奇胎(後)
「・・・あ、あのっ、すいません、先生・・・」
と。
それまでずっと黙って成り行きを見守っていた美佳が、突然俺と先生の間に割って入ってきた。
「・・・今、『アマツミカボシ』って言いましたよね?
それってもしかしなくても、
「・・・うん、やっぱり加賀瀬君は知ってるのか」
「知ってるも何も、
「へっ?」
美佳から飛び出した思わぬ一言に、俺は思わずそちらへと目を向ける。
「そ、そうだっけ?」
「そうだよ。
・・・って言うか、さっちゃんって頭いい割にそういうことはほんと覚えないよね。
小さい頃から何度も遊びに行ってるのに」
「・・・・・・」
・・・言われてみれば、そんな名前の神様だった・・・
・・・・・・ような・・・・・・。
「わたしの
遠い昔にご先祖様が
・・・でも、なんで今、
そ、そうだ、
俺の記憶力はさて置き、なんでこの場で美佳んとこの神社の神様が出てくるんだ?
・・・って言うか、また神様かよ。
「なるほど。個人的には、素晴らしく興味を惹かれる話だが・・・」
先生は背後を振り返り、依然棒立ちとなっているヒル人間たちを一瞥した。
「最初に気づいたのは、高加君が肉片に血を吸われた直後のことだ。
あの時、ヒル人間たちが発する言葉の調子が急変したろう?
『ミカホシ』『カガセオ』・・・と」
「あ、ええ・・・。
美佳のことが欲しい、ってことですよね?あれ」
「・・・え?」
「・・・・・・。
え?あれ?」
一瞬、先生は何のことだか分からないとばかりに、きょとんとした表情でこちらを見てきた。
その先生の意外そうな反応に、俺もまた意外そうな反応で応じてしまう。
「ち、違うんですか!?」
「あ、ああ・・・。
そう言えば、さっき加賀瀬君と二人でそんなような言い合いをしてたね。
・・・いや、まあ、ある意味間違ってはいないか・・・」
今度は妙に納得したような表情を浮かべた先生を見て、俺は今陥っている状況に起因するものとも異なる、よく分からない焦りを覚えてしまった。
「いや、あの・・・えっと、つまり、どういう事ですか?」
「・・・『ミカホシカガセオ』というのはね、神様・・・つまり、さっき言った『アマツミカボシ』の別名なんだよ」
「へっ・・・」
「えっ?
・・・・・・・・・・・・あ!!」
先生のその言葉を受けて、美佳がまるで忘れ物に気づいた時のような声を上げる。
「加賀瀬君も気づいていなかったか。ならば、僕が説明しよう。
・・・
名の意味は『天の大器のごとき星』。
名に『天津』・・・つまり『天の』とついてはいるが、実際には地にあって天津神々に逆らう立場にあった神様で、
それ故に・・・西洋風に言えば、一種の堕天使のような存在だったと解釈されることもある。
・・・で、この神はまたの名を『
さっき、ヒル人間たちが口にしていたのは・・・どういう意図はさて置き、恐らくはこの
「・・・・・・・・・・・・」
先生のその説明を聞いた途端、俺は一人で勝手に顔が熱くなるような思いにさいなまれてしまった。
・・・神様の名前を、早とちりで勝手に『美佳欲しい』『加賀瀬を』と聞き違えて、勝手に取り乱して、勝手に焦ってたのか、俺は・・・。
しかし、今はそんなことより気になることがあった。
「・・・先生、『ホシガミ』って・・・その、当たり前ですけど、星の神様・・・のことですよね?」
「・・・そうだな」
「・・・それって・・・」
「・・・・・・」
「え?え?」
そう。
星神と聞いて真っ先に連想したのは、当然のように美佳の星を見る能力だった。
・・・これは一体、どういう意味を持つんだろう。
「・・・で、そこの『彼』も先ほど、そのミカボシの名を口にしたように聞こえたのでね。
つまり『彼』は、
俺たちは三人揃って、もう一度ヒルの赤子の方へと向き直った。
『・・・・・・ぅ・・・・・・』
赤子は依然として黙していたが、その身体は崩れていく一方だ。
もはや戦意や敵意があるようにはとても見えなかった。
「それで、どうなんだ?
