送り日の終わりに(前)

「―――じゃあ、高加君。

 くれぐれも気をつけてな」


―――どこか落ち着かない様子で車のドアを開けながら、勝史さんは俺に声をかけてきた。


「・・・だから別に、ちょっと海岸でボーっとするだけですってば。

 気をつけることなんて何もありませんから」


勝史さんのその言葉に、俺は苦笑気味に答える。


「もう、アインもアンドラスも、この日本国内にはいませんよ。

 他に似たような手合いがいたとしても、もうしばらくの間は俺らに手出しできないらしいですから」

「ん・・・いや。

 ならいいんだが・・・」


―――8月16日、午後6時40分頃。

決闘後の報告やらなんやらが一段落した俺は、霊力を使い倒してすっかり眠り込んでしまった美佳を大甕神社に残し

勝史さんに車を出してもらって、神社から1.5kmほど東に行ったところにある

ここ茨城県北東側の海岸部に来ていた。


「本当に、俺が一緒にいなくても大丈夫か?」

「何言ってるんですか。

 勝史さん、ただでさえお盆は忙しいはずなのに、このゴタゴタでロクに仕事片付けられてないでしょ。

 ・・・ほんとは、こうやって車を出してもらうのも申し訳ないくらいですし」

「・・・まあ、俺が今夜中に戻らないでも、康夫が何とかやってくれるだろうが・・・。

 でも、そうまでしてこの海岸に来たかったのかい?」

「まあ、この海岸そのものに用事があるわけじゃないんですけど。

 ・・・じゃあ、美佳のことお願いします」

「分かった。

 ・・・一時間ほどしたら、また迎えに来るからな」


そう言って、勝史さんは車のドアを閉めようとして・・・

・・・ふっと一瞬、その手を止めた。


「・・・・・・。

 ・・・なあ、高加君」

「はい?」


「・・・・・・・・・・・・ありがとう」


「・・・。

 ・・・・・・はい」


それだけをつぶやくように漏らし、今度こそドアを閉めると、勝史さんは車のエンジンを掛ける。


動き出した車のサイドガラス越しに覗く勝史さんの横顔は、どこか誇らしげに見えた。


「・・・・・・。

 ・・・さて、と・・・」



車の走行音が遠ざかっていくのを耳にしながら、俺はふいっと、背後の海岸へと視線を向けた。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


―――それから、10分ほど経っただろうか。

俺は道中のコンビニで買ってきていた豆大福を目の前に据えると、

黄昏時の海岸でひとり海に向かってしゃがみ込みながら、目を閉じ、こうべを垂れ、ただただ静かに黙していた。


・・・と。


『・・・何をしておる』

「うわっ!」


じっとしゃがみ込んでいた俺に、背後から突如・・・それも至近距離で、声をかけてくるものがあった。


「・・・!」


驚いた俺が背後を振り返ると、そこには・・・。


「・・・あ」

『・・・』


・・・・・・老人・・・・・・


・・・か?


やたらと小柄で皺がれたおじいさんが、いつの間にやら俺のすぐ背後に佇んでいたのだ。


「あ、いや、その・・・」

『・・・』


・・・いや。

ほんとに老人か?この人。

確かに禿げ上がってて、皺がれてはいるが・・・。

その頭部にただの一本も体毛らしきものを認められないせいか、皺くちゃなのに幼児っぽくもあるような、少し奇妙な印象を受ける老人だった。


「・・・あ~~~・・・。

 いえ、特に何をしている、ってワケでもないんですけど・・・」

『・・・』

「ほら、今日って送り盆じゃないですか。

 だから、ちょっと海に向かって黙祷でもしようかな~~~・・・なんて・・・」

『・・・』


・・・自分で口走っておいてなんだが。

これじゃ完全に不審者のでまかせだ。


まあ、嘘をついているわけでもないんだけど。


『なぜ、こんな所でそんなことをする』

「え、いや・・・」

『盆行事なら、それこそ大甕神社ででもやればよかろう』


言いながら、おじいさんは皺がれて蛙のように萎縮した顔を海へと向ける。


「・・・いや、ちょっとその・・・。

 事情があって、個人的にやりたかったんです」

『事情?

 わざわざ近場の神社を避け、敢えてこんなところで悼まねばならぬ事情とはなんだ?』

「・・・」


てか、誰だこの人。

地元の人か?

