第15話 家精の魔法

「嘘、でしょ……?」


 それは、翌日の朝の事だった。手に入れたばかりの毛皮や麻の変わり果てた姿に、ナイは愕然とする。


「どうして……こんな」


 ヘレヴもまた膝をつき、呆然としていた。


「これは……凄いな」


 アレフさえ、その光景には言葉を失う。


「誰が……誰がこれをやったの!?」


 ナイは背後を振り返り、問うた。しかし実際には聞くまでもなかった。ただ、信じられない──信じたくなかっただけだ。


 広間の入り口はナイの魔法で封鎖されていて、そこを越えようとすれば必ず彼女は気づく。だから、外部のものの仕業ではない。そもそも、外部の存在にそんな事をする意味がない。


「ギィ……これ、あんたがやったの?」


 そして四人の中で唯一人……ギィだけが、その光景に驚いた様子を見せていなかった。


「ぎっ」


 果たして、彼女はコクリと首肯してみせる。


「ギィ、あんた……なんで、どうして」


 ナイは言葉さえ覚束ない様子で、彼女に問うた。


「どうやって……たった一晩で、こんな事をやったの!?」


 を指差して。


「ぎ? ぎーぎぎ……」


 ギィは木の板を取り出し、ガリガリと石で文字を書く。


「ぎ!」


 そして、『ナイ おしえた やりかた』と書かれたそれをナイに見せた。


「教えてないわよ!?」


 いや、確かにやり方は教えた。皮なめしも、麻糸績みも。けれどそれは、どちらも何日も何十日もかかるような、気の遠くなるような作業だ。けして一晩で出来るようなものではない。ないが、目の前には事実として処理の終わった革と糸があった。


 拾い上げ、触ってみてもその処理は完璧だ。ナイが教えた通りの方法で、なめされ、績まれている。このまますぐに服作りに入れる状態だった。


「……ああ、そうか。家精ホブゴブリンか」


 その時、アレフは昔聞いた話を思い出して、ぽんと手を叩いた。


「ホブ……?」

小鬼ゴブリンたちの祖先と言われる、善良な妖精のことだ」


 聞き慣れない名前に首を傾げるナイ。アレフはギィの頭にぽんと手を置いて説明した。


「なんでもこいつらは昔は家に付き、人の手助けをする妖精だったらしい」


 蔵いっぱいの麦を一晩で脱穀してくれたとか、山のような木を割って薪にしてくれたとか、家中の洗い物を洗ってくれたとか、そんな逸話が残っている。


「だからこれは多分……ギィの、魔法だ」


 共通するのは、単純作業であること。そして、量が膨大であることだ。


 思い返せば初めて出会った時、ギィはアレフが寝ているうちに見事な籠を編んでみせたのだった。幾ら疲れていたとは言え、硬い床の上、いつ襲われるとも知れないダンジョンの中で、そう何時間も寝ていたわけはないだろう。時間を計るすべはないが、精々が数十分。


 今にして思えば、小さなギィが蔓を編んで籠を作り、アレフの胸の上で眠りこけるには、あまりに短い時間だった。


「そう、なんだ……」


 偉業という他ないギィの成果。大幅に短縮された服作りの工程に、何故かナイは顔を引き攣らせた。


「ぎっ!」


 ギィは嬉しそうに笑い、木の板を掲げる。

 そこには、『つぎ ナイ やる』と書かれていた。


「待って……機織りも皮を縫い合わせるのも、単純作業じゃない?」


 出来るわよね? といいたげに、ナイはギィに視線を向ける。


「そりゃあ無理だ」

「なんで!?」


 しかしあっさりと否定するアレフに、ナイは悲鳴のような声を上げた。


家精ホブゴブリンには絶対にできないことがある。それが、服を作ることだ」

「だって……簡単よ? やり方教えてあげるから」


 裁断した革を縫い合わせる。績んだ麻糸を縦横に組み合わせて布を編む。それは間違いなく簡単な単純作業だ。糸を績むのに比べたらよほど容易い。


「そういう問題じゃねえんだよ。家事を手伝ってくれた家精ホブゴブリンには、報酬をやる必要がある。そのうちの一つが……服を、くれてやることだ」


 言い伝えによれば、服を送られた家精ホブゴブリンは喜んで家から出ていき、二度と働くことはなかったという。それほどまでに切望する服を、自分で作れるわけがない。


「じゃ、じゃあ……つまり、こういうこと?」


 震える声で、ナイは問うた。


「今から私一人で、この革と糸を、服にしなきゃいけない」


 それはまるで、己の刑を宣告される死刑囚のよう。


「その通りだ」

「いやぁあぁぁぁぁぁ!」


 ナイの絶叫が、響き渡った。






「いやぁ、やっぱり新しい服ってのは気持ちがいいな」


 今までのボロ服を脱ぎ捨て、革と麻とを繋ぎ合わせた服に袖を通して、アレフは嬉しそうに言った。


「ヘレヴ、手伝ってくれて本当に、本当にありがとうね……」

「なに、麻糸績みをギィが終わらせてくれて暇だったからの」


 ボロボロになった姿で感謝するナイに、ヘレヴは鷹揚に答える。


「あっちは全然役に立たなかったから……」


 ナイは恨めしげな視線を、アレフに向けた。その見た目から想像される通り、アレフは細かな作業には全く向いていなかった。まず、針に糸を通すことすらできないのだ。剣を使わせればそれこそ針の穴を通す程の精度で突きを放つくせに、とナイは思う。


