『あちらこちら』
「・・・ふぅっ。
けっこうあぶなかったねー・・・」
―――振り乱した黒髪を掻き上げ、しかし息遣いにはほとんど乱れを見せぬまま、美佳は壁にもたれかかって軽くため息をついた。
「・・・っす、すまん・・・。
ほっ・・・ほんとはもっと、スマートに逃げ込むつもりだったんだが・・・。
・・・俺の手際が、悪かった・・・」
そんな美佳とは対照的に肩で大きく息をつきながら、俺は木造の床にどっかと腰を下ろす。
「んーん、そんなことないよ。あの悪魔、かなりビックリしてたみたいだし」
「・・・だけど、ただ驚かせるだけじゃ意味がないからな・・・」
今しがたの不格好な逃走劇からこの先の展開が思いやられて、俺は思わず縋るように天を仰いだ。
―――ここは殿中。
先ほどその裏手側を走っていた、社殿の内部だ。
アインからの追跡をすんでの所で振り切った俺と美佳は、
裏手の扉からこの社殿内へとほうほうの体で逃げ込んでいた。
「いやー・・・。
でも待ち構えてたヒル人間に自分から飛び込んでった時、あの悪魔ったらものすごい顔してたよ?・・・三つとも。
さっちゃんはよく見てなかったと思うけど、わたしちょっと吹き出しそうになっちゃったもん」
もちろん、あの恐ろしいアインを相手にただ屋内へと駆け込んだだけでは、逃げ仰せたことにはならない。
「・・・・・・。
俺はどちらかと言うと、あの状況で吹き出しそうになれるお前のメンタルの方がこえーよ・・・」
・・・だが、俺たちは今、扉を・・・『出入り口』をくぐった。
それにより、タケミカヅチたちが残していった『仕掛け』が発動したのだ。
一ヶ月前俺たち自身がさんざん悩まされた、異次元結界の仕掛けが。
「あー、ひどーい。
・・・でも、ほんとに神剣なんだねー、これ・・・。
わたしも自分で使っといてビックリしちゃった」
美佳は感心したような口振りで、己の手の内にある錆くれた鉄棒をまじまじと見つめる。
「半分はお前自身の力でもあるんだぞ。
霊感とかがない俺じゃ、いくら振り回してもさっきみたいな現象は起こせないだろうし」
「わたしだって霊感とかあるわけじゃないよ。幽霊とかが見えるわけじゃないもん」
「・・・。
今現在、幽霊なんぞよりよっぽど恐ろしいもんと戦わされてるけどな・・・」
・・・こうした比較的のん気な会話を交わす余裕が出てくるのも、そのタケミカヅチたちが施した仕掛けのおかげだった。
直前に説明があったように、俺と美佳だけは異次元の大甕神社内でなにかしらの『出入り口』をくぐると
別の異次元結界―――すなわち、さらなる平行世界の大甕神社へと逃げ込めるよう、結界に細工が施されているのだ。
「・・・まあ、代わりに星とかヘンなものが見えちゃってるけれど。
もーっ、ご先祖様がうっかり神様に親切にしちゃったせいで、とんだとばっちりだよ」
「・・・・・・」
そう。
今回の件、美佳自身は単純に巻き込まれただけだと思い込んでいる。
先祖が
その認識自体は別に間違ってはいない。
・・・美佳自身が―――いや、美佳の内に在る『もの』が、その因縁を生み出した張本人だという点を付け加えれば。
「ま、見えちまってる以上は、せいぜいそのヘンなものを有効活用させてもらうしかないな。
・・・あまりヤツに時間を与えない方がいいだろうし、そろそろ始めるか」
ようやく息を整い終えた俺は、額に張り付いた前髪を払いのけながら重々しく腰を上げた。
「あの悪魔は『こっち側』には来られないだろうし、そんなに急がなくても大丈夫じゃない?」
「いや・・・。
あっちもなんだかんだで海千山千だろうからな。
時間を与えれば、結界術の性質を学習して何らかの手を打ってくる可能性は低くないと思う」
俺は飾り気のない社殿の内観をヒラリと見渡してから、美佳の手の内にある神剣へと目を向ける。
「じゃあ、手はず通りだ。
・・・いけるか?」
「うん。
・・・いくよ」
美佳は俺に促されると壁から身体を起こし、神剣をすっと正眼に構えた。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・どうだ?」
そして今しがた入ってきた扉の方角を見据えながら、伸ばした剣先をゆっくりと揺り動かし始める。
「・・・うん。
いける・・・みたい。
見えるよ。
・・・星が」
美佳は、壁・・・と言うか、壁の向こうにある『であろう』ものへと目線を伸ばしながら答えた。
「よし。
・・・リハーサル通り、平行世界をまたいでも『星』は見えるみたいだな」
ここでいう『星』―――すなわち、美佳の星読みの力で知覚しようとしている標的とは、言うまでもなく『あちら側』にいるアインのことだ。
それが今、美佳にはこの平行世界の同一座標上に見えている。
