不和

「さっちゃーん、おはよー」

「・・・ぅ・・・」


聞き慣れた能天気な声が、頭上から俺の覚醒を促してきた。


「さっちゃーん、おきてー。おきなきゃチューするよー」

「・・・ん・・・む・・・。

 ・・・・・・ぅん・・・・・・?」


・・・『チュー』・・・?


え?チュー?

誰が?

誰に?


「・・・っていうか、この際だからおきてもチューしちゃうよー?」

「っ!?」


寝ぼけかけの頭で言葉の意味を理解する前に、本能的に身の危険を察知した俺は

慌てて布団から飛び起きる。


「ぅおわっ!?美佳!?」

「おはよー。

 ・・・っていうか、そんなに拒絶反応起こさなくても良くない?」


すぐ隣へ目を向けると、そこには少し不愉快そうに眉根をひそめた黒く長細い影が正座していた。


「おまっ・・・どうやって入ってきた!?」


寝る前に、ちゃんとドアに鍵を掛けたはずだったが。


「んー?勝史おじさんに合い鍵もらったんだけど・・・」

「・・・・・・・・・・・・」


・・・あの人は~~~・・・。


「・・・って言うか、さっちゃん。

 こういうお泊まりでいちいち部屋にカギかけるとか、逆になんか気持ち悪いよ?

 男の子なのに・・・」

「お前がいるからだろ!

 現にこうやって侵入してきてるし!」


うちに上げた時の傾向から鑑みるに、一旦部屋に入れるとなかなか出て行かないだろうし。


「んふふ。

 フコーヘーだっていうなら、わたしの部屋のカギもあげよっか?」

「いらねーよ!!

 公平どころかお前が楽しいだけだろそれ!!」


俺の必死のツッコミを受け、端正に切り揃えらえた黒髪から覗く切れ長の釣り目が、にっとほころぶ。

そうこなくちゃ、とばかりに。




2014年8月14日木曜日。依然曇り。

お盆二日目。

床に就きながら勝史さんとの密談の内容をあれこれ考えている内に、いつの間にか眠りに落ちてしまったらしい俺は

快適なんだか不快なんだかよく分からん寝覚めでお泊まり二日目の朝を迎えた。


・・・つーか、今どき幼馴染みに朝起こしてもらうとか・・・。

自意識過剰かも知れないけど、なんか恥ずかしい。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「・・・・・・そういえば、勝史さん」

「・・・うん?」


午前7時30分。

朝食を終えて洗面所へと赴いた俺は、そこでたまたま鉢合わせた勝史さんに

昨夜聞きそびれた疑問をぶつけることにした。


「単純な興味で聞くんですけど・・・。

 ・・・俺や美佳が遭遇したあの『ヒルコ』、

 勝史さんはなんだと思います?」

「・・・」


タオルで顔を拭いていた勝史さんのその手が、一瞬止まったように見えた。


「・・・そんなことが気になるのか?」

「まあ・・・。

 『本業』の人にはどう聞こえたのかな、って」


あの『ヒルコ』が西宮先生の解説通り、日本神話の蛭子神と何らかの関係があるのだとしたら、神道の神職にある勝史さんの専門分野ということになる。


「・・・分からん。

 昨日も言ったように、君や美佳ちゃんを襲ったというそのヒルコの在り方は、俺が信じる神道神霊の定義からは、あまりにかけ離れすぎている」

「俗っぽすぎる・・・ってことですか?」

「そこまでは言わんが、やはり神霊というものは・・・敬意とか、真摯さとか・・・そういう人間の高潔さの中にこそいて、そこから出てくるべきものではないと思う」

「・・・」

「人間の高潔さとは聖域だ。

 どんな奴だって、聖域に土足で踏み上がることだけは決してできない。

 ・・・しかし、どんな超越的な概念も、『肉』を持ってしまった時点でその聖域は崩れてしまう」


勝史さんはタオルをバスケットの中に投げ入れながら、なおも言葉を続ける。


「例え・・・死体を操ったり、触れもせずに物体を破壊するといった・・・明らかに人を凌駕した力を持っていたとしても、肉で形作られている時点でそれは人間や他の動物と本質的には何ら変わりない。

