『とおりゃんせ』再び

「―――方向は剣の切っ先で、距離は口で教えろ。

 覗き窓から向こう側に声が漏れる恐れがあるから、適度に小声で頼む」

「うん。

 ・・・今、入り口をくぐったくらいのとこだよ」


俺と美佳は、先ほど入ってきた扉の向かって右側の壁に身を寄せると

張り込みでもするかのように息を押し殺し、壁に張り付いた。


もちろん、アインからは俺たちの姿は『基本的には』見えない。

ただお互いの間に出入り口を挟んでしまうと、それが覗き窓となって視認されてしまう可能性はある。

だからなるべく扉や窓の前には立たない方がいいのだ。


「完全に屋内に入った。

 ・・・今、扉の手前四メートルくらいのとこ」

「・・・・・・よし」


俺は脈打つ胸中を抑え込むかのようにゆっくりと深呼吸しながら、カメラを構えるかのごとく、右目でそっと窓枠を覗き込む。



―――いる。



5mほど先、扉に背を向ける形で

煉瓦れんがのごとき肌を持つ三つ首の大男が、社殿の奥へとゆっくり歩を進めていた。


「・・・・・・っ。

 ・・・とぉ・・・りゃん・せ・とぉりゃん・せ・・・」


その異形を認めるや否や、俺は絞り出すようなか細い声で呪歌の旋律を刻み始める。


「こ・・・こは・ど・・・この・ほそ・みち・じゃ・・・」


金属が擦れ合うかのような、弱々しく乾いた声で。

無論アインに気づかれないためだが、『はずみ』だけならこの程度の声量でも問題なかった。



―――そして、その直後。


『・・・・・・。

 ・・・てん・・・じ・・・ん・・・さぁ、ま、の・・・』


俺たちがいる方角とは、別の―――と言うか、窓枠の向こうからかすかに聞こえる、俺の声とは異なる『とおりゃんせ』。


『―――む!?』


それが俺たちの耳に届いてくると同時に、同じく窓枠の向こうからアインの短い声が響く。


『・・・そ・・・み、ち・・・じゃ・・・』


さらに、その一瞬後。


悪魔以外に生命の気配がなかった窓の向こうの社殿内に

突如、ざわり、と、なにかが一斉に起き上がるような気配があった。


『ぬぅ!?』


その生気なきざわめきに歩を止めたアインが周囲を見回したため、俺は慌てて窓枠から顔を引く。

が、呪歌の旋律にはいささかの淀みもない。


「・・・ちっ・と・とぉして・くだ・しゃん・せ・・・」

『・・・ちぃっ、と、とぉして、くだ、しゃん、せぇ・・・』


次元をまたいだ呪歌のコーラスは、次第に大きく、そして多くなっていく。

その忌まわしいまでの声量に、俺ももはや声を押し殺している必要はなくなっていた。


「ごようの・ない・もの・とおしゃせ・ぬ・・・」

『ごよぉ・・・の、ない、もの・・・とぉ、しゃ、せぬぅ・・・』


一ヶ月前、俺と美佳にとって、恐怖と狂気の象徴だった亡者の大合唱。



だが、今は・・・。



「・・・・・・・・・・・・かかれ」


俺は呪歌の詠唱を打ち切ると、亡者の軍団に対して極めて単純な軍令を下した。

すぐ隣にいる美佳にすら聞こえないであろう小声で、つぶやくように、ぼそりと。


『・・・こぉぉのおぉこぉおの、なぁなつぅうぅの、おぃわぃにぃいいぃいぃぃ』

『・・・おぉふだぁをおぉさめぇえにまいぃりぃいますぅうぅううぅうぅぅうぅぅぅ』


その本来なら届くはずもない軍令を受け・・・

壁の影から。

床の段差から。

扉の外から。

柱の裏側から。

社殿内のありとあらゆる物陰から、蒼ざめた亡者の群れが悪魔目掛けて一斉に飛び掛かっていく。


『―――またヒルコめのネクロマンシーかぁっ!』

「・・・」


・・・・・・ネクロマンシー・・・・・・。


・・・ネクロマンシー、か。

その単語の響きは、オカルトに疎い俺でも聞き覚えがあった。

もっとも、ゲームだか漫画だかで何となく覚えがある・・・って程度の、聞きかじりの知識でしかなかったが。


『ゾンビや悪霊を操り、けしかける術』。

本来の定義はもっと違うのかも知れないが、少なくとも俺がネクロマンシーという単語から想起するイメージはそんな感じだ。


「・・・・・・」


・・・じゃあ、それを操っている俺は・・・

いわゆるネクロマンサーってヤツになる・・・のか?