美佳にとっての『正解』や『目標』を星という形で示してくれる天津甕星の神通力は、美佳自身の認識次第でその見え方が変化する。
敵を倒すことが最優先だと美佳が認識していれば敵がいる方角に星が顕れるし、敵よりもどこか別の場所に辿り着くことが重要だと認識しているなら、そこに到達するための道に星が示される。
「自分で言うのもなんだけど・・・。
違う世界のものまで探り当てちゃうなんて、ほんと、フシギな力だね」
山海高校で異次元迷宮を突破する際、美佳の星読みの力は平行次元同士の出入り口と化していた裏門を指し示していた。
つまり、星読みの力はその気になれば、次元を超えて目標物を知覚できるポテンシャルがあるはずなのだ。
「・・・フシギとか言い出したら、何から何まで不思議なことだらけだよ」
ただ、その時はゴールである切り株を直接指し示さず、あくまで中継地でしかない裏門を指していたため、今回のように『異なる次元の同じ座標にある目標物』を直接知覚できるか不安ではあった。
「・・・そっか。
そうだね・・・」
しかしそれは、当時の状況ではまず中継地を探り当てないと目的地に到達できなかったからであって、最初から中継地―――つまり平行次元同士の出入り口が把握できている今回のケースは違う。
美佳の『認識』が一ヵ月前とは違うのだ。
ハナから把握できているものに対しては、星しるべは顕れない。
美佳が『知りたい』のは、あくまでアインがいる位置なのだから。
もちろん、こんな頭でっかちな理屈をぶっつけ本番で試すわけにはいかないから、事前にリハーサルは行った。
いったん俺だけが平行次元間を移動した後、美佳の星しるべが俺のいる場所をトレースできるか、何度か実験してみたのだ。
言うなれば、次元をまたいだひどく大仰なかくれんぼだ。
・・・美佳とかくれんぼしたのなんて、もう十年ぶりくらいだろうか。
それがよりによってこんなシチュエーションとは・・・
いや、今はそんな感慨に浸っている場合じゃない。
「・・・さて、次は『覗き口』の確保だな」
・・・最大の懸念は、『いかに確実かつ安全に「こちら側」に逃げ込むか?』だった。
この神々の身勝手な決闘にも最低限のルールがあるようで、タケミカヅチによると
『決闘開始時、最低でも会話が成立する程度の距離でお互い顔を突き合わせなければならない』らしい。
つまり、あの恐ろしい悪魔に対してむざむざ無防備に生身を晒け出した状態から戦闘を開始しなきゃならなかった訳だ。
くそったれ。
「今入ってきた扉じゃダメなの?」
結局、俺の手際がイマイチだったせいで
安全とも確実ともほど遠い逃げ込み方になってしまったが・・・。
まあ、結果オーライとしよう。
そもそも、15のガキが海千山千の悪魔と小知恵で渡り合わなきゃならんとか、冷静に考えるまでもなく意味わかんねえし。
「さっき勝史さんに試してもらっただろ?
こちらから平行次元の向こう側を覗き見ている時は、向こう側からもこちらの姿が見えちまう、って。
だからさっきの扉じゃ大きすぎるし、何より屋外しか覗けない」
出入り口はお互いの空間を繋げる接点であるためか、
いちいちくぐらずとも覗き込むことで『あちら側』の状況を視認する程度のことは可能だ。
しかしそれは向こう側も同じことで、俺や美佳が出入り口から覗かせている姿は向こう側からも見えてしまう。
これは次元移動できるように『設定』されていない勝史さんにも確認してもらったことで、つまりアインからも見えてしまうのだ。
だから俺たちはアインからは察知されづらい『覗き窓』をどこかに設けなきゃならないわけだが・・・。
「とにかく、アインにこちらのタネがバレちまうような行動だけはダメだ。
さっきも言ったが、アイン自身に次元を超える力がなかったとしても、何らかの対策を立てられてしまうリスクが一気に増すからな。
いずれはバレるだろうが、それはなるべく遅らせたい」
「うーん・・・。
じゃあどうしよう?」
美佳は俺に問いかけてきながらも、やや遠い目で視線を泳がせている。
・・・やはり、『向こう側』のアインは俺たちの捜索を開始しているようだ。
「今ごろアインは『あちら側』の次元で、俺たちがどこに消えてしまったのか調べ始めているだろう。
とすれば当然、この社殿を怪しむ。
・・・問題は、この社殿をどう調べてくるかだ」
「う~ん・・・?」
俺は感触を確かめるように右手の甲をさすりながら、身構えている美佳へと歩み寄る。
「俺の予想では、単純に社殿の中に入ってくると思う。
入ってこずに、社殿に放火する・・・という可能性ももちろんあるが、こっちの確率はたぶん高くない」
「なんで?」
美佳の視線の推移は傍からはふよふよとおぼつかないように見えたが、それでもこちらを一瞥しようとすらしない。
