『卑怯者』

「これ、って・・・。

 ヒル人間の・・・?」


そう。

あたかも汚泥を頭から被ったかのようにも見えるそれは、ヒル人間の肉片だった。

幾十という青紫色の細かな肉片が、まるでヒルそのもののようにアインの全身にたかっていたのだ。


「・・・・・・・・・・・・よし。

 上手いこと降りかかったな」

「・・・『降りかかった』・・・?

 どういうこと?」


呪歌の詠唱を打ち切って軽くため息をついた俺に、まだ状況が飲み込めないでいる美佳がうろたえがちに聞いてきた。


「『ヒル』だよ。『ヒル』。

 文字通りのさ。

 テレビだか本だかで見たことないか?ああいうの」

「・・・・・・んん?」


美佳は眉根を顰め、口を『へ』の字に曲げる。

まだ要領を得ないようだが、まあこんな説明じゃ当然か。


「日本だとあんまりピンと来ないかも知れないが、ヒルが獲物に襲い掛かる際のやり方の一つに『降り注ぎ型』がある。

 アマゾンなんかの密林で普段は樹上に群生しつつ、動物が枝下を通りかかったらその熱を探知して一斉に降りかかる・・・って方法だ」

「・・・・・・・・・・・・。

 ・・・じゃあ、今あの悪魔にこびり付いてる肉片は・・・」


言いながら、美佳は窓枠の中へと目を凝らす。


・・・悶絶するアインの頭上からは、未だにぼと、ぼととと、おぞましい肉つぶてが降り注いでいた。


「そ。

 ・・・俺があらかじめ何体かのヒル人間を細切れにしておいて、肉片のまま天井のはりに待機させておいたんだよ」

「・・・・・・」


・・・美佳は『うわぁ』みたいな表情で俺と窓枠内の光景とを見比べてきたが、俺は気づかないフリをして言葉を続ける。


「・・・ただ、単に天井から降りかからせるだけだとすぐ振り払われて逃げられそうだから、まず『地雷』を踏ませることにした」

「地雷、って・・・」


美佳が今一度窓枠の中へと視線を戻したのに釣られて、俺もその視線の先へと目を向ける。


「・・・もしかして、足下にも肉片をバラ撒いてた・・・ってこと?」


美佳の言葉通り、アインの足下には肉体にこびり付いている以上の肉片が散乱しており、さらにアインの両足首周りで凝り固まって肉塊を形成していた。

まるで、腐肉でできた足枷のように。


・・・まあ、もちろん俺の仕業なんだけれど。


「そういうこと。

 ・・・でも、見えてる地雷を踏みにいくヤツはいないだろ?

 だからまず、アインの視覚をアイン自身の爆炎で鈍らせることが狙いだった。

 狭い空間で四体一斉に襲い掛かれば、ヤツも相応の大技を使わざるを得ないだろうからな」

「・・・」

「同時に、天井の肉片をアインの頭上ではなく、入り口のすぐ手前にある程度落として、床に敷き詰めておく。

 で、当然アインは屋内は危険だと踏んで、入ってきた扉からまた外に出ようとするだろ?

 ・・・視界が晴れるのを待たずにさ」

「・・・それで、地雷を踏んだ・・・」


呆れがちにすら見える表情の美佳に、俺は頷く。


「アインが『爆心地』から移動する前に降りかからせると、残ってる熱で接触する前に肉片が燃え尽きちまいそうだったからな。

 大技を一撃使わせた後、退路で襲いかかるのがベストだと踏んだ」


アインの背後では、先ほどの松明による一撃の煽りを受けた柱や床板が、轟々と燃え盛っていた。

社殿そのものを即座に倒壊させるような火気ではなかったが、このままならいくばくと経たず『向こう側』の社殿は炎上するかも知れない。


「『とおりゃんせ』を途中で二番に切り替えたのは、単純に送る信号を別働隊用のに切り替えるためだ。

 最初の囮役の四体は一番の歌詞で、

 その後に降り注いだ本命の三体分の肉片は二番の歌詞で、

 そして地雷役の肉片二体分は両方の歌詞で動くように『設定』しておいた。

 今の俺じゃ同時に六体までしか操れないからな」


のたうち回るアインの足元で、地雷役だった肉片がその足をぞぞぞと這い上がっていくのが見える。

肉片部隊は梁から落ちると同時に再生するよう指示してあるため、アインのいる場所を中心に寄せ集まろうとして、ますます強烈に粘着しているのだ。


『・・・がッ!

 ・・・・・・く か カか かアぁっ!!』


・・・すでに、おそらくは人間ならとっくに失血死しているであろう量の肉片が、悪魔の肉体を覆っていた。

自然界の生物ではないためか出血しているようには見えなかったが、その苦悶のさまからダメージを受けているのは明白だった。


「・・・・・・。

 なんか、いいのかな・・・」

「?