 ・・・もちろん、天神としての蛭子神のことは俺も知ってる。不具の神とされがちなことも知っている。

 しかし、身体がヒルの群体で構成されているというのは・・・もはやオカルトというよりファンタジーだろう」

「じゃあ、やっぱり俺たちが遭遇したあのヒルコは、神様でもなんでもない、ただの化け物だったんでしょうか」


と、俺のその言葉を受け、再び勝史さんの動きが止まる。


・・・その表情には、困惑の色が見て取れた。


「ううん・・・。

 ・・・ただな、今言った俺の理念は、あくまで超常的な体験をしたことがない、一般人としての考えだ。

 実際にそういった存在に遭遇してしまった君に、見てもいない俺の考えを押し付けるのは、ただの知ったかぶりでしかない」

「・・・今さらですけど・・・。

 俺の話、信じるんですか?」

「信じるしかないだろう。

 君と前回、最後に会ったのはもう一年も前になるが・・・。

 それでも、君が冗談でそんなことを言う奴じゃないのはよく知ってるつもりだ」


・・・まあ。

自分で言うのもなんだが、確かに以前の俺だったら、間違ってもこんな妄言を吹いたりはしないよなあ・・・。


「それとな。さっきはああ言ったが・・・。

 ぶっちゃけてしまうと、日本神話というのは思いのほか俗っぽい話が多いんだ。

 天の岩戸伝説で舞われた舞が今でいうストリップだったというのは有名な話だし、客神をもてなすために尻から食い物を出して斬り殺された神なんてのもいる」

「・・・・・・・・・・・・」


・・・まあ、大昔の価値観で書かれた話に俺ごときがとやかく言うつもりはないけど。


「なんか、勝史さんの理念ってやつとちょっと矛盾してるように聞こえるんですが・・・」

「それはそれ、これはこれだ。

 ・・・人間が好きなことや信じるものを求道する時、そこには必ず矛盾や葛藤といったものが生じる。

 そういうものと自分の中でうまいこと折り合いをつけていかないと、挫折はまぬがれないからな」

「はあ・・・」


なんか・・・含蓄があるような、ただの詭弁でしかないような・・・。


「・・・あ!

 さっちゃん・・・とおじさん、こんなとこにいたの?」


俺が煙に巻かれたような気分でいると、洗面所の外から聞き慣れた声が聞こえてきた。


「・・・うん?美佳ちゃん?」


勝史さんの声と同時に振り返ると、聞き慣れた声の主――美佳が、洗面所の入り口から顔を覗かせていた。


「ちょっと二人とも、こっちに来てくれない?

 ・・・って言うか、お願いだから来て」

「・・・なんかあったのか?」


美佳の声は普段の能天気な調子と比べて、かすかに焦りの色が見て取れた。


「うん。

 ちょっと、のっぴきならないことが・・・」


・・・。

今どきの女子高生が『のっぴきならない』とか言うなよ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


螺鈿らでん刀が消えた?」

「いや、正確にはもう見つかったんだけど・・・」


俺からの聞き返しに、美佳の従兄弟の一人が困惑気味に答える。


「誠司の部屋から見つかったのよ。それも、あんなんなって!」


言いながら、顔見知りの別の従姉妹が居間の片隅に置いてある布包みへ、ふいっと顔を向けた。


「だから知らねえっつってんだろ!」


その従姉妹が言い終わるのを待たず、さらに別の従兄弟ががなり声を上げる。


「あたしは『あんなんになってる』つっただけっしょ!

