奇胎(前)

――俺も。

美佳も、先生も。

ただ呆然と立ち尽くして、その『かがり火』を見守っていた。


・・・いや、立ち尽くしてそちらを見つめていたのは、俺たち三人だけじゃない。


ヒル人間が・・・あれほど機械的に俺たちを追い回していた亡者たちまでもが、突然足を止めて一斉に炎上する丸太へと振り向いていたのだ。

奇妙なことだが、俺はこの時になってようやくヒル人間たちが『おそらくはかつて人間だった』ということを、初めて感覚で理解したような気がした。

それほど、巨大な松明に顔なき顔を向けるヒル人間たちの姿は人間臭く見えたのだ。


・・・しかも、ヒル人間たちの変化はそれだけに止まらなかった。


『・・・おぉお・・・。

 ひる・・・こ・・・さま・・・』

『ひ・・・る、こ・・・。

 ・・・さま・・・・・・が・・・・・・』

『・・・え、び・・・す、さ・・・ま・・・』


ヒル人間たちが、口々に『ヒルコ』の名を呼び始めたのだ。

まるで君子と仰ぐ者を悼むかのように。


「!

 高加君っ!!」


と。

丸太が炎上する様を間近で見ていた西宮先生が、突然俺の名を呼んだ。


「っ!?

 うわっ、なにこれっ!?」


続けて美佳が。

視線を丸太に向けたまま、びくりと身体を震わせて後ずさる。


「な、なんだ!?

 丸太になんかあったのか!?」

「いいからっ!

 ちょっとこっち来てっ!!」


美佳に呼ばれ、俺は立ち尽くすヒル人間たちの間を縫って丸太へと駆けていく。

ついさっきまで寄ってたかって包囲網を狭めてきていた亡者の群れは、もはや俺の挙動に反応することはなかった。


そして二人の下へと駆け寄った途端


「うわッ!?

 なんだよこれ!?」


――俺がそこで見たものは。


燃え盛る丸太のあちこちから漏れ出ている、黒く、どろりとした『なにか』。

いや、丸太自体が炎に包まれていることも相まって、漏れ出ているのか、染み出しているのか、それとも丸太自体が変質してそうなっているのかよく分からないが・・・。

まるでコールタールのような・・・いや、この場合は樹液ってことなるのか?

とにかく、どす黒い粘液のようなものが、炎上する丸太から大量に地上へと漏れ出ていたのだ。


「これは、一体・・・」

「・・・なんか、ヘビ花火みたいだね・・・」

「・・・・・・」


・・・こんな状況でなんだが。

美佳のその一言に、俺は妙な感心を覚えてしまった。

そうだ。ヘビ花火だ。

点火した後、黒くてよく分からないものがもこもこと湧いてくるさまは、確かにヘビ花火に酷似している。


・・・が。


「きゃぁああぁッ!?」


その一言を発した直後、美佳が先ほどとは比べ物にならないくらいの悲鳴を上げて、その場から飛び退いた。


「な、なんだよ美佳?確かに気持ち悪いけど、そんな・・・」

「・・・・・・そ、それ!よく見てっ!!」

「・・・は?」


美佳の尋常ならざる怯えようを訝しく思った俺は、再び振り返ってそのどす黒い樹液を凝視した。


「・・・・・・・・・・・・」


・・・よく分からない。

ただ、液体にしては、何と言うか・・・


・・・妙に、表面がざわざわしているというか・・・。







・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。







次の瞬間。


「・・・・・・ひ!」


世にも情けない悲鳴を上げながら、俺はその場から後ずさった。


理解したのだ。『それ』がなんなのか。


「な・・・

 ・・・な・・・!

 なっ・・・!!」


・・・いや、理解を超えたものだと理解した、と表現した方が適切か。


「なんだよこれッ!?」


『それ』は、液体などではなかった。

『どちらかと言えば』固形だった。


・・・そして、生命だった。


「・・・あ・・・。

 ・・・・・・あ・・・・・・」




コールタールと見えたものは、黒いヒルの群れだったのだ。




黒く、微細なヒルの群れが、幾百幾千・・・いや、あるいはそれ以上か・・・

とにかくとてつもない数のヒルが群体を成し、燃え盛る丸太から一斉に這い出てきていたのだ。

それらが凝り固まって蠢くさまが、コールタールのような黒い粘液に見えていただけだった。


「せ・・・先生!

 先生っ!」


思わず横を見ると、先生は声も上げずにその場に立ち竦んでいる。


「先生っ!離れて!!」


しかし、その表情は驚愕に彩られつつも

先生はそのおぞましい暗黒の樹液から目を逸らそうとはしなかった。


・・・いや。

むしろ、ますます目を凝らしているかのような・・・。


「・・・先生・・・?」

「・・・高加君・・・。

 加賀瀬君・・・。

 気持ちは分かるが、ちょっと『これ』、よく見てくれないか・・・?」

「・・・え?」


先生に目で促され、俺は再び――全く持って不本意だったが――ヒルの群体へと目を向ける。


「・・・うぅ・・・」


当たり前だが。


・・・・・・気持ち悪い・・・・・・。


「先生、一体・・・」

「しっ!