なんでこんな馴れ馴れしいんだよ。


「別に、場所は割とどこでも良かったんですけど・・・

 ・・・海辺なら」

『海で召された者か?』

「ええ、まあ、たぶん・・・」

『たぶん?

 ・・・たぶんとは、どういうことだ?』

「・・・」


・・・今の俺が不審者臭いのは、まあ認めるけど。

なぜか根掘り葉掘り聞いてくるそのじいさんの物言いに、さすがに俺も苛立ちを覚え始めていた。


「・・・俺にとって、縁もゆかりもない人たちなんですよ。

 それも、複数人。

 でも俺には、祈りくらいは捧げなきゃならない義務がある」

『・・・』

「おじいさんには分からないでしょうけど、俺はその人たちに世話になった。

 ・・・まあ、嫌な目にも遭わされたんですけど。

 でも、俺はその人たちの顔も名前も知らない」


・・・正確には、『本来の顔を知らない』だったが。


「・・・神社でお送りをしないのは、なんと言うか・・・。

 神様とか、そういうのから、ちょっと遠ざけて悼みたかったからなんです。

 送り盆にやっておいて、なんですけど」

『・・・』

「信心とか、そういうのから切り離してやりたかったと言うか・・・」

『彼らは、しょせん残留思念で突き動かされていた抜け殻にすぎぬ』

「・・・・・・。

 ・・・え?」

建御雷タケミカヅチたちも、そう申しておったであろう』

「・・・!?」


・・・じいさんの口から漏れた予想外の言葉に、俺は反射的に半歩後ずさり、身構える。


「・・・じっ、じいさん、何者・・・」

『・・・』


・・・いや。

俺はこの人を、確かに見たことがあった。

今とは比ぶべくもないほどの異形の姿で、ではあったが・・・。

だが、幼児のような印象を受ける老人・・・いや、老人のような印象を受ける幼児に、確かに心当たりがあった。


「あ、あんた・・・」

『・・・』

「・・・・・・ヒルコ・・・・・・か・・・・・・?」


そう。

大和の神々の長老にして、一ヶ月前、山海高校で俺や美佳を襲った怪事の元凶。


・・・そして、俺に―――やや不本意な形でではあったが、悪魔アインと戦うための武器を授けてくれた、水死者の王。



―――天津神・蛭子ヒルコ



『・・・意外と鈍いのだな、少年』

「・・・・・・。

 ・・・いやいや・・・。

 わかんないだろ、普通・・・」


・・・少し残念そうに嘆息した老人を見て、俺もまた呆れがちに言葉を返す。


「・・・普通に喋れるんだな」


一ヶ月前に相まみえた時は、その姿もさることながら

発声器官が未発達であるかのような、たどたどしい喋り方だったが。


『あの時はそもそも、直に姿を晒すつもりはなかったでな。

 ゆえにそなたも見たように、「本体」のみで潜んでおった』

「・・・・・・」


確かにあの、ヒルの群体が無理矢理に人の形を取ったような異形の姿は、容れ物を失った中味という風にも見えた。

実際、形を維持できずに崩れたりしてたし。


「てか、なんだよ。

 何の用だ?」

『そなたが単独行動を取り始めたから、気がかりで様子を見に来ただけだ。

 そう邪険にするでない』


いや、するよ。

俺はもう当分、天津神や悪魔を連想するようなものは

自分の生活圏内に入れたくないんだから。


「別に何でもないって。

 大丈夫だから、とっとと帰ってくれよ」

『そういうわけにはいかぬ。

 と言うか、そなた今、我が下僕しもべたちを悼むためにここに来たと申したではないか。

 なのに当のワシを追い返そうとするとは、どういう了見だ?』

「・・・」


あ―――・・・。

めんどくせえ。


「だからこそ、だよ。

 あんたらがいないとこでやりたかったのっ」

『なぜだ?

