第6話 森精のナイ

 パチパチと火の爆ぜる音がしていた。

 普段なら迷宮の中で篭もるその音は、露出した空に消えていってしまう。


「さーて、そろそろいいかな?」

「ぎっ」


 アレフは木の枝にさして火で炙った大水蛇サーペントの肉を取り上げ、ギィと並んで齧り付く。


「――旨いっ!」

「ぎぃっ!」


 そして同時に快哉をあげた。


「いやあ、これは旨いな」


 しげしげと見つめながら、アレフは二口目を口に入れた。あんなに硬い鱗に覆われていたのに、中の肉はどこまでも柔らかく、噛めばぷりぷりと舌の上で跳ねる。同時に脂がじゅわっと溢れだして、濃厚な旨味が染み渡った。


 清浄な水場に棲んでいたためか、肉に臭みは全くない。肉の味自体はさっぱりとした淡泊なもので、幾らでも食べられる気がした。


「なあ、あんたも一緒に食べないか?」


 アレフは未だ森から姿を現さない女に声をかける。


「……どうやって、それを倒したの」


 しかし返ってきたのは、そんな問いだった。


「ああ。参ったよ、こいつまるで剣が通じなくてな。見てくれ、折れちまった」


 アレフは半ばから折れた剣を掲げて見せた。見事なまでにぽっきりといっているが、大水蛇サーペントの解体にはこんな状態でもなんとか役に立った。


「だから、絞め殺した」

「絞め殺した!?」


 女の声に男は頷く。どうも彼女は想定外のことを言うと叫ぶ癖があるらしい。


「そう、喉の辺りをぎゅっとな。そうすれば噛まれる心配もないだろ?」


 アレフはあっさりと言ってのけるが、相手は太さ1メートルの大水蛇サーペントである。


 女はまず自分の耳を疑い、言葉の真偽を疑い、最後に男の正気を疑った。


「ほら、ここ、折れてるだろ」


 とアレフが大水蛇サーペントの首を持ち上げてみせる。その頸椎は確かに折れていて、大水蛇サーペントの首はあらぬ方を向いた。どうやら本当にこの男は『避けられぬ死』を絞め殺したのだと、納得せざるを得なかった。