 ・・・見ろ、高加君!」


・・・さっきから見ろ見ろって、これ以上何を見るっていうんすか、先生・・・。


俺はうんざりした気持ちで再び正面へ視線を戻し



そして、三度驚愕した。


「え!?

 ・・・え!?」


なんと、ただ無秩序に這い出てきているだけと思っていたヒルの群れが、一匹残らず一箇所へと寄せ集まっていたのだ。

まるで一つの大きなボールのように、一箇所へと・・・


「・・・こ、これって・・・」


・・・いや、違う。ボールじゃない。

球状に寄り集まったと見えたヒルの群体は、そこからさらに変貌し、そして――


「・・・・・・ウソだろ・・・・・・」


――そして。

『それら』が形を成しつつあったものは、ある意味ではボールなんかよりもよっぽど身近なものだった。


「・・・人間・・・?」


そう。無数のヒルが寄せ集まって、人の形を成したのだ。


「これは・・・」


もっと正確に言えば、人間の胎児・・・いや、赤子だろうか。

まるで、小魚が天敵から身を守る時に群れの形状を一つの巨大な魚影に見せかけるように、

無数のヒルの群体が一つの赤子のシルエットを形作ったのだ。


「・・・・・・・・・・・・」


俺たちは、再び言葉を失った。


まるで現実感のない光景だった。

『なんだこれ』というフレーズ以外、ほんとに何も頭に浮かばなかったのだ。



・・・ほんとに、なんだ、これ・・・。



ヒル人間は分かる。

いくらおぞましく変わり果てた姿でも、あれはあくまで『腐乱した人間の水死体』だ。

死体がひとりでに動き回ったり、わらべ歌を歌ったり、血を吸ったりするものなのかはともかくとして、ヒル人間の姿形自体は『現実にありうるもの』なのだ。


だが。

今、目の前で繰り広げられている光景は違った。

眼前の『これ』は、明らかにこの世の存在ではない。

もはや本当に生命とか生物と呼んでいいのかすら分からないが、それだけは断言できた。


しかし。


「っ!!」


俺のその思考を読み取ったかのように、『それ』は――あくまで一個の『人』としてみなしてもいいのならば、だが――腕をずりずりと這わせ、こちらへと近づいてきた。


「・・・うぅっ!」


恐怖に衝き動かされ、俺はさらにその場から後ずさる。


「さっちゃんッ!!」


そして。

その様子に危機感を覚えたであろう美佳の足音が、すぐ後ろから近づいてきたと思った、その時。


『・・・・・・な・・・・・・ぜ・・・・・・』




・・・・・・・・・・・・。




・・・・・・え?




『・・・な・・・ぜ・・・。

 だ・・・?』


え?

・・・え?


・・・・・・『な』『ぜ』?

今、『なぜ』って言ったのか、こいつ?


・・・って言うか、口が利けるのか?


『・・・な・・・ぜ・・・。

 ・・・・・・ぅ・・・・・・!』


と。

四つん這いの姿勢でこちらへ顔を向けていた赤子が突然、ぐらりと体勢を崩した。


・・・いや、ぐらりというか、ずるりというか、どろりというか・・・。


正確に言うと、崩れたのは体勢ではなく赤子の身体そのものだった。

赤子の右腕を構成していたヒルの群体が、突然『土砂崩れ』を起こしたのだ。

連鎖して、身体を構成している群体がところどころで雪崩を起こし始める。


『・・・・・・ぐ・・・・・・ぅ!』


どうやら、それそのものだけでは赤子の形状を維持するのは難しいらしい。

消耗しているようにも見えた。

それが焼却のダメージによるものなのか、それとも元々維持が困難で、だからこそ楠の丸太に寄生していたのかは分からないが・・・。


『・・・ぅ・・・う・・・』

「・・・・・・」


一瞬、言葉を交わしていいのもか迷った。

特に明確な理由があるわけではなかったが、言葉を交わすと――つまりなんらかの『繋がり』を持ってしまうと、

魅入られるというか・・・ある種の呪いのようなものを掛けられてしまうような気がしたのだ。


だが・・・。


「・・・・・・。

 ・・・『なぜ』って、さっきの陽動作戦のことか?

 お前がこっちの会話にコソコソと聞き耳を立ててたから、それを逆手に取って二重の陽動を仕掛けただけだよ。

 俺は最初から、美佳を囮にするつもりなんか微塵もなかったよ」


・・・結局、俺は口を利いてしまった。


「えっ!?

