幕間(前)
「――と、言うわけで、王国を追われた十氏族のその後の消息は、史料に残っていないんだ。
これが日ユ同祖論を生み出したきっかけの一つであり――」
『せんせー、またトンデモ陰謀論っすかー?また校長に怒られますよー?』
教室のあちこちから、クスクスとひそやかな笑い声が上がる。
「・・・む、『また』とはなんだ、『また』とは。
僕は授業内容に関して、校長に怒られたことなんてただの一度もないぞ」
『・・・いや、それはそれでちょっと問題あると思うよ、先生・・・』
『この学校、一応進学校なのに大丈夫なのかなあ・・・・・・』
「西宮先生、相変わらずだねー、さっちゃん」
「・・・んー・・・?
あー・・・そうだな・・・」
俺はぼんやりと窓の外を眺めながら、西宮先生のいつもの妄言と美佳からのちょっかいを適当に聞き流していた。
「授業が遅れた試しはなかっただろう。
・・・まあ来週から夏休みだし、よかったら図書館にでも行って調べてみてくれ。
絵空事は時として、人生を豊かにしてくれるぞ」
『・・・・・・自分で絵空事って言っちゃったよ、この人・・・・・・』
と。
そこで頭上から、妄言の終焉を告げる鐘の音が鳴り響く。
「よし、じゃあ今学期最後の授業は終わり。
みんな、夏休み中にヒル人間に襲われるなよ」
・・・先生のその一言を聞いて、俺は思わず頬杖ついていた右腕の肘を机から外しそうになった。
『やだ先生、ヒル人間ってなんですか?』
「・・・ん、聞いたことないかい?ヒル人間」
『あるわけないでしょ、そんなキモいフレーズ』
『B級ホラー映画の怪人か何かっスかー?』
教室のあちこちで、今度はあまりひそやかとは言えない笑い声が巻き起こった。
・・・ったく。この人は・・・。
今日は2014年7月17日木曜日。快晴。暑い。
今は昼休み突入直後。夏。猛暑。暑い。
あの訳の分からない超常体験から二日。
俺たち3人は、自分でも驚くほどすんなりと日常生活に戻っていた。
とは言え、もう明後日から夏休みに突入してしまうため、学校生活はしばらくお預けだ。
本来なら、嬉しくて仕方ない時期・・・の、はずなのだが。
「先生!」
俺は終業の礼が終わると同時に、美佳を伴って西宮先生の所へと駆けていった。
「・・・ん、高加君か。例の話かい?」
「ええ、まあ・・・。
とりあえず、予定通り屋上で話します?」
「・・・そうだな。
僕の方も、君たちに話さなきゃいけない事ができたし」
「・・・え?」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「・・・誰も知らない・・・?」
「うむ。全く奇妙な話なんだが・・・」
南校舎の屋上。
手作り弁当のだし巻きを、果敢に箸でねじ込もうとしてくる美佳の猛攻を必死に捌きながら、俺は先生からの報告に耳を傾けていた。
「元々、僕がヒル人間の噂を調べ始めたのは、生徒から話を聞いたのがきっかけだった。
最初は『くねくね』の類型都市伝説かと思ったんだが・・・水死体消失事件が新聞に載った辺りで、関連性を噂する生徒が増えたみたいでね。
しかし・・・」
先生の話はこうだ。
二日前の日没直前、何とか現世へと生還した俺たち3人は、『そこ』が本当に俺たちの知る元の世界だということを慎重に確認してから、最低限の示し合わせをして解散することになった。
少し危険な気もしたが、美佳の消耗が激しかったため、とりあえず家で休ませてやりたかったのだ。
やはり、あの星を見る力は美佳に相当な負担を強いるようだ。
・・・で、俺と美佳は一緒に帰宅したわけだが、先生は残った仕事を片付けつつもさっそくあの怪現象について調べ始めたらしい。
それで校内の見回りをしつつ、残っていた顔見知りの生徒たちにそれとなくヒル人間の噂を聞いてみたらしいのだが・・・。
「・・・今はそのことを、誰も覚えていないっていうんですか?」
なんと、一昨日、昨日、そして今日・・・と生徒たちに件の噂を聞いて回ったにも関わらず、誰一人として噂を知っている生徒に出会わなかったという。
「うん。
・・・いや、その『覚えていない』という表現も微妙に違和感があってね。
なんと言うか・・・最初から『噂が存在していた』という事実そのものが存在してなかったかのように、校内のどこにも噂が流れていた形跡が残っていないんだよ」
「・・・そんなことって・・・あ、はい、あーん」
「むぐっ!・・・ぅんっ、
・・・あ、ありえるんですか?
