見えざる准将サルガタナス

「え!?

 ・・・なに!?」


―――まるで、天そのものに呼びかけるかのように悪魔アインが発した、謎の単語。

その聞き慣れない響きに気後れのようなものを感じた俺と美佳は、思わず顔を見合わせる。


「・・・なんだ?

 あいつ、今なんつった?」

「サル型のナス?

 ・・・とか、なんとか・・・」


・・・こんな状況でなければ美佳の言葉はふざけているようにしか聞こえなかったが、実際俺の耳にもそう聞こえたのだから突っ込みようがない。


――『サルガタナス』。

確かにそう聞こえた。


『参れっ!サルガタナスッ!!

 け、契約を・・・りっ、履行せよぉっ!』


アインはなおも天へと吼え続ける。

纏わり付く肉片を振り払おうとすらせずに、ひたすら天へと。


「・・・!」

「・・・・・・」


と、それまで謎の単語を口の中で転がしていた美佳が、一転して押し黙ってしまった。

続いて、それに釣られるまでもなく、俺もまた口をつぐむ。


・・・得体が知れないなりに、悟ってしまったのだ。

アインが叫んでいる言葉の、漠然とした意味を。



―――そして。

俺と美佳が沈黙した、その直後。



《―――大した姿だな、アインよ》

「!!」


突如として、窓枠の向こうから聞き覚えのない声が響き渡った。


『ぐっ・・・!

 遅いわ!サルガタナス!!

 ・・・がッ!』


その声が届いてきた途端、アインが天井の一角を睨みながら憤懣ふんまんに満ちた声色でそれに応える。


「・・・え!?」


アインのリアクションに釣られて、俺は思わずその視線の先にある天井の一角へと窓枠を向けた。

が・・・



・・・いない。何も。

少なくとも、俺の目には何も映っていない。

ただ木造の天井と梁があるばかり。

だが・・・。


《―――ほう。

 人間ごときに一杯食わされただけあって、

 大したさだな?》

『・・・・・・ぐっ!』


・・・だが、姿なき声はなおもアインへと語りかける。

男の声だ。


《さしずめ、功にはやって抜け駆けしたはいいものの

 予想外の反撃にアワを食い、慌てて私をびつけたのであろうが》

『・・・!』

《そもそも、ミカボシ神の在りを突き止めておきながら

 ついぞ今の今まで、己の所在すら私に知らせてこようとしなかったな。

 ・・・汝のいじましさが透けて見えるわ。

 そのくせ窮鼠きゅうそに噛み付かれた途端、掌返して私に助けを乞うてくるとは。

 恥を知れ》

『・・・ぬぅう・・・!』


その声を受け、アインは異形の三頭を震わせながら、その六の瞳でただ虚空の一点を睨み続けている。

こちらまで歯軋りすら聞こえんばかりの剣幕だったが、どうやらアインにとっては辛辣なりに正論らしく

唸り声を漏らすだけで言い返そうとすらしない。


《・・・履き違えるなよ、アイン。

 聖下への忠という大義の前では、汝との契約などまるで無価値で、意味を為さぬ。

 私の行動原理の全てはそれだし、『我々』は全てがそうあるべきなのだ。

 今回は諸々の功をおもんばかって不問とするが・・・汝が今苦杯を舐める羽目に陥っているのは、矮小な私利に目が眩み、一柱ひとりで先走った報いと知れ》


そして―――あまり良好な関係とは言えなさそうではあるものの―――やはりと言うか、その会話の内容は明らかにアインの『ご同類』であることを意味していた。



つまり―――単純なことだ。

アインは要するに、仲間に助けを求めたのだ。

先ほどのアインの『契約を履行せよ』という一言からそれを読み取ったから、俺も美佳も黙ってしまったのだ。

あれは明らかに、誰かに助力を求める呼びかけだったから。


ならば、『サルガタナス』というのはまず間違いなく、この姿なき声の主の名前だろう。


『わ・・・分かった・・・!

 それは改めよう!

 ・・・それよりも、早くこれを何とかせい!』


アインは先ほどまでの苦悶や怨嗟とはまた違った、ある種の狼狽のようなものを声色に滲ませながら、なおも姿なき声に訴えかける。

どうやら、立場は『サルガタナス』の方がやや上のようだ。


・・・いや、今はそんなことを考えている場合じゃなかった。


「・・・美佳!」


俺が左手を一瞥しながら呼びかけると、美佳は既にフツノミタマを構え直して、天井付近を見据えていた。


「うん。いる・・・!

