送り日の終わりに(後)

「・・・だからさ、別にどうってこともないから、ちょっと一人にしといてくれよ。

 別にあんたをないがしろにしたいわけじゃなくて、これは俺個人の気持ちの問題だからさ」

『そういうわけにはいかぬ』

「・・・・・・・・・・・・」


今一度、今度は大きくため息をつきながら、俺は背後の老人へと振り返る。


「・・・・・・あんたもわっかんねーなぁ・・・・・・」

『まあ、聞け。

 そなたの殊勝さはよく分かった。

 ・・・ならばなおのこと、ワシもそなたに見せたいものがある』

「・・・見せたいもの?」

『先ほどは、そなたの様子を見に来ただけと申したが・・・。

 実はもう一つ、様子を見に来たものがあってな』

「・・・んん?」

『・・・・・・海を見よ』


ヒルコのその言葉を受け、俺が改めて海の方へ目を向けると・・・。


「!

 ・・・あれは・・・!」


・・・水平線の、際に―――



―――灯火ともしびが。



「火・・・か?

 あれって・・・」


それも一つじゃない。

いくつもの灯火が寄り合うかのうように、水平線と黄昏空の境界で、ゆらゆらとゆらめいて・・・


・・・・・・。


・・・あれ?こんな光景、どこかで見たような・・・。


「あれ・・・ひょっとして、灯籠流し・・・か?」


そう。

送り盆の日に、死者を弔って行うという灯籠流しの光景に見えた。

今日はまさしく送り盆なわけだし。


・・・しかし、あんな沖合いで灯籠流しをやるなんて・・・。


『火ではない。

 ・・・魂だ』

「え・・・・・・」


その言葉に、俺は思わずヒルコの方へと目を向ける。


「魂・・・?

 ・・・あれが、か・・・?」

『左様。

 ・・・送り盆の今日、現世うつよを訪れていた魂や、初めて常世とこよに向かう魂を、ああやって送っておるのだ』

「・・・・・・・・・・・・」


俺は言葉に詰まりながら、ふたたび水平線の幻想的な光景へと視線を戻した。


「・・・なんと言うか、その・・・。

 そんなもの、俺に見せて・・・その、大丈夫なのか?