 そうだったのさっちゃん!?」

「・・・」


お前も気づいてなかったんかい。


『・・・そう・・・では、

 ・・・ない・・・』

「・・・え?」

『・・・・・・あぶ、ら・・・。

 ・・・を・・・・・・』


・・・『油』・・・。

灯油のことだろうか。


『なぜ・・・しこ、ま、れて・・・。

 ・・・いた、のだ・・・』

「・・・」


灯油がなぜ仕込まれて・・・つまり、用意されていたのかと聞いているようだった。


「・・・やっぱり、お前にとっても灯油の存在は想定外だったのか」

『・・・・・・』

「・・・いや、そうだ。

 お前は一体何者・・・っていうか、そもそも何なんだお前は!?

 お前がこのわけのわからん異次元迷宮を仕組んだのか!?」

『・・・・・・・・・』

「目的は?

 協力者は?

 お前がボスなのか?

 他に黒幕がいるのか?

 ・・・美佳を狙ってどうするつもりだった!?」

『・・・・・・・・・・・・』


赤子は答えない。

・・・いや、もし答える気があったとしても、こう一斉に質問責めにされては答えられるものも答えられないだろうが。


それでも俺は、溜まりに溜まった疑問をこの化け物にぶつけずにはいられなかった。

なにせ下校時からこっち、ひたすら理不尽かつ不条理な目に遭い続けてきたのだから。


「・・・だんまりかよ。答えろ!

 今の口ぶりを聞いた感じ、少なくとも人間並の知能はあるんだろお前!」


そうだ。

全く腹立たしいことに、こいつの言葉には明確に知性が宿っていた。

身体構造的な問題なのか、口調こそたどたどしいが・・・しかし、これほどおぞましい異形を晒しているにも関わらず、その声色にはある種の品性すら感じるのだ。


『・・・そな、た、が・・・。

 ・・・・・・みか、ぼし、を・・・。

 みち、びい・・・た、のか・・・』

「はあっ!?」


・・・ああもうっ、なに言ってんだよこいつは。


「・・・あなたは、『アマツミカボシ』を探しているのか?」

『・・・!!』

「・・・へ?」

「えっ!?」


と。

まるで要領を得ない俺と赤子の問答に、突然先生が割って入ってきた。

聞きなれない・・・だけど、遠い昔にどこかで聞いたような気もする、謎の単語と共に。


「あなたのその姿、少なくとも人間ではないな。

 ・・・また、あなたが使役していた『しもべ』のように、人間の成れの果てというわけでもなさそうだ」

『・・・・・・』


しもべ・・・?

ヒル人間のことだろうか。


「・・・我ながら、実にばかげた、荒唐無稽な質問だとは思うが・・・。

 ここに至るまで、僕たちは荒唐無稽な目に遭わされっぱなしだった。・・・おそらくは、あなたのせいで。

 だから、荒唐無稽ついでにあえて単刀直入に聞こう。

 ・・・あなたは――」

『・・・』

「――あなたは、『ヒルコ』なのか?」

『・・・・・・』

「ちょ、ちょっと先生!?」


なぜかなんとなく訳知り風な調子で赤子へと問いかける先生に、俺は思わず声をかける。


「全然話が見えないですよ。

 っていうか、なんでそんな微妙にへりくだった言い方――」

「話が見えないってことはないだろう、高加君」

「えっ?」


西宮先生は掛けている眼鏡を指で押し上げながら、俺の方へと振り向いた。


「君が言ったんじゃないか。『この敵は、ヒルコ神にこだわってる』と。

 ・・・わざわざ日本書紀の記述になぞらえて、楠の入れ物にその不安定な身を隠すくらいに、ね・・・」

「・・・先生・・・」


俺はそこでようやく、先生が赤子に掛けた質問の意図を理解した。


「まさか、こいつが本物の・・・

 ・・・その、『神様』だって言いたいんですか!?」

「だからさっき、荒唐無稽だって言ったろう」

「いやっ、そうですけど・・・」


俺はうろたえがちに、先生と赤子を交互に見る。


「・・・いやいや!でも、どう見てもバケモノですよ!?

 まして、こんな気持ち悪い・・・」


・・・そこはむしろ『神様なんかほんとにいるわけないでしょ!』と突っ込むべきだったのだが、

あまりに突っ込みどころが多すぎて微妙にズレた突っ込みを入れてしまった。


「だからこそ、だよ。

 ・・・図書室でも言っただろう。ヒルコ神はその名前や記述から、身体がヒルを思わせるような不完全な形状だったと言われている、と」

「・・・・・・」

胞状奇胎ほうじょうきたいと呼ばれる病気がある。

 妊娠異常の一種で、受精卵の不具合により胎児が人の形を成さず、ぶどうの房のような形状になってしまう病気だが・・・。

 イザナミとイザナギの間にも・・・神様なりに、そういうものが起こってしまうことがあるのだとしたら、

 今僕たちの前にいる『彼』も、あるいはそういう形態で生まれてしまった存在なのかも知れない」

「そんな・・・」


俺は今一度向き直り、赤子を正面に見据える。


『・・・・・・』


赤子は身体のあちこちをズルズルと崩れさせながら、ただ黙ってこちらを見つめている。


・・・先ほどはひたすら恐怖を覚えていたその姿が、今は妙に弱々しく映って見えた。

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