 あの悪魔の視線の先辺りに、新しい星が出てる!」


美佳は『こちら側』の天井と、窓枠から覗く『あちら側』の天井とを

ちらちらと交互に見ながら応える。


「天井の辺りか?

 俺には何も見えないが・・・」

「それはわたしも同じだよ。

 『そこ』に何かがいることは星が教えてくれているけれど、姿そのものはわたしにも見えてない・・・!」

「・・・・・・」


つまり、根本的に『そういうもの』ということか。

相手は魔神。

そもそも人智を超えた存在なのだから、姿形が見えないようなのがいても・・・まあ、おかしいけど、おかしくないんだろう。


《・・・ふむ。

 その様子、『ネクロマンシー』と『エーテル抜き』の併せ技か。

 ずいぶんと味なマネをするではないか。

 人間の術者とは思えんが・・・》

『ヒルコだっ!あの海神めが・・・くっ!

 ・・・にっ、人間どもにか、肩入れしておるのだっ!』

《ヒルコ・・・?

 ・・・ああ、『オーミカミ』の兄神か。

 道理でな》

『ヒルコだけではない!

 タケミカヅチとっ・・・ふ、フツヌシもこやつらに助力しておる!

 決闘と称しておきなが・・・ら、ひ、卑劣な横槍を入れおっ、て・・・・・・ぐァあっ!』

《・・・》


苦悶と狼狽にまみれたアインの声とは対照的に、見えざる悪魔――サルガタナスは、ごく淡々と言葉を紡ぎ続ける。


・・・先ほどから、その会話には気になる単語や聞き覚えのない固有名詞らしきものが混じっていたが、今の俺にはいちいちそれらに思慮を巡らせている余裕はなかった。


・・・・・・だが。


《・・・妙だな。

 カシマ神とカトリ神は本来、ミカボシ神とは敵対関係にあるはず。

 その上で肩入れするなら、ミカボシを我らの手の届かぬ領域に強制隔離するか・・・あるいは協定に抵触するのを覚悟の上で、もっと直接的に我らを妨害してくると思っていたが・・・》


・・・俺は思わず、びくりと肩を震わせた。

サルガタナスの疑問を孕んだ言葉が、唐突に俺が知る『核心』に近づいたからだ。


カシマ神とカトリ神というのは、まず間違いなく鹿島神宮と香取神宮の祭り神―――すなわち、タケミカヅチとフツヌシのことだろう。


《・・・なのにあろうことか、ミカボシ自身を矢面に立たせた上で間接的に助力するとは・・・。

 ヤツらもずいぶん中途半端というか・・・回りくどいマネをするのだな》

「!!」

「・・・?」


・・・知っている。

やはり、こいつも。

美佳がアマツミカボシの生まれ変わりだということを、知っている。


《・・・いや、それも違うな。

 回りくどいというのではない。

 なぜ、あえてこんな・・・わざわざミカボシを我らの刃の前に晒すような、危ういマネをするのだ?

 天津神々にとって、旧敵であるミカボシが我らの手中に落ちるということは、最悪の事態を意味するはずだが・・・》

「さっちゃん・・・。

 あいつら、何の話してるんだろ?」

「・・・・・・」


美佳の問い掛けに、俺は言葉を返さなかった。


・・・今のサルガタナスの言葉を美佳が理解してなさげなのは、幸運というべきなのだろうか。

しかし俺にとってのこの見えざる悪魔の疑問は、俺の中の余計な疑念をもいたずらに強めるばかりで

この状況下ではあまりありがたいものではなかった。


今重要なのは、このまま成り行きを見守っていていいのかどうかなのだから。


『自国の人間どもに我らを倒させることで、功名するためであろうが!

 話は後だ!とにかくっ、このいまいましい腐肉をなんとかせいっ!』

《・・・我『ら』?

 人間相手に醜態を晒しているのは汝のみであろうが》

『・・・ぐくっ!』


俺・・・と、美佳は、思わず身構えた。

『なんとかせい』ということは、少なくともアインはこの姿なき悪魔なら

己が見舞われている災難を『なんとかできる』と認識しているということなのだから。


《ふん。まあよい。

 ・・・人の子よ。今の我らの会話を聞いていたであろう》

「!!」


と。

そこで突然、姿なき悪魔は俺たちの方へと声をかけてきた。

・・・あちらからは見えていないはずの、俺や美佳へと。


《申し遅れたな。我が名はサルガタナス。

 深淵にて、聖下より悪霊の旅団を預かる、『准将』サルガタナス》

「・・・・・・」


・・・『セーカ』・・・?