 と言うか、ずいぶんと目立つように見えるが・・・」

『他の者にはえぬ。

 そなただけに特別に見せておるのだ』

「え・・・」


ヒルコはこちらを振り向かず、水平線を遠い目で見ながら言葉を続ける。


『先ほどそなたはワシに対し、死者に対する「敬意」を語ってみせた。

 ・・・だから見せたのだ。

 そなたのような考え方を持つ人の子に対してならば、こうした光景もただの見世物にはならぬと踏んだから見せたのだ』

「・・・。

 敬意なんて、俺は・・・」


俺はなんとなく気後れのようなものを感じて、ヒルコから逸らした視線を宙へと泳がせた。


「・・・俺はさっき、水死者の亡骸を下僕として扱うあんたに対し、少しだけ抗議を込めたつもりだった。

 他ならぬ俺自身が、その力によってヒル人間をこき使い、助けられたのに、だ。

 それでもあんたは、俺の考え方に敬意があるって言うのか?」

『・・・少年。

 人の真摯さの肝要たるは、「誰を信じるか」、ではない。

 ・・・「信じたものに対し、どういう姿勢を見せるか」、だ。

 仮にそなたがワシを軽蔑していたとしても、そこは問題ではない』

「・・・」

『重要なのは、そなたが故人をいかに真剣に考え、想うかという「向き合う姿勢」だ。

 ・・・そこに、正答などない。

 ただ、正しき者には真摯さがあるのみ。

 ゆえに、この光景をそなたに見せた』


・・・・・・真摯さ、か。

それはまた、あのゴモリーにも言われたことだった。


『そなたは先ほど、自分は信心のようなものは持ち合わせていないと言ったな。

 ・・・だがな、本来真の信仰とは、むしろそなたのような心がけから生まれたものなのだ。

 我らはしょせん、それを裏打ちするための偶像に過ぎぬ』

「・・・・・・・・・・・・」


俺はヒルコの言葉には応えず、ただ黙って水平線の彼方に灯る命の残光を見つめた。


「・・・さっき、あの中には初めてあの世に行く魂もある、みたいなことを言っていたが・・・」

『・・・うむ』

「ひょっとして・・・

 ・・・あの中に、美佳のじいさんの魂とかも、いる・・・のか?」

『・・・・・・』


そもそも俺が加賀瀬家に連れて来られたのは、美佳のじいさんの初盆という名目あってのことだった。

ならば、そうしたものの中に美佳のじいさんの霊魂がいたとしても不思議じゃない。


『・・・ワシの管轄は、あくまで海・・・海原にて命運尽きたものの先導だ』

「・・・・・・そうか」


じいさんが死んだのは山中での出来事だと、勝史さんは言っていた。

・・・つまり必然的に、水死者の神であるヒルコの管轄外ということになってしまうのだ。


「・・・やっぱり、ヒル人間として使役されている亡骸の本来の持ち主も、ああやって盆には霊魂として現世にやって来たりするのか?」

『・・・中には、舞い戻る理由がなく、ずっと常世の水底みなそこにて眠ったままの者もおるがな』

「理由・・・」

『家族も、友人もおらぬということだ』

「・・・・・・」


ヒルコは何事かに思いを馳せるように、ふっと上空を見上げた。


『・・・ワシとて、常に亡者たちに下僕としての労役を強いておるわけではない。

 先ほどは、ああ申したが・・・魂の脱け殻とて、やはり尊厳と安息は要る。

 此度こたびは危急を要したゆえ、そなたたちにけしかしたことも含め

 かように酷使したが・・・』

「・・・・・・そうだ。

 なら・・・これ、とっとと戻してくれよ」


俺はヒルコの鼻先に向けて、右拳を無遠慮に突きつけてみせた。

ヒルコの烙印が焼き付いた、右手の甲を。


「あんたの身体の一部なんだろ?

 ・・・タケミカヅチが埋め込んだのは。

 なら、あんたなら摘出できるはずだよな?」

『・・・そういうわけにはいかぬ』

「・・・・・・・・・・・・」


・・・予想外の返答に、俺は一瞬、己の全身が硬直するのを感じた。


「・・・どういうことだ。

 事が終われば、取り除くって・・・いや、自然と出て行くって話だったはずだ!」

『その「事」が、まだ終わっておらぬからだ』

「な・・・」


ヒルコはやはり水平線の彼方へと視線を馳せながら、言葉を続ける。


『そなたは聡いゆえ、分かっておるはずだ。

 ・・・今は幕間に過ぎぬと』

「・・・・・・」

『そなたと加賀瀬美佳がアインを退けたことにより、我ら天津神にとっての事態は確かに好転しつつあるが・・・。

 それに伴い、新たな面倒も生じた』

「・・・天津神の内で、内通者の疑惑が生じているってことか?」

『それもあるし、そもそもの前提として、我らの敵は全く排除されてはおらぬ』

「なぜだ?

