夜会(後)

「――と、いうことがあって・・・」

「・・・・・・・・・・・・。

 うう・・・む・・・」


一ヶ月前、俺と、美佳と、西宮先生の身に起こったあの怪事の全容を聞いて、

勝史さんは口元に手を当てながら軽く唸り始めてしまった。


「・・・正直、予想以上・・・というか、突拍子もなさすぎるな。

 俺はてっきり、予知夢を見たとか、幽霊っぽいものに遭遇してなにか言われたとか・・・せいぜい、その程度のことだと思っていたんだが・・・」

「・・・ですよね。

 たぶん、俺が勝史さんの立場でも同じようなことを言うと思います」


て言うか、そりゃそうだよ。

西宮先生の時も思ったが、鵜呑みにする方がどうかしてる。


「しかし、・・・困ったな。

 俺が持ってる情報と、ところどころ符合する」

「え・・・?」


勝史さんは顔を上げ、俺の方へと向き直った。


「・・・親父がな。死ぬ前、美佳ちゃんをあまり海に近づけるなと言っていた」

「!」

「意味が分からんから何でだと聞くと、今の美佳ちゃんにとっては『毒』の強すぎるものが来るかも知れないと。

 俺はその時、占いでクラゲに刺されるとでも出ていたのかとか、のんきに思っていたんだが・・・」

「毒・・・」


毒というのはある種の比喩なんだろうが、今の俺が『海から美佳を狙ってやってくる毒の強いもの』と言われて連想する存在は、ただ一つしかなかった。


「まあ、康夫のとこは元々海に行く習慣がなかったみたいだから、康夫も美佳ちゃんには特に伝えなかったようだがね。

 ・・・あと、親父はいくつかのわらべ歌を指して、それらを美佳ちゃんの前で歌うなとも言っていた」

「・・・」

「親父に言わせると、わらべ歌の多くには呪歌の一面があって、特定の条件下で特定の法則に従って歌うと、よくない現象を招くことがあるのだそうだ」

「・・・その、特定の条件とか法則というのは?」

「俺もあまり真剣には聞いていなかったんだが、最もポピュラーなやり方は『替え歌』らしい。

 わらべ歌の特定部分の歌詞をいじって歌うと、ヘンなものを呼び寄せたり、ヘンなものが活発になりやすいんだと」

「・・・・・・」

「高加君も知ってるように、親父はわらべ歌が好きで、美佳ちゃんや他の孫にもよく教えていたからな。

 その親父が歌うなとは、ちょっとただごとじゃないとは思った。

 ただまあ、例によって、なんで美佳ちゃんの前でだけ、とは思ったが・・・」

「・・・そのわらべ歌・・・の中に、『とおりゃんせ』は・・・」

「あったよ。

 ・・・と言うか、真っ先に挙げてたように記憶してる」

「・・・・・・」


・・・じいさん・・・。

そういうことはもっとダイレクトに教えといてくれよ。


・・・とは言え、実際にヒル人間と遭遇したのは海から離れた学校近辺でだったし、わらべ歌に関してもその『ヘンなもの』自身が歌っているのではどうしようもない。

結局のところ、今のじいさんの話を明確に意識していたとしても、あの怪事は防ぎようがなかっただろう。

あるいは、だからこそじいさんもあまりはっきりとは伝えなかったのかも知れないが・・・。


「・・・まあ、なにせ墓まで持っていったことが多そうな人だったからな。

 不可避だったからあえて言わなかったのか、それとも明かす前にあんなことになってしまったのかは、よく分からないが・・・」

「・・・邪推になりますけど、あるいは明かそうとしたせいであんなことになってしまった可能は・・・」

「・・・」


勝史さんは再び口元に手を当て、少し考え込むかのように視線を落とす。


「君の最初の質問に答えるが・・・。

 実は、俺も親父の死の真相についてはよく知らない」

「・・・えっ?勝史さんも?」


少し意外な返答だった。

跡目を継いだこの人なら、真相をある程度は把握してると思ったんだが。


「というか、一族のほとんどはただの事故死だと思ってるだろう」

「・・・美佳のお父さんもですか?」

「康夫と房子さんは何も知らんよ。

 ・・・美佳ちゃんが、なにがしかに目をつけられていることも含めてな」

「・・・」

「君を連れてくるよう俺に言い含められたり、美佳ちゃんに異変がないか聞かれたりしたのも、俺が君を一族に引き込みたいからだと思っている。

 まあ、それ自体は間違ってないが・・・」


・・・なにげに爆弾発言だったが、今はとりあえず聞かなかったことにした。