「俺は飯をとってきただろ?」

「そのせいで仕事が余計に増えてんのよ!」


 アレフが獣を狩ってきて皮を剥いでおくと、その晩のうちにギィがそれを処理する。ナイとヘレヴが服を作るよりも、その材料が増えていく速度の方が圧倒的に早かった。


「まあまあ、おかげで服以外も色々と揃ったしの」


 当初は三人分の服を作るだけの予定だったはずが、折角だからと革張りのベッドを作り、窓枠をこしらえてカーテンを取り付け、床には毛皮の絨毯まで敷けてしまった。


「ここまで揃えたんなら、風呂も欲しいとこだな」


 数日前に比べて随分と充実した家の内装をみやり、アレフはそんなことを呟く。


「風呂?」

「ん? 何だ、知らないのか?」


 キョトンとする迷宮育ちの三人に、アレフは首を傾げた。


蒸し風呂サウナのことかの。それなら、作るのはそう難しくないが……」

「それもいいが、俺が言ってるのは湯を張った風呂だな」


 水浴びは定期的にしているし、一定の温度を保っているダンジョンの中では沐浴が苦になるほど水温が下がることもない。


「風呂はいいぞ。湯に入って温まると、心も体もぐっと休まるんだ」


 しかし、入浴の心地よさは何物にも代えがたいものであった。

 アレフが暮らしていた王都は、とにかく薪と水にだけは困らない土地柄であった。故に入浴分化は庶民にまで浸透しており、アレフも好んで入浴していた。


「どのような物なのかの?」

「こう……釜を作ってだな」


 アレフは地面に木の枝でガリガリと絵を描く。素人の拙い図面であったが、優れた鉱精ドワーフの鍛冶師はそれでおおよその構造を理解した。


「ふうむ……作ることそのものは難しくなさそうじゃが、鉄が足らんの」


 ヘレヴは困ったように眉根を寄せる。


「ギメルのおっさんから貰ってる分は?」

「全く足りんの。陛下から貰えるのは、五日に一度、渡した水と同じ目方の鉄鉱石じゃ。精錬して鉄にすればわしの拳の大きさ程度にしかならん。鍋や縫い針を作るには十分な量じゃが……」


 浴槽そのものは木材で作るにしても、そこへ流し込む湯を沸かすための釜はどうしたって金属で作るしかない。


「これほどの釜を作るとなると……剣が二、三十本分は必要じゃな」

「そんなにいるか……湖が干上がっちまうな」


 水がなくなっては元の木阿弥だ。


鉱精ドワーフたちはそもそもどうやって鉄を手に入れてんだ?」

「ダンジョンの中には鉱山もあるのじゃ。そこから掘り出しておる」


 ダンジョンの中は、どこもかしこも石壁に覆われているわけではない。アレフたちが拠点にしているナイの森がそうであるように、地面や壁土が露出しているような場所も数多くある。そういったところは、人の手でも掘ることができるのだとヘレヴは語った。


 ダンジョンは地下に存在している。だから、壁を掘っていけば鉄鉱石の鉱脈に行き当たることもある。実際には山ではないが、鉱精ドワーフたちはそこを便宜上、鉱山と呼んでいた。


「じゃが鉱精ドワーフが独占しておるからの。手に入れるのは難しいじゃろう」

「しかしダンジョンはこれだけ広いんだ。鉱山は他にもあるんじゃないか?」


 アレフの問いに、ヘレヴは首肯する。


「それは無論のこと、あるじゃろう。しかしどうやってそれを探す? それに、見つけたとてそこを他の種族が占拠していないとも限らん。鉱精ドワーフ王がそうしようとしたように、奪うのかの?」


 アレフにもようやく、鉱精ドワーフたちがあれほどナイの水場に固執したわけがわかってきた。


 このダンジョンは広大だ。しかしそこにある資源は限られている。

 そしてダンジョンに住まう者たちは、皆それを奪い合って生きているのだ。


「……いや」


 アレフは別に善人というわけではない。争わず、互いに分かち合うべきだ、などとは思わない。

 しかし他者から一方的に奪って生きようとも思えなかった。


「それはやめとくよ」


 ──奪うだけの生き方は、地上だけで十分だ。


「さっきから二人とも、何の話をしてるの?」


 不意に、ナイが怪訝そうな表情をしながら、言った。


「鉱山なんていかなくっても、鉄なんかいくらでもあるじゃない」

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