 加賀瀬勝史も、大甕神社もあるのに、なぜかような僻地で、独りでそんなことをする』

「・・・今、言ったろ。

 あんたらと、関わりのないとこで送ってやりたかったんだよ」


今度は俺が小さくため息をつきながら、改めてヒルコの方へと視線を向ける。


「・・・あのな。

 あんたらの認識じゃ、死者を悼むのはそれこそあんたらの神域でやるべきことなのかも知れないけどな。

 俺としては、むしろあんたらの呪縛から、ヒル人間たちを解き放ってやりたいんだよ」

『・・・』

「でも、そんなの無理だろう。

 ・・・だからせめて、神様とか無関係なとこで祈りを捧げたかったんだよ」

『・・・そこまで、我らに対して嫌悪があるか』

「そうじゃないって。

 これはどちらかと言うと、俺個人の罪悪感の問題だよ」

『・・・』


バツ悪く頭を掻きながら、俺は言葉を続ける。


「・・・嫌だろう。

 死んだ後まで赤の他人にこき使われた挙げ句、悪魔に消し炭にされるなんてさ。

 ・・・しかもその赤の他人は、特例で神様の力を借りてるってだけで、本来はそんな権限はないときてる」

『そなたはワシの信任を得ておるのだ。

 権限がないというのは語弊がある』

「だから、そーゆーのもひっくるめて俺らの身勝手だから、せめてそういう繋がりとは無関係なとこで祈ってやりたかったんだって言ってるだろ」

『・・・「祈る」ために神を遠ざけるとは、矛盾しておるように聞こえるがな』

「・・・・・・」


今一度小さくため息をつくと、俺は観念するかのように目を伏せ、改めて口を開いた。


「・・・ある人が、俺に・・・。

 例え神に見放された身であっても、祈ること自体は決して無駄じゃない、って言ってくれてさ。

 俺はその人の言うこと、全面的に理解できるってわけじゃないんだけど。

 でも、そこだけはなんか共感できたから」

『・・・そうか』


言いながら、俺の脳裏にふっと、赤毛髪のにやけ顔がよぎる。


『しかし先ほども申したように、我が下僕・・・そなたらがヒル人間と呼んでいる亡者たちは、とうの昔に魂が抜け出た脱け殻だ。

 そこに魂は在らぬゆえ、厳密には死者の心を悼むことにはならぬ』

「・・・武葉槌タケハヅチからもそんなようなことは説明されたが、それは納得できない」

『・・・。

 よいか、少年。

 残留思念というのは、あくまでそこにこびりついた「記憶」に過ぎぬ。

 記憶は、魂・・・そなたら人の子が自我とか人格とか呼んでいるものを形成している一端ではあるが、それ自体はしょせんただの残滓・・・「もの」なのだ。

 そこに、主観・・・すなわち、自意識や、自律した思考というものはない』

「・・・」

『ゆえに、ヒル人間は「もの」だ。

 こういう言い草をすればそなたら人間は反感を覚えるであろうが、だからこそあえて言おう。

 ・・・そうでなければ、それこそヒル人間の肉体の、かつての持ち主たちが浮かばれぬ』

「・・・・・・。

 ・・・ヒルコ。

 俺はさ、そういうことを言っているんじゃないんだよ」


お供えのつもりで買ってきた豆大福をふたたびコンビニ袋の中に入れながら、俺は言葉を続けた。


「魂が出ていっちまった死体が「モノ」でしかない、って理屈は、まあ分かるよ。

 ・・・でも、じゃあなんで人は、人の死体に恐怖を覚えるんだ?」

『・・・』

「いくら客観でモノだと言い聞かせたところで、人間の主観にとっては、それはモノじゃないからだ。

 そして恐れがあるなら当然、哀れみや悼みの念だって湧いてくる」

『・・・・・・』

「日本人は・・・まあ、だいたいの多くの人が、墓参りくらいはするよな。

 でも墓参りをする人の全てが神仏や霊魂の存在を信じてるかっていうと、そうじゃないだろ?

 俺だって信心のようなものは全然持ち合わせてないし、あんたら本物の神様と関わるようになっても、そこはほとんど変わってない。

 ・・・でも盆になったら、母さんの仏前に線香を上げるくらいのことはするし、正月には初詣にも行く」

『・・・・・・・・・』


・・・まあ、初詣に関しては、美佳に半ば無理矢理引きずられてのことが多いんだが。


「それと一緒だよ。

 あんな・・・身元はおろか、顔もわからないほど腐乱した亡者を、今さら誰が悼んでくれる?

 ・・・手ひどくこき使った、俺くらいしかいないだろ」

『・・・・・・そうか』




ヒルコはそれだけ言うと、顎を引き、口元を固く結んだ。

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