ファンタジーものの創作物とかで、よく悪役の魔術師として据えられる、あの?


―――そうだ。

俺自身の意識がどうであれ、俺が今やっていることは、傍から見たらまさしくネクロマンサーじゃないか。


「・・・・・・ふっ」

「・・・・・・?」


喜劇だと思った。

つい一ヶ月前まで、心霊現象なんてヨタ話だとしか思っていなかった俺が。

オカルトなんて、寂しい人間が信じ込もうとするものだと思っていた俺が。

ネクロマンサー。ネクロマンサーか。

他人様からの借り物の力とは言え―――いや、その貸し出し手すら、この日本に古くから根付く、由緒正しい神様だというのだ。


「ふふっ・・・・・・」

「さっちゃん・・・?」


今さらながら。

俺はそのあまりの馬鹿馬鹿しさに、思わず口端から笑い声を漏らす。

自嘲の笑いだった。

だが一方で、少しだけ誇らしくもあった。

こんな狂った状況下でも、俺はあくまで人間として、『人間の』美佳を助けるために戦っているのだ。


人間、自分の本性なんて、自分でも分かったもんじゃない。


だけど自分という人間が、人智を超えた敵意を前にした時

少なくとも渦中にある腐れ縁を見捨てて逃げるようなクズではないと分かっただけでも、救いだった。




―――俺は今初めて、一ヶ月前のあの日、ヒルコが最後に見せた穏やかな表情の意味を理解した気がした。




・・・と。


『―――小僧!貴様がヒルコの力をコントロールしているな!?