アインは意外とせわしなく動いているようだ。
「こちらには消火する手段があるって知れてるし、そもそも中にいる確証がないまま『焼き討ち』という手段に頼るのは
出て来なかった時の確認作業が面倒だ。
実際、あちら側の次元の同じ社殿が全焼しようが俺らには何のダメージもないし、それで所在が知れるわけでもないしな」
タケミカヅチに確認したところ、『向こう側』の建造物がいくら破壊されようと
『こちら側』の同一建造物には一切影響がないらしい。
またあちら側の出口が潰されてしまっていても、こちら側の入り口さえ無事ならば、とりあえず出ることだけは可能とのこと。
もちろん一方通行になってしまうようだが。
「まあ、逆にあえて消火させる狙いで仕掛けてくる可能性もあるが・・・。
ただ、社殿のような大きな物体を全焼させるほどの劫火を起こすのは
アインにとっても、ほんのちょっとだけリスクがあるはず」
「リスク・・・って?」
こちらを振り向かずに聞いてくる美佳に対し、俺もまた美佳の方を見ないまま言葉を続ける。
「・・・おそらく先ほどの挙動を見ている限りじゃ、アインの五感は人間のそれとさほど変わらない。
だからあまり大規模な火災を起こすと、かえってアイン自身のアンテナを鈍らせるような状況にもなり得る。
・・・と、考えると思う」
「アタマが三つもあるのに?」
「それはたぶん、せいぜい『人間と同じ知覚を三頭分有する』というだけで、本質的な差じゃない。
・・・俺が言いたいのは、アインは『自分が引き起こした爆音や光熱に遮られてしまう程度の知覚能力しか持ち合わせていない』ということだ。
ヒル人間どもが吹っ飛ばされてから俺たちがこっちの世界に逃げ込むまでの間、アインは明らかに爆音や爆炎によってこちらを見失っていた。
だからわざわざ自身の五感を鈍らせてまで、外側からの放火という不確かな『処置』を施すというのは、ちょっと考えづらい。
俺たちが別の場所に潜んでいた場合のリスクが大きいからな」
「なるほどね~・・・」
まあ、本当の根拠は『こっちに美佳がいるから』なんだけど。
悪魔どもが天津甕星の器として美佳を利用したいというのであれば、焼死体になっても構わない・・・ってことはさすがにないだろう。
その点に関してはアンドラスの言動からも推測できていた。
あのフクロウ野郎は俺に対しては殺す殺すとうるさかったクセに、美佳への殺意をほのめかすようなことは言ってなかったはずだから。
「・・・えっと、じゃあ、結局どうしたらいいかな?」
「まず、アインが社殿に侵入してきたら、俺が攻撃する。
お前は星を見ることだけに専念して、アインの位置を俺に教えろ」
「でも、それだと・・・」
「そうだな。
・・・いくら星しるべで位置が分かると言っても、アインの具体的な状態が分からないんじゃこちらの攻撃にも限界がある。
俺だって、視覚的な情報もなしに異次元側のヒル人間を操作するのは難しいしな。
だから、どこかに『覗き口』がいるんだが・・・」
言いながら、俺は改めて社殿の内観をきょろきょろと見回す。
「・・・ま、やっぱりこういうのが手堅いか」
そして社殿の一角に歩み寄り、立て掛けられていた『それ』を手に取った。
「・・・ちゃんと見えるかな?『それ』」
『それ』とは―――
戦闘開始前、あらかじめ取り外してこの社殿内に用意しておいた、社務所の窓枠だった。
幅、高さともに60cmほどだろうか。
「まあ、さっき試した時は問題なかったが・・・。
ただいかんせん小さい上に、常にアインの死角を心がけなきゃならないからな。
索敵の主体は、あくまでお前の星読みの力だ」
・・・平行次元同士の橋渡しとなるのは、あくまで『大甕神社内に点在する、出入り口の形状をした人工物』だ。
裏を返せば、扉や窓として造られた人工物でさえあれば、その状態は問わないということになる。
・・・たとえ、窓から取り外してしまったただの『枠』であっても、だ。
「うん。
・・・あ!
星・・・アインがさっきの扉に近づいてる!」
文字通りの出入り口として使うにはちと幅が足りないが、持ち運びつつアインがいる『あちら側』の状況を覗き見るにはちょうどいい、まさしく携帯用の『覗き窓』だ。
まず平行次元に逃げ込んだ後、美佳の星読みの力でアインのいる座標を探知しつつ、携帯用の覗き窓で向こう側の具体的な状況を視認しながら、奴に攻撃を仕掛ける。
これが俺が立てた、基本的な作戦内容だった。
「よし。
・・・さっきも言ったように、お前は星を見てアインの位置を俺に教えることだけに注力しろ。
当面、攻撃は全て俺が行う。
・・・・・・いくぞ」
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