あなたは『
『・・・・・・・・・・・・』
「・・・あなたが知性と理性ある存在なら、被害者である僕たちにそれを教える義務くらいはあると思うのだが」
『・・・・・・ぅ・・・む・・・・・・』
かすかに発せられた赤子のうめき声には、どこか諦観のようなものが混じっているように聞こえた。
『・・・やは、り・・・。
・・・みか、ぼしの、ちか、ら、のみ・・・に、た、よ・・・って・・・。
わがすべ、を・・・・・・やぶ、った・・・わけ、で、は・・・。
・・・ない、よう、だ、な・・・・・・』
「・・・・・・」
『・・・そこ、な・・・もの、の、いうよう、に・・・。
わが、な、は・・・・・・。
・・・・・・ひる、こ・・・・・・』
「!」
『・・・この・・・、やま、と、にて・・・。
みな、とこ、と・・・、そこ、に、ねむ、る、もの、を・・・。
・・・すべ、る・・・。
・・・・・・あま、つ・・・かみ・・・・・・』
「・・・」
・・・全く、我ながら不可解だったが。
この死に損ないの化け物から発せられる弱々しい声には、それでもなお『威厳』のようなものが宿っていた。
・・・宿っているように感じてしまった。
・・・・・・言葉自体は、発音の拙さも相まって所々理解できない部分があったが・・・・・・。
『・・・だ、が・・・。
あか、せる、のは・・・。
・・・そ、れ、だけ・・・だ・・・』
「!
・・・おい!ふざけんな!そんな道理があるか!」
「・・・」
・・・とは言ったものの、相手は常軌を逸した化け物だ。
死に損ないに見えて、その実何かしらの隠し玉を秘めているやも知れない。
いつ気が変わって、またヒル人間を――まあ、本当にこいつが操っているなら、という前提だが――けしかけてくるか、分かったものじゃないし・・・。
「じゃあ」
と、美佳がその場から一歩前へと踏み出し、涼やかな目つきで赤子を見据えた。
「なぜ、わたしを狙ったの?
・・・って言うか、わたしを狙っていたってことで間違いないんだよね?」
『・・・』
「わたしを狙ったことと、わたしが星を見ることができるのと、うちの神社の神様が
全部関係あるの?」
『・・・・・・』
・・・なんと言うか。
両者の体躯差も相まって、まるで母親が悪さをした子どもをなだめるかのような言い草だ。
「それも言えない?」
『・・・・・・ぅ・・・・・・』
・・・赤子が一瞬、口ごもったように見えた。
『・・・・・・・・・。
・・・そな、たが、いる・・・から、
あか、せぬ・・・のだ・・・』
「え?
・・・わたしのせいなの?」
『・・・だが・・・。
そ、なた・・・を、ねら、った・・・こと、に・・・。
・・・そう、い、ない・・』
「・・・」
『・・・す、ま・・・ぬ・・・』
「!?
・・・え!?」
ある意味、この化け物の姿を見てから一番の衝撃だった。
・・・なんとこの怪物、言うに事欠いて素直に侘びを入れてきたのだ。
『・・・そな、たの・・・ほし、を、よむ、ちから・・・。
あま、り・・・つかう、な・・・。
こた、びの、よう、に・・・。
・・・まが、を・・・まね、く・・・・・・』
「・・・え?」
「・・・お、おい、待てよ。
なんだよ、その言い草。
お前が今回の騒動の黒幕なんだろ?」
『・・・こた、びは、な・・・』
赤子はぐずぐずに崩れた両腕をそれでもなお突っ張り、上体を起こそうとしているように見えた。
「こ、『
『・・・しょう、ねん・・・。
その、むすめ、から・・・。
・・・はな、れる、な・・・。
・・・なる、たけ・・・。
・・・・・・とも、に、すご、せ・・・』
「!?