さっきも『セーカへのチュー』とか、そんなような単語が耳に入ってきたけれど。


「・・・・・・・・・・・・」


・・・『旅団』や『准将』はまあ、何となくだが意味は分かる。

けど。



・・・・・・『セーカ』、って誰・・・つーか、何だ?



《神々の助力を得ているとは言え、このアインをここまで痛めつけるとは大したものだ。

 その機知に免じて、私も少しだけ無駄話をしてやろう。

 ・・・汝らが、破滅への覚悟を抱く猶予のために、な》


サルガタナスは、まるで俺たちがその眼前にいるかのような口ぶりで言葉を続ける。


《そもそも、私の名を知っているかな?

 ・・・知らぬかな。現代の・・・まして、東洋人ではな。

 だが、私の自己紹介は聞いておいた方が身のためだぞ》

「・・・」


・・・どうする。

こいつがおしゃべりしている間に、ここから移動・・・というか、逃げるべきか?


《この死地に臨むくらいならば、我ら・・・すなわち、汝ら人の子が悪魔とかデーモンと呼んでいる存在が

 それぞれユニークな技能や職権を有していることくらいは存じていよう。

 むろん、このサルガタナスとてそれは例外ではない》


・・・しかし、屋外に出ようとすれば・・・つまり扉をくぐってしまえば、アインやサルガタナスがいる元の次元へと戻ってしまうことになる。

相手の出方が全く読めないこの状況で、例え一時的にであっても逆戻りしてしまうのは

さすがにリスクが高いだろう。


《別に隠していることでもないゆえ、今、この場で明かしてしまうが・・・。

 私の能力は、汝ら人の子の後ろめたい願望を叶えるためのものだ。

 すなわち・・・・・・》


俺が考えあぐねいていると、サルガタナスがそこで一瞬、本人言うところの『無駄話』を途切れさせる。


・・・その区切り方には、多分に含みのようなニュアンスが感じられた。


《・・・・・・他人から姿を見えなくするとか、屋内で起こっている出来事を曝け出すとか。

 あるいは、遠く離れた地へ一瞬で転移させる、とか・・・


 ・・・あらゆる『扉』の『鍵』を開ける、とかな》


「・・・・・・・・・・・・」


・・・途端に。

それまで比較的悠長に決断を迷っていた俺の背筋を、猛烈な悪寒が襲った。

サルガタナスのその、あからさまに含みのある声色に。

その自己紹介に。


そして何より、『扉』という単語が飛び出してきたことに、身の毛がよだった。


《分かるか?『転移』と『開錠』だ。

 ・・・分かるか?》

「・・・。

 美佳・・・」


扉・・・『扉』。

そう。この状況で『扉』という単語が意味するものは、ただ一つしかない。


《有り体に言ってしまえば、我が能力は『隠匿』と『暴露』。

 もっと言えば、『諜報』だ。

 ・・・私が言いたいことが分かるか?

 汝らは今、位相の異なる結界で息を潜めているつもりのようだが・・・》

「逃げるぞ。今すぐ・・・」

「・・・え?」


甘かった。

なりふり構わず逃げるべきだったのだ。


《・・・私には、まるで筒抜けだぞ》

「!!」


そもそも、迷う余地なんかなかったはずだ。

この悪魔―――サルガタナスは、タケミカヅチたちの結界をまるで無視して、アインがいる異次元へと侵入してきたのだから。


《・・・もう一度言うぞ。我が能力は、転移と開錠だ。

 そしてこじ開けられる鍵とは、何も物理的な扉だけに留まらぬ。

 例えば―――》


それ自体がヒントだったじゃないか。

こいつには『異次元の避難所』なんて、まるで意味をなさないであろう、っていう。

だからこいつは、まるで目の前にいるかのように、俺たちに語りかけてきたのだ。


《―――空間と空間を遮断する、異次元の『扉』とかな―――!》


と。

見えざる悪魔の声が、窓枠の向こうからではなく『こちら側』の殿中に響き渡った、その直後。


よく見覚えのある、三つ首を持った異形の大男が

忽然と俺たちの前に姿を現した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る