『あぎと』

「―――なんだ?あれ・・・」


―――突如水面から隆起した、二つの黒い影。


ヒル人間を召喚した時のそれに似た現象に見えたが、言うまでもなく俺はヒル人間など呼んではいない。


『・・・!』


前方40~50mほどで二つ並ぶようにして生じたそれらの隆起は、見る見るうちにその場で盛り上がっていく。

そして―――


―――ざばっ!


「!!

 うぉっ!?」


伸び上がりきったそれらが汚水の帳から完全に姿を現した時、俺は思わずゴモリーの腹に回した腕に力を込めた。


「あれって・・・

 ・・・・・・いや、なんだ?」


・・・なんと言うか。

それらは一言では言い表し難いような、奇妙なオブジェのように見えた。


岩石のような質感のそれら二つは、ひどく荒削りな柱のように地下道の天井へと伸び

それぞれの片面内側が肉食獣のあぎとのようにギザギザに尖っているのだ。


・・・いや、というかこれ、『顎のように』とかじゃなくて・・・。


『・・・ち!』


ゴモリーのかすかな舌打ちと共に、ラクダが加速した。

もはや前方10数mほどにまで迫っていたそれらを、まるで出し抜こうとするかのように。


「・・・・・・っ!」


その様子を見てなんとなく状況を察した俺は、ただゴモリーの背中にしがみつきながら祈るように歯を食いしばる。


そして駿馬と化したラクダが二つの岩柱の間を駆け抜けた、その二、三瞬後。



―――ばつんっ。



「!!」


すぐ背後で、何かとても大きなもの同士が衝突・・・というか、『閉じた』ような音が聞こえた。


「・・・・・・・・・ッ」


必死にゴモリーにしがみつきながらも、何とか後方へと振り返ってみると―――



―――二つあったはずの岩柱が、なぜか地下道の真ん中で一つになっていた。


「・・・」


『閉じた』のだ。

・・・『顎』が。


「先輩、今の・・・」


そう。

『顎のように』ではなく、『顎』だったのだ。

二つの岩柱と見えたのは、一対の巨大な『顎』だった。


・・・それが水面から伸びてきて、俺たちが通り過ぎた直後に

その長く、大きな上顎と下顎を―――どっちが上顎でどっちが下顎かは知るべくもなかったが―――一気に閉じたのだ。


おそらくは・・・いや間違いなく、俺たちをその歯牙にかけるために。


『・・・あれは、アガレス老の「土鰐」よ』

「ツチワニ・・・?」


吹き出た汗に、汚水まみれの身体がますますぬめつくのを感じながら

俺はゴモリーの顔を覗き込む。


『・・・・・・アガレス老の使い魔はね、彼が操る大地のエネルギーを擬似生命化したものなの。

 そしてそれらを具現化する際は、なるべく「大地」を想起しやすい生物・・・大地のイメージに近い動物に似せた方が、形作りやすい』

「それが、ワニ・・・?」

『そ。

 いつも地面に這いつくばってて、地割れの如き大きく強い「あぎと」を抱く生物・・・

 だからアガレス老の使い魔にはワニが多い』

「・・・」


ゴモリーはラクダの首根っこ辺りにぴったりと両手を着けたまま、こちらを振り返らずに言葉を続ける。


『基本的に、そういう具象化型の使い魔は

 完全にその動物に似せて自律行動させた方が、色々と便利なのだけれど。

 ・・・ただ、今みたいに即席で攻撃したい時は

 あえて完全には生物化させず、最低限の形だけを整えたエネルギーで攻撃するの。

 ・・・・・・それが「土鰐」』

「じゃあ先輩のその足も、そのツチワニに・・・」

『今のよりはずっと小型だったけれどね。

 でも、そのせいで気づくのが遅れてごらんのザマよ』

「・・・・・・」


ゴモリーの言葉に耳を傾けながら、俺は今一度背後へと振り返る。


先ほどの岩柱―――ゴモリー言うところのツチワニの顎は

既に影も形もなくなっており、ただ暗緑の帳に包まれた円筒状の地下道が広がっているのみだった。


・・・アガレス本体が追ってきているような気配は感じられない。


「・・・あ、でも・・・てことは、

 今の俺たちの位置がアガレスに看破されちゃってる、ってことじゃ・・・」

『おそらく、このコの足音からおおよその「アタリ」をつけられたんでしょう。

 ・・・でも、あんなのあてずっぽうだわ。

 わたしたちの位置が正確に捕捉されているなら、もっと反応しづらいタイミングで現れていたはずよ』


・・・確かに顎を閉じるタイミングも微妙に遅れていたし、実際無傷でやり過ごせたけど。

でもあてずっぽうにしては正確だったような。


「・・・そういうものですか」


つーか、この悪魔ひともこの悪魔ひとで止まるなり減速して回り込むなりしそうなところを

逆に加速して突っ切るとか、案外血の気が多いというか負けず嫌いなんだろうか・・・。


『・・・・・・。

 ・・・もしかしたら、老師なりのあなたへの敬意なのかも知れないわね、今のは』

「・・・は?

 敬意・・・?

 なんであのじじいが、俺に・・・」


ていうか、なんで今の攻撃が敬意を払ってきたことになるんだ。


『本気で殺す気なら、もっと連続で土鰐をけしかけてきているはず。

 ・・・でも、当たりそうもないのにたった一撃だけ、手の内をあなたに披露したわけじゃない?

 ・・・・・・老師らしくないわ』

「・・・サービスで見せて『くれた』・・・って、言いたいんですか?」

『断言はできないけれど。

 でも、追ってこないのもそういうことじゃないかしら』

「・・・・・・・・・」


確かに。

アガレスは先ほど、俺に対して生かしておく価値が見いだせないみたいなことを言っていた。

なのに今しがたのツチワニ以外に追撃の気配がないということは、俺に対する評価を少し改めた、ということなのだろうか。


『・・・この先にマンホールへ続くタラップがあるはずから、とりあえずそこから地上に戻って帰還しましょう。

 出雲側の会議も気がかりだし、アガレスがこの上京区にいるうちに天津神々に捕捉してもらわないと・・・』

「・・・はい」


しかし、内容からいえば完敗だ。

想定外の遭遇、それも上位の魔神相手だから当然とはいえ

あんな相手の不意を突くだけで勝ちに繋がらない小知恵程度じゃ、これから先の戦いにおいて美佳を助けていくのは難しいだろう。


・・・もっと、ない知恵を絞らねば。

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モーニングスター ソーン @sorn

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