「もっと言うと、俺自身も何も知らないに等しい。

 俺が知ってることと言えば、近々加賀瀬一族の身辺で尋常じゃない何かが起こるかも知れないということ、それが起こるとしたら、それは美佳ちゃんに起こる可能性が高いということ。そして・・・」


・・・勝史さんはそこで一瞬言い淀んだが、すぐ言葉を繋いだ。


「・・・親父を死に追いやった『なにか』は、まだこの茨城のどこかに潜んでいる可能性が高いということ」

「!!」


俺は思わず、ぎょっとしながら勝史さんの顔を見た。


「い、今、真相はよく知らないって・・・」

「ああ、分からん。

 なにせ、親父の遺体は発見された時、焚き火の燃えがらと区別がつかないような状態だったからな」

「・・・・・・・・・・・・」


ある程度は予想してたが・・・。

さすがに言葉を失った。


「人の形を留めてなくてな。人体の一部だとすら判別できないような・・・ほんとに炭くれだったよ。

 ・・・事故現場は山道でね、俺が駆け付けた時、親父が運転していた車は山肌に突っ込んでて、フロント部分がひしゃげて炎上していた。

 ・・・だが、それだけだ。

 車はかろうじて原型を留めていたし、まして爆散したわけでもなかった。

 ・・・・・・親父だけが、原型を留めていなかった」

「・・・」

「あからさまに不自然だろ?

 激突による衝撃や炎上が死因なら、そうはならない。

 遺体が焼き尽くされたとしても、最低限の人の形くらいは留めるはずだ。

 ・・・親父は車ごと山肌に激突して死んだのではなく、親父が死んでコントロールを失ったから車が山肌に激突したんだ」

「・・・警察は・・・」

「もちろん他殺のセンでも捜査した。事故死というのは、あくまで体裁を重んじての方便というか・・・変な言い方だが、公表するための無難な死因だ。

 ・・・他殺の可能性をあまり強調すると、警察としても困ることがあってな」

「困ること・・・?」

「どういうシチュエーションを想定しても、不自然な点が残るからだ。

 ・・・親父は先に別の場所で殺害されて遺体を破砕され、車は犯人が運転していた・・・とか物理的な辻褄合わせは一応可能だが、

 じゃあなんでわざわざ車を事故らせたのかという話になる。

 事故死を偽装したいなら遺体を粉々にはしないだろうし、逆に隠蔽するために破砕したなら事故らせた車に遺体の一部を残したりはしない。

 ・・・何より、あのひしゃげっぷりでは運転手も無事では済まないだろう」

「・・・」

「狙撃や爆弾の可能性も考慮されたが、人体が粉々になるほどの火力にしては車にダメージがなさすぎる。

 警察が検証したところ、運転席から親父以外の血痕や工作の形跡は発見されなかった。

 ・・・というか、親父の血痕もほとんど出なかったらしいがね。

 乗車中に死亡したとしたら、おそらく一瞬で炭化したんだろう」

「あの・・・ドライブレコーダー・・・とかは・・・」

「・・・親父は本来、自動車での移動を好まなかったからな。

 だから、わざわざそんなオプションはつけてなかったよ」

「そう・・・ですか」


言葉を紡ぐ勝史さん表情には、色がなかった。


・・・実父の凄惨な死に様を語って聞かせるというのは、どんな心境なんだろうか。

しかし・・・つまりは、それを語らせた俺もやはり覚悟を決めなきゃならないということだが。


「・・・でも、じいさ・・・吉造さんの死因が他殺だったとして、なんで犯人が茨城県にまだ潜伏してるって思うんですか?」

「・・・」


勝史さんは顔をしかめながら口を真一文字に結んだ後、再び口を開いた。


「さっき俺が座敷で話していた二人な・・・。

 あれは警官ではなく、警備員だ」

「警備員・・・?」

「ああ。うちは小規模な神社だから、普段は警備員は雇っていないんだが・・・。

 期間限定で、警備体制を強化することにした」

「・・・さっき言っていた『通達』が、警戒を促すような内容だったからですか?」

「それもあるが・・・。

 ・・・・・・。

 高加君は、あまりニュースとかは見ないのか?」

「え?ニュース・・・?」


・・・あれ、なんか既視感を覚えるセリフ・・・。


「・・・正直、あんまり・・・」

「ふむ・・・。

 ・・・実はここ一ヶ月ほどな、茨城県の特定の地域で、原因不明の不審火が相次いでいる」

「不審火・・・?