 アンドラスやアインは、ヤツらの本拠に帰還したはずだぞ」

『あやつらはしょせん、尖兵に過ぎぬ。

 あやつらが退いたとあれば、代わりの魔神がまた来襲するまでのこと』

「・・・」

『確かに、そなたらがアインとの決闘に勝利したことにより、我ら天津神は政略的にも戦略的にも、大幅な猶予を得ることができるであろう。

 ・・・が、それで希伯来へぶらいの魔神どもが天津甕星を諦めたということにはならぬ。

 向こう側にとっての強硬論はかなり下火になるであろうが、単なる蛮武とはまた異なる攻め方をしてくる可能性が高い』

「・・・・・・」

『現に・・・少なくとも現時点では、あのゴモリーはまだ日本に留まっておるようだし、サルガタナスも結界への侵入後から行方が知れぬ。

 ・・・その他の、来日が確認されている、何柱かの魔神もだ』

「・・・・・・。

 ・・・後森先輩が・・・」

『アインは何か別の目論見があったようだが、ヤツらはみな基本的に

 ヤツらが王と頂く悪魔の力を取り戻すため、動いておる。

 それに関して何か大きな落着点が見つかるまで、この日本から完全に手を引くとこはあるまい』

「・・・ルシファー・・・か」


俺が口にしたその名を受け、ヒルコは無言でうなずく。


『・・・ルシファーは危険だ。

 ヤツ自身は単純な悪意や支配欲で動いたりはせぬが、それが逆に始末に負えぬ』

「・・・」

『あの魔王が求めるのは、可能性という名の混沌だ。

 作為的に無作為の混沌を引き起こし、その中からより新たな可能性の芽を見出そうとする。

 ・・・が、膨大な数の・・・人も、悪魔も、神々の命すらも混沌に呑み込んだ末の、ほんの僅かな芽生えになど、果たしていかほどの価値がある?』

「・・・」


ヒルコのしなびた口元は、しかしやはり、わずかばかりこわばっているように見えた。


・・・タケミカヅチが、ルシファーの名を口にした時のように。


「・・・あまり、現代日本のスケールに見合った話には聞こえないがな」

『それは単に、人の世がかつての狂乱の時代を忘れてしまっておるからだ。

 だがヤツがひとたび立てば、そうした時代を嫌でも思い出さざるを得ない事態に、あるいは陥らぬとも限らぬ』

「・・・」

『現にルシファーはあえて配下の魔神たちを統率せず、お互いがせめぎ合うよう仕向けている節があるし・・・。

 ・・・おそらくは、己の失われた力の一部すらも単なる釣り餌としか見なしてはおらぬ』

「・・・分霊ぶんりょうとしての、天津甕星・・・のことか?」


一瞬、宿魂石の決戦で垣間見た、別人のように堅く冷たい美佳の横顔が脳裏をよぎった。


『左様。

 ・・・力を渇望する者、過去の栄光にしがみつく者には、必ずスキや弱さが生じる。

 ある意味で、御使みつかいの成れの果てである希伯来へぶらいの魔神ども、すべてに共通する弱点だが・・・。

 ・・・しかし唯一、ルシファーにはそれがない』

「・・・・・・」

『それはすなわち、王としてのスキがないということだ。

 ・・・そのくせ、その気になれば容易く掌握できるはずのものを、あえて無秩序な状態に置こうとする。

 ・・・・・・それが恐ろしい』

「・・・そういうものか」


どちらにしても俺にとっては雲の上の存在だから、今のヒルコの話にどんな意味があるのか、あまり深く考える気にはなれなかった。

俺にとってルシファーと呼ばれる存在は、テレビで名前くらいは聞き覚えがある海外の有名人とか、それくらいの認識だったから。


「・・・と、言うかさ。

 あんたさっき、天津甕星がルシファーの分霊であることを認めるようなこと言ったけど、いいのか?

 天津神としては悪魔側のそういう主張は認めてないんだろ?」

『・・・建前はな。

 建御雷らには体裁があるゆえ、そなたに面と向かってそういう事は言えぬ。

 だから代わりに、ワシが告げに来たのだ』

「・・・あんただってエラい神様なんじゃないのか?」

『ワシは隠居みたいなものだ。

 兄弟には中央で辣腕を振るう者もおるが、ワシの性には合わぬ』

「・・・ふーん・・・」


ぼんやりと返事を返しながら、俺はゴモリーから聞いた、ヒルコの血縁にいるという権力者の話を思い出していた。


「・・・・・・。

 ・・・あ」


と。

その時、水平線と空の境界に見えていた魂の灯火の一つが、ふっと、溶けるように消えた。


・・・まるで、水平線の向こうに旅立っていったかのように。


そしてそれを皮切りに、二つ、三つと、灯火が徐々に消え始める。


「・・・消えていく・・・」

『旅立ちの時だ。

 ・・・彼岸への』

「・・・・・・」


・・・先立った者が、遺した家族や友人に会いにくるのがお盆だというなら、彼らはみな、遺した者の姿を見て、満足して帰っていくんだろうか。


・・・それとも・・・。


『・・・少年。

 あの娘のことは、そなたが守ってやれ』

「美佳のことか?