 ・・・・・・だが!!』


その呼びかけにはっとして窓枠の向こうへと目を見張ると、アインはのたのたとなだれかかってくる亡者の群れを振り払いながら

その右手に握っている――いや、そもそも今初めて手に何かを持っていることに気づいたんだが――短い棒のようなものを大きく振りかぶっていた。


「あれは・・・」


いや、棒・・・

・・・違う、棍棒だ。

50cmあまりの長さで、先端に角張ったコブがついている棍棒・・・

・・・・・・いや、それも違う。

棍棒にしては、先端があまり殴打に適した形状には見えない。

例えるなら、金属の杯さかずきを先端に取り付けたような形状だろうか。

それをアインは右手で大きく振りかぶり、今まさに振り下ろさんとしている。


「・・・あ!」


そこで俺はようやく、昨夜スマホで調べておいた伝承上における魔神アインの特徴と―――車での逃走劇の時に垣間見えていた『炎を持った人影』の姿を思い出した。


「―――あれか!あれが炎の源っ・・・」


そう、俺が漏らすが早いか。




――――――窓枠の内側から閃光が走った。




「うぉおっ!?」

「きゃっ・・・!」


続けて、またしても唸りを上げる轟音。


まるでテレビの音量を最大まで上げた時のように、俺が手にしている虚ろなブラウン管から

目も眩む閃光と共に大轟音が響いてきたのだ。


「・・・・・・・・・・・・っ!!」


・・・・・・アインが手にしていた棒状のものとは『たいまつ』だった。

そしてそれこそが―――伝承上の記述を鵜呑みにするならば、アインを炎の悪魔たらしめている力の源だったのだ。


「くっ、まぶしくて見えんっ・・・

 ・・・美佳!」


――――――猫と、人間と、蛇の三つの頭を持ち、その手には決して消えることのない松明が握られている。

そしてその松明であらゆる都市や城砦に炎を放って回るという、放火の悪魔。


少なくとも振りかぶる直前までは松明の火は消えていたが、

俺たちが今対峙しているアインは概ね解説サイトの記述に忠実な特徴を備えていた。

いや、解説サイトの記述の方が実物に対して忠実と言うべきか。


・・・猫と蛇の頭がくっついているというのはさすがにファンタジーすぎて、てっきり何かの喩えか・・・あっても襟巻きか装飾品のたぐいだろうとばかり思っていたが。

その認識の甘さが、ヤツの容貌に対する生理的嫌悪感をことさら助長させたのかも知れない。


「いっ・・・、位置は今の場所から動いてないよっ!」


逃走劇の際に『炎を持った人影』に見えたのも、つまりそういうことだ。

持っていたのは炎ではなく、炎を灯した松明の柄だったのだ。


「・・・よし!

 視界は遮られているが、それは向こうも同条件のはず・・・」


この21世紀に至ってなお、松明を武器とし、聞き伝えられている特徴をバカ正直に遵守しているとは。

実に古典。実に愚直。


「ど、どうするの?」

「・・・おそらく今の一撃で、けしかけていた四体はほとんど吹っ飛んじまっただろう」


放火と呼ぶにはあまりに破壊的な火力で、燃焼というより爆発と表現する方が的確だったが

アイン自身の五感すら鈍らせるほどのその強烈な爆発力に、俺はむしろ付け入るスキのようなものを見出そうとしていた。


「まあ、今の四体はハナから囮だ。

 いくら待ち伏せしてたといっても、ヒル人間の機動力じゃアインの動きを捉え続けるのはムリだろうからな。

 ・・・そこでだ」


と、俺がそこまで言いかけたところで。

窓枠の向こうから、男の野太い怒声が聞こえてきた。


「え!?

 今のって・・・」

「・・・地雷を踏んだかな」


怒声の主は言うまでもなくアインだった。


・・・怒声というよりも、悲鳴に近い響きだったが。


「美佳。アインの位置は?」

「え?えっと・・・

 あ!さっきより移動してる!

 今、扉のすぐ手前・・・二メートルくらい!」

「・・・ま、当然、屋外に出ようとするよな」


粗野な悲鳴はなお断続的に響いてきている。


「さっちゃん・・・何が起こってるの?これ・・・」

「・・・・・・。

 ・・・とぉ・ぉ・りゃん・せ・とぉ・りゃん・せ・・・」


美佳のその質問を左手で制しながら、俺は再びとおりゃんせの詠唱を始める。


「こ・こは・ど・この・ほそ・みち・じゃ・・・。

 え・びす・さ・まの・ほそみち・じゃ・・・。」


・・・ただし。


「ちっと・とぉして・くだ・しゃんせ・・・。

 しるべの・ないもの・とぉしゃせ・ぬ・・・」


二番だ。

存在しない二番。とおりゃんせを呪歌たらしめている、捏造の歌詞。

死返まかるかえしの術の力の根源たる、天津神ヒルコの賛歌。


・・・まあ、俺自身にはあいつを讃えるつもりなんて、これっぽっちもないんだけれど。


「!」


―――そして。


俺が捏造の二番を詠唱し始めてから程なくして、窓枠から聞こえてくる物音に変化が生じた。


「この・この・いさよの・おい・わい・に・・・」

「・・・・・・」


悲鳴が激しくなったのだ。

訝しげに俺の詠唱を聞いていた美佳が、思わずぎょっとして窓枠の方を振り返るくらいに。


「・・・い、一体・・・?」

「・・・・・・。

 みた・まを・おさ・めに・まい・りま・す・・・」


俺は呪歌を刻み続けながら、窓枠を美佳へと差し出す。

言うまでもなく、『自分で見てみろ』という意志表示だった。

閃光はとっくに鎮まっている。


「・・・・・・・・・・・・。

 ・・・・・・あ!」


ひょいっと窓枠を覗き込んだ美佳が、あっと声を上げる。

そこから見えていた光景は。


『がっ・・・!

 ・・・・・・ぐぐぁッ!!』



―――頭に、肩に、腕に、そして足に。

全身にヘドロのようなものをこびり付かせながらもがいている、アインの醜態だった。

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