・・・は!?」
『ひと、まず・・・。
・・・そな、たに・・・。
むす、めを・・・・・・。
・・・・・・あず、けて・・・おく・・・・・・』
・・・何言ってんだこいつは。
いや、まあ、さっきからずっと『何言ってんだこいつ』の連続なんだが、
今の一言は先ほどまでとは意味不明さのベクトルが違った。
『そな、たの・・・ちえ、には・・・。
・・・ちから・・・が、ある・・・。
かな、らず・・・や、むす、めの・・・ささえ、に・・・なる・・・』
「・・・・・・」
・・・しかし。
さんざん俺たちを恐怖のどん底へと陥れたはずの化け物の言い草は、
あたかも親身な忠告のようにすら聞こえた。
まるで、来たるべき試練に備えろと言わんばかりに。
・・・癪だが、虚言のたぐいには聞こえなかった。
「そこまで言っておきながら、具体的なことは明かせないって言うのか?」
『・・・・・・・・・・・・』
赤子はやはり答えない。
・・・俺は、諦観気味にひとつ溜め息をついた。
「・・・じゃあ、これだけ聞かせてくれよ。
どうしても釈然としなくてさ」
『・・・』
「さっきポリタンクを破壊したのって、あれ、お前の力なんだろ?
・・・なんでその力で、直接俺たちの肉体を攻撃しなかったんだ?」
「!」
『・・・・・・』
赤子の肩・・・にあたる部分が、ぴくりと震えたように見えた。
「お前の目的が何なんだか、俺にはよく分からんが・・・。
でも、一番手っ取り早いだろ?俺たちを直接殺すのが。
・・・って言うかお前、この迷宮の所々で手加減・・・というか、わざと俺たちに抜け道を与えてたよな?
・・・・・・なんでだ?」
『・・・・・・』
これも答えられないのか。
・・・と、思った途端。
『・・・そなた、らを・・・あやめて、も・・・。
・・・・・・いみ、が、ない、から、だ・・・・・・』
「は?
・・・いや、意味がないってこたないだろう。
現にお前、そうしなかったせいで俺たちに・・・なんて言うか、負けたじゃないか」
『・・・それ、なら・・・それ、で・・・。
・・・よい・・・のだ・・・』
「・・・」
・・・やはり要領を得ない。
『・・・だ、が・・・。
あぶら、や・・・。
・・・しょもつ、の、へや・・・の、しこみ・・・に、つい、て、は・・・。
・・・・・・しら、ぬ・・・・・・』
「『しょもつのへや』・・・?」
しょもつ・・・。
・・・『書物の部屋』・・・図書室のことか?
『・・・てびき、した、ものの・・・。
めど、は、つく、が、な・・・』
「・・・?
今、『手引き』って言ったか?」
やはり、第三者がいるということか。
こいつを妨害して、俺たちの手助けをした何者かが。
「俺たちとお前以外にも、干渉してきている奴がいるってことだな?
そいつは一体・・・」
『・・・あかげ、の・・・おんな、に・・・。
・・・・・・きを、つけ、よ・・・・・・』
「!?
・・・え!?」
赤子の口から脈絡なく漏れた予想外の一言に、俺は目を丸くして思わず聞き返した。
「お、おいっ!
・・・今、『赤毛の女』って言ったのか!?」
『・・・』
・・・なぜ、こいつの口から唐突にそんなフレーズが漏れたのか分からない。
だが俺の知る限り、そんな特徴を備えている女性と言えば・・・。
「どういうことだよ!?
・・・って言うか、それってもしかして、あとも――」
・・・と。
俺がそこまで言い掛けた、その刹那。
――めきり。
「っ!?」
ふいに、不審な音が耳に届いてきた。
「な、なんだ?今の音は・・・」
口に出してから、俺は思わずはっとして自分の口に手を当てる。
そうだ。俺はついさっきも、全く同じセリフを口にしたはず・・・。
――めきり。めきり。
音は前方――つまり、赤子の背後辺りから聞こえているようだった。
・・・そして、そこにあるものと言えば。
「!
丸太の音か?」
そう。
既に火勢が衰え始め、その黒く変わり果てた姿を見せつつあった丸太から、パチパチと火が燃える音に混じって何かが軋むような音が聞こえてきたのだ。
「お、おい!