 そんなのは・・・」

『あの娘が天津甕星の依り代だから言うておるのではない。

 ・・・ワシは遺した者を想って悲嘆に暮れる魂たちを、永い時の中で幾度となく見てきた。

 同様に、遺された者が悲嘆に暮れるのもな。

 ・・・ただ、そなたとあの娘は、そういう想いをするにはまだ若すぎる』

「・・・」


俺はなんとなく気恥ずかしくなって、視線を泳がせながら頭を掻いた。


「・・・簡単に言ってくれるけどさ・・・。

 自分より強いヤツを守るのって、難しいんだぞ」

『そなた以前、ワシに対して啖呵を切ったではないか。

 あの娘に知らない所で死なれるよりは、添い遂げて一緒に死にたいと』

「そっ、そこまで言ってねーよ!!」


・・・あれ、なんかデジャヴ・・・。


「・・・べつにっ、あんたに言われるまでもなく、俺のスタンスは変わらねーよ。

 そりゃ、もうあんたらや悪魔とは関わりたくないってのが本音だけど」

『・・・』

「・・・ちょっと誤解があると思うんだけどさ。

 俺にとってあいつは、見捨てるとか見捨てないとか、そもそもそういう相手じゃないんだよ。

 ・・・うまく言えないけど・・・」

『・・・・・・』

「あれは世話のかかる、妹・・・いや、あいつの方がほぼ一回り年上だから、姉・・・いやいや、姉はありえねーな。

 ・・・う~~~ん・・・」

『・・・・・・。

 そなた、結局何が言いたいのだ』

「あ、あんたが話を振ってきたんだろっ」


呆れたようにため息をつくヒルコへと、俺は慌てて振り返る。


「とにかく、あいつに降りかかる火の粉は払うまでだよ。

 ・・・あいつと一緒にな」

『うむ・・・。

 ・・・・・・ならば、良し』


ふっと沖合いへ視線を戻すと、灯火はもう、半分近くは消えているようだった。


・・・そろそろ、勝史さんが迎えに来てくれる頃だろうか。



―――俺がそんなことを考え始めた、その時。



『・・・・・・・・・・・・。

 ・・・とぉお・・・りゃんせぇ・・・

 とぉりゃん・・・せぇ・・・』

「っ!」

『・・・こぉこは・・・どぉこの・・・

 ほそみちじゃあ・・・』

「・・・」


・・・突然、ヒルコが『とおりゃんせ』を口ずさみ始めたのだ。


『てんじんさぁまの・・・

 ほそみちじゃあ・・・』

「・・・・・・」


・・・・・・。

・・・ヒルコなりの、死者へ送るはなむけなのだろうか。


『ちっととぉして・・・くだしゃんせぇ・・・』

「・・・」

『ごようのないもの・・・とぉしゃせぬぅ・・・』

「・・・ごようのないもの・・・とぉしゃせぬ・・・」


釣られて俺もまた、とおりゃんせを口ずさみ始める。

特に意味はなかったが、俺がこの海岸を訪れた本来の目的を思うと、何となくそうしなければならないような気がしたのだ。


『このこのななつの・・・おいわいに・・・』

「このこのななつの・・・おいわいに・・・」

『おふだをおさめに・・・まいります・・・』

「おふだをおさめに・・・まいります・・・」


魂の灯火が、一つ、また一つと、海と空の境界へと溶けていく。


『いぃきはよいよい・・・かえりはこわい・・・』

「いいきはよいよい・・・かえりはこわい・・・」

『・・・こわい・・・ながら・・・も・・・』



―――俺はもう、とおりゃんせに対し、不気味な印象を抱くことはなくなっていた。



「・・・・・・とおお・・・りゃんせ・・・とおりゃんせ・・・・・・」

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