 それほどの力があるなら、と、彼女は思う。

 それほどの力があるなら、自分を捕らえ締め上げるのもそう難しい話ではないはずだ。肉を勧めてくるのも他意はなく、本当に害意はないのだろう。


 だがそれも、自分が姿を現すまでの話だ。自分の姿を見れば彼も忌々しげに顔を歪め、排斥しようとするに違いない。


 そういえば――と、彼女は今更ながらにあることに気づいた。


「ねえ」

「お、やっぱお前さんも食うか?」

「何でその子と一緒にいるの?」


 アレフの言葉を無視して、彼女は問いを投げかける。


「ぎ?」

「その子って、ギィの事か?」


 蛇肉にかぶりついたままギィは目をパチパチと瞬かせ、アレフは首を傾げた。


「そう。アルビノは異端よ。必ず災いをもたらす。あなただってわからないわけではないでしょう」

「うーん、まあ……そうだな」


 コリコリと、アレフはコメカミの辺りを掻いた。


 見た目だけは愛らしいから慰み者にでもしようというのか。

 それとも迷宮の道案内に使っているのか。

 はたまた見張りの犬代わりか。どうせそんなところだろう。


「何で共にいるか、か……」


 アレフは腕を組んで眉根を寄せた。

 耳障りのいい言い訳を考えているのだろうか。


「多分、体の良い用心棒か何かってところじゃないか?」


 ところがアレフは、予想だにしない答えを返してきた。


「よ、用心棒? その子強いの?」

「なんでだよ。俺がだよ」


 何やら指をガジガジと甘噛みしてくるギィを払いのけながら、アレフは苦笑を漏らす。


「実際のところは、何でこいつが付いてくるのかはわからん。言葉を喋れないからな」


 指の代わりに蛇肉を口に突っ込んでやると、ギィは大人しくなった。


「ついてこれないようにする気はないの?」

「なんでだ?」


 心底不思議そうに首を傾げるアレフに、彼女は理解した。


 馬鹿だ。この男は馬鹿なのだ、それも底抜けに。


 だが。


 本当に馬鹿なのは、そんな男を信じて姿を晒す自分だろう、と彼女は思った。


 木々の暗がりから現れた彼女の姿に、アレフは目を見開いた。

 驚くのも無理はない、と彼女は思う。彼女の姿を見たものは大抵驚き、そして嫌悪に顔を歪めるのだ。


「お前……」


 アレフは呆然と彼女を見つめ、言った。


「出てくる気になったんなら先に言えよ、焼いた肉は全部ギィにやっちまったじゃないか」

「反応おかしいでしょ!?」


 慌てて蛇の肉を切り出す男に、彼女は叫んだ。


「わたしの姿を見て、何か言うことはないの?」


 そんな事を言い張る彼女の姿を、アレフは改めて眺めた。

 すらりと伸びる手足はどこまでも優美で、ただ立っているだけで絵になる。

 腰まである銀の髪は浅黒い褐色の肌と相まって、まるで芸術品のようだった。

 花の蕾のように愛らしい唇にすっと通った鼻筋、美しく弧を描く眉。

 髪の隙間からぴょこんと突き出た長い耳までもが可愛らしい。

 そして釣り目がちな深い緑の瞳は、アレフをじっと見つめていた。


「少し痩せすぎだな。肉食え、肉」

「種族に! 言及しなさいよ!」


 憤慨する彼女を、アレフは少し面倒くさそうに見つめた。


森精エルフじゃないのか?」


 先の尖った耳は妖精族共通の特徴だが、森に住んでいる妖精というのは存外多い。

 森精エルフはその中では最も有名な種族だ。アレフが名前を知っているのはそのくらいだった。


「そうだけど……ただの森精エルフじゃない。ハーフなの」


 彼女は己の髪を一房手にとって、忌々しげに見つめた。


「それも、白と黒……光と闇の、ハーフよ」


 半森精ハーフエルフというものは、両親どちらの種族からも忌み嫌われる。

 比較的友好的といえる人と森精エルフの間ですらそうなのだ。

 ましてや、敵対する光森精ライトエルフ闇森精ダークエルフの間に生まれた彼女は、生まれながらにしてこの世の全てから否定され、嫌悪される存在だった。


 金でも黒でもない、灰色の髪。

 白くも黒くもない、褐色の肌。

 誰もが一目でわかる、おぞましい混血の証。


「ふうん。ところで、塩とか無いか?」

「真面目に聞きなさいよ!」


 それを目にしながら蛇肉に舌鼓を打つ男に、彼女は思わず怒鳴った。


「聞いてるって」


 もぐもぐと肉を口の中に詰め込みながら、アレフは明らかに不真面目な態度で答える。


「その態度のどこが――」

「で、その、白と黒のハーフだったら何なんだ?」

「何なんだ……って」

「この迷宮で、それって何か意味あるのか?」


 アレフは指についた脂を舐めながら問う。


「例えば、小鬼ゴブリンの群れに襲われた時。飲む水がどこにもない時。このでっかい蛇に襲われた時……」


 彼はふざけてなどいなかった。その目は真剣そのもの……いや。


「生まれだの育ちだの、役に立つのか?」


 ただ生きることだけを考えている、野生の狼と同じ瞳だった。


「あんたはあの蛇のことを知ってた。ってことは、アレに会って生きてたって事だ。俺にとってはそっちの方がよっぽど重要だ」


 そんなことは、考えたこともなかった。

 だけど。

 彼女が今までこの迷宮で生きてこれたのは、間違いなくその血のおかげ。

 呪いだと思っていた、森精エルフの血筋のおかげなのだと、彼女はようやく気がついた。


「そんなつまらん理由で文句をつける奴がいるなら、ぶっ倒せばいい。それがここの流儀だろ?」


 ニカリと明け透けな笑みを浮かべるアレフ。


「……絞め技で?」

「武器はどっかで調達しないとな」


 真面目くさった顔でいう彼に、彼女は初めてくすりと笑った。


「あんた、名前は?」

「……ない」


 アレフの差し出した肉を受け取りながら、彼女はそう答える。

 生まれた時から孤独だった彼女に、名など誰もつけてはくれなかった。


「ナイか。いい名前だな」


 だが何も考えていない顔でそう頷くアレフに、彼女は一瞬目を見開く。


「……そうね」


 ややあって、彼女は……ナイと名付けられた彼女は、クスクスと笑いながら頷く。


「いい名前だと、思う」


 噛み締めた蛇の肉は、とても暖かかった。

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