お前丸太になんかしてるのか!?」
『・・・・・・』
赤子はやはり黙している。
ただ先ほどまでと異なる点は、こちらには目もくれずにじっと丸太の方を見つめているということだ。
――めき。めきり。めきっ・・・。
不審な音は耳からだけではなく、足――つまり、かすかに大地からも伝わっているように感じた。
「な、なにこれ!?」
「・・・・・・」
・・・戸惑う反面で、もう何となく察しもついていた。
さっきと同じだったからだ。不審な『音』にうろたえるというシチュエーションが。
――と。
めきめきと軋むようだった音が突如、べきっ、と何かがへし折れるような音に取って代わられた。
「!」
それを皮切りにして、立て続けにべきべきという破壊音が響いていく。
同時に、俺たちの前方で煤けた姿を晒していた丸太が、何というか・・・・・・
・・・・・・縮んだ。
「丸太が・・・!」
あたかも巨大なプレス機にでも掛けられたかのように、丸太がべきべきとけたたましい音を立てながら砕け始めたのだ。
しかも、ただ二方向から押し潰されているというよりも――焼却による炭化と変形によって、視認しづらい形状と化してはいたが――
まるで年輪に沿って螺旋状にねじ切られていくかのような、今まで見た事のない砕け方だった。
『・・・・・・』
同時に、音が大地からも響いてきていたその意味を理解した。
丸太の地中に埋没している部分も等しく砕けて、その振動が伝わってきていたのだ。
例えるならば、丸めた一つの雑巾だ。
雑巾を両手で強く絞るかのように、丸太はねじくれるように砕け、縮こまるようにひしゃげていった。
「お、お前・・・」
『・・・・・・・・・・・・』
・・・間違いなく、この赤子の仕業だろう。
しかし、どっからどう見ても死にかけにしか見えなかったのに、まだこんな力が残っているとは。
言うまでもなく、ポリタンクや芯入れを砕いたのとは桁違いの力だった。
『・・・しょう、ねん・・・』
「・・・え?」
・・・けたたましく破砕音が響き渡る中、赤子が振り返らずに俺に声をかけてきた。
『・・・そなた、は・・・。
そこな、むすめ・・・に、まき、こまれ・・・た、こと・・・を・・・。
・・・はらだた、しく・・・は、おもっ、て・・・おらぬ・・・の、か・・・?』
「え・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
・・・・・・・・・・・・。
・・・何を聞いてくるのかと思えば。
「・・・俺がムカついてるのは、ただひたすらお前だけだよ。
なんで美佳を恨まなきゃいけないんだ?」
『・・・・・・・・・・・・』
不安げにこちらを見つめてくる美佳の視線にあえて気づかないフリをしながら、俺は言葉を続ける。
「お前に狙われたのが美佳だったからって、美佳が俺や先生を巻き込んだことになるのか?
違うだろ」
『・・・・・・』
「それにな、巻き込まれて一緒に死ぬより・・・
・・・・・・・・・・・・。
・・・知らないとこで勝手に死なれる方が、よっぽどムカつくんだよ」
「・・・さっちゃん・・・」
あーもうっ、なんでこんな化け物相手にこんなこっぱずかしいこと言わなきゃならんのだ。
しかも、美佳本人の前で。
・・・などと、俺が一人、頭を掻き毟りたくなるような思いに駆られていた、その時。
『・・・う・・・む・・・。
・・・・・・ならば、よし・・・・・・』
――無数のヒルで形作られた異形の横顔が、一瞬、ふっと緩んだように見えた。
・・・そして、その刹那
――――――――――――消えた。
「!!」
突然、何の前触れもなく、赤子が消えた。
「!
・・・え!?」
・・・いや、消えたのは赤子だけではなかった。
周囲で立ち尽くしていた二十体ものヒル人間までもが、忽然と消えてしまったのだ。
「・・・これは・・・!」
そして消えただけではなかった。その異変に驚いて周囲を見回すと、今までなかったはずのものが――
――いや、違う。
本来あって当然だったのに失せてしまっていたものが、突然戻ってきたのだ。
フェンスの外に広がる田園風景。
整地を終え、校舎へと戻っていく運動部員。
その校舎のところどころに灯っている、窓明かり。
見上げると、ただひたすら藤色一色だった空に、茜色の光がにじんでいた。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・帰ってきた・・・のか・・・?」
おそらくは、あの赤子が自ら丸太――つまり、地脈を操作していた楔を破壊したことにより、結界が崩れたのだろう。
あっけない幕引き・・・と言うべきなのだろうか。
とにかく、俺たちはかろうじて無事、現世に戻ってこられたらしい。
―――胸の内に、いくつかのしこりを残しながら。
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