 ・・・あ、そういえば、テレビでやってた・・・ような・・・」


・・・そして、俺はそのフレーズに対してまたしても歯切れの悪い返答を返してしまった。


「・・・でな。

 その不審火、七月中頃は県内の北東部で頻発していたんだが・・・。

 時間が経つにつれ、発生場所が南下してきている」

「!」

「それも法則性がある。発生するのは必ずといっていいほど、なんらかの寺社施設がある地域だ。

 幸い死者はまだ出ていないようだが・・・」

「勝史さんは・・・その、その不審火が人為的なものだとして・・・。

 吉造さんの死因に何らかの関係があると思ってる・・・ってことですか?」

「・・・言ってしまえばな。その放火犯が親父を殺した犯人だと思ってる」

「・・・」

「もちろん、これだけでは根拠として弱すぎるが・・・。

 ・・・もうハッキリ言ってしまうが、さっき言っていた『通達を寄こしてきたある方面』とは、加賀瀬神社にとっての『本社』のことだ。

 その本社はこの茨城県の北東部に位置しており、初期の不審火はその本社を取り囲むように発生していた。

 ・・・で、それと時期を同じくして件の通達だ」

「・・・・・・」

「本社は不審火に対して何らかの心当たりがあり、その心当たりは加賀瀬の家が抱えている何らかの因縁と関係があるんだ。

 だが、本社はあのあやふやな通達以上のことは教えてくれない」

「・・・勝史さんは、それでいいんですか?」

「・・・本社はな、決して意地悪とか、爪弾きにするために教えてくれないわけではないと思うんだ。むしろ逆なんだと思う」

「逆?」

「親父はおそらく、常軌では知り得ない何かを知っていたせいであんな最期を遂げた。

 ・・・知ること自体が凶事なんだ。

 だから本社は当事者の加賀瀬家に、当事者でありながら部外者のままであり続けて欲しいんだと思う」

「・・・」

「本社だって、ほとんどの関係者はただの一般人だろう。

 加賀瀬家の人間がそうであるように。

 ・・・俺も、迷ってる。

 打ち明けられる相手がいないし、俺自身、何が起こってるのかさっぱり分からない。

 ただ、親父の跡目を継いだ俺が今やるべきことは、一族にいらぬ動揺を伝えたりせず、長として一族を守ることだ」


・・・俺はこの時になってようやく、この人が部外者である俺に胸の内を明けてきた真意を理解した気がした。


「・・・高加君。

 俺はこの件を、美佳ちゃんはもとより一族の誰にも明かすつもりはない。

 今も言ったように、明かしたところで好転することなんて何もないだろうし、いたずらに不安を煽るだけだろうから。

 ・・・だから、君を選んだんだ。

 血縁じゃないが、一族の誰よりも美佳ちゃんに近しいであろう君を」

「・・・俺は・・・

 何をすればいいんでしょうか?」

「今は何もしなくていい。ただ、美佳ちゃんのそばにいてやってくれ。

 君は幼い頃から聡明だった。『その時』になれば、自然と己がやるべきことに足が向くはずだ」


・・・『美佳のそばにいろ』、か。

それは、あのヒルコにも言われたことだった。

・・・ヒルコは、やはり真摯に忠告をしてくれていたんだろうか。


「・・・と、言うかな。

 君の話を信じるなら、君はこの件に関して、俺を含めた一族の誰よりもスペシャリストなはずだ。

 俺が偉そうにああだこうだ指示できた立場じゃない」

「スペシャリスト・・・?

 訳の分からないうちに巻き込まれて、訳の分からないうちに帰されただけですよ?