 つーか、そうやってやたらめったら否定すんのが怪しいのよ!」

「ちょ・・・おい、二人とも落ち着け。まず落ち着いて話せ」


勝史さんがの二人をなだめすかしてる間に、俺は布包みへ歩み寄ってそっと中を覗き見た。


「・・・うわ、なんだこれ?」


布包みの中にあったのは――美しい螺鈿の装飾が施されていたはずの、鑑賞用の木刀。


・・・まず、二つばかり補足すると。


螺鈿らでんというのは装飾技術の一種で、貝殻の真珠層とかを用いたキレイな彫刻のこと。

んで、それがされていた『はず』というのは、その装飾が木刀から無残に削り落とされていたこと。


「お前こそやたら俺になすり付けようとしてるけど、なんか後ろめたいことでもあんじゃねえの?」

「ざっけんなお前!」


この木刀には俺も見覚えがある。

今は恐らく使われていないであろう、じいさんの部屋に飾られていたものだ。

漆塗りの刀身に見覚えがあるし、だからこそ装飾が削ぎ落とされている今の状態が無残なものだとも理解できる。

そもそも、この螺鈿という装飾の知識自体、じいさんから教えてもらった記憶があるし。


「どうせあんたのことだから、売り飛ばして遊ぶ金にでもしようとしたんでしょ?」


このやや粗野な口調の女は、牧野まきの はる

俺らの1コ上で、じいさんの長女の娘だ。


「お前こそ盗んだのバレそうになって、慌てて俺に押し付けたんじゃねーのか!」


んでこの同じくらい気性が荒らそうなのが、加賀瀬 誠司せいじ

同じく三男の息子。


「ちょっと二人とも落ち着けってば。

 つーか、二人とも言ってることおかしいぞ?」


一族の内輪揉めに出しゃばるのも気が引けたが、あまりの剣幕を見かねて俺は思わず二人の間に割って入ってしまった。


「・・・春さん。

 なんで売り飛ばそうとするものを、わざわざ損壊させたりするのさ。

 それに部屋から見つかったって、そんないかにも隠してましたってとこから発見されたの?」

「なによ、あんたは誠司の味方すんの?美佳の彼氏」


春さんのその言い草に、視界の隅で美佳がほんのり嬉しそうな顔をしているのが見えたが、あえて気づかないフリをした。


「いい加減、その呼び方やめてくれよ。

 つか彼氏じゃないって言ってるだろ」


・・・そして、その美佳のいる方向からすぐさま舌打ちが聞こえてきたが、俺はやはり気づかないフリをした。


「そうじゃないって。

 と言うか、誠司が春さんにいちゃもんつけてるのもおかしいし。

 慌ててなすり付けるにしろ、売り飛ばすにしろ、なんで装飾をこそぎ落とすんだよ」

「そりゃ、装飾部分を売って・・・」

「本気で言ってんのか?削ぎ落とした真珠部分が金になると、本気で思うか?

 どう考えたって、そのままの方が価値がある」

「それは、誠司が物の価値の分からないバカだから」

「てめぇぶん殴っぞ!」


・・・なんだこれ?

なんでこの二人、こんなに仲悪くなってんだ?

昨夜は普通に居間で遊んでたのに。


・・・と言うかこの二人、むしろ普段は・・・。


「さっちゃん」


俺が途方に暮れていると、いつの間にかすぐ隣にまで近づいてきていた美佳が、そっと耳打ちしてきた。


「例の『あれ』・・・やってみよっか?」

「・・・」


この状況で美佳が俺に対して『あれ』と言ってきたら、該当する行為は一つしかない。

だが・・・。


「・・・いいのか?」


・・・俺が気掛かりだったのは、その行為に対してヒルコが漏らしていた忠告だった。


「『まが』とか言い出したら、今の状況そのものがもうまがだし。招くも何もないよ」

「・・・それもそうか」


俺は小さく嘆息すると、呆れ気味の表情で成り行きを見守っていた勝史さんの元へと歩み寄る。


「・・・高加君?」

「勝史さん・・・。

 今から美佳が、昨夜話した例の『アレ』をやるんで」

「!!」


途端に、勝史さんははっとした表情になって俺と美佳とを交互に見た。


「星を読む力というやつか!?」

「まあ、読むというか、見るというか・・・。

 正直、あまり使わせたくないんですけど」


そう。

美佳の『星しるべ』を見る異能だ。


ただ、やはり心配だったのは『あまり使いすぎるとまがを招く』というヒルコの忠告だ。

使わずに済むならそれに越したことはないから、この一ヶ月間極力使わないよう俺からも言い含めていたんだが。


「その・・・なんだ、それを使えば、犯人が分かるものなのか?」

「美佳自身が『犯人を突き止めることが正解』だって認識していれば、おそらくはいけるはずです。

 ・・・だよな、美佳?」

「うん。

 ・・・ていうか、もうやってる」


振り返ると、美佳は既にその漆黒の木刀を正眼に構えていた。


・・・当然と言えば当然だけど、竹刀じゃなくてもいけるんだな・・・。


「・・・・・・・・・・・・」

「・・・どうだ?」

「・・・春ねえも誠司さんも違う。『星』も『暗がり』も見えない。

 ・・・・・・って言うか、ここにいるみんな関係ないみたい」

「そ、そうか・・・」


美佳のその言葉に、俺と・・・何より勝史さんが胸をなで下ろした。

まあ、そりゃそうだ。

二人ともそんなことをする人間とは思えないし、今はヒートアップしておかしくなってるが、いつもの二人ならお互いを疑ったりはしないだろう。


「んじゃ、真犯人の居場所とか分かるか?」

「・・・・・・ん~~~・・・・・・」


美佳は眉根をひそめながら、東西南北あらゆる方向に構えを向ける。


「・・・こっち・・・が、星・・・かな?

 ちょっと暗いような・・・」

「よし、さっそく行こう。

 勝史さんもお願いします」

「・・・あ、ああ」


依然としてがなり合っている春さんと誠司を尻目に、俺たち三人は足早に玄関へと向かう。




・・・後にして思えば、この時俺は一旦足を止め、熟慮する慎重さを持つべきだった。

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