 なにがだ?」


不安げに窓枠内の惨状を覗き込んでいた美佳のつぶやきに、俺はそちらへと振り向く。


「だからね、こんな戦い方でいいのかな、って」

「・・・・・・」


・・・その表情は不安げというよりも、ある種の畏れのようなものにこわばっているように見えた。


「今さらだけれど・・・。

 建御雷タケミカヅチ様は、『こちら側の空間』はあくまでもしもの時の避難所みたいに使わせるつもりで用意したんでしょ?

 なのに、こんな・・・」

「違うな。

 タケミカヅチは最初からこう戦えと言っていた」


その美佳の不安の声を、俺はぴしゃりと遮る。


「え?

 でも・・・」

「タケミカヅチは最初から、俺に『卑怯に戦え』と言っていたよ。

 ・・・言外でな」

「・・・・・・」


俺は窓枠に視線を戻しながら言葉を続ける。


「・・・美佳。

 あの神様たちは、なぜ、あえて、あんな恐ろしい悪魔を潰すためのコマとして

 ケンカすらロクにしたことない俺なんぞを選んだんだと思う?」

「それは・・・」


俺が肉体的な争いごとに全く向いていないのは、美佳も子供の頃からよく知るところだった。

ただ、それでも本人を前にしては同調しづらいだろうが。


「・・・俺の小賢しさを買ったからだ。

 それはつまり、小賢しさに徹しろってことなんだよ。

 正々堂々と勝負させる気が少しでもあるなら、わざわざ俺みたいな奴を戦いに駆り出したりはしないからな。

 ・・・だから『異次元の避難所』という、最大限にズルに利用できるカラクリを俺に提供してきた」

「・・・・・・・・・」

「あとは俺がこの異次元の避難所と、お前の星読みの力と、ヒル人間を操る術との相性の良さに気づいて卑劣に立ち回るだけだ。

 ・・・こういう戦い方を正面きって提示しなかったのは、連中にも・・・なんて言うか、由緒正しい武神としての『体裁』みたいなものがあるからなんだろう。

 神様の都合なんて、俺には知る由もないけどな」


勝手な解釈だという自覚はあったが、そもそも神様同士の争いに巻き込まれたこと自体が理不尽なわけだし

まして戦い方でとやかく言われる筋合いなんかないと開き直ることにした。


色んな意味で汚い戦法だから、ドン引きする美佳の心情も理解はできたが

負ければ少なくとも俺は殺されるだろうし、美佳に到っては死ぬより酷い目に遭うかも知れない。

『こんなやり方をしていいんだろうか』なんて怖気づいてる余裕はなかった。


『―――ぐァっ!

 このっ・・・よくも・・・ぐぁあぁッ!』


アインは松明を振り回し、自身の肉体にこびり付いた肉片をしきりに焼き払おうとしているが

次から次へと降り注ぐ肉つぶての前では、焼け石に水―――火なのに水とは妙な例えだが―――だった。

降りかかる前ならまだしも、すでに身体に幾重にも纏わりついてしまっている肉片を一つ一つ焼き払うのは

アインの火力をもってしても難しいだろう。


脱出口はすぐ目と鼻の先だが、すでに足周りを肉片で蝋細工のように固められているため

そのたった2mの腐肉の海を抜けられずにいるのだ。

それほど悪魔にとって、エーテル抜き―――つまり霊体に直接ダメージを与える術は堪えるのだろう。


「倒せるかな。このまま・・・」

「・・・」


そう楽観したいところではあった。

ヒル人間のエーテル抜きで消耗させた後、美佳の神剣でトドメを加えるのが大まかなプランだったが

できることなら美佳を直接矢面に立たせず済ませたいというのが、はばからぬ本音だ。


・・・だが。


『・・・っこ、小・・・僧!

 聞こえて・・・がッ!

 ・・・き、聞こえておろうッ!』

「!」


苦悶の悲鳴を混じらせながらも、アインは怒りと怨嗟が込められた声色で

再びこちらへと呼びかけてきた。


『貴様ッ・・・・・・ぐ!

 ・・・あの軍神どものけ、結界術、でっ・・・

 ・・・・・・こ、異なる位相の結界に逃げ込んでおるなっ!?』

「・・・」


・・・やはり、理屈の上ではとっくに見抜かれているか。

そもそも、アインは一度タケミカヅチたちの結界術によって偽物の大甕神社に迷い込まされているわけだから、ある程度学習していて当然だったが。


『どう・・・やら、・・・っ、

 一度・・・隠れ蓑・・・を!

 ひ、引き剥がす必要・・・が、ある、よう・・・だな!!』

「えっ!?」

『・・・っこ、

 この・・・手は、・・・ぐっ!

 つ、使わず・・・済ませたかった・・・が!』

「・・・!?」

『かく・・・なる・・・っ、

 ・・・うえ・・・は!』


と。

突如アインは肉片まみれの顔を上げ、大きく天を仰ぐ。


そして。



『サル・・・・・・ガタ・・・・・・ナス!

 ―――来たれ!

 サ ル ガ タ ナ ス ッ !!』



―――その吼えるような怒声に乗せられ、まるで聞き覚えのない謎の単語が

異次元の大甕神社社殿内に響き渡った。

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