・・・んっ」
一瞬のスキを突いてねじ込まれただし巻きを咀嚼しながら、俺は先生の方へと振り返った。
・・・畜生、美味い。
「ありえるかと問われれば、ありえないだろう。
なにせうち何人かは、僕が数日前に情報を聞きだしたはずの生徒なんだから。
・・・だけど、彼らはそんな噂は知らないという」
「・・・」
「君たちのクラスの何人かからも、ヒル人間の噂を聞いていたはずなんだ。
・・・でもさっき、終業間際にヒル人間の名前を出してみても、彼らの反応はピンと来ていない感じだった」
・・・あ、あれ、西宮先生なりの探りだったのか・・・。
「・・・実はそれに関して、俺らの方も似たような報告をしなくちゃならなくて・・・」
「・・・うん?君たちも?」
言いながら、俺は美佳の方をふいっと一瞥した。
「・・・あ、はい。
実はわたしも、元々は数日前に部活の先輩から噂を聞かされたのが、ヒル人間を知るきっかけだったんです。
・・・たぶん」
「・・・『たぶん』?」
「それがこいつ、それに関してなんか記憶があやふやなんですよ」
「・・・ご、ごめんね・・・」
だし巻きの第二波を右手に構えたまま、美佳はシュンとうなだれる。
「あ、いや、責めてるわけじゃなくてだな・・・。
・・・で、先生。
美佳は記憶力に限ってはむしろ俺より長けてるくらいなんですけど、
なぜかヒル人間の噂に関してだけは、数日前に聞いたばかりのはずなのにその聞いた相手をよく思い出せないみたいなんです」
「・・・ふむ」
「まあ、記憶力がいいっつっても何でもかんでも覚えてることの方が稀だから、たまたま忘れてしまっただけかと思ったんですけれど・・・」
「昨日、部活後に先輩に聞いて回ってみたんですけど、やっぱり誰も知らなくて」
・・・うなだれたまま箸の照準を合わせてきていることを察知して、俺は再び美佳に対してやんわりと構えを取った。
「・・・そもそもお前、俺に噂を話して聞かせた時点で、既に誰から聞いたかあやふやだったよな?」
「うん・・・。
もう今となっては、本当に部活内で聞いたのかどうかすら全然自信ないよ・・・」
「・・・高加君は加賀瀬君以外からは、ヒル人間に関する話を聞いたことはないのかい?」
購買部で購入したと思しき調理パンをかじりながら、先生は俺に問いかける。
「あ、はい。
・・・あ、いやっ、それに関しても言わなきゃならないことが・・・んっ」
結局だし巻き第二波の侵入を許しながら、俺は今一度、先生の方へと向き直った。
「・・・図書委員の後森って生徒、知ってますか?」
「あともり・・・?」
「二年の女子です。
いつも放課後に第二図書室で受け付けをしてるんですが・・・」
「・・・聞き覚えはあるな。
ただ、僕が今授業を受け持っているのは一年と三年のみだから、直接の面識は薄いか・・・
あっても、前年度のことだと思う」
先生は口に手を当てながら、後森先輩の名を口の中で転がしているようだった。
「・・・その先輩・・・。
・・・・・・赤毛なんですよ」
「!!」
一瞬、先生の表情がこわばった。
「しかも、昨日今日と無断欠席してるみたいなんです。
今までは、俺が放課後に第二図書室に立ち寄ると、必ずと言っていいほどいたのに・・・」
「・・・・・・」
「・・・で、俺が最初にヒル人間の噂を聞いたのは美佳からなんですけれど、その後で後森先輩から噂の詳細を教えてもらって・・・」
「・・・いつも、第二図書室・・・にいたのか?」
「ええ。第二図書室です・・・」
第二図書室と言って真っ先に思い出すのは、当然ながら異次元迷宮に陥れられている最中の出来事だった。
