二つ、ヘレヴが一つ、鉄片の詰まった麻袋を持ち上げる。

 そのずっしりとした重みに、アレフは笑みを浮かべた。鉄が大量に手に入った事自体が嬉しかったのではない。


 ナイが気づき、ギィが案内し、アレフが壊し、ヘレヴが作り上げる。


 今まで一人で生き、ただひたすらに何かを壊すことしかできなかった彼が、こうして皆で協力して何かを作り出すことが、嬉しかったのだ。






「え? 俺が最初でいいのか?」


 材料さえあれば、鉱精ドワーフの名工の仕事は早かった。あっという間に風呂釜を作り上げ、余った鉄材で水道まで作ってしまった。わざわざ水場まで汲みにいかなくとも、ポンプを押せば鉄の配管を通して水を汲み上げられる。


「ええ、あんなに入りたがってたじゃない。いいわよ、先に入って」

「……そんなこと言って、実は怖いんじゃないか?」


 アレフの言葉に、ナイはぎくりと身体を震わせた。どうやら彼女は酷く保守的で、新しいものを怖がる傾向があることが、アレフにも薄々わかってきた。


「はあ!? べ、別に怖くなんかないし! ただの、ぬるいお湯でしょ!?」

「じゃあ先に入れよ。薪は俺が燃やしておくからさ」


 アレフの知る風呂というものは、温度を一定に保っておくために誰かが火の番をしておかなければならないものだった。自宅に浴室を持てるようなものであれば奴隷が、公共の浴場であれば専門の者が行う。


「別に一緒に入ればいいんじゃないかの? 焚き火と違って数時間であれば火の調整なんぞ要らんようにしたし、四人で入れるよう、大きさには余裕を持って設計したぞ」


 だがそこは火と鉄の申し子たる鉱精ドワーフの作りであった。アレフの大雑把な設計図をヘレヴは自分なりに噛み砕き、更に優れたものとして設計していた。


「な……一緒に!? 馬鹿じゃないの!?」

「なんでじゃ?」


 顔を真赤にするナイに、ヘレヴは首を傾げる。本来、鉱精ドワーフには性差というものが存在しない。故にナイが嫌がる理由が全くピンと来なかったのだ。


「ぎっぎぃ」


 痺れを切らしたのか、ギィはアレフとナイの腕をグイグイと引っ張る。


「そら。お父さんお母さんと一緒に入りたいと言ってるぞ」

「誰がお母さんですって!?」


 ナイの褐色の肌が、長い耳の先まで赤く染まった。


「ははは。ナイ、お前いつの間にか随分ギィに懐かれたんだな」

「言ってる場合!?」


 愉快そうに笑うアレフに、ナイは怒鳴って顔を近づける。


「わかってんの、あんた、このままじゃあんたも一緒にお風呂入ることになるのよ!?」

「ん? ああ、まあ、お前が嫌ならやめとくけどさ」


 不思議そうな表情で、アレフは答えた。


「別に俺は全然嫌じゃないからなあ」

「えっ……? そ、そうなの?」

「そりゃそうだろ」


 目を瞬かせるナイに、アレフの方が困惑する。

 彼は見られて困るようなものはなにもないが、ナイはそうではないだろうと思っていたからだ。


「……じゃ、じゃあ、いいかな……」


 だから、そんなことを言い出した彼女に、アレフはたいそう驚いたのだった。






 だが、そうではなかった。


「な、何よ……やっぱり変だって言うんでしょ」


 恥ずかしそうに身体を隠しながら怒ったように柳眉を逆立てるナイに、アレフははっと我に返る。


「い、いや、変なもんか」


 そして慌てて、湯船の中に身体を埋めた。無論、見られて困るようなものが発生したからである。


「別にいいわよ。お婆ちゃんに散々言われてちゃんとわかってるんだから」

「何の話だ?」


 膨れっ面のナイをなるべく直視しないように、アレフは問う。


「……こんな私の身体、醜いし気持ち悪いでしょ」

「は? 何いってんだ、めちゃくちゃ綺麗だし、気持ちよさそうだろうが」


 突拍子もない彼女の台詞に、そんな言葉が思わず口を突いて出た。


「え?」

「あ、いや……ともかく。他人に見せて恥じるような身体では断じてないと思うぞ、うん」


 咳払いを一つして、アレフは言う。


 均整の取れた体付きに、すらりと長い手足。出るべきところは出て、引っ込むべきところは折れそうに細い身体。森精エルフという種族はもともと人間から見れば美しく見える種族ではあったが、今まで幾人もの森精エルフを見てきたアレフの目から見ても、ナイの美貌はずば抜けていた。


 整いすぎているせいでどこか人形じみた光森精ライトエルフのそれとは違い、肉感的な人間らしさを伴った魅力。


「じゃあなんでこっち見ないのよ」


 それは直視するにはあまりにも眩しすぎた。


「……っていうかあんたはあんたで、凄い身体よね」


 ぐっと顔を近づけてきたナイは、アレフの肉体をまじまじと見つめた。彼女自身のそれとはまた違った意味での魅力を放つ、アレフの身体。鍛え上げられ、はちきれんばかりに膨れ上がった筋肉。


 そしてそこには、無数の傷跡がついていた。


「旦那様は、怪我などほとんどしたことがないかと思うておった」

「馬鹿言え、そんなわけあるか。死にかけた事だって一度や二度じゃないぞ」


 確かにそこについた傷の深さは、死んでもおかしくないようなものもいくつもある。そもそも鉱精ドワーフ王、ミョズヴィトニルと戦ったときの傷さえまだ癒えきってはいなかった。


「だってあんた、めちゃくちゃ強いじゃないの」

「別に生まれたときから強かったわけじゃないさ。こう見えてもガキの頃は、女に見間違えられるくらいの美少年だったんだぜ」


 その冗談を、笑うものはいなかった。彼は彼で、壮絶な人生を歩んできたのだという予感があったからだ。


「ねえ……あんたは、この迷宮に来るまでどんな風に生きてたの?」

「前も言ったけど、別に面白い話じゃないぞ」


 ナイの問いに答えるアレフの口調はあっさりしていて、話すのを嫌がっているわけではなく、純粋にそう思っているというだけという事を示していた。


「それでも、わしは……わしらは、聞きたい。旦那様にどうしてそんな傷がついたのか」


 いたわるような手付きで、そっとヘレヴが傷を撫でる。


「ぎ!」


 ギィの小さな身体が当たり前のようにアレフの膝に乗り、話を急かすように鳴いた。


「んじゃまあ、話すけどよ」


 そうしなければ理性が持ちそうにないしな。

 三種の肌色に包まれながら、アレフは内心でだけ、そう呟いた。

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