 そもそも、不審火や吉造さんの死と、ヒルコの因果関係すらはっきりしない」

「でも、三人の才知で切り抜けたんだろ?」

「それは・・・」


才知と言うなら、最大の殊勲は圧倒的に美佳にある。

俺と先生はあくまで補佐したに過ぎない。


「まあ、とりあえずは肩の力を抜いてくつろいでてくれ。

 ・・・みんなにゲームのメンツに呼ばれてるんだろ?行ってきなさい」

「え?

 あ、はい・・・」


勝史さんに促されて、俺はその場から立ち上がる。


「・・・・・・・・・・・・」

「・・・ん?」


と。

自分で退室を促しておきながら、まだ何か言いたげな勝史さんの視線に気付いて、俺は思わず足を止めた。


「・・・・・・勝史さん?」

「あ、いや・・・。

 ・・・・・・・・・・・・。

 ・・・なあ、高加君」

「・・・はい?」


勝史さんは一瞬言い淀んだ後、意を決したように口を開く。


「君・・・。

 理不尽に思わないのか?」

「?

 理不尽?何がですか?」


ドアノブに一旦は掛けた手を離すと、俺は再び勝史さんの方へと向き直る。


「・・・俺は、君に重荷を背負わせようとしているんだぞ。一族の問題で、部外者の君だけに。

 しかも確たる見返りもなしにだ。

 君にとっては請け負う義理なんて何もないはずじゃないのか?」

「・・・」


勝史さんの声には、わずかに苛立ちの色が聞いて取れた。


「一族として振る舞えって言ってきたのは、勝史さんの方じゃないですか」

「いやっ、それはそうだが・・・」

「・・・今、勝史さんが言ったこと・・・。

 似たようなことは、ヒルコにも言われたんです」

「・・・え?」


言いながら、俺は今一度勝史さんの前に座り込む。

最も、今度は正座じゃなくてあぐらだったが。


「『美佳に災難に巻き込まれたことを、腹立たしく思ってはいないのか』って。

 ・・・あの時は自分から襲っておいて何言ってんだコイツとしか思わなかったけど、あれは今にして思えば、あの化け物なりに俺の覚悟を確認したかったのかも知れない」

「・・・」

「んで、その時ヒルコにも啖呵切ったんですけど・・・。

 損とか得とかじゃなくて、単に自分の知らないとこで、腐れ縁に勝手に死なれたくないだけなんです。

 ・・・じゃないと、俺はその後、たぶん・・・ずっとムカついた気持ちを抱えたまま、人生を送らなきゃならない」


俺は顔を伏せりがちに言葉を続ける。

・・・とてもじゃないが、相手の顔を見ながら言えるようなことじゃなかった。


「好きとか、恋愛感情とか、そういうのじゃないんです。

 俺はただ、腐れ縁に置き去りにされたくない。置き去りにされるってことは、出し抜かれるってことだから。

 ・・・美佳に出し抜かれるなんて、俺には耐えられない」

「・・・君にとって、死なれることは、出し抜かれるのと同じことか」

「死んだ方はそれっきりですけど、残された側は嫌でも感傷を抱えて生きていかなきゃならないですからね・・・。

 ・・・その時点で、俺の負けです」


少々言葉選びがキザったらしい気もしたが、偽らざる俺の本心を吐露したつもりだった。


・・・が。


「・・・。

 ・・・今、好きとか恋愛感情とかじゃないと言ったが・・・」

「・・・はい?」

「そういうのを世間では、愛情って呼ぶんだと思うぞ」

「!?

 ・・・はあ!?」


・・・予想外のカウンターに、俺は思わず素っ頓狂な声を上げる。


「ちがっ・・・だから、なんでこの家の人たちってすぐそういう方向に繋げるんですか!」

「いや・・・だって君、今のって完全に奥さんとかに抱く想いじゃないか」

「おくっ・・・!?」

「たぶん、誰に聞いたってそう言うと思うぞ。

 ・・・まあ、美佳ちゃんが積極的な分、君はそれでいいのかもな」

「・・・ぬぐぐ!」


・・・じいさん・・・。

なんでじいさんの系譜の人間はこう、俺の脇腹を抉るような人間ばっかなんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る