まるで部屋そのものに何かの加護が働いているかのように、ヒル人間からの追跡が途切れたり、窓の外から現実世界の風景が覗いていたり、いつの間にかメモ帳に怪文書が書き込まれていたり・・・。
「今、赤毛と言ったが・・・」
「あ、はい、赤毛です。
脱色してる感じじゃなくて、ほんとに天然の、ムラのない・・・赤銅色・・・って言うのかな?」
「あーはいはい、ほんっとキレーな赤毛だったよねー、後森先輩って!」
先ほどから一転、美佳があからさまに不機嫌そうな表情と声色で俺と先生の会話に割って入ってきた。
「美佳・・・。
お前、なんで後森先輩の話になるといつも不機嫌になるんだよ・・・」
「なんでって、ヤキモチ妬いてるからに決まってるじゃない」
「・・・・・・・・・・・・」
・・・自分で言うなよ。
「あの先輩、わたしのこともさっちゃんのことも、値踏みするような目で見てくるんだもの。
なんかいっつもニヤニヤしてるし」
「それはちょっと言いがかりだろ・・・。
・・・あ、でですね、あの化け物が言ったこと、先生も覚えてますよね?
・・・・・・『赤毛の女に気をつけろ』、って」
「・・・その後森という生徒が、あの『ヒルコ』が言った『赤毛の女』だと?」
「・・・まあ、あまりに不審な点が多いんで・・・。
ちなみに、後森先輩の方は西宮先生のことをよく知っている感じだったんですけど・・・」
俺の言葉を受け、西宮先生は意外そうな表情でこちらを見てきた。
「・・・うん?そうなのかい?」
「ええ。だからてっきり、西宮先生も後森先輩のこと知ってるとばかり・・・」
「・・・うう・・・む。
言い訳がましいが、そんな目立つ外見の生徒なら、僕の方ももっとちゃんと覚えていてよさそうなものなんだがな。
名前は聞き覚えがあるんだが・・・」
先生は再び口に手を当てて顔を伏せ、考え込むような仕草を取った。
「だから、あの人がぜーったい、黒幕なんだってば!
だからもう近づいちゃダメだよさっちゃん!」
「だからお前はそういう感情論はやめろよ。
それに現状だと、『ヒルコ』を妨害して俺らの迷宮脱出の手助けをしてくれたのは、後森先輩の可能性が高いってことになるんだぞ?」
「・・・そっ、そうだけど・・・」
少なくとも、図書室や灯油の仕込みをした『第三者』は、あのヒルコにとっては想定外の存在だった。
それが『赤毛の女』――後森先輩だというなら、やはり手助けしてくれた・・・と、解釈するのが自然なんだろう。
・・・その真意はともかくとして。
「・・・とりあえず、僕は教師としての立場も利用して調査を続けるとしよう。
その後森という生徒が無断欠席してるというなら、そこら辺から探りを入れてみるかな」
「お願いします。
・・・って言いたいとこですけれど、あんまり無理してまた校長とかに目をつけられない程度にしてくださいよ」
俺のその言葉を受けて、先生が心外そうに顔をしかめる。
「・・・いや、だから、僕は校長に目をつけられたことなんてないって言ってるだろう。
なんでみんなそう僕を問題教師扱いしたがるんだ?」
「・・・先生・・・。
こないだ、自分で自分のこと『うさんくさい陰謀論者』って認めてたじゃないですか・・・」
・・・とは言え、数日前まで学校中に蔓延していたはずの噂話がある日を境に忽然と忘れ去られてしまうなんて、これが陰謀じゃなくてなんなんだろう。
浦島太郎にでもなったかのような気分だ。
異次元迷宮に陥れられた俺たち三人だけが、置き去りにされたかのように噂のことを覚えているなんて。
――まるで、学校の全ての関係者の記憶や認識そのものが、気づかない内に作り